1831年天保二年 | 十世杵屋六左衛門 |
初演は江戸中村座にて二世中村芝翫のちの四世中村歌右衛門が『六歌仙容彩』という五変化舞踊の四番目の演目でした。
六歌仙とは、『古今和歌集』から選ばれた六人。
在原業平・僧正遍照・文屋康秀・大友黒主・喜撰法師・小野小町の事です。
あれ?五変化・・・。そうです。この演目は小野小町以外を早変わりで中村芝翫が演じたわけですね。
一世一代の美女の小野小町をめぐる六人の男性のお話。
どの時代も男性は美女に弱い。モテモテの小町ですが、小町だって好みがあるというか・・・。というか、彼女はどの男性の甘い言葉になびかない女性だったようですが、そういう女性は振った男性から逆恨みをかう恐れあり。
『六歌仙容彩』における悪役は大友黒主。
この大友黒主というお方は実際は悪人ではないのですが、『積恋雪関扉』という芝居では国家転覆を狙う大悪人として表現され、この舞踊劇でも小野小町に振られた腹いせに、小町の詠んだ歌は盗作(昔の人が作った歌)だと言い掛かりをつけちゃったりするんですね。そして、最後はやっぱり国家転覆を狙う大悪人という正体がばれて大立ち回りというラストシーンになるのですね。
さて、この大友黒主は六歌仙に選ばれているのですが、何故か百人一首に残っていないのですね。
大悪人だったとという記録はありませんが、
黒主の「黒」が悪いから悪人に仕立てられたという説がありますが、百人一首に選ばれなかった謎に由来があるかもです。
さて
『喜撰』は長唄と清元との掛け合いという仕立てです。という事で、上調子格の長唄は二上がり。
中棹の清元より、細棹の長唄は音が高いし・・・だから上調子なのでしょうか。
清元と長唄の掛け合い、ほかにもありますが皆そんな感じなんでしょうかね。今度、調べてみよう。
さて、『喜撰』には小野小町自身は出てきません。そのかわりお梶という美女が出てきます。しかし、お梶=小町です。お坊さんというのは仏様に仕えるお堅い商売の方というイメージありますが、女の子大好きな喜撰法師。お梶相手にほのぼのとお遊び。
舞台は祇園だそうです。なるほど。
現在、お茶屋さんが並ぶ祇園。もともとは八坂神社の参道に参拝の人たちをターゲットとしたお茶屋さんが並んでいて、お茶を提供していたそうです。それが、お給仕の綺麗な女の人がお茶をサービス。それが発展して現在の祇園になったそうです。という事はお梶は舞妓さんの前進(?)
長唄には清元・常磐津・俗曲・古曲など様々な三味線音楽や芸能が取り入れられています。
この曲
ちょうど中盤あたり、歌詞でいうと“やれ色の世界に出家を遂げる”以降、ちょぼくれと言われる節になります。大小鼓の手も「チョボクレ」という手を打ちます。
このちょぼくれというは、宝暦年間に、大阪で始めて行われて「ちょんがれ」と呼ばれ、江戸に移って「ちょぼくれ」に。街頭芸能の一つだそうです。小さな木魚を持って念仏調の節で世の中の風刺した内容を唄ったりしたのだそうです。
そして、「浪花江の、片葉の蘆の」からは住吉踊り。この住吉踊りは、御田植神事の中で踊られている田楽舞なのだそうです。神功皇后が三韓遠征から凱旋の際に、泉州七道浜の住民が傘を被って吉師舞(きしまい)を舞って祝ったのが起こりとされています。長柄の傘を持った音頭取がその絵を扇子(割り竹)で打ちながら調子をとり、傘のまわりを菅笠をかぶった四人の少女たちがが扇子を打ちながら「すみよしさーん、やーとこせ」と歌いながら踊り回るのだそうです。
長唄を通して色々な芸能に触れる事ができます。しかし、逆を返せば色々な芸能について知らなければどう表現したらよいかさっぱり分からないのが長唄かも知れませんね。
昔、三味線で『外記猿』の稽古をした時、「ここは外記節だから」と注意を受けたんですね。
でも、私、その頃中学生くらいで先生が何を仰りたいのかさっぱり分からなかったです。
「外記節って何?」状態です。
で、質問したのですが、あまり納得いく答えが得られなかった思い出が。たぶん、その先生も先生から「ここは外記節だから」と注意されたのでしょうね。でも、悲しいかな「外記節って何?」とは思わなかったのかも知れません。
常に疑問をもって答えを模索するという事は、自分自身の知識も深まるし、
長唄の本当のよさを後世に伝えるために必要な事だと思います。