四季の花里 | 『花のほかには』-fuyusun'sワールド-

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fuyusunの『何じゃこりゃ!長唄ご紹介レポート』
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年代
作詞・作曲
1859年安政六年 五世杵屋三郎助

安政六年といえば、安政の大獄があった頃。江戸幕府末期。世の中物騒で騒然とした時代。
そんな時代背景を感じさせないですね。「まだまだ安泰でござる」という感じです。
何しろ、この曲も真田信濃守の上屋敷で催された席で初演。幕府・・・つまり会社が大変な時にのんびりと長唄鑑賞の席を設るなんぞ、今の時代だったら大変かも。しかし、この余裕が江戸時代の良いところかもしれません。

作詞・作曲を手がけた五世杵屋三郎助はのちの三世杵屋勘五郎。“根岸の勘五郎”と呼ばれていた方です。この曲は、彼の住んでいる根岸の四季を唄ったものだそうです。
この作曲者は十世杵屋六左衛門の子ども。初代杵屋栄蔵を名乗り、三世杵屋三郎助という名前を経て、十一世杵屋六左衛門の名跡を継ぐ。そして、その七年後に弟にその名前を譲り、三世杵屋勘五郎を名乗るようになったそうです。
『土蜘蛛』とか『望月』とか、有名どころの長唄を一杯残してくれたお方。凄いお方です。

「花里」なんていう題名がついていると、どうも田園風景を思い浮かべてしまう。しかし、江戸下町の風景なのですね。
とっても素晴らしい風景を唄いこんでいます。
この曲が誕生して、十年も経たない1868年にご維新の戌辰戦争が起こって、この上野辺りは戦場と化してしまうのだから世の中というのは分かりません。


さて、この根岸界隈には幾つかの名所があります。全てがこの曲に出てくるわけではありませんが。幾つかご紹介いたします。

・初音の里
鶯谷という地名があるだけに、この辺りは鶯の名所であったらしいです。しかし、この鶯の名所も人の手によって作られたものだそうです。
元禄の時代、寛永寺の住職の座についた公辨法親王(こうべんほっしんのう)が、都からこの地に来て「うぐいすの声が訛っている」と仰ったそうです。この辺りの鶯は遅鳴きで声質も悪かったらしい。この公辨法親王は後西天皇の第六皇子。雅なお方ですからね。私なんて、鶯がどんな鳴き方をしても気になりませんが、たぶんこういったお方は気になって仕方が無かったのでしょう。尾形乾山という人に命じて京から早鳴きで声の美しい鶯三千五百匹取り寄せて根岸の里に放したのだそうです。以降、この辺りは鶯の名所になったのだそうです。
このご住職は赤穂浪士切腹の判決のキーワードを握ったお方としても有名なのだそうです。この曲とは関係ないので、まあ雑学としてお伝えしておきます。

・梅屋敷
「梅に鶯」とも言いますが、根岸には梅の名所があったらしいです。梅屋敷は上根岸のあたりにあった梅の名所のようです。
うぐいすの声を競う“鳴き合わせ”という集いのようなことが今でも行われていますが、根岸のあたりにもそういったところがあったらしいです。初音里鴬之記という記念碑がある場所で最初は行われていたそうです。その後、鶯春亭という老舗の料亭に場所が移されたそうで、どちらもが梅の名所だったそうです。
下谷や根岸は大勢の噺家さんが住まわれていたそうです。“鶯春亭”でネット検索すると、“鶯春亭梅橋”という昔の落語家さんがヒットします。たぶん、このお名前はこの近辺が由来のお名前なんでしょうね。

・呉竹の里
根岸の里は、音無川の清流が流れ呉竹の里とも呼ばれていたそうです。
梅に鶯も似合いますが、竹藪に鶯というのも、また絵になる風景ですね。

・笹の雪
笹の雪というのは根岸の老舗お豆腐屋さんです。
笹乃雪初代玉屋忠兵衛という人は絹ごし豆腐を発明した人と言われています。元禄四年、公辨法親王のお供として京から江戸に下って来たのだそうです。公辨法親王は「笹の上に積もりし雪の如き美しさよ」と主人の作った豆腐を大絶賛したそうです。
このお店、現在も続く老舗です。

・貝塚
太古の時代、上野のあたりまで海があったそうです。根岸というのは、上野の崖の下にあり、木の根のような岸辺がつながっていたというのが地名の由来なのだそうです。
谷中や上野あたりには古墳があり、貝塚もあるんですね。
景観もよく、ちょっとした観光地みたいな存在だったそうです。

・御行の松
根岸にある西蔵院というお寺にある松。広重の錦絵にも描かれている有名な松です。
「寛永寺門主輪王寺宮が上野山内の寺院や神社を巡拝された時に、 根岸の御隠殿からこの松の下にきて必す休まれたことから」、また一説には「松の下で寛永寺門主輪王寺宮が行法を修したから」などと名前の由来には諸説あるのだそうです。
現在の御行の松は三代目なのだそうです。

・三島明神
このあたりには「三島さま」と呼ばれている神社が三つあるそうです。
寿四丁目の三島神社、下谷三丁目の三島神社、根岸一丁目の元三島神社の三つ。
もし、根岸の事を唄ったものなのなら、やっぱり元三島神社のことなのでしょうが・・・
しかし、江戸百景になっている「三島さん」は寿町の三島神社の事なのだそうです。へえ~???


さすが下町ですね。この辺りの名所を調べると山ほどでてきました。
でも、なんだかんだいって一番の名物は“鶯”なんですね。

現在の根岸あたりも丁度良いお散歩コース。
こうして色々と調べていると、下町散策に出たくなりました。