年代:嘉永六年(1853年)
1853年は鎖国日本が崩れる時代。ペリーさんが黒船でやって来たのがまさしくこの年七月のことなのです。
安定していた江戸幕府が揺らぎはじめた時代にできた長唄です。
作曲:五世杵屋弥十郎
作詞:篠田 瑳助
「三番叟もの」でご紹介しましたが、
「操り三番叟」も長唄の三番叟の代表作です。
正式な題名は「柳糸引御摂」(やなぎのいとひくやごひいき)という
題名が付いています。
一応、作曲者は五世杵屋弥十郎となっていますが
後に五世杵屋勘五郎が手直しを入れたようです。
現在は、五世杵屋勘五郎の改訂版が多く演奏されているようです。
「操り」…この題名の由来は
三番叟が操り人形振りで踊る事からつけられているそうです。
私はこの曲の舞踊を観た事がないのですが
現在では、千歳・翁は普通に踊られ
三番叟だけが操り人形の振りで踊るようです。
けれど、初演時は
千歳と翁はカラクリ人形という設定で踊っていたみたいです。
なんとなく、バレエの「コッペリア」とかそんな感じで
ファンタジックな踊りのように思います。
日本舞踊で人形振りというと
「櫓のお七」というのが有名ですけれど
他にもあったのですね。
それも操り人形だ何て意外です。
なんとなく操り人形というと西洋の人形劇というイメージがあります。
日本には文楽のような人形しか無いと思っていました。
歌詞を読んで下さるとお分かりになるかと思いますが
この部分は、言葉遊びで「松づくし」となっています。
「君が代松竹梅」には「梅づくし」
「常磐の庭」には「貝づくし」
こういった部分を聴く度に
作詞者の遊び心に関心させられちゃいます。
ちょっとした遊びをスマートに表現する
。。。「粋」って言うのかしらね。
こんな作詞者の遊び心が感じられる素敵な部分なのに
どうして、今は演奏されないのかしら?