年の終わりに新しい生活を始めた | ゆきの時間……台湾に暮らした先祖の足跡を辿って

ゆきの時間……台湾に暮らした先祖の足跡を辿って

☆高祖父は『南島雑話』の名越左源太時敏 ☆名越(なごや)は祖先の姓
☆曽祖父(左源太の次男&時成の弟)は明治時代に台湾総督府勤務
☆祖父は台湾・麻豆の役所勤務定年後に嘉南大圳水利組合で勤務
☆父は台湾の台南・麻豆生まれ、亡き母は旧満州・新京生まれです☆

2022年の大晦日もあと1時間を切り、

この前のブログ更新から3ヶ月経ちました。

 

その間に新たな仕事に就くことになり、やりかけの諸々をひとまず置いて、初めての職種を覚えるのに専念しておりました。

 

思い返せば、仕事に出るのも20年ぶりくらいになります。

母が亡くなって22年ほど、昨年父が亡くなるまでの間には、

仕事復帰しようとしたタイミングで子宮筋腫がわかり、その後の経過観察の上で治療方針を決める前に、高めだった血圧を下げるための服薬治療。

 

その後ようやく全摘手術(幾つもできる多発性の上、筋腫も大きかったため)を受けることになり、47歳の誕生日は病院で迎えました。

入院中は父が家と病院を原付バイクで往復して、

着替えやタオルなどを運んでくれました。

 

術後には摘出した部位の確認に主治医の説明を聞いてくれたそうです。麻酔から覚めると父が話してくれました。

2007年のことです。

当時父は81歳。晩秋から初冬にかけての時期に‥‥。

改めて感謝しかありません。

 

退院後はしばらく養生して、入院前から聴いていたラジオ講座を聴きながらいくつかの外国語を独学。あくまでも趣味の域でしたが、中断しつつ今も時折気が向くままに続けています。

 

そんな中、今度は甲状腺機能亢進症を発症。

服薬治療で一旦は治ったと思っていたのですが、3年前の6月頃かに13年ぶりに再発し、今も少量の服薬を続けています。

 

父との生活も昨年突然終わりを迎え1年余り、自分自身の今後のことを考えると仕事に就いて収入を得る必要を感じ始めていたところ、

運よくタイミング良く、無理のない程度の時間での仕事が見つかり、

一安心で年の瀬を迎えることが出来ました。

 

全てに感謝する2022年の締めくくりとなりました。

来年も更に懸命に、そして時に楽しく過ごしたいと思っています。

 

お読み頂いた皆様、ありがとうございます。

来年もまたよろしくお願いいたします。