父が長く務めた企業の社主の方の訃報を昨日、目にしたことを書きました。
父が語っていたこと、昔の話など、いろいろなことが頭の中をめぐります。
そこで企業沿革を、改めてみてみました。
戦後間もない頃、臨時要員で入り、程なく昭和24年から社員として働き、60歳の定年退職後は委嘱社員として75歳まで勤め、財務一筋2001年に辞するまで半世紀余り。
会社の沿革には主に百貨店のことに限られ表示されている様ですが、
鹿児島空港が鹿児島市鴨池から霧島・溝辺に移転する際には、空港ビル創設に伴い父も携わることになったり、スーパー事業を展開することになると、本部創設から出向社員として関わり、その後そちらへ籍を移し本部で務めあげました。
その後20年、亡くなるまで、時にかつて籍を置いた企業の事業・状況が気にかかり、時には仕事をやっていた頃の決算時の様な夢を見ることもあったようです。
「もう仕事を離れてだいぶ経つのに、おかしなもんだなぁ」と言っていました。
折に触れ、戦後間もない頃の百貨店の様子(地階はまだ瓦礫だらけだったことなど)や、東京・大阪の各事務所で勤めた頃の思い出話などを聞かせてくれました。
東京時代(昭和26〜28年)は商品の仕入れで問屋を回り、鹿児島へ送るべく、事務所のある麻布から、商品を載せたリヤカーを引いて歩いて品川駅まで運んだという話も聞きました。
私は東京の地理に詳しくないので
まずは地図で把握するのが大変でした(笑)
東京も大阪もそれぞれにその時代時代の状況と重ね合わせ、特に東京事務所については迫水久常の屋敷だった、とか、所長は渡辺錠太郎の甥であるとか、ゆかりのある人物や、当時の上司・同僚との思い出話を聞いては、歴史の一コマを見る様でした。