父の想い出とともに‥‥ | ゆきの時間……台湾に暮らした先祖の足跡を辿って

ゆきの時間……台湾に暮らした先祖の足跡を辿って

☆高祖父は『南島雑話』の名越左源太時敏 ☆名越(なごや)は祖先の姓
☆曽祖父(左源太の次男&時成の弟)は明治時代に台湾総督府勤務
☆祖父は台湾・麻豆の役所勤務定年後に嘉南大圳水利組合で勤務
☆父は台湾の台南・麻豆生まれ、亡き母は旧満州・新京生まれです☆

先ほど、ツイッターで偶然にも目にした岩元恭一さんの訃報。

今月11日に亡くなっていたこと、たった今知りました‥‥。

お別れの会は来月20日とのこと。

 

「山形屋社主 岩元恭一氏が死去 83歳(MBCニュース)県民に愛される山形屋に」街づくりにも尽力(09/20 19:42)」

 

父からは昔話にも若い頃の恭一氏のことを聞くことも多く、

昨年の父の死去の(訃報広告は出さず、退職時関わりのあった極僅かの方のみお知らせした)際にはお花も頂き、今年の命日にも‥‥。

 

ご病気闘病中だったとは存じ上げませんでした。とても残念です。

ご冥福をお祈り致します。

 

 

ちょっと父の話をメモしたものを読んでみた。

結構込み入ってるので簡単には説明できないけど。

父が入った頃(昭和24年頃〜)の社長は岩元修一さん(メモを読むと妻は藤武家の女性、って、あの藤武家かな?)、副社長が樋口佳雄さん(恭一さんの父、恭一さんは大阪・大丸で見習い実習)で修一さんと樋口さんが慶応の先輩・後輩、岩元修一さんの弟さんは岩元達一さんで会長、また弟・修三さんが藤武家に養子入り。

確認していないので曖昧。間違えているかもしれません。。

 

恭一さんが慶応を出て見習い実習、ということは、昭和36年ごろのことかな? 

そうだ!早慶戦を観に行ったと言っていたように思います。

 

どうぞ、安らかに‥‥。

 

山形屋外観 

 

10代のように‥‥笑顔の恭一氏