母方の先祖の職業が色々で興味深い | ゆきの時間……台湾に暮らした先祖の足跡を辿って

ゆきの時間……台湾に暮らした先祖の足跡を辿って

☆高祖父は『南島雑話』の名越左源太時敏 ☆名越(なごや)は祖先の姓
☆曽祖父(左源太の次男&時成の弟)は明治時代に台湾総督府勤務
☆祖父は台湾・麻豆の役所勤務定年後に嘉南大圳水利組合で勤務
☆父は台湾の台南・麻豆生まれ、亡き母は旧満州・新京生まれです☆

母方の先祖は亡き母のメモによると、分家初代・六郎太は日置郡伊作(今の金峰町)で宮大工だったとある。
同じようなメモはいくつもあって、何かに気付いたその時々で書き付けていたようで、代々のカウントが一つずれていたりもする。
別のメモには「伊集院の殿様の宮大工」と書いている。

たまに食事処やお店などで同じ苗字(ひと文字)の名札をつけた従業員さんを見かけては、もしかしたら縁戚?などと思う癖があります(笑)

2代目・三左衛門(材木屋?)の頃には鹿児島市内の千石馬場に、

3代目・喜左衛門(文政七(1824)年生まれ、染物屋、京染め屋?)の時に伊佐郡へ移り住んだらしい。

それぞれの職業は母が親戚に訊いて調べたのかもしれませんが、今となっては確認は出来ません。


3代目・喜左衛門(明治36年没)の時に役所の手違いで苗字が一字増えて二文字になったという(他にあまり見られない苗字)。
その長男が曽祖父・友次郎(農業、万延元年(1860年)生まれ ー 昭和6年没)、そのまた長男が祖父(旧満州で警察官、明治37年生まれ ー 昭和53年没)で5代目、3年前に亡くなった叔父(声楽家)は6代目となる。子はなかったのでそこでおしまい。

初代の生まれ年などは不明ですが、その頃の「伊集院の殿様」って、どなただろう?

時代背景の影響などもあるのだろうけど、もしかしたら上手くいかなかったりもしたのかも?それにしても様々で面白い。


おとといから昨日にかけて、そんなことを思い巡らせていました。自分でも把握できないので、昨日は思い立ってPCで系図を記してみたりしていました。

22日水曜日に紫陽花の剪定などをして以降、23日は今年初の熱帯夜明け(最低気温25℃)の朝から、雨が降ったり晴れて日が差したり、昨日(最低気温26.7℃!)も続いて目まぐるしく変わりやすい天気です。隙間を縫って外へ出ました。

 

☆剪定前。青色の紫陽花の株がだいぶ大きく育ったので、奥の一角の草取りなど、手入れができず、この日までの数日は雨天の隙間を狙っていたのです。

 

☆剪定後。奥のピンク色の株と合わせて、

ずいぶんスッキリしました♪ 

来年はスマートな姿で花をつけてくれる、かな?

 

そして今朝の最低気温は27.6℃でした!

その後雨が降ったこともあってか、10時の時点では逆に気温が下がって最低気温が24.2℃に。
今日はほぼ一日、家の中で過ごすことになりそう。

(写真は'22.6.22 撮影)