母方の先祖は亡き母のメモによると、分家初代・六郎太は日置郡伊作(今の金峰町)で宮大工だったとある。
同じようなメモはいくつもあって、何かに気付いたその時々で書き付けていたようで、代々のカウントが一つずれていたりもする。
別のメモには「伊集院の殿様の宮大工」と書いている。
たまに食事処やお店などで同じ苗字(ひと文字)の名札をつけた従業員さんを見かけては、もしかしたら縁戚?などと思う癖があります(笑)
2代目・三左衛門(材木屋?)の頃には鹿児島市内の千石馬場に、
3代目・喜左衛門(文政七(1824)年生まれ、染物屋、京染め屋?)の時に伊佐郡へ移り住んだらしい。
それぞれの職業は母が親戚に訊いて調べたのかもしれませんが、今となっては確認は出来ません。
3代目・喜左衛門(明治36年没)の時に役所の手違いで苗字が一字増えて二文字になったという(他にあまり見られない苗字)。
その長男が曽祖父・友次郎(農業、万延元年(1860年)生まれ ー 昭和6年没)、そのまた長男が祖父(旧満州で警察官、明治37年生まれ ー 昭和53年没)で5代目、3年前に亡くなった叔父(声楽家)は6代目となる。子はなかったのでそこでおしまい。
初代の生まれ年などは不明ですが、その頃の「伊集院の殿様」って、どなただろう?
時代背景の影響などもあるのだろうけど、もしかしたら上手くいかなかったりもしたのかも?それにしても様々で面白い。
おとといから昨日にかけて、そんなことを思い巡らせていました。自分でも把握できないので、昨日は思い立ってPCで系図を記してみたりしていました。
22日水曜日に紫陽花の剪定などをして以降、23日は今年初の熱帯夜明け(最低気温25℃)の朝から、雨が降ったり晴れて日が差したり、昨日(最低気温26.7℃!)も続いて目まぐるしく変わりやすい天気です。隙間を縫って外へ出ました。
☆剪定前。青色の紫陽花の株がだいぶ大きく育ったので、奥の一角の草取りなど、手入れができず、この日までの数日は雨天の隙間を狙っていたのです。
☆剪定後。奥のピンク色の株と合わせて、
ずいぶんスッキリしました♪
来年はスマートな姿で花をつけてくれる、かな?
その後雨が降ったこともあってか、10時の時点では逆に気温が下がって最低気温が24.2℃に。
今日はほぼ一日、家の中で過ごすことになりそう。
(写真は'22.6.22 撮影)