月桂樹と更級日記(1) | ゆきの時間……台湾に暮らした先祖の足跡を辿って

ゆきの時間……台湾に暮らした先祖の足跡を辿って

☆高祖父は『南島雑話』の名越左源太時敏 ☆名越(なごや)は祖先の姓
☆曽祖父(左源太の次男&時成の弟)は明治時代に台湾総督府勤務
☆祖父は台湾・麻豆の役所勤務定年後に嘉南大圳水利組合で勤務
☆父は台湾の台南・麻豆生まれ、亡き母は旧満州・新京生まれです☆

昨日、生前父が入会していた東郷会の会報、

その名も『東郷』の最新号が届いていたので

それまでは父のものだからあまり読むことはなかったのだけど

我が家に届くのはこれが最後の号だからと

気まぐれに目を通してみた。


新たに手にした本を初めて読む時の常として、

後ろからめくってみる癖があるのだけど、

 

巻末の「会員の広場」では

会員発刊の著書『海軍めし物語』の紹介で

「海軍では金曜日がカレーだった」というのは

果たしてウソかホントかなど興味深い話や、

 

更にページを前に戻して「宮司この人と語る」の項では

鹿児島県出身のシェフであり「料理の鉄人」で有名な

坂井宏行氏と東郷神社宮司との対談などを読んだ。

 

それから最後に読んだのが、

冒頭の読み物で昭和49年7月号からの再掲という

「東郷元帥と月桂樹」(佐野純雄 著)だった。

 

すると、興味深いことが書かれていた。

 

東郷元帥が日比谷公園で月桂樹を手植えされたのが

日本で最初の植樹と言われること(明治38年1月7日)

 

② ただ、明治3年ごろには月桂樹が初めて輸入されていて、その頃は「ローレル」という元々の名で呼ばれていたこと

 

月桂樹と呼ばれるようになったのは、東郷大将が日比谷公園で手植えをされてからである

 

といった内容だった。

 

この他にも、京都の「月桂冠」という清酒が発売される際に、

「日露戦争の際、新聞紙に「月桂冠」の文字が盛んに使用されているのに示唆を受け、商標に定めたとある。」など興味を惹かれることがあるのだけど、個人的にふと疑問に思うことがあった。

 

それは、我が家の元々の祖先の親族に

「月桂院殿」という女性がいるのだけど、

(※詳しくは本宅ブログの『月桂院とは』をご覧ください)

宝永・享保年間の薩摩藩第4代藩主であり、

島津氏第21代島津吉貴公の夫人・須磨の落飾後の名前に

「月桂」とついているのだけど

この「月桂」はどういうものなのだろう?と思ったわけで‥‥

 

ちょっと長くなるので次回へ続きます。

 

 

☆画像は、偶然今日テレビで観た『日本振袖始』という

舞台の紹介で、詩に「月の桂」と出てきたので思わず撮影

https://plus.nhk.jp/watch/st/e1_2021090322572?cid=jp-5K1GW1XVN4