声楽家だった叔父 | ゆきの時間……台湾に暮らした先祖の足跡を辿って

ゆきの時間……台湾に暮らした先祖の足跡を辿って

☆高祖父は『南島雑話』の名越左源太時敏 ☆名越(なごや)は祖先の姓
☆曽祖父(左源太の次男&時成の弟)は明治時代に台湾総督府勤務
☆祖父は台湾・麻豆の役所勤務定年後に嘉南大圳水利組合で勤務
☆父は台湾の台南・麻豆生まれ、亡き母は旧満州・新京生まれです☆

昨年4月に『叔父と家族写真と』で書きましたが、

一昨年12月半ば、亡き母の弟が急逝しました

状況から、夜寝ている間の急性心不全であろうということでした

 

2014年の夏に、長年暮らして来た東京を離れ、

故郷である鹿児島に戻り5年余りを過ごしました

 

 

私の母を含め三人の姉と妹一人の中で

男は叔父がただ一人

母の家族写真(旧満州・新京にて) 

 

満州で生まれ、5歳の時に終戦

翌年(1946年)の本土引き揚げまでの間に母をチフスで亡くし、

警察官であった父(私の母方祖父)の故郷、鹿児島県大口(現・伊佐市)の山之口に向けて子供だけで帰国

 

‥‥といっても、母も語っていたように

行ったことのない他所の国に行くような心持ちだったでしょう

 

それから2年半ほどして鹿児島市に移り、小学校に上がると何度か転校を経験、高学年になると親しい友達も出来たようです

 

というのも、叔父の部屋の遺品整理でフォトアルバムや年賀状フォルダーなど(叔父が几帳面な性格だったことも、初めて感じたのですが)、我が家に引き取り運び込んだ後で、少しずつ時間を掛けて目を通す中で、次第にわかってきたことなのです

 

叔父が大切にとっていた手紙には

私が生まれる前の叔父の子供時代の交流が垣間見られるような

エピソードも綴られていました

 

 

これから少しずつ叔父について書いていこうと思います。