昨年4月に『叔父と家族写真と』で書きましたが、
一昨年12月半ば、亡き母の弟が急逝しました
状況から、夜寝ている間の急性心不全であろうということでした
2014年の夏に、長年暮らして来た東京を離れ、
故郷である鹿児島に戻り5年余りを過ごしました
私の母を含め三人の姉と妹一人の中で
男は叔父がただ一人
満州で生まれ、5歳の時に終戦
翌年(1946年)の本土引き揚げまでの間に母をチフスで亡くし、
警察官であった父(私の母方祖父)の故郷、鹿児島県大口(現・伊佐市)の山之口に向けて子供だけで帰国
‥‥といっても、母も語っていたように
行ったことのない他所の国に行くような心持ちだったでしょう
それから2年半ほどして鹿児島市に移り、小学校に上がると何度か転校を経験、高学年になると親しい友達も出来たようです
というのも、叔父の部屋の遺品整理でフォトアルバムや年賀状フォルダーなど(叔父が几帳面な性格だったことも、初めて感じたのですが)、我が家に引き取り運び込んだ後で、少しずつ時間を掛けて目を通す中で、次第にわかってきたことなのです
叔父が大切にとっていた手紙には
私が生まれる前の叔父の子供時代の交流が垣間見られるような
エピソードも綴られていました
これから少しずつ叔父について書いていこうと思います。