私の恋愛遍歴は少ない。
って言うか、無しと言ってもいいくらいじゃないかなぁと。

だってそんな余裕もあの頃の私には無かったんだもん。

あれは中学一年生の初夏だったかな。
中学高校の私は多分ひねくれてたと思う。その原因でもある出来事。ちょうど離婚したパパが再婚するからと新しいママを連れてきた時だった。
そうだなぁ…身長はちょっと小柄だったけどグラマーで普通に綺麗かも。
でも最初は私はその人が再婚する相手だとは思わなかった。だって隣にはハタチ過ぎくらいのこっちはスラッと背の高い若い男の人が一緒だったから。
因みに超イケメン。
それがピッタリと並んで歩いてるし、何か親密そうな雰囲気もあったし…カップル??って思った。

パパはドア開ける前からずっとソワソワしっぱなしでそれは面白かったけど。

「良く来てくれたね。あぁ未那斗君も一緒か…まぁ遠慮しないでゆっくりとしていって欲しい」
「ねーパパ誰か友達来たの?」
「いや、まぁ叶も挨拶して‥」
「なんで?」
普通なら初対面でパパの知り合いなら挨拶したんだろうけどその時はなんか素直にできなかったの。
「だからこれから一緒に暮らすんだから。仲良くしないとな」
「え??意味分かんないよ。何で知らない人といきなり一緒に暮らしてしかも仲良くしなきゃならないの?」
「それはこれからちゃんと説明するから」
「ちゃんとって…大体パパっていつも唐突過ぎなんだから。計画性無いし。しかも空気読めないしー。今度から店長なんだからしっかりしないとダメなんだから。私をちゃーんと素敵な大人の乙女に育てないといけないんだからね」
「うるさい…分かってる」
それでパパはしかめっ面をした後にドヤ顔みたいにして下を向いていた目をその女の人に合わせた。

「あぁ、勿論今度からは4人になるわけだからな。パパに任せておけばいいさ」
「え?なんで一緒に住むだけじゃなくて生活費までださなきゃいけないの?」
「そりゃお前…家族だからな。新しい。ママとお兄さんだな。叶はお兄さん欲しいって言ってなかったか?」
「って…ええーーーっ!!」
「お前の願いを叶えてあげたんだからもうちょっと喜べって」
いきなり言われて喜べる訳ないじゃん。それ所じゃないし。もっと早く言ってよ。相談してよ。パパのバカバカ。
それに歳の近いお兄ちゃんが良かったもん。あれどう見たって10歳は離れてそう。
そんな事を考えてるうちにパパは未来のママをエスコートしはじめた。
「じゃぁ奥のリビングにでも」
そう言うとパパは2人を連れて奥に入っていってしまった。
一瞬チラッと未那斗ってヤツが私に流し目してったのは見逃さない。あれがお兄ちゃん…?って。
無理。
無理に決まってんじゃん。そりゃカッコいいかもだけど…
なんか無理。私は直感的にそう感じたんだった。
3LDKのマンションの一階のはじっこ、親子2人じゃちょっと広いけど自由で私は良かったのに…。
何で邪魔するの…

何度か私を呼ぶパパの声がする。仕方ないから私もリビングに行く。
「叶ちゃんだね…?徳之助さんから聞いてるよ。これから宜しくね。何でも気軽に言ってよ」
未菜斗が何か言ってるけど私は無言。それで微かに唇を尖らせてみせる。

って徳之助さんなんだ。お父さんって呼ばないんだ。でも…パパの名前、私は結構好き。
昔な感じするけどなんかカッコいいよね。
周りからは[徳さん]って呼ばれてたりするらしいけど今度からはきっと店長って呼ばれるんだろうな~。

なんてどうでもいい事を考えながら紅茶を飲んで居心地の悪さに耐える。

そこで次期美人ママがやっとこっちを向いて口を開いた。
「叶ちゃん、私は菰田弥生って言います。1度徳之助さんのお店で見掛けたんだけどやっとこうしてお話ができたわ。本当はラフに遊びがてらどこか外で会ってみたかったんだけど徳之助さんがそんなのいいって言うものだから…やっぱりすぐに打ち解けるのは難しいかもしれないけど、ウチの息子もずっと歳上だから何かと頼りになると思うの。だからなんでも言ってみてちょうだい。勿論私もママとして頑張るわ」

わっ…ちゃんとした挨拶きた。これは応えない訳にはいかないかぁ。
割と中身はしっかりしてるのかな…
でもでもこのくらい大人なら当たり前だよ。
そう思って態度は変えない。

「別に…パパがいいなら…私はいいです。でもパパだけ見てればいいです」

か弱い中学生に出来る精一杯の皮肉のつもり。

私は早く優しくて私をずっと世界一愛してくれる恋人を見付けてこんな場所から出ていくんだから。
それまでの我慢…


「とにもかくにもみんな仲良く、だ。な?」
そこで見かねたのかパパが話を纏めにかかってきたから何となく空気も変わり、私はサッサと自分の部屋に逃げ込んだ。
でもパパのくせに空気読めたんだ、なんて。
たまにはヤルじゃん。


そんな最悪な初対面から約2ヶ月後にパパ達は籍を入れた。
お互い再婚だからと式は内々ごく親しい間柄でだけだった。

出たくなかったけど、パパの為だと強く自分に言い聞かせて私も出席した。

そして勿論、みんな一つ屋根の下。

それからの私は心の整理も付かぬままにずっと高校を卒業するまでもふて腐れて過ごして、気付けばパパともあまり口を聞く事も無くなってしまってた。

同性の一番の仲良しだった子の所にだけは良く行って色々話したけれど。

王子様も現れないし。

クラスや学校の男子はみんな子供っぽく感じてたし。
かといってアイツは…何よりも私を男嫌いにさせたのは未那斗。

凄く優しかったの。

何をするにも丁寧過ぎるくらいに親切だったし。

でも私にはそれが逆に鬱陶しくて堪らなかった。

高1の頃バッタリと渋谷で出くわした時なんてずっと付いてきて色々世話を焼こうとして。
極めつけに手‥握ってきたの、アイツ。
私はその瞬間体に電気が走ったみたいだった。
きっとこんな表現は好きな相手にだけ使うものだと思ってたけど、でも全く逆の意味でビリビリした。

それで完全にあぁ‥私とはダメなんだなって思った。生理的にムリ…。

でも今もそれに理屈なんて付けられないけど思春期だったからとかは絶対言われたくなくて、それが余計に自分をイライラさせた。





そんな十代を過ごしてきて私は高校を卒業して調理師専門学生になった。
基本的に3年制でそれぞれ1年ごとに和洋中と勉強してくシステムの学校。
私の場合調理師に栄養士もだったからかなり大変だったけど夢や目標があったから頑張れると思った。

それは大好きな人に沢山美味しい料理を作ってあげたかったから。単純かもしれない。けどいつの間にか私にとって似合う恋人と出逢う事が唯一の希望となってその為に出来る事をしたいと思ったから。

小さい頃はホントのママと料理はしてたし、って小2までだけど。ママ死んでからもずっとしてた。
パパは下手くそだしね。

それは再婚してからもちょくちょくやってたの。

時々パパも「叶の料理食べたい」って言ってたから。
それが半分は私のご機嫌取りだったとしてもそこだけは悪い気しなかった。

そして入学してすぐにパパがウチでバイトするかって言ってきたのを最初は家居るよりはいいかなって思って引き受けてみた。
その矢先…
私のお腹が壊れてるのが見付かった…

生理でもないのに不正出血があって。
お腹も超痛いし、最初はそのうち治るかなって我慢してたけど、パパが見かねて病院に連れて行ったの。

それが分かった時、お医者さんに話を聞いた時、これは夢なの?っとしか思えない自分が居た。
意味解るけど分かんない。そうゆう気持ち。
そして総てを閉ざしてしまった。じゃないと私の中の全部が空っぽになりそうだったから。
だから、笑った。
笑うようにした。
それは嘘の笑顔だったけど。
そうする事でしか私は私で居られなくなってしまったから。
病気から逃げた。
必死で逃げた。
パパにも優しくした。
弥生ママにも未那斗にも笑った。
そうすれば神様が許してくれないかってバカみたいな事考えて。
イイコになった。
私がみんなを受け入れなかったからバチが当たったんだって。

勿論、治療はやってたけどお薬飲むだけ。

手術は‥イヤだった。

女の子を捨てたくなかった。
いつか出逢う大好きな人の前で可愛い女の子で居たかったから。

ただそれだけだったの。

そしてパパはバイトの話しを無しにするかって言ったけど私は強情に働きたいってお願いした。



だけど、そこで‥やっと私は…悠ちゃんを見付けられたんだ。

最初は挨拶だけだったし、ろくに世間話も出来ずに居たけど、いつも悠ちゃんの仕事ぶりを見てた。口数少ないけど周りを気遣って、黙々と動く。
それは誰に対してもだけど自然と押し付けがましくもなくて。

仕事だからって感じもしなかった。

単にカッコいいなって感じた。
だからすぐに好きになってた。


それに…きっと心の中は柔らかなほんわかとした優しさが詰まってるって感じたの。


それが今じゃ私の勘違いじゃなかったって分かってもっともっと悠ちゃんの事を大好きになった。

ラブラブ…ってきっとこんなかなぁ。

あ、でも一度だけ悠ちゃんとも大喧嘩したことある。

原因は‥プリン。
あの甘いデザートのプリンだよ。

悠ちゃんってあぁ見えてスッゴく可愛いの。
プリン大好きって。
食べてる時の顔がまた可愛い。
いつもニヤニヤしながら食べてるの。

そんなプリンの買い置きを私が食べちゃって、後で買いに行くつもりが忘れてたから。
仕事帰ってきた悠ちゃんは絶対に怒ったことなかったのに、その時はカンカンに怒って…。

「何でいつもいつも勝手な事をするんだよ。僕の楽しみを奪って楽しい?」

「だから買ってくるから。悠ちゃんごめんっ」

「どんだけ僕がプリンを好きか叶は分かってないんだよ。それにクリームたっぷりプリンじゃないとダメなんだからな」

「なによ~そんなにプリンプリンって。じゃ私とプリンどっちが大切なの?」

「そりゃ~ぷり……っんぷりんな叶」

「なにそれ、プリンなんじゃん。プリンでしょ。私はプリンのオマケじゃないもん。そんなにプリンがいいなら買いに行くよっ!!バカ」

でも私はそう言って上野のアメ横に居た。
悠ちゃんのアパートから二駅だったけどそこからメールをイッコだけ送って待つ。

『今上野に居るの。探しに来て。見付からなかったら別れる』

そしたら…
すぐに返信来た。
『上野ってどこに居る?』
私それ見てちょっと吹いちゃった。
だって言うわけないし。
絶対悠ちゃん慌ててるよって思って。

でもそう思うとなんかちょっとだけ可愛そうになって。1つだけヒントをあげた。
『アメ横から半径百メートル』

『そうか、分かった』

『まぁ精々頑張ってね』


それから何度か今ここメールが来て私はそれに曖昧に近いかな~とか離れたとか時々バカって言ってメールを返した。

そして4時間くらいして、やっとアメ横のゲームセンターでUFOキャッチャー越しに見付かった私。

「…あのプーさん取って。取ったら帰る」
「…やれやれ」
そう言うと悠ちゃんは見事100円で取ってしまったのを見て私はやっぱり悠ちゃんが大好きなんだな~って思っちゃった。

「はい、これ」
私は前もって買ったコンビニの袋に入ったプリンを悠ちゃんに手渡した。
「…ありがとう。でもこれ生ぬるじゃん」
「文句あるなら返して」
「…家帰ろう」
「うん」

そうしてしっかり手を繋いで歩き出した。

「大好き悠ちゃん」

「あぁ、僕もだよ」

…何か色々思い出しちゃったなぁ。
「なんか笑ってたけど大丈夫?」
「うん、私頑張ってくるね。ちょっとだけ待ってて」
笑顔はいつの間にか本物になってた。

私はもうすぐ手術を受ける。
大好きな悠ちゃんの為に。

悠ちゃんの為に生きるんだ。
例えどんな事になったとしても。

私は私らしく生き抜くと決めたんだから。。。
[エピローグ]

彼女の居なくなった部屋はまだ仄かに優しい匂いを残していて‥
整理しきれない心を不思議に落ち着けてくれる。
僕は今ベッドに仰向けになり視線も合わせること無くボーッと天井を見ていた。
掌に掴んだ封筒‥
その右手を高々と上げて‥

表には
『悠ちゃんへ』
と書かれ、裏側には
『悠ちゃんが後10年歳を取ったら開けてね。もしその間私の事を忘れられたなら…それは構わないよ。
叶より』
と書かれていた。


何とか気を取り直して部屋の片付けをしていた矢先に出てきた手紙。

僕はどうするか迷っていた。
何でもすぐ口にして行動して想いを吐き出す彼女がまさかこんな手紙を残すとは思わなかったからだ‥。

それに僕だって必ず10年後生きてるとも限らないし。

けど結局開けられず今の状態になっていた。

そこへ彼女の遺品や荷物を取りに店長が訪れて、僕は手紙をしまい慌ててまた部屋を片付け初める。

本当にこれでさよならなんだ‥
僕はずっと泣かなかったのに今になってどっと涙が溢れて、店長の存在さえ忘れて一人想いを涙に変えていく。
こんな弱い僕だからと彼女はきっと分かっていたのだろうか。
だから手紙を残したのだろうか。。。
でも約束は守ろう。
だから僕はそれからの10年を必死で生きようと思った。






そうして10年後の自分も同じようにベッドに横たわりそうしていた。
すっかり古ぼけてしまった手紙を握り締めて…
「僕は10年生き抜いた。今‥開けるよ。叶‥」
ゆっくりとハサミで封をきる。
冒頭には
『悠ちゃん、ちゃんと10年待った?』
と書かれていた。
「あぁ‥待ったよ。ただがむしゃらに生きて」
『んと‥10年後の悠ちゃんは変わり無く元気でやってる?』
「やってるよ。叶のお陰でその先も色んな出会いもあった」
『でも少しは老けて大人っぽくなったのかなぁ‥?悠ちゃんの老け顔ちょっと想像出来ないなぁ。』
「顔はどうだろうな‥でも相変わらず不器用だけどね」
『悠ちゃんはあぁ見えて意外とさみしんぼさんだからなぁ、きっと1人じゃ居られなくて色んな事があったんだろうなって思うけど今が幸せ?』
「余計なお世話だよ‥ったく。でも幸せかどうか分からないけど、いつか言えなかった自分の夢を叶えようと頑張ってはいるよ。もう少しで自分の店が持てるんだ」
『そして‥今隣には大切と言える人が居るのかな‥?』
「‥あぁ…また出逢えたよ。叶のように純粋で真っ直ぐな女性に」
『もしそうなら‥悠ちゃんが幸せなら私は安心だよ。でも正直ちょっぴり妬いちゃいそうだけど(笑)こうして悠ちゃんが10年経って手紙を読んでくれてるんだって想うと私も10年後に一緒に居るような気分してくる‥書いてる途中なのに…目が‥悠ちゃんのバカバカ…』
そこにはペン字が何かに濡れて滲んだ後がはっきりと残っていた。
もう彼女の涙を拭うことは出来ない、それが不思議な罪悪感に僕を包み込んだ。


「でも‥叶の事も受け止めてくれるとても優しい女性だよ。だからそんな妬かないで、心配しないでよ。それに叶は今も僕の心の一部で‥生きる力になってるから」
『ごめん、悠ちゃん。愛してます。大好き。あのさぁ‥私の今の夢は早く生まれ変わってまた悠ちゃんを見付けることだよ。もし‥恋人になれなくても‥あっ…私悠ちゃんの子供になるっ!そしたら悠ちゃんから好きなだけいっぱい愛貰えるもん。パパ~待っててね(笑)
だから早く悠ちゃん結婚してよぉ』
「え‥叶らしい発想だな~‥でも今大切な人のお腹には‥新しい命が居るんだよ。女の子だって言ってた。凄く楽しみだけど叶よりはしっかりした大人に育てるつもりだからそれはちょっと大変かもね(笑)」
『ね‥だからね、本当はね‥悠ちゃんにはちゃんと幸せになって欲しいの。私の分までとかじゃなくて、今度は自分の為に生きて欲しいって思ったから。
でも悠ちゃんはきっと私の事が忘れられなくていつまでも引きずってそうだから‥悠ちゃんってちょっと苦くて、そして分かりにくいくせに、その優しさが一途に染み過ぎるもん‥
だから…自分を責めないで。もう思い出の私に優しくしないでいいよ。自分の為に生きてよ。これは10年後の私からの最後のプレゼントだよ』
「………」
『最後に悠ちゃん‥本当に本当に悠ちゃんと居た季節は楽しくて幸せでちょっぴり後悔してるけど‥私は大丈夫だよ。あの日の星空を、他の誰かと笑って見上げて下さい。本当に色々ありがとう、悠ちゃん。これからも頑張ってね。じゃぁバイバイ~。悠ちゃんを愛せて私は幸せでした』
「叶‥ありがとう。そして…僕も愛してる」

もう涙が止まらなかった…
止まるはずなかった。

そして溢れる涙の全てが滲んでゆき、一瞬で10年前の出来事を綺麗に蘇らせてゆく。


だから僕はその手紙をベッドに寝転んだまま一晩中読み返し抱き締めて過ごした。
ただただあの頃を一途に思い出しながら‥
そうしていつの間にか眠りこけて意識が戻り掛けた頃、ようやく最後に言えずにいた別れの言葉を囁く。

「さよなら。叶」

それから朝になり、そのまま‥そっとその手紙をゴミ箱に落とした。

自分の心の中の苔を落とすように‥

全ての星になった想い出を記憶に染みさせて。



人は死ぬまで生きて行く。
当たり前だけど生きてる中で色んな想いに一喜一憂して成長をする。

本当は誰しも脆い心に
不確かな愛を言葉と共に刻んで。。。

「僕はこれからも生きるよ‥叶。君から始まった幸せを最後までつむいで。。。」


[完]
シトシトとした雨粒が病院の廊下の窓を際限無く叩き、庭に咲く紫陽花は彩りを帯びてゆく。
それはまるで涙に濡れた彼女のようで、短い瞬間の中で何倍にも輝きがほとばしっている。


彼女と出会ってから一年と少しが経っていた。

気付けばあっとゆう間に過ぎてしまった時は永遠を遠く遠く感じて彼女と共有した全てを儚く思い出させる。

静かにベッドに横たわる彼女。静かに隣に腰掛け手を握り続ける僕。

「悠ちゃん‥私の事‥好き?」
「あぁ‥好きだ‥大好きだよ。」
「これからもずっと‥?」
「あぁ‥ずっと‥叶と僕はこれからも心を分け与い一緒に居る。だから安心して‥」

バタン‥看護師が迫る手術を告げその準備を始める。

じっと寝られずに赤く晴らした瞳を僕に向け運ばれてゆく彼女‥。


遅すぎたくらいの彼女の手術は長時間に渡り
終了予定時刻を過ぎてもまだ現れない医師に苛立ちと不安が込み上げてくるのを必死に抑える僕。

その隣に居る店長は我慢ならないといった感じで力無い声で語り始めた。
「悠…ありがとうな。お前が居てくれたお陰で叶は生きる希望を見い出してくれた‥そして俺に『絶対に私が私に生まれた事を後悔しない。パパ‥ママと出会ってくれてありがと‥』って言ってくれたよ」
「そうですか…本当に‥叶は素晴らしい女性ですよ。だからもっと自信持っていいと思います。。彼女の父親であるって事を‥」
「あぁ‥ありがとう…」
「待ちましょう。彼女を信じて」


手術は予定を2時間以上もオーバーして終了した。

そして医師から告げられる結果。
僕らはただ受け止める事しか出来ない情けない存在かもしれない。
でも、だったらとことんしっかり受け止めようと思う。彼女が居た現実を。そしてずっと共に生きよう。

「子宮摘出手術自体は成功しました。問題はありません。しかし…
残念ながら周りの内臓のへの転移が見付かりまして‥非常に厳しい状況と言わざる終えません。
ですが、平行して出来る限りの切除を試みてみましたが、広範囲に渡ったのと叶さんの体力の問題もあり全ての癌を取り除く事は出来ませんでした。
最善は尽くしましたが若いせいか思ったより癌細胞の進行が早かったようです‥」

医師は深々と頭を下げ謝る仕草を見せる。

「叶は助かるんですか?!」
身を乗り出して必死に聞く店長。
「時期を見てもう一度手術すればあるいは‥しかし‥成功する確率は非常に少ないと思って下さい。
…このままだとどんなに長く持っても半年無いくらいだと思います。時間はあまりありません。御家族の方々と本人で話し合ってなるべく早めに今後の治療方を決めて頂きたいです。では…」
立ち去る医師。
無言の店長。
一部始終を見守る僕。
誰も何も言えなかった。
けれど暫く黙って居た店長がやっと重い口を開く。
「叶は良く頑張った…。そうだよな‥?だから全ては叶に任せようと思う。もう‥これ以上アイツを傷付けるのは御免だ。
だからそれが一番だと思う‥な?」
「はい…僕もこれ以上‥彼女に苦しい思いはさせたくはありません。多分…叶の答えは決まっていると思いますが‥」
「…でも結局俺はまた救えなかった‥大事な家族を‥」
「それはどうなんでしょうか。果たして彼女は救われなかったんでしょうか‥命がある事が全てなんでしょうか‥?気休めなんかじゃなく彼女は幸せだと思うしこれからも変わらずその幸せを繋ぎ続ける事が僕たちが出来る何よりの事だと思います」
「‥そうだな‥ありがとう。じゃ本当なら俺が話すべきかもしれないが今アイツが一番側に居て欲しいのはきっとお前だろう。だから最後の決断はお前が叶から確かめて欲しい」
これは残酷な結果と言えたのか‥。

でもただ一つ僕には分かっていたことがあった。
彼女はきっと何も変わらず僕に笑ってくれるとゆうことを…


丸1日くらい寝ていてやっと長い眠りから目を覚ます彼女。
「おはよぉ…悠ちゃん。」
「おはよう叶。そしてお帰り」
「うん、ただいま。終わったんだね‥」
「終わったよ。良く頑張ったね」
「…あのね、悠ちゃん‥私夢を見てたの‥初めて二人きりで出掛けた日の事を‥お土産貰った日。だけど…一つだけ違う事があって‥私は悠ちゃんを置いて帰っちゃうんだ…そんな事したくないのに‥どんなに叫んでも‥夢の私は遠くに行ってしまう…だからそうなんだ、って私分かっちゃった。ごめんね、悠ちゃん…」
瞳には溢れそうなくらい涙がたまっていて、僕はまたあの日のようにそっと人差し指でそれを掬い上げた。
「それは違うよ。ほら‥これからも何も変わらない。叶の側には僕は居る。
な、叶‥元気になったら約束通り僕の生まれ育った街に行こうよ。夏がいいかな。何にもないけど大きな地元のお祭りがあるから。それに景色だけは最高だよ」
「ほんと?楽しみだなぁ‥じゃぁ早く元気になるね。
そう言えば‥もうすぐ悠ちゃんの誕生日だね。去年は知らなかったから祝ってあげられなかったけど今度は何かお祝いするよ」
「あぁ‥そうだった。ありがとう。でもそんな無理しなくていいからね。」


彼女は順調に回復していった。不思議なほどに残された時間と反比例しながら。

結局僕はこれから先の治療の事は彼女には話さないでいた、けどもう医師には伝えてある。
それは話さずとも叶の笑顔を見れば、そしてあの涙を見れば、充分過ぎる程に分かったことだったから。

残りの時間はあっとゆう間に無くなって行く。
どんな人にもただ等しく‥
けれど思い出だけは欲した人にこそ降り注ぐ。
僕はただ彼女が居た存在感だけを日々求めた。

そして、季節もまた変わる。どんな人にも等しく。

夏とゆう季節はどうして短く感じるんだろう。他の季節とあまり変わらないはずなのに。
瞬きをすると見逃してしまいそうになるくらい沢山のものが通り過ぎて行く。

夏、僕達は新幹線で東京から岡山に向かっていた。
「悠ちゃ~ん。駅弁食べよ~お腹ペコペコぉ。あーんしてあげるから」
「‥遠慮する。今からそんなに食べると地元の美味しいものお腹いっぱいで食べられないよ?」
「大丈夫ぅ~まだ時間あるよ。頑張って消化する」
「頑張ってどうにかなるのか‥どうせなら空っぽの頭にでも詰め込んでおけば?」
「それこそ無理だよ。もう空っぽじゃないもん。悠ちゃんのせいで」
「はは‥そりゃどうも」
本当に彼女は何も変わらない。けれど、内心はいつも心細いに違いない。ようやくそんな部分が僕にも感覚として理解出来るようになってきた。
けれどそれは彼女と出逢わなければずっと先まで出来ずに居たことかもしれない。

「悠ちゃん?」
「ん?」
「このままどこか違う世界に行ければいいのにね」
「例えば…?」
「例えばぁ…」
彼女は僕の肩に頭をもたげ、横目に僕を見てた。
「やっぱいい。悠ちゃん居るし」
「…僕と叶は沢山の出逢いの糸の絡まる中でこうして一緒に居る。例えそれがもし皮肉だったとしても僕はそれごと感謝するよ。だからこの世界で叶と生きる。いつか死ぬまで」
「うん、ありがとう。大好き…」
そう言うと彼女は僕の首筋にキスをして笑った。



そして岡山に着いた僕達は吉備線に乗り換え一宮駅を目指した。岡山駅から三駅ほど先ですぐ近いのだけどそこはもう絵に書いたような田舎風景が広がっている。

彼女は真っ白い膝上丈ののワンピースに茶色の腰ベルトを着けて麦わら帽子を被り日傘をさしゆっくりと僕の横を楽しそうに弾んで歩く。
それはまるで一片の天使の羽根がヒラヒラとしているように思えた。

思わず彼女が病気だってことなんて忘れるくらいその姿に釘付けになり今も焼き付いている。

そして最初に吉備津彦神社へ寄った僕は彼女にあれこれ説明をした。
「ここは何を祭ってるか知ってる?絶対みんなが知ってる人だよ」
「うーん‥吉備って吉備団子?」
「え‥団子は祭ってないけどいいせん行ってるよ。その人は吉備団子を持って鬼を退治しに行った」
「分かった!桃太郎だぁ」
「うん、そのモデルになった人物で吉備津彦尊って人なんだ。一説にはあの卑弥呼の血縁だったって話しもあるんだよ。面白いでしょ?」
「へ~でもそんな昔の人なんだね。何か不思議」
「うん、でさ、ここで夏は盛大なお祭りやってるんだけど子供の頃は毎年家族で来てたよ。確かその祭りは今晩のはずだから後でまた来てみよう」
「ほんと?楽しみだなぁ‥悠ちゃんの昔に触れられるみたいで」

「僕は叶が生きる今を触れながら久しぶりの祭りを楽しむよ」
「悠ちゃんの子供の頃ってどんなだったんだろう」
「それは…」
「秘密って言っても分かるもん。きっとそのまま。もう私には秘密は通用しないんだからね」
「…はいはい。まぁワンパクだったかな~年中で天然日焼けみたいな。稲刈りの終わった田んぼを無駄に走り回ってたよ」
「ぷっ、そうなんだ。悠ちゃんガングロだったんだ~今白いのに。」
「ガングロじゃないし」
「じゃぁゼングロ」
「何それ?」
「全部黒いから。お腹の中も~」
「……」
「嘘、でも私は悠ちゃんがいいんだからね」
「はいはい。僕の母校とかばあちゃんの家もあるからのんびり歩きながら行こう。それから遊園地ね」
「うん、遊園地?楽しみだね」



その後一時間程度かけ移動し鷲羽山に向かいそこにある鷲羽山ハイランドとゆう遊園地で遊んだ。ここは山の高台にあって瀬戸大橋や瀬戸内海を一望出来る場所にあり地元では有名なんだけど。
最初、園内をざっと見て回って終始ご機嫌な彼女。
「わぁ~凄い‥潮風が流れて空気も美味しいね」
「なぁ叶?あれ乗らない?」
「え、どれどれ?」
そして僕が指を指したのはここの目玉とも言っていい立ち乗りのジェットコースターだった。
「え‥これ‥なの??」
「うん、これ」
満面の笑みの僕。
「え~~!?ちょ‥待ってよ。絶対無理っジェットコースターなんて乗った事無いし、それにこれ凄くハードそうだよ」
「遊園地ったらこれだよ。大丈夫だよ。楽しいから、病み付きになるから。景色も最高だよ」
「ならなぁ~い!景色見てる暇なんてあるわけ…あ‥これ身長制限あるって!私パスぅ」
「いや‥大丈夫。良く見なよ~ぴったり丁度。さぁ順番だよ」
「え~‥」

ガタガタガタガタ‥ギギギ…
「悠ちゃん死んだら恨むからね~~‥あ゛~‥」
「オッケ~楽しみにしてるよ」


そして
「叶、楽しかったね~」
「はぁ…悠ちゃん頭がぐるぐるする~寿命がぁ‥」
「じゃ、少し休もうか‥そしたら次はあれにしよう」

もう一つの名物で地上10メートルくらいの高さのレールの上を二人乗りの自転車で進むサイクリングなんだけど‥
「あれなら怖くないよ。」
「でも何か‥落ちそうだね…右側崖っ縁だしぃ」
「ゆっくり瀬戸内海を見下ろしながら進むと気持ちいいんだから」
「そっかぁ…そっか~‥」
何やらぶつぶつ一人ごちていた彼女だけど
もう諦めた様子で殊勝な彼女。
「なぁ‥僕さ、いつか大切な恋人が出来たら二人でここ来たかったんだよ。子供の頃だけど。その頃は東京とか都会棲む事になるとは思ってなかったし。小さな世界で僅かな知ってる世界で精一杯夢を描いてた。でも、そんな他愛ないちっぽけな夢でも、叶えられると嬉しいものだね。やっと来られた。だからちょっと羽目外しすぎたかも。ごめんな」
「悠ちゃん‥ズルい。こんな時にそんな話し。でも嬉しい」
「じゃ、行こうよ」
「うー‥行く」
なんだかんだで時間を忘れまだまだ二人で沢山遊んだけれど‥。
「楽しかったな~」
「うん、最高の思い出だよ。ありがと、悠ちゃん」

日も暮れ出してきたので急いで神社に戻る。

そこは朝に来た時の閑散とした場所とは全然違う雰囲気で神社の左右には提灯が一キロに渡り灯り、縁日がずらりと並んで境内は人人で賑わっていた。
「悠ちゃん見て見てっすごぉい」
「でしょ。都会の建物が並ぶ中のお祭りとは違って何にもない所にこうして出店が並び提灯の淡い灯火に照らされるとまるで別世界に来たようで子供の頃は興奮しきりだったっけ」
「何か‥ほんとのお祭りって感じだね、悠ちゃん。あ、あれ‥」
彼女は僕の手を引きあちこちの出店に立ち寄りその度に楽しそうに満面の笑みを浮かべ一夜の別世界に浸っている。
僕はそんな彼女を見るだけで胸がいっぱいになりこんな幸せに限りがあることさえ頭から消え、一緒に子供のようにはしゃいだ。

そして最後に僕達は神社に御参りをしに本尊に向かい願い事をした。
それがなんだったのかは敢えて彼女には聞かずにいたので
「悠ちゃん私の願い事知りたくない?ねえ、知りたくないの??」
としきりに聞いてきた。
「普通そうゆうのは人には言わないもんじゃないか。ほんと叶は何でも言わないと気が済まないんだね」
「今頃分かったの?願い事だって心で思ってるだけじゃ叶わないんだから。話す事で言葉が自分の力になるの」
「そっか‥そうだったね。でも今回はそれは聞かないでおくよ。僕の願いはただ一つだけど‥それも秘密」
「分かってるもん。
ねっ、じゃぁ少しあそこで星見ようよ」
「ん?」
彼女に誘われ小さな生垣に寄り添い座って星を見ていた。
すると
「悠ちゃん、これあげる。」
そう言って僕の掌に乗せた星の形に型どられ真ん中に一つ宝石の埋め込まれたロケットペンダント。
「悠ちゃん、お誕生日おめでと。これね、オーダーメイドで作ったんだよ。今までの貯金殆んど使っちゃったけど‥」
「ありがとう。素直に嬉しいよ」
強く繋いだ手を絡め肩に腕を回す僕。
心から嬉しいと余計な言葉って出て来ないんだって感じた。


けれど…
「星がいっぱいだね‥悠ちゃん、こんなの見たことないよ。凄く綺麗で‥何でだろう‥涙が出てきちゃった…
ごめんね‥悠ちゃん‥ごめん…悠‥ちゃん」
「ばか…いいんだよ。これで‥ありがとう‥叶」
彼女を抱き締め満天の星の下飽きる程のキスをした‥

何かを惜しむように…

何かを慈しむように…

そして‥
お互いの全てを刻み込むように。。。

「あ、もうこんな時間だよ。お祭り終わっちゃうね…」
「あぁ、祭りの終わりは少し寂しいけど、僕はそれは静かに思い出を明日の力に変える時間だと思ってるよ。だから…一緒に明日へ帰ろう。叶」
「うん、幸せ…」





けれどその後在り来たりな奇跡なども起こることはなく、そんな楽しかった夏も終わり、秋が深まる頃には彼女は段々と体調が悪くなり始めて冬も近い頃にはまた入院を余儀無くされる。

そして冬が深まりきったある日の夜。
「悠ちゃんありがとう。言い尽くせないくらいにありがとう。ありがとう…大好きだよ。。。」
彼女の頭を柔らかく撫で額に手を当てる僕。
「あぁ‥大好きだよ。いままでも‥これからも」
「神様ありがとう…こんな私に掛け換えのないものをくれて…」
「叶。。。」

「悠ちゃん‥眠いよ‥少し‥寝るね。じゃぁまた…おやすみ」
「‥おやすみ、叶」
それが最後の会話だった。

その日の明け方。


彼女は新たな旅に立った。

安らかに…あの笑顔のままに。。。


あれからもうすぐ10年が経つけど僕は彼女から貰った全部を糧に今日も生きている。

星空に溶けた儚き言葉を胸に抱いて。。。

[エピローグへ]
季節は秋から冬へと早変わりはじめて木々も葉を散らし模様替えをしていく…
そんな季節を尻目にやっぱり変わる事無く彼女は今日も明るく元気いっぱいだ。
少なくとも表面上は…

彼女の体調も僕の見る限りではあの晩みたいなこともなくて落ち着いている。

ずっと考えていてあれから僕は一つだけ決めた事がある‥出来るだけ彼女と一緒に色んな所へ出掛けようと。いきなり何も知らないはずの僕が手術を受けろとか言うのも何かおかしいし彼女を返って動揺させるだけかもしれない。
それに店長が納得させてくれるみたいな事を言ってたし。今はそれに期待しようと思う。

そしてこんな僕が自然に彼女と出来ることと言えばと考えた結果が思い出を重ねることだった。
在り来たりかもしれないけれど今の僕が出来る事はそれが最善なんだと思った。
実は元来僕は用心深く、色々後先はしっかり考える人間なんだけど、不思議と少しも離れるという選択肢は頭に浮かんで来なかった。
けれどもそれほどに彼女の事を好きだからとか恋愛感情によってではなかったと思う。
少なくともこの時は。
僕にとってまだ彼女が生死を分ける病気だと実感が出来ずに居たし、まだ受け入れたくもなかった。

1つだけ言える事は‥もっとずっと彼女と一緒に居たかったということだけ。
純粋過ぎる程に綺麗にそれ以外は望まなかった。

そして店長から彼女の置かれた状態を聞いた事は彼女には伝えてはないからこんな僕の心境の変化を話した時は散々不思議がられたんだけど。
後は店長にこの気持ちを説明して、どう説き伏せるか‥だね。

家で寛いで居る時僕はテーブルでパソコンを弄りながら画面の反射に移った彼女を見て問いかけた。
彼女はベッドに仰向けになり僕の背中をチラチラと見ている。
「なぁ‥叶はまだ18歳だからあんまり色んな所へも行ったことないよね?」
「…ん~急にどうしたの?」
「僕、旅行好きなんだけどこれから先どこか旅行に行く時は叶と一緒に行ければいいなって思ってね。嫌かな?」
「え‥嫌な訳ないよ。すっごく嬉しい‥だからっこっそりトランクに入ってでもそんなの悠ちゃんに付いていくよ‥」
彼女はお気に入りのクマのぬいぐるみの手をぐにぐにと触りながらそれで顔を隠す。
「うーん、でもそれには無理がある。叶以外とお尻大きいし」

「何それ?!余計なお世話です。出てる所は出てるだけだもん。でも‥何で急にそんな話を?何かちょっと変」

「叶にもう少し近付いてみたくなっただけさ。もっともっと心もね。旅行ってその人のひととなりが良く分かるんだよ。だから」

「ふーん‥そっかぁ‥私はどこでだって悠ちゃんと居られるならそれでいいんだよ?でもやっぱり何か変な悠ちゃんだよ‥」

「気にしすぎだって」



ってな具合で。

ともあれ早速2人であれこれと旅行の計画を練った。

それからとゆうもの僕は彼女と二人で色んな場所に出掛ける。



秋の群馬県へ紅葉狩りと吹割れの滝、水上温泉。

「悠ちゃん悠ちゃん~スッゴい綺麗~見てよ紅葉の葉っぱ~芸術の秋だから私をモデルに絵書いてよ~♪」

と‥紅葉の葉っぱを胸に当てて本人的にはセクシーなんだろうポーズを取る彼女

「ばか‥恥ずかしいから…。って気を付けなよ。足元落ち葉で滑るんだから‥滝に流されるよ。叶ならやりかねない」

「そんな事ないよぉ、悠ちゃんは私をみくびってるなぁ‥つれないし。もっとこう‥気持ちをパーッと解放しなきゃ旅行来た意味ないじゃん。ひととなりが分かるって、じゃぁ悠ちゃんはむっつりさんだよ。へんたーいっ」
そう言うとぷっくりむくれて紅葉の葉っぱをこっちに投げつける。葉はヒラヒラと力無く彼女の靴の上に落ちた。
「何だよ、変態って。藪から棒に。僕はまったり景色を見るのが好きなの。それに楽しそうにはしゃいでる叶を眺めるだけで充分僕も楽しいよ」

「どーせ私は子供だしね~あっそーっだ」

「何故いじける…」




温泉では
「お風呂気持ちいぃ~悠ちゃん悠~ちゃぁん。聞こえる?そっち行ってあげようかぁ?」

温泉の男湯と女湯の隙間から彼女は

「どうせ誰も居ないんだからいいよね?」

「ダメだよ。誰か急に入って来たら叶の裸見られるし。それは困る」

「大丈夫、大丈夫~♪」

「何がだ。大人しくしてなって」

「やだ」

とタオル一枚胸元に当てたまま本当にひょっこりこちらに現れた。
やってることは子供っぽいんだけど、目の前に立ってマジマジとその体を見せつけられるのは初めてかもしれない。
家じゃ寝る時くらいで、真っ暗だし。
だから流石にこの時の僕はドキドキせざるおえなかった。
そしてこの時の姿は何だか少し彼女は大人っぽく見えて。
妖艶な感じさえしたっけな。





更に冬は函館と大阪に



そして‥春には京都へ…


「今からお茶で有名な宇治に行くよ。傍らに宇治川が流れて自然に溢れた場所だよ」

「へ~、でも京都って春なのに少し寒いね‥」

「京都は盆地だからね。夏暑く冬は寒いのさ。でもだからこそ季節にメリハリがあって風流なんだよ」

「へ~‥あっ‥このお茶試飲出来るって。飲んでみようよ。しかも高級ー
…んはぁ~高いお茶って凄く甘いんだね~。美味しい。それに身体暖まるよぉ」

「それが目的か‥」

「だって悠ちゃん景色ばっかり見てさぁ私のこと暖めてくれないんだもん」

「またそんな事を‥。叶の居る景色を見てるんだから。ね、宇治にはお茶の他に有名なものあるんだけど知ってるよね?」

「え~と…御寺?」

「これだよ。」

と僕は十円玉を彼女に向かってポーンと投げた。

「あ、平等院鳳凰堂だぁ‥世界遺産だよね?確か」

「そ、これから行って見ようか。中にも入れるよ」

そして僕らはゆっくりと歩きながら旧時代が織り成す見事な造形に酔いしれる。
彼女は僕の斜め後ろを歩きながらはしゃいでピョコンとスキップをしていたけど、ふと転びそうになり慌てて僕の背中の袖を引っ張り掴んだ。
一瞬僕はその行為にドキッとしてしまうんだけど「ごめん。あは…」と苦笑いする彼女に「服延びちゃうな~」と誤魔化した。
全ては彼女のその行為から始まったのだから。
そんなことは多分気付いて無さそうな彼女は更に僕をドキッとさせる。


「すごーい‥何か圧倒されるね‥けどココ掴んでると落ち着くなぁ…魔法の袖だよ。」
「じゃぁここだけ切り取ってあげようか?」
「それただの布切れじゃん…」
「エア袖掴みとか出来んじゃない?」
「なにそのパントマイムみたいな事。悠ちゃんが着てないと意味無いし、ばか…」
「冗談だよ、冗談。」

僕は気持ちの揺らぎを隠すのに必死だっただけなんだけど。

「分かってないな、やっぱり鈍感悠ちゃん。でもこうしてると大昔にタイムスリップしたみたい‥」

「そうだね。でも外人さんが歩いてて不思議な大昔だけど」

「やっぱり悠ちゃんムードなぁい‥」

「ははは‥ごめん」



それから僕達は府内に戻って祇園へ行った。

桜が舞い散る祇園の繁華街に看取れて円谷公園の桜を二人でベンチに座ってただ眺めて‥

実は満開の桜並木と舞い散る花弁にふっと彼女を重ねてしまい僕はこともあろうにちょっとブルーになりかけたりもしたんだけど‥



でもその時彼女と語った事は今でも鮮明にこの心に住みついている。



「ねえ悠ちゃん‥私の名前ね【叶】って凄く気に入ってるんだ。でも最初は嫌いだった。なんだかおばあちゃんみたいだし、人の願いを叶えるとか大層な理由に私見合わないし、そんな風にもなれないから。それに名前付けたパパはあんまり好きじゃないし、ママは早くに死んだから良く覚えてないけど‥でも、最近ね、やっとこれだけは両親に感謝してて‥大切な人との愛を真っ直ぐ叶えるんだ、私はその為に生きるんだって思って。それならきっとパパ達の付けてくれたこの名前にも応えられるって。そう…思ったの。
そして悠ちゃんを見付けた時に私分かった。

きっと私は悠ちゃんに出逢う為に今までに辛い思いも沢山してきたんだって。

だから悠ちゃんは私の道しるべなの。そして悠ちゃんの夢を叶える為に生まれて来たって‥大袈裟かもしれないけどそう感じてるんだぁ…」

「そうか…もし、そうなら凄く嬉しいけど‥でもそれなら‥僕の為に叶えがこんな辛い運命に晒されるんだったら僕となんか出会わなけりゃ良かった。冗談じゃない」

僕は思わず彼女の真摯な告白に、今までひた隠してた葛藤のジレンマを、一人で溜め込んでた何かを吹き出してしまった。

「え、なに?…もしかして悠ちゃん‥もしかしてパパから何か私の事聞いたの??」

「私の事って…?何も聞いてないよ。ただ‥僕は叶には幸せで居て欲しいだけなんだよ」

多分妙に勘のいい彼女は僕の付いた最初で最後の嘘に何となく気付いていたに違いないと今にして思う。

でも…

「それだったらこれでいいんだよ‥きっと。だって私は今本当に幸せだもん‥ありがとう、悠ちゃん。ありがとう‥」

「そっか‥何度も礼言わなくていい。って言いたいけど今回は叶の言葉は嬉しいよ。何回でも言われたい。それに、それなら僕もだ。ありがとう、叶。ありがとう。
なぁ…今ならやっと‥言えなかったこの言葉が言えそうだ‥
叶の事が僕も…
好きだよ。そして叶の今まで生きてきて積み上げた心全部を愛してる。。。」

彼女の肩に腕を回して抱き寄せ‥今度は正真正銘心からのキスを交わしたた。

「ねぇ、悠ちゃん‥やっと悠ちゃんの不思議の木の実取れたかな…?嬉しい‥」

「あぁ、叶は確かに僕の頭の中を変えてくれたよ。」

そして桜の木の下で僕らは本当の意味の恋人になれた…



その夜‥



旅館で初めて彼女と一線を越える。。。

「そろそろ寝ようか」

「うん‥悠ちゃん‥お願いがあるの…私の事‥抱いて欲しい…」

「え、抱っこならいつもしてるじゃん」

「違う‥悠ちゃんのばかぁ…これ以上は言わせないでよ‥」

「………」

僕は躊躇った。

別に抱きたくないわけじゃないんだけど。

彼女の病気にはセックスはあまり良くないんじゃないかって思ったから。

今は薬を飲んで痛みを抑えているけれど‥

それも彼女は気を使って隠れて飲んでいるのを僕は知っている。



「ねえ悠ちゃん?私はね、これからもずっと悠ちゃんの側に居るよ。それで悠ちゃんの子供を沢山生んで‥それから楽しい家庭を作って‥普通に幸せな毎日をずっと送るの」

僕は悲しくなった…

まるでお腹の中から嗚咽と共に吐き出しそうなくらいに言い知れない悲しみと言う名のいとおしさががただただ込み上げて…

「はは、それは楽しみだな。本当に、本当に…」

「‥その始まりは今日からなんだよ。悠ちゃん」

もう悲しみが度を越すと人は人を本当の意味でいとおしく思えるのかもしれないって事を僕はこの時初めて知った。

「叶…大好きだよ。
そして今まで言わなかったけれど。‥凄く綺麗な体だな」

「…当たり前だよぉ‥だって悠ちゃん以外にこの体は触れさせたことも見られたこともないんだもん。大事に取っておいたんだからね…」

二人だけの時間は同じようにゆっくりと流れてゆく。このまま彼女の時だけ止まってしまえばいいのにとさえ思った。



「んぅ‥痛い…」

「大丈夫?もしかしてお腹‥」

「平気…この痛みも幸せの一部だよ‥」

僕たちはゆっくり‥ゆっくりと体温が交わる感覚に浸ってその夜は更けていった。





その旅行から間もなく僕は店長に彼女の事を話しした。

「僕は彼女と離れるつもりもないし叶を最後まで守り通してみせます。
店長が何と言ってももう僕は叶の一部なんです。そして何より僕も叶の事を愛してますから。
店長は彼女が生まれた時に【叶】とゆう名前を沢山の愛を詰め込んで付けたんですよね?
しっかりそれは彼女に伝わっていますから‥だから、大丈夫です。僕らは」

「…お前は何があっても覚悟出来てるとゆうんだな?今の叶の状況は一刻を争う。お前の家にも居る日が減ってるだろうからそれは良く分かってると思うけどな。
しかしアイツは俺の言うことを何で聞こうとしないのか…せっかく生きられるのに自分からそのチャンスを棒に振るなんて馬鹿げてると思わないか?俺はもう家族を失うのはうんざりだ‥。もう俺では叶の気持ちは動かせないようだしな。
だからそうまで言うならお前が叶に手術を受けるように諭してくれないか。それが二人を認める条件だ。お前も同じ思いのはずだし何も問題はないはずだよな?
そして変わらず叶の心の支えになってやって欲しい。それはどうなったとしてもイバラの道になるだろうが‥」

「…分かっています。叶だって‥多分死ぬつもりは無いと思います。けれど手術が終わった後の自分が変わらず自分で居られるか‥それが不安できっと怖いんです。だからどうか叶の事は責めないでやって下さい。
そして僕は叶を支えるつもりはなくて、何故なら共に歩いてゆくからです。叶は多分店長が思ってるよりずっと強くてしっかりしていますから大丈夫です。僕はただ隣に居てあげるだけで。」

「そうか‥そうまで言えるお前も強いもんだな。
そうだな‥俺はアイツを信じるしかないのか…いつの日もどんな時も娘の父親とは損な役回りだよ。まったく‥
覚悟が出来てないのはむしろ俺の方なのかもしれないな。
分かった。じゃ‥宜しく頼むぞ」

「はい…」





数日後、僕は彼女に手術を受けるように話しをした。

「叶…手術‥早く受けろよ?そうしたらまた色んな所へ一緒に出掛けよう。今度は僕の実家に連れてってあげるよ。田舎だけど海も山もあってとても気持ちいい場所だから…

叶の夢は僕の夢を叶えることだって前に言ってたでしょ。だったらそれを現実にしようよ、ね?」

「……悠ちゃん‥でも‥

私壊れちゃいそうで怖いの…

今みたいに笑えなくなりそうで、そしたら悠ちゃんにもきっと嫌われてしまう‥だからそんなのだったら生きてても仕方ないの‥嫌だよ‥。」

「叶…僕は君の全てを愛している。だから例え叶が不安で苦しくてもそれごと抱いて叶の側に居るよ。
何も変わりはしないから‥大丈夫」

「悠ちゃん…悠ちゃん、悠ちゃん…好きだよ。大好き‥ずっと愛してるよ‥側に居てね…」

その日叶は一頻り泣いて僕の胸に寄りかかって寝てしまった。

無防備に安らかに…

優しい月にほんのりと照らされて。

それはこれから更に迫る過酷な運命を力の限り生き抜くための未来への一休みだった。





[最終章へ]
吹く風も少し涼しくなってきて、夏の暑さも収まりかけても彼女の元気だけはカンカン照りにいつも変わらない。
あの嘘のような出来事から僕らは大分に打ち解けてきた。
‥僕らとゆうか僕が、なのかもしれないけど。
彼女はいつだって僕に対してフルオープンだから。
最初は能天気過ぎて何でもすぐ思ったことは口にして彼女の頭の中にはなんにも残ってないのかなって思ってた。
だから
「叶ちゃんの頭の中には寝る為の羊くらいしか居ないんじゃないの?
後は全部右から左か口から出ちゃってさ」
なんて毒付いた事も。
すると
「違います~。羊ちゃんと‥悠ちゃんの事だから」
で、逆に返答に困る僕。そんな僕を畳み掛けるようにボディーブローの嵐を撃ち込む彼女。
「ね、所で悠ちゃん‥そろそろ私の事も(ちゃん)付け止めて呼び捨てで呼んで欲しいなぁ‥ やっぱ大切な人からはありのままで呼ばれたいもん」
「‥気が向いたらね」
「じゃぁ悠ちゃんの気は今どこに向いてるの?」
「あそこかな」
と言って台所を指差す。
「え‥お腹空いたんだ…仕方ないなぁ‥何か作ってあげるよ。
だから食べたらちゃんとさっきの事も考えてよぉ」
しかし僕だって黙って撃たれてはいない。
「分かった。…叶っご飯!!」
「うん、ちょっと待ってよ‥え?今なんて言ったの?もう一回~!!」
「あぁ‥秘密」
「もう…悠ちゃん不意討ち過ぎ」
「だから早くご飯を…」
「ダメ~今頭の中でさっきのセリフリピートしてるんだもん」
「あぁ‥僕のご飯が遠退く…」
でも反撃虚しく僕の腹が最終ラウンドTKO負け。

こんなような下らない会話まで彼女と出来るようになった僕は随分変わってきてるような気がする。
彼女の元気は不思議に段々と僕を居心地良くさせてゆき最近はそんな彼女を少し見直してる。
それは彼女の笑顔の裏にもそれなりの理由があるのだって分かったから。

所で僕らはその後もすったもんだありつつ半同姓状態だったり。これまた僕の想定外な彼女の行動になし崩された格好で‥
ついに僕にも春が、なんて喜ぶなかれ、だけど僕たちはまだ一線を越えてはいない。まだプラトニック。そこは今までの恋愛と同じようなものだったけど、少し違うのは夜一緒に居るのだし、それとなしに一緒のベッドで寝る事はほぼ毎日、まぁ…時には裸一貫同然で。でもまだ今のこの不思議で曖昧な関係のままそれ以上はしかねたし彼女も特に何もは求めては来なかったから何も起こらずいた。

話しを戻してあの泣きじゃくった一晩から2日後の職場で事の発端はおこった。
「ねえ、悠さん悠さん。今度部屋‥片付けに行っていい?」
「は?」
「だって‥片付けないと私の居場所がないんだもん」
「いつから叶ちゃんの居場所を作る必要が出来たんだよ」
「だってだって‥私の‥裸見たでしょっ。その責任…」
「…どこからそんな理屈が‥そっちから体温感じたい…とか言って脱ぎ始めた癖に‥それに‥」
と僕は言いかけたけど、その瞬間。まただ。あの時ファミレスで一瞬だけ見せた彼女には似つかわしくない苦しそうな、妙に不安そうな彼女の表情に気付いて僕はそれまでの意思とは反対のセリフを口にしていた。
「好きにすれば?ただし‥物の場所変えないでよ」
「やった!じゃぁ支度するね」
もういつも通りのテンションの彼女。
「は?何の支度だよ?」
「秘密~♪悠ちゃんの真似~」
「…やれやれ」
とこんな感じで了承してしまったのだ。
その晩早くも自分の荷物を持ち込んでせっせと部屋を整理して模様替えを始めてしまった。そして約束なんて何のその、瞬く間に僕の部屋は絵にかいたような女の子のピンクな部屋へと変貌を遂げてしまった。
「叶ちゃん‥ワンルームなんだからさ。ちょっと僕の事も考えろよ。こんな部屋居心地悪いし」
「えっ?!…可愛いでしょー。悠ちゃんは可愛いの好きだと思ったから頑張ったのに」
「有り得ない。てかそんなありもしない情報どっから‥」
「えっ。私の脳内‥」
「もう帰ってくれ…」

この時ばかりは僕も少し怒ってしまったんだけど後々ちょっと後悔した。

そして暫くは会社には内緒で二人の関係を続けていたけれど僕は密かに彼女が店長の娘であることは忘れては居なかったから、表向き店では以前通り彼女と接していた。なのに…事はひと月足らずで店長の知る所となる。しかもどうにも誤魔化しようない形で。
一度彼女もフル出勤の日二人して朝寝坊をしそうになり、慌てている時に何故か店長がアパートにやって来るとゆう事件があって敢えなく二人の関係は白昼の元に晒されてしまう。

でも‥あの時の店長の顏はなかったな‥思い出してもまさしく鳩が豆鉄砲って言うか。

「ねえ悠ちゃん悠ちゃん‥バスタオル忘れちゃった‥持って来て~」
「分かった。ここ置いとくよ~急がないと‥」
『ピンポーン♪』
「ん?はい‥」
ガチャン………
「あ‥店長、おはようございます。こんな時間に何の用ですか?」
「少し通勤がてらおまえと話でもと‥」
店長はそう言いかけて顏を玄関の奥に向けた時‥
「どしたの?悠ちゃん。だぁれ‥?」
目と目ががっちり合い空気が固まる。
バスタオル一枚の姿で現れた彼女を目の当たりにした店長は数秒間を置き
「やっぱりいい‥今より仕事終わってからじっくり話す事も出来たしな‥遅刻するなよ」
と言ってそそくさと戸を閉めて行ってしまった。
彼女は
「あ~‥バレちゃったねっ。でもいいよ、私は。これで公認になれるしぃ」
ってどこまで呑気なんだか‥
あれは明らかに仕事終わってからの話がコレについてだよ‥参ったね。
と僕はどう対処すべきか頭を巡らせて葛藤しているってゆうのに。
大分経って
「あ~‥職場行きづらいね‥悠ちゃん、ごめん」
今更かよ‥あぁ‥やれやれ。
「もし店長に家に帰るよう言われたなら叶ちゃん一先ず家に帰るんだよ。」
「え‥やだよ‥。そんなの。だったら見知らぬ人に頼んで泊めて貰った方がマシ‥」
「なに子供みたいな事を言ってるんだよ‥取り敢えず、だから‥少しの間だけだよ。だから分かった?」
「………」
「じゃ、仕事行くね」
「はぁ~い…」

何とか仕事をこなし、その晩僕は店長と一緒に居酒屋に居た。
てっきり怒鳴る勢いで来るのかと思っていたら妙にしんみりした店長の態度に僕は拍子抜けするやら少しホッとするやらしていたけど…あんな話しを聞くなら怒鳴られ殴られた方が余程マシだった。
そしてそこから僕の本当の人生をかけた葛藤が始まる。
「まさか最近なかなか家に帰らないと思ったらなぁ‥こんな所に居るとは。悠は叶と付き合ってんのか?もしそうなら‥やめとけ」
「まぁ‥そうおっしゃるのもごもっともですが‥」

「…いや、違うんだよ。多分お前が考えているような事ではないんだ。むしろその程度であればどんなに良かったか。いきなりこんな事を言われても困るだろうが‥
日頃の態度も見てお前を信じて話をする。…どんなにな、叶と一緒に居たくたってアイツにはもう残された時間が…あまりないんだよ。いやまぁ簡単に叶を死なせるつもりもないが‥
万一お前にはそれまでの叶の人生の糧となり叶が居なくなってからの人生をしょいこむ覚悟をさせるのは酷だろう?まぁ絶対にそんな事態は避けるけどな。だからこそ…」

「あの‥言ってる事が良く理解出来ないんですが…」

「叶はいつも笑ってていい子だろう?でもあれはあれで不憫な所もあってな‥
俺の不徳の致す所ってのもあるんだが‥今の母親は本当の母親じゃないんだよ‥
前の母親は癌で早くに他界してその後再婚したのが今の母親だ。それに‥連れ子も居てな。10歳上の男だ。そことも今の母親とも上手く行かなくて少し前までは散々荒れて手を焼いたものだよ。
それが去年急にパパみたいに調理の道に進みたいと言い出して。真面目になったしそれからとゆうもの俺に対しても良く笑うようにもなってくれた‥」

「・・・何だか‥そんな日々笑わない彼女を想像出来ません‥」

僕はただただ虚空を見詰めブランデーグラスを揺らしている店長の次の言葉を待っていた。

「だからと言っても本心は今もあまり家に居たくはないだろうな‥
でもつい最近『パパにバイト紹介して貰って良かったっありがとう』て仕切りに言うもんだから引っ掛かってはいたんだが‥それはお前の事だったんだな。
まぁ‥とにかく早めに別れるんだ。アイツの為に‥じゃぁ‥そんなわけで宜しく頼むよ。今はそれ所じゃないんだ」
と、言うこと言ってスッと席を立とうとする店長の肩を手で掴み、僕は語気を強めて詰め寄った。
「彼女には何があったんですか?!それだけ教えてください。僕は今はまだ彼女と付き合ってると胸を張って言えないけど‥今までに生きて来て大切にしたいという女性にやっと出会えたかもしれないんです。だから諦められません」

「…時期が早い。せめて待て。叶が本当に元気になるまで……」

店長はブランデーをクッと煽り、しばし遠くをみた。

「アイツは…末期に近い若年性の子宮頸癌なんだよ。まだ患部を全て取れば生きられるだろうが‥頑として聞き入れず‥
『そしたら私は女であって女じゃなくなるよ。そんなの嫌だしそうなってその先誰かに媚びて生きるなんてしたくない。大好きな人と居たくないっ』
って言いやがる‥まぁ無理矢理にでもとは思ってるが‥どうして親子揃って俺を置いて行こうとするんだ…
でもそれにももうあまり時間がない‥。だから後はこっちでやるからこの事はお前は絶対黙っていろ‥じゃぁ頼むぞ」

今度こそ店長は席を立ちゆっくりと歩き出す。あまりに唐突すぎて事態の過酷さと急展開に付いて行けず僕はただただ呆然と店長が立ち去るのを眺めていた。


…頭の整理をしなければ…
それからと言うもの暫くはその解り切ったことかもしれないけど。話しを真実だと認識する為に、そしてどうすべきか必死で考えていた。


そしてその話しを聞いた次の日の事。
僕はその夜台所で楽しそうにお菓子を作っている彼女をぼーっと眺めながらひたすら店長の話を反芻していた。
彼女が僕の家に来たい理由は分かった。
だけどまだまだちゃんと聞いてない事は沢山あって‥
彼女はいつまで普通の生活が出来て‥いつまで生きられるのか。
そして僕はどうすればいいのか‥
考えてはみるもののやはりまだこの時は答えはだせなかった‥

そうして暫くそうしていると
「ん‥痛っっい…!!」彼女の叫ぶ声が聞こえ、お腹をぐっと抑えて蹲っているので僕は慌てて駆け寄り背中を抱く。
「どうした?!大丈夫叶??」
「う‥ん‥…生理痛‥だよ。凄く、ぅ‥重いんだ‥ごめんね、大丈夫だよ。薬飲めば…」
「無理するな‥横になりなよ」
「ありがとう。悠ちゃん‥あ…やっと私の事ちゃんと叶って呼んでくれたね…嬉しい‥痛みも忘れそうだよ…」
「こんな時に…分かったから‥早く」
そうして彼女をベッドに横たわさせる。
何で‥こんな小さくてか弱くても精一杯笑って生きようとしてる彼女にこんな辛い運命を選択を強いなきゃいけないんだ‥
僕は浅はかだった。
女性ってだけで全てを色眼鏡で見てしまってた今日までの自分。

こんなにも人として女性として真っ直ぐで純粋で素直な人も居るのに‥

様々な思いが僕の脳裏を駆け巡るなかその日の空はどんよりとしていて、あの最初の夏の日のデートで見上げた星達は今は何処かに隠れ暗雲とした闇だけが外を流れているのだった。。。


[第三章へ]

「今日から東京で新生活か」

22歳になったばかりの僕は高校を出てすぐからやっている料理の仕事の関係で、
それまで住んでいた大阪から東京へと引っ越す事になた。それはただただ期待と奮起だけが入り交じって不安すらないものだった。

当然の事のように、新天地は慣れない事だらけで都会の喧騒に揉まれるように慌ただしくて、でも暫くは何事もなく日々は過ぎていった。程なく会社の人間とも打ち解けられるようになって、それなりに順調な毎日を送っていた。そんな頃の何でもない日常の一コマから話を始めたいと思う。
ある時職場の先輩から
「悠は何で彼女作らないの?」
と聞かれ答えに困った僕は一拍置いて
「‥今は仕事で手一杯ですから」
なんて答えたけど厳密にはそれはちょっと違った。
それまでの僕は今までに恋人が居なかった訳じゃないけどプラトニックな関係で終わってしまうってゆうか‥とてもシャイだったし本当に手を繋ぐ程度だった。
勿論この業界の仕事はとてもハードだし、まだ駆け出しに毛が映えた程度の若者には遊んでる余裕もままならない部分もあったけども、それだけと言う訳でもなく、一番は実は女性という生き物が少し怖かった。

20歳くらいの頃に、貯蓄をしたくて夜のバイトを探してた時にたまたま友人に引っ張られる形でホストクラブで働く事になたったんだけど、世間知らずな僕は何でも働ければいいなんて思って軽い気持ちで居たけれど、
でも幼少期から田舎育ちで内気だった僕には、それは手に余る仕事だと約一年間の間に思い知ってしまう。

けど友達以上に仕事自体は馴れと共に軌道に乗っていったんだけど。原因はもっと別の、僕の中の問題と言うか…

沢山の女性の接客相手をしていく中、そこで女性の醜い内心とでも言うのか‥妬み、傲慢、欲望等々色んな裏側をまざまざと見さされ続けるうちに、とても感受性が豊かだった僕はちょっとした事で敏感に触れる心を感じてしまい一時女性を見るのも嫌になってしまう。
夜の街の魔力に当てられたなんて抽象的な言い方も出来るけど、僕はそれを仕事だからって割り切って片付けられないままいた。なんで簡単に打算と快楽で好きだとゆう言葉が軽く飛び交い、無責任に相手を傷付けても平気な顏がいとも容易く出来るのか。そんな事が日常茶飯事に起こる世界。どう考えてみても到底理解も出来なかったし、もし男と女の本質がそんなものだとするならば僕には必要ないとまで思ってしまっていた。


そうは言っても元来基本的に人と関わる事やコミュニケーションが大好きだった僕は、どうにか自分の中で消化しようと努めた。
そして、2年以上も経ちそれも客観的にではあるものの大分割り切れてきたけれど、まだ僕がもし女性を求めるとすれば‥その時はそんな事も考えたくもなかった。。。

そんな訳だけど新天地での仕事も安定していき、それから半年くらいが過ぎた頃にホールのアルバイトに新しい女の子が入ってくる。

名前は【叶】と一文字で書いて(かなえ)と言うらしい。
うちの店長の娘で18歳、調理専門学校に通いながら栄養士を目指しているらしい。とても小柄で僕の肩くらいまでしか身長もなく華奢に見えたけど、彼女は傍目からも凄く明るく仕事も一生懸命にこなして見えた。
例えるなら忙しなくちょこちょこと動き回る子リス。周りのみんなからは危なっかしい所もあるけど「なんか見てると癒されるよな~。あの店長からねぇ。トンビが鷹産む?ちょっと違うか」なんて男性陣。そして同性にも評判も良かった。
でも僕はまだその頃は女性に対しての機微に疎く、不慣れで、仕事と割り切れば嫌々でも出来たこともプライベートではてんでダメで‥そんな彼女に対しても他の女性と同じように話しかけられても少し素っ気なく会話を返す。


彼女が店に来てから3ヶ月くらいが過ぎた頃に急に僕に冒頭の先輩と同じ質問をされた。
「ね、悠さん、悠さん。悠さんは料理の仕事してて目標は何ですか?」
「それは‥秘密」

「悠さん、悠さん。どうして悠さんは彼女作らないの?結構見た目は悪くないと思うんだけどなぁ‥」
「見た目で恋は出来ないし、そんな事内緒だよ」

ねえ悠さん悠さん‥
彼女はいつも何度も僕の名前を呼んで話し掛けてきた。
そんなに無駄に呼ばなくてもいいのに。
素っ気なくてもちゃんと聞いてる。
仕事は度が付くくらい真面目だけど、休憩中はいつも周りを盛り上げてくれて、明るく天真爛漫に子供みたいで。
悩みなんて無いんだろうな、って感じるのに充分なくらい。そして、単純そう。
それなのに変にドキッっとさせられる時もあった。
「ねえねえ‥悠さんっていつも何聞いても教えてくれないよね。頭の中は秘密の木の実でいっぱいなんだ。でも高過ぎてその実は自分でも手が届かない。だから私が手伝って取ってあげるよ」
僕は平静を装い
「取れるものなら取ってみなよ。チビ助には永遠に届かないね」
ってその時言ったけれど実は心ではハッとしていた。
もしそうならその実を取ってくれる女性が現れたなら僕にも恋が出来るだろうか‥って。


僕が夏に会社に1週間休暇を貰い実家の岡山に帰っていた時には、彼女は少し元気なさそうに振る舞っていたらしいけど、珍しい事もあるもんだってその時は感じた程度だった。

そして戻った僕はみんなに地元のお土産を渡して回る。勿論彼女にも例外なく。
だけどちょうど入れ替わるように彼女は暫く学校が忙しくバイトは休んでいて‥
一応お土産に買っておいたものだからいつまでも置いておきたくなかったし渡しておきたくて、店長に預けるのも誤解されそうで嫌だしって変に気を回したりしてるうちに色々考えた結果、仕方なく彼女を会社の連絡先一覧を見て携帯で呼び出す事にした。

「あぁ‥叶ちゃん?会社のアドレス帳見てかけたんだけど」
「あ、その声は悠さん!!」
「うん。昨日、無事戻ったよ。所で電話したのはお土産あるから渡したいし少しファミレスででも会えないかって。じゃぁ明日の午後5時に。言っとくけど渡したらすぐ帰るよ」
僕はぶっきらぼうに言うことだけダーッと言って電話を切ってしまったけど受話器からはひたすら「え~っ!?」とか「きゃ~!!」って叫び声が聞こえてたような気がする。

そして当日。

彼女は終始テンションが高かった。
「岡山ってどんな所ですか?やっぱり犬と猿と雉が仲良くしてるのかなぁ。でも犬猿の仲だしなぁ。やっぱり雉が間に入ってるんでしょうか」
「…そんなバカな事あるわけ‥」
「いいないいな~私も行ってみたいです」
「何も無いよ。田舎だし。じゃ、これ。」
僕はそそくさとお土産を取り出しテーブルに置いた。あげたのは岡山と言えば桃太郎。で、そのマグカップ。てんで大したことない。因みに吉備団子は店長にあげたから家で食べるだろうって。

「本当にありがと~ございます。嬉しい嬉しい。大事にするね。超嬉しい」
「あのさ、前から思ってたけど何でも繰り返すのは良くないよ。僕は痴ほう症でもないし、本当の気持ちは一度言えば充分だよ」
と冗談含めて僕が言うと
「ダメだよ‥。伝えたい事は何度でも言わなきゃ‥言葉はあっとゆうまに消えて無くなるから」
それまでお土産を握りしめて、何か宝物でも貰ったかのように大袈裟に喜んでいたのにその時一瞬翳りのある表情を見せていたのが妙に引っ掛かった。
けれど用事が済んだ僕はサッサと
「じゃ、帰るよ」
と席を立とうとすると慌てて彼女は僕の手を掴んで「悠さん少し遊びません?付き合ってよ。ね、誘ってくれたんだからいいよね?」
「は?遊ぶってどこ行くんだよ」
「どこってデートですっ」
「それ答えになってないし、しかもデートですらない…」
「いいのいいのー。欧米では友達でも2人ならデートなんです。ね、いいですよね?」

って疑問系じゃないのか…と思う暇もなく、僕はそのまま強引に引っ張ってカラオケにゲームセンターなど遊びに連れ回されてしまう。
ずっと引率の先生かって感じに一歩引いて一緒に居たけど、お構い無しに彼女はメーター振り切る勢いのテンションアップ。

それに何となく調子の狂った僕は半日彼女に付き合ってしまったけど流石に日が暮れ始めて来たので「もう帰るよ」と駅へと彼女を導いた。

「もうこんな時間かぁ‥悠さん色々ごめんなさい。でも楽しかった」
「謝るくらいなら最初からしない」
やっぱり僕はどうも女性にあまり気が使えなくて、それでも彼女には
「まぁ‥僕も楽しかったよ。いい暇潰しにはなったかな」
って精一杯のお礼の言葉をあげた。
「ほんとに??悠さんがそんな事言ってくれると思わなかったから嬉しい。やっぱり‥悠さんってあれだなぁ…」
最後の方は独り言のようにブツブツ小さく呟いてうんうんと頷いていたので僕は訳も分からず気にも止めず、そのまま帰り道をゆっくりと歩き駅前通りのスクランブル交差点で信号待ちをしていた。

信号が青になったとともに人波が濁流のように流れる。僕らもその中に飲まれてゆく。
‥その時‥いきなりバッと着ていたシャツの袖を後ろから掴まれたのでちょっと驚き振り向くと‥
そこには今まで見たことのない悲しそうな顏をした彼女が、潤んだ瞳をジッと僕の瞳に合わせていた。
「悠さん‥悠さん…私まだ帰りたく‥な‥いよ…もう少し側に居て…す…」
「は?!」

本当にいきなりで「は?」っていつもの冷静な僕なら思って軽く面倒を見てそのまま帰っただろうし、もっと違った反応をしたはずだった。でもこの時はいつ思い出しても明らかに僕はおかしくて有り得なかった。
捕まれた袖の手を掴み思わず彼女をギュッと抱き締めていた。
自分でも本当に意味不明で理解出来ない行動だった。
何が僕にそうさせるんだろうって考える思考も消えていた。
とは言えそれからどうにか彼女を落ち着かせようとしたつもりだったのだけど…

「何も言わなくていいよ。分かったから‥」
「悠さん‥なんにも分かってないよ…また適当な事言ってはぐらかそうとしてるんでしょ。私は分かってるんだよ‥ほら…」
彼女はそうゆうと精一杯背伸びをして目を閉じて一瞬唇を重ねて
「‥こうゆう事なんだよ…分かった?悠さん。それに伝えたい気持ちは何度でも伝えなきゃダメだって言ったじゃん‥悠さんが好き…悠さんの恋人になりたいよ」
僕は何も言えなかった。いきなりの予想だにしない出来事はまだ22年の人生経験を弄ぶように大津波となり襲ってくる。僕はそれに、何故か突っ込んでしまってた。本当に突っ込んだ。次はこっちからまだ何か言いたげな彼女の唇を奪ってしまっていた。
そして信号が赤に変わるのに気付いてようやく離れて急いで彼女の手を引きロータリーに向かう。

本当にあの時はどうかしていたのかって程に大胆だった僕。そのまま彼女を帰すことも出来ず、仕方なく駅前の公園のベンチまで何とか真っ赤な瞳でグショグショに泣く彼女を即して座った。

「悠‥さん‥は優しいね…やっぱり私の思った通り」
「この場合‥仕方ないだろう」
「うん‥仕方ないよね。ほっとくと仕事場で居づらくなるし‥なんて」
「え?居づらくなるような事でもするの?それは困るなぁ‥ますます丁重に扱わないと」
少し間があっただろうか‥それから続けて彼女が言った。
「嘘。いいよ。悠さんの思う通りにすれば‥今になって私凄く恥ずかしくなってきた‥どこか居なくなりたいくらい…」
「なんだよ。帰りたくないって言ったり居なくなりたいって言ったり。でも‥落ち着くまでは一緒に居るよ」
「え‥本当に…?一緒に居られると余計落ち着かないけどね‥」
「いいから少し静かに星でも見ようか。落ち着くよ。都会の星は少なくて少し寂しいけどね」

都会の夏の夜空は雲1つないのにパラパラと疎らに光る星達に何だかもの寂しさを感じるけど、僕達からは見えなくてもそこにはちゃんとある。
何だかそれは、人の心のようにも思えてそんな光に照らされているうちにようやく気持ちの波も収まってゆく。

「ね‥悠さん…さっきの答え‥要らない私。今が凄く幸せだから。本当にありがとう‥」
そう言う彼女だけど僕は敢えて答えた。
「‥叶ちゃんがもし本当に僕の秘密の実を全部取ってくれるんだって言うなら少し頑張ってみればいいさ。それに僕も付き合ってあげてもいいよ‥これが答え」
もう大分泣き止んできた彼女だけど、また一粒大きな涙が瞳に溜まって溢れかけた。
僕は人差し指でそっとそれをすくってもう一度だけ優しいキスをした。。。

それから僕は彼女を家に招いて。ずっと、ただ‥殆んど無言のままで‥肌と肌を重ねていた。


心の奥底の僕は本当はいつも何かに飢えていたのかもしれない。

いつか…

いつかと願って。。。


[第二章へ]
畑山の家を後にして雨上がりの薄日を残す星空を見ながら我が家までひた走る。
信号に引っ掛かる度にそれを見上げると、遠くの方に夕焼けに照らされた濃い灰色をした雲が何かに追い立てられるよう離れ消えて行く。


それは泣き濡れた苦しみを時が押し流してゆくようにも。


そう言えば畑山はあまり泣き言を言わない。

まだ10日程度の付き合いではあるけれど。

強く印象に残っているのが人に頼る事を極端に嫌っているそんな気配を感じる事だ。

まず何でも自分でやってみようとする。

気持ちは分からなくないにしても土田先生にすらほとんど何かを頼ることをしないと昨日ミーティングで話してくれたからやっぱり頑なな所があるんだと思う。
今日ほんの少しだけ畑山のプライベートを垣間見てその思いも一層強いものになった。


そしてそれはきっと過去への決別が出来ないからとか迷惑をかけたくないからとか、そんな事とは違うように漠然とだけど感じて。

それがなんなのか知りたいと何故だか無性に思う自分が居た。


それを知れば…こんな僕の醜さも全て変わってゆけるんじゃないかって…


不思議と感じていたんだ。



風はそよそよと流れ、蒸し暑い夏を連れてくる。


僕はこの夏からボランティアではなく正式にアルバイトとして働く事になった。

とは言ってもヒアリーディングはボランティアのままで事務員としてだ。

長期休みの間と大学の講義が無いときに事務室で雑用をすることになって言うまでもなくそれは土田先生の力が大きかったんだけど。
僕はひとつ最近考えている事がある。夏休みも近いある日の土田先生とのミーティングでそれを打ち明けてみようと考えてた。
「有間君いつもご苦労様。子供達も本当に良くなついてくれてるし助かってるわ」

「あ、はい。そう言ってくれると嬉しいですけど。土田先生が居てこそです」

「いいえ、それは有間君の人柄のおかげよ。これからもよろしく頼むわね。やっぱりね、こうゆうのは長続きして貰わないと困るのよ。生徒達との信頼関係って意味でね。有間君も分かるでしょ?みんな内心ではビクビクしてる部分はあるもの。多かれ少なかれ。そこでボランティアと言えど地に足付いてないんじゃ誰も頼ろうとも思わないじゃない」
「そうですね」
「ちょっと大袈裟かもしれないけど心を開く事が他人にモノを教え教わる第一歩だと私思うの。これって健常者も障害者も同じだけどやっぱり障害者の方が如実に出るわね。すぐに尊敬や愛なんてはっきりした感情まで行かなくとも、打ち解けてこそ本当に学ぶ意味になるんじゃないかしら。それはこちら教える立場としてもね」
「‥正直…僕にはまだまだですけどここで日々何かを学び取っていきたいって最近強く思ってます」

「まっそんなに気負わなくてもいいけどねリラックスよ」
土田先生はおどけて肩をダランと下げてぷらぷらとさせた。

僕はそこでようやく切り出すことに。

「実は僕、大学で教員コース取ろうと思ってるんです。今からだとちょっと大変かもだけど。案外この仕事あってるかなって」

「え、そうなの?うーん、嬉しい事言うじゃない。やっぱり私の影響かしらね。流石私」
ウンウンと頷きながらご満悦な表情を見せる姿は何だかいつものしっかりして隙が無くて大人な土田先生とちょっと違って可愛らしく見えたけど僕はちょっと落としておく。

「まだ教師になるかどうかは分かりませんよ。今後次第です」

「…あら、そうなんだ。なにか意味深ね。でもまぁ迷いこそ学びよ。頑張ってやってよ」

ちょっと真顔に戻って土田先生は僕の両肩をぽんと叩いて、そこで席を立って職員室へ去っていった。


僕は1年ちょっとの間にこの人が好きになっていた。それは尊敬であったり羨望であったりが大部分だけど。
だってもし僕がこの人の生徒で居られたとしたならこんな今の自分とは違う、もっとこう…しっかりした何かを偽る事をしないで済む人間になれたんじゃないかって思えたから。


それでその話をした日の帰りに土田先生は事務員のバイトの件を持ってきて「少しは人生の足しになるんじゃないの」なんて言いながら。それを僕は少し考えてから引き受ける事にした。
僕は自分でも驚く程にどんどんとこの世界にのめり込んでいく。
バイトを引き受けるかどうかで少し考えたのは別にフリではなくてそうすればもっと畑山と接する機会も増えるだろうかって考えたから。

それから数日後夏のレクレーションとして行われた水泳大会にも僕はボランティア監視員として参加した。水泳大会と言っても思い思いに楽しんでるって感じだけど。他にも2名のボランティア達と土田先生で総勢10名の生徒達のサポートも兼ねる。

その中でも鮎川も畑山も何も知らない人が見ればはしゃいでるただの女子高生に見えるだろう。
とても楽しそうだ。

鮎川が元気な声を出す。
「有間先生~泳ぐから誘導して」

「はいはい順番ね」

僕はコースからハズレないように指示を出してあげる。するとスイスイと柔らかな水飛沫を上げて泳いでいく1人のマーメイド。
それにしてもちゃんと25メートル綺麗に泳ぎきる鮎川は凄いと思う。僕なら何も見えないと怖くて無理だろうし。
「ねぇ有間先生っ。あたしの可憐な泳ぎどうだった?」

「うーん。まぁまぁやな。知絵美ちゃん」
横から畑山が勝手に答える。
「ほのには聞いてないし…ってか見えてないしっ」

「そ?ウチにはオデコに第3の目があるんや。知らんかったの?」

「へ~知らない。ってか知ってたら付き合い方考えるもん。とゆうことで今から…」

「知絵美ちゃんのその水着の内側やって見えるんやで」
畑山はオデコに両掌で丸を作ってみせている。

こうゆうのってついついジェスチャー付きでやってしまうものなのかな。

「いやぁ、有り得ないし。ってあたしの未熟な体見ないで~」

「フッフッフ~」

この2人だからこそ出来る会話だな、と思う。
けして健常者には投げ掛けられないやり取り。
にしても3ヵ月あまりで随分と仲良くなったものだ。
畑山は依然として頑なな所があるけれど鮎川とは色々と話すようにはなったらしい。

そしてどうやら畑山がボケで鮎川がツッコミで2人の関係は定着しつつあるように見える。


「ほな…そろそろウチの蝶のような泳ぎを披露する番やね」

「蝶は水泳げないし~溺れてるだけじゃんそれ。ほのはいいの。有間せんせぃ~」

「うんうん。鮎川はとても泳ぎが上手だね」

「でしょ。あたし頑張ったもん」


「有間先生早うコース連れてってくれますか?」

「あ、すぐ行く」
そうして畑山は泳ぎだしたけど…
「あっぷぁ…はぁはぁ…」

本当に溺れた蝶みたいになっていた。

方向感覚も分からないらしくコースアウトして壁に腕を擦ってしまう。

「はぅ…なんや全然泳ぎが上手くいかへんやん」

「畑山もしかしてこうなってから初めて泳いだのか?」

「…はい。。簡単やと思うてたけど意外に難しいもんなんですね」


少し凹んでる畑山も何処と無く可愛いらしい。

「まぁ気にするなよ。そのうち慣れるから」

「そうだよ。あたしだって最初は苦労したよ」

鮎川が庇う。

「…まぁウチにかかればすぐやけど」

「有間先生、ウチ泳ぎます」
「分かったよ」

そうして暫く畑山はコースをフラフラ行き来している。

何だか僕はこの世界がハンディを伴っている世界だってことを忘れそうになってしまってた。


けれどそれは土田先生を始め僕達がしっかり付いているから成り立つとても不安定な世界で‥


羽をもがれた鳥を籠に入れて監視してるようだとそんなことが一瞬頭をよぎる。

そしてそれを優越感として認識しそうになった自分を慌て無理矢理押さえ込む。

「有間先生っちょっと上がって休みたいんやけど手貸して下さい」

「あぁちょっと待ってね。行くよ」


僕は細く柔らかなその手を取って畑山を引き上げたら‥妙に重くて畑山の足を掴んで潜水してた鮎川が一緒に出てきた。


「あたしほのが休んでる間もうちょっと泳ぎたいから付き合ってよ先生」

「あぁ別に構わないよ」

「あかん。有間先生はウチが休んでる間話し相手になってもらうんやから」
間髪入れずに畑山が口を尖らす。

「残念。先生はプールで泳ぐ人の監視員だからただの話し相手は後回しなの。ほのはゆっくり休んでね」

「あ…先生‥お腹痛い。急に痛い。ちょっと診てや」

「何その仮病。分かりやすすぎだよ。有り得ないー」
「何ゆうてんのや。有り得る有り得る。ホンマ痛いんやって‥うぅ…」

「じゃぁ、あれじゃないの。それ、単なる生理痛。それは先生付いててもどうしようもないことだから。薬飲めばいいよ。土田先生に持って来て貰おう~ね。有間先生」

「ウチは今めっちゃ安ぜ…‥って何言わすんや知絵美ちゃんのあふぉ~」
畑山はまだ僕と繋いでた手により一層力を込めた。


「ほのヤラしい…」
笑いを噛み殺しながら鮎川がボソッと言う。

「知絵美ちゃんにはまだ早いよなぁ‥心も体も」

「なっ。あたしだって‥てゆーかあたしの方が年上じゃない、もう。それに見たこと無いくせに」

「こうすれば分かるしねぇ」
畑山はどこと無しに鮎川の体を触りだした。

「あ、イヤ。もう何してんのよ。助けて、先生」

確かにそろそろ潮時かもしれない。

「ハイハイ、もう止めといて。取り合えず2人とも少し休もう」

「「えーっ」」
そこは2人見事なハモり。

「さぁ、そこのベンチで座って」

それでも僕が手を引っ張ると2人共大人しく従ってくれたんだった。

「センセ、帰るん?」

「タクシーも待たせてるしね。では失礼します」

「ありがとうございました」ママが言う。
あかんって。どうにかせな…ってどうでもええけどオーロラの尻尾がブンブンとウチの脹ら脛を叩いてる。
オーロラ何そんな喜んでんのや。体撫でてあげるから。ヨシヨシ♪ちょっと大人しゅうしいや。
あ、作戦思い付いた。オーロラを有間先生の前に置いて動けなくしてみる。
ほら、行けっ。戦艦オーロラ発進や。オーロラのお尻をグイグイ押しながらもう片方の手が有間先生の袖を摘んでいた。
「畑山…出来ればそろそろ手を離してくれる?」

ウチ無言。

「早くしないとタクシー代も上がるんだけどな」

「タクシー代ならママ払うって。今ママ動けへんしちょっとだけ上がってってや」
ウチの思いが瀕死のママにも届いたのか
「…そうですね。せっかくですから上がってってお茶でも。タクシー代は持ちます。元々この子の送り迎えですし」

ナイスや。

ウチに万札握らせて力尽きるママ。

「いいから、ほなお金払って来て有間先生っ」

「ちょっとこの子の話し相手にでもなってやって下さい…私ちょっと横になりますので」

ママしんどそうや。仕方ないなぁ。

「はぁ…お母さんがそこまでそうおっしゃるなら‥」

「ウチの大好きなお茶入れてあげる」
やった。ウチの勝利。
タクシー代を払って戻ってきた有間先生をダイニングのテーブルまで案内する。

こんなウチかてこの慣れた我が家くらいなら大体の事は出来るんや。


「先生お茶どうぞ。粗茶ですが。セルフサービスなんでここまで取りにきて下さい」

「あぁ、ありがとうな。いい匂いだね」
ウチも隣に座る。
「うん。このピーチティーがウチめっちゃ好きなんです。ブレンドは自家製なんよ。ピーチ以外にもちょっとだけ桜の花弁の乾燥させたんも入ってるんです。それに砂糖使わへんで蜂蜜で甘くしてあって」

「へぇ、そうか。うん、これは美味しい。にしても1人で色々出来て凄いな」

「このくらいは物の場所ちゃんと決めてあったら後は大体のイメージでいけますから。それに狭い家やし」
「頑張ってんだな。偉いよ」
「字だって書けるんやで。改行は難しいけど。あ、先生その辺から紙とペン持って来てくれへん?」

「ん、じゃぁこのメモ用紙でいい?」

それを受け取るとウチは自分の名前を書いてみせた。
「どうです?なかなかええ感じやない」

「うん、確かにちゃんと書けてるな。それに女の子らしい可愛い字だし字が書き手を良く表わしてるよ」

ウチは少しだけ照れた。人に誉められたのってなんか久しぶりな気がして心の周りがふわふわする。

ふと気い付いたら足元にはオーロラが寝そべって来てた。
それから音楽の話をして2杯目のピーチティーを飲み終わった頃にママが来た。
「少し薬で落ち着いたから。簡単にご飯作るわね。先生本当にありがとうございました」

「じゃぁ僕はそろそろ失礼します。やることもあるので」

そう言いながら有間先生の手がウチの頭を軽く撫でた。
もう少しママが来なければと思ってしまう。
「ウチ玄関まで送るね、ママ」

外はすっかり雨も止み酷かった嵐も遠くに行ってしまった。

「これならのんびり歩いて帰れるな」

風が軽くて気持ちいい。
「それじゃまた学校で」

「ホンマ歩いて帰るん?」

「うん、1駅分無いしここからなら近いからね。平気だよ」

「あ、痛‥」

ウチは先生に近付こうと歩きだしたら何かに足をぶつけてしまった。

「大丈夫?自転車倒れてたよ。春の嵐のせいだな」
家に自転車なんてあったんや。誰乗ってんやろか。
「あ、それ赤とシルバーの?」

「うん、そうだね」

「それ‥ウチの」

まだあったんや…
引っ越す時に捨てたもんやと思ってたけど。

「中学…それで通ってた‥」

ウチはもう乗られへんのに。

何のために取ってあんのやろ。

そんな思い出残してたって意味無いのに…

なんなんや、もう…

「先生、それ‥乗って帰って下さい。」

「いやいや、気を使わないで。最終的に僕が勝手に残ったんだし。それにちょっと僕には派手だし」

「ええから。乗ってって。使ってや!!」

「…どうしたんだよ?」

「ここに置いて起きとうないねん‥」

「畑山…」

「あ、いや。その自転車も誰かに使うてもろうた方が幸せやろな~って思っただけ」

ウチの幸せのカケラ。

今はただ不幸せを際立たせて辛いだけ。

嫌なもん全部持ってってよ。
ねぇ有間先生。

暫く間があった。

「分かった。有り難く使わせて貰うよ」

「ありがと、先生」

「礼言うのはこっちだけどな」

「鍵付いてる?」

「あぁ」

「なんや無用心やな~。ほなそのまま乗ってって」


ホッとした。
なのに急に触れてみたくなった。

「あ、その前にちょっとハンドル握らせて、先生」


まるで自虐的な行動。

でも押さえられずに。

何も言わずにウチを導いてくれる先生。


ウチはゆっくりと左手でハンドルを持って右手でサドルを撫でる。
「楽しかったな…ホンマ」
懐かしんでんの?

同時にそんな自分が嫌で認めきれずに居る現実をより味わってしまう。


自転車を跨いでみる。
家は路地の突き当たりにあって車も来ないし人も家訪ねてくる人くらいしかけえへん。
すると漕ぎたくなって…‥
ウチは派手に転んだ。

無理に決まってんやん。

ウチあほやな~‥。

「ちょっ何やってんだよ。危ないだろう」

先生が抱き起こしてくれる。

「ごめん。先生。もう無理やのにな」

有間先生の胸はあまりガッチリはしてへんけど温かかった。

「怪我しなかった?」

「ちょっと足ジンジンするかも」

「あぁ擦りむいてるじゃないか。大した事はないけど家入ろう。消毒しないと」

「こんなの平気。痛くてもええねん」

なんやそれ。ウチはマゾか。

「とにかく家入ろう」

「センセ…優しくして」

「はいはい」

それから怪我の処置して有間先生はあっさりと帰ってしもうたんやった。

後でママにもチクチク怒られたんは言うまでもない。

ちょっといつもと違う日常は春の嵐と一緒にウチの心の嵐も巻き起こしてこうして終わってった。
「男のボランティアの先生も居るんだよ」

「へぇ」

「すっごく優しくていい声してるんだよ」

「そうなんや。ほなイケメンやろかな、その人」

「きっとそうだよ」

「みんなにも熱心に分け隔てなく接してくれるし」

鮎川知絵美って言う女の子にいきなり話しかけられてこんな会話をした。

知絵美ちゃんはウチより1つ年上で8歳の時に完全失明。もともと弱視力でほとんど見えへんかったらしいけど。

好きなものは焼き立てのパイとジャニーズの嵐とオールナイト日本。そして親切な人。

嫌いなものは椎茸と夜明けとゴキブリ‥らしい。

朝からずっとそんな話しを聞いていた。

ってなんやこのお見合いプロフィールのような事細かさ。

友達になってゆうてきてペタペタとウチの体を触りながら「あ、胸、負けた…」とか「腰括れてるねっ。私幼児体系なんだよね。羨ま~」とか言いながら。

両手握って「よろしくね」って半ば強制的に『お友達』にされてしもうたんやけど、なんとなしにウチは策略を感じてしまい、トイレに座ったまま考えてみた。

なんでウチの名前とか知ってんねやろかな。

と…

ん………

あ…

何かうっすら輪郭が見えてきたで。


フワッとパパのニヤケ面が浮かんできたわ。

プレゼント用意してるから…ってもしかしてコレなん?

他に今の所そんなもんないしな。

ここ見付けてきたんもパパやし、会社の部下やゆうし。

そうゆう事かぁ…

余計な事を。

でもウチがまだこっちに引っ越す前に誰とも会いたくないし話しもせえへんと、親友やった友達があの後何度も謝りたいゆうてきたけどはね除けて知らんぷりして「友達なんかいらんし、もうどうせ出来へん。偽善なんかいらんわ」とあの時は流石にパパにまで当たってしまってめっちゃ暴れたんよね。
それずっと気にしてたんやろか。

パパはずっとウチが寝るまで側に居て頭を撫でてくれたけど言葉にしてはその時もその後も一切なんも言わんと受け流してくれてんやと思うてたけど。

気にしてたんやなぁ…

なんかちょっと嬉しかった。

くすぐったいような、でもそっとしといて欲しかったような。

なんでかウルッときてギリギリで堪える。

ウチは気を取り直して教室に戻る事にした。

けどまだ動揺しとったらしくドアをノックするの忘れてしまう。

「ただいま。知絵美ちゃん」
中へ入ったらいきなり杖の先がゴツンとぶつかってなんや思うと聞いた事ない男の声。

ドキリとした。

そのふわりと丁寧に吐き出されてゆく言葉は、まるで初夏の透き通る夏空にゆっくりと浮かび舞い消えて行く雲のように感じた。


ありまようた
そう声の主が告げる。
なんやうっかりお酒でも飲み過ぎた時みたいな名前やな。

心の中で下らないことを思う。

取り敢えずテンション上げて色んな事を誤魔化してゆく。

体温も上がったかも。

ついでに声は上がり過ぎて裏返ってなかったやろか。

にしても確かに優しい声やね。

これが偽善と違うならね。

パパの親切や好意、心配は割りと素直に受け入れられるのに他人のものは受け入れられへん。
なんでやろう。
それどころか薄汚くおぞましくさえ思ってしまう自分をどうやっても拭えずに。

でもパパのしてくれたことやからて知絵美ちゃんまで受け入れてええんやろうか。
同じ立場やから?

平気?

今はまだこの自分自身の中の暗闇とも共存出来てへんのに。

無理やろ。

知絵美ちゃんはそうゆう部分どう考えて生きてるんやろな。

いつかホンマの仲良しになれたら聞いてみようか。



「有間先生どうだった?いい感じでしょ?」

「うーん、どうやろかなぁ。確かに感じは良さそうやったけど」

「彼女居るのかな?」

「知らんの?聞いてみたらええやん」

「うん、そうなんだけど。そうゆうのちょっと聞きにくくない?」

「平気やて。ならウチが聞いたげるよ」

「え?!マジで?」

「ウチはおらへんような気がするけどなぁ」

「そっかなぁ」
一瞬だけ知絵美ちゃんの声が弾んだような気がした。

こうして次の日から有間先生に恋バナを持ち掛けて根掘り葉掘り聞き出して楽しんだ。

まぁ大した話しは聞き出せへんかったんやけど他人の恋バナはやっぱり聞いてて楽しいもんなんやと思った。

肝心な部分はあっさりと今はフリーと聞けたからまぁええやろう。



窓から甘く爽やかな匂いがした。

桜…見たいな。

無性に思うとなんか最近穏やかだった心のドロドロが蠢いた気がした。

入学式から10日が過ぎた。
割りと慌ただしい日々は早く流れてゆく。

オーロラの世話して散歩してそれから学校。

「外に慣れてきたらオーロラと一緒に学校行ければいいわね」なんて言うてたママはウチの送り迎えして「今日も頑張ってらっしゃい」って手を振るけどどことなく元気なかった。


そしてこの日も1日無事なんもなく終わってゆく。

朝は風が気持ち良かったけど帰る頃にはその風も湿っぽく泥臭く感じた。

教室にはウチ1人でさっき知絵美ちゃんも親が迎えに来て帰ってしもうて。

あ、有間先生おったね。

なんか色々雑談してたんやけど何故かなんも頭に残らへん。

雨酷いな。窓を叩きつける雨音がウチの心まで打ち付けるように感じた。
にしてもママ遅い。

おそ~い。

有間先生が色々話し掛けてくれてるのにうつらうつらな受け答え。

ママ‥ウチの事捨てたんかな。
そんな訳ないって。

有り得ない。あの人は逃げ出せない。ウチからちゃう、世間から。そんなママやもん。



…………寂しい

ふと、心の真ん中にそんな感情がドンと居座ってきた。

気付いたら有間先生を探してシャツの袖を掴んでた。
本当の意味でウチの面倒見てくれる相手はどこにもおらんねや。

「ちょっと待ってて」

有間先生はウチの手を袖から離して教室を出ようとした。

偽善でもええ。誰かウチを包んで。。。

ママは風邪から来る過労みたい。


結局ウチは有間先生とタクシーで帰る事になった。


大粒の雨を横切ってく時有間先生が繋いでくれた手は、何故か離したらワンワンと泣き出してしまいそうでただギュッと掴んだ。


タクシーに載せられ家に着くまでその手は離れずにいた。


「着いたよ。家まで一緒に行くよ。お母さん心配だしね」

「すぐ戻るのでちょっと待ってて貰えますか」

有間先生はそう言うとウチを降ろしてくれて一緒に玄関まで行く。

「鍵ある?」

「うん大丈夫や」

ウチは首にぶら下げた鍵を胸の中から取り出しストラップをブラブラさせた。

鍵っ子とか流行らんなぁ。
有間先生に鍵を渡して開けて貰う。

ドアを開けるとモサモサした毛の生えた肉の塊がウチの太ももを軽く撫でた。

オーロラただいまぁ~。

「畑山犬飼ってたのか」

「先生、この子盲導犬やで一応」

「あ、そうか。そうだよな~」

「まだ大して働いてもろうてへんけど」

さて

「ママ~!!帰ったで。ただいま」

返事ない。

「ママ~?大丈夫なん?」

少し間が開いてやっと寝室から声がした。

「ごめんね~ママ熱が9度まで上がって体ダルくて動けなくて…そこまでなら今行くから待ってて」

「別に無理せんでええよ、ママ。ウチ先生と一緒やから」

「じゃ、尚更じゃないの…」
フラフラとママは足音を立ててこっちへ来た。


「あ、無理なさらずとも。僕英語のボランティア教師の有間と言います。今日はたまたま居合わせたので土田先生の変わりに送ってきました」

「そうですか。すいませんでした…御手数掛けて。」

「ええからママ寝ときよ」

「本当悪いわね。歩野華」

「ええから」

「じゃぁ僕はこれで。お母さんお大事になさって下さい。もし明日以降送り迎え大変そうならこちらで何とかしてみますんで、その時は学校へ連絡してみて下さい」

「いえ、ありがとうございました。ご迷惑かけます」
先生がドアを開ける音がした。


急にウチはこのまま1人になりたくない気持ちが込み上げてきて……。


気付いたらまた先生の方に手を伸ばしていた。

僕の直接の指導員とも言える教師の戸田茜先生から新入生の話があったのは智絵美ちゃんから話を聞いてから1ヶ月後だった。

このクラスには新入生もましてや転入生なんて滅多に入ってきやしない。

それに前に土田先生が「このクラスに新しい仲間が入って来ない事はある意味幸せな事じゃない。それだけ不自由な子が少なくて済むんだもの」
って僕がまだボランティアを初めて間もない頃に言っていたんだけど。

でも僕にとっては今はただこの場所が有り難く、自分自身の不運の捌け口になっているのだけは確かでその存在に感謝さえするようになり、時折自己嫌悪にさえも勝るものとなっていたんだった。

けれど取り立てて僕に頻繁に構って貰おうとしてた鮎川智絵美ちゃんなどは本当に妹の世話をするように何かと面倒をみてたし、それも単なる自己満足や同情なんかじゃない不思議な充実感だってあったから。

こんな僕の優しさが誰かの力になってくれる喜びも沸いてきていた。ある日、土田先生とランチをした時の事。
「そろそろ1年経つわね、有間君も。大学の方も順調?」
「はい、お陰さまで」
「このボランティアってね。大変でしょ?それはクラスメイト達本人が一番大変なんだけど。それを支える側だって苦労は絶えないわ。綺麗事じゃない。他人の五感となり心となりってね。時々思うわ、私達自分が感じてるものだって本当に本質を理解出来てるかも怪しいものなのにね」
「でもそれはみんな同じだと思います。結局それが丸いのか四角いのか最終的に決めるのは自分なんだと思うし」
「あら、立派な事言うようになったのね。でも、近頃それが出来ない子供が増えてるのよ。他力本願でそうじゃなきゃすぐ投げ出して無気力。正常な心身があるのに。うちの生徒達なんてみんなほんの一滴の露でさえ逃さないくらいにみんな必死でそれを感じようとしているっていうのに。有間くんはそれはちゃんと出来てる?」
僕はちょっと肩を竦めて「さぁ、どうでしょうか。そうしたいとは思ってますけど」とだけ答えた。
「良い心掛けね。何でもそこからだもの。でもまぁそれは余計な心配だったかな」
「いえ」
「だって有間くんはどちらかと言うとあの子達と近いシンパシーがありそうだしね」
そして土田先生は含みのある笑い方をして飲んでいたビールの残りを一気に飲み干して上機嫌にしていたのだった。

今、土田先生とクラスに続く廊下を歩いている。
窓の外の校庭には桜の花が7分くらい咲いている。
今年は少し遅咲きらしい。
こんな僕にも遅くともそんな季節はやってくるのだろうか。漠然とそんな事を考えながら進んでいた。

ふいに土田先生は足を止めて「職員室に用があったから先に行っててちょうだい。くれぐれも宜しくね」
と踵を返して行ってしまった。

仕方なしに1人で歩く。
今日は9時半から12時の間に休憩を挟んで2回の授業の受け持ちだ。

教室は生徒達の事を考えて一階のごく入り口に近い場所で事務員室の隣にあり、専用の廊下もあり安全面も考慮されたバリアフリーになっている。トイレもすぐ目の前。警備員も事務員室の一画に常に待機して生徒達の動向を見守ってくれている。

特殊ルールとしてはまず教室に入る時は必ずドアをノック。そしてドアを開くと共に何かしらの挨拶を交わす。
これにより生徒達も誰が来たのか分かるし驚いたりしなくて安心するのだ。

「おはよう。みんな」

声で誰か分かる。

「有間先生、来たよ。来たっ」
真っ先に智絵美ちゃんが少し興奮気味に話し掛けてきた。
「どうした?」
「新入生だよ。今日来た。忘れたの?先生」

しかしパッと見渡すも見知らぬそれらしき姿もなく、僕は一瞬不思議に思うも「今、トイレ」とすかさず智絵美ちゃんが補足してくれた。

間もなくドアが開く。
それからコツン、と僕の脹ら脛辺りに杖が当たり
「あれ?すいません。誰かおるん?」
と、独特の関西訛りの可愛いらしい女の子の声。
「あぁごめんね。ドアのすぐ近くに突っ立ってたんじゃ邪魔だったよね」
数秒間をおいて。
「この人誰?」
とだけその女の子は聞いた。

僕は道を開けると「いいよ。進んでも。青信号だから」と笑いかけながら話す。
「ここでボランティアしている、有馬遙汰(ようた)っていうんだけど一応ここではみんなに英語を教えているよ。どうも初めまして、ヨロシク…えぇっと」

「そうですか。畑山歩野華やで、名前。そっかぁ、こちらこそヨロシク頼みます」
「畑山さんね」
「うん、所で智絵美ちゃん、先生声若いけど何歳?イケメン?」
僕はドキリとした。

何故ならここで絶対言われないであろうと思っていた事を言っているからだ。

「あぁ大学生だよ。有間先生。ね?先生。イケメンかな?でも優しいことは確かだよ」
智絵美ちゃんは僕に話しを振る。
「あぁ、有り難う。でもどうだろうな。そうゆうの自分で言うもんじゃないし。普通だよ」
僕はおどけたフリをして何とか内心の動揺を隠して答えた。

「智絵美ちゃんからきいて楽しみやったのになぁ…」
何の事だ?何を聞いた?智絵美ちゃんとは少しは話しして仲良くなれたのか。
幾つか疑問を抱きつつもちょうどそこで土田先生も現れたので授業を開始することにする。
畑山はすぐにこの雰囲気に慣れていったように窺えた。
その印象は思った以上に活発で良く喋る子。大きめの二重の瞳をくりくりとさせてなんだかこっちを見ているはずがないのに時々こっちをぼんやりと見ているような錯覚に囚われてしまう。

そしてとても綺麗な顔立ちをしていた。

スッと通った小高い鼻。

まだあどけなさを残したぷっくりとした頬にシャープな顎のライン。
とりわけ唇の薄桃色は目を惹いた。

こんな事になっていなければ彼女もさぞ男子にモテていたんだろうと感じた。
きっとこんな僕みたいな奴は歯牙にもかけないくらいに。授業の合間の休み時間に公言通り智絵美ちゃんも早速その事を聞いてきた。
それで僕は「下手なアイドルより可愛いかもしれないよ」と思わず言ってしまった程。
智絵美ちゃんは「そっかぁ‥見てみたかったな~。一瞬でもいいから。友達の顔だけでも…」ととても残念がっていたので僕は少し悪い事をしたような気分になってしまった。


何はともあれ畑山は明るい性格で思った事はすぐに口に出す。
僕が心配しなくともこれから上手くやってけそうな気がした。

僕の所にも良く話しをしに来ていた。勿論大体は智絵美ちゃんも一瞬に。

話す内容は音楽の話しやアーティストの事、ラジオの内容などが主だったけどつい2年ちょっと前までは普通に生活していた畑山とはその頃までの事なら僕としてもそれほど気も使わずに会話を交わせた。

けど彼女らは僕の恋愛話しも良く聞きたがってその度に僕は困りながら数少なく、しかもあまり良い思い出ではない恋の引き出しを引っ張り出さなくてはならなくてどうにか選りすぐって話してあげる。

まぁそういう所は彼女らも普通の女子高生と変わらず女の子してるんだなと感じるから。出来るだけ応えてあげたいと思うし。

僕の痛みの一部でも優しさに変えて誰かに分け与えられる事が出来るのなら例えそれが滑稽だとしても願ったり叶ったりだとも思った。

「あ~りぃま先生っ。どこ?居ますか?」

「目の前に居るよ。畑山、どうかしたか?

「雨‥降っとるん?」

「あぁ結構どしゃ降りだよ」

「ザーザーゆうとるもん。朝は晴れとったんやけどなぁ…」

「雨は嫌いか?」

「なんてゆうか‥うーん。好きな時と嫌いな時があるかなぁ」

「そうか。気分で見るものの魅力も変わってゆくからね。外の桜の花もこれで散ってしまいそうだな」

遅かった今年の桜の開花も既に満開を迎えており散ったとしても本望だろうとは思うけど。

いつ見ても雨で濡れて透き通るような淡い花の色が濁りを帯びて、土色に汚れてゆくのは切なく、やりきれなささえ覚えてしまう。

それはまるで…

この少女達の業のようでもあり。


「雨の匂い。ウチこんなにちゃんと感じたんいつぶりやろう」

「どんな匂いがする?」

「うーん。少し甘くて、少し苦くて、やっぱ少し甘い。かな」

「何だそれは」

「湿っぽさに消えかけた甘い匂いすんです。あ、多分桜のせい」

「あぁそうか。それで、今日の雨は好きな方?嫌いな方?」

「まぁまぁ‥やろか。ちょっと苦しい」

「まぁまぁか」

「うん、ぼちぼちや~」

今、授業も終わり保護者の迎えを待っていた。僕はたまたまこの雨のせいで傘も無く残っていて、土田先生にどうせなら生徒達の面倒をと頼まれた所で。

その生徒達ももうみんな帰ってしまい畑山が最後になってしまっていた。

「なかなかお母さん来ないな」

「うん、そのうち来るんと違いますか」

さっきからローテーションになりつつあるこのやり取り。

雨雲のせいでいつもより早く空も薄暗くなり始めている。
流石にマズイかな。

「ちょっと家に電話してみよう。少し待っててくれる?」

「うん…なにしてんやろなぁ。ママ」

僕が電話をしようとしたその時土田先生が戻って来て告げた。

「畑山さんのお母さんちょっと体の具合悪くて動けないらしいの。どうしても迎えには来られそうもないっておっしゃるものだから。まぁこうゆうこともたまには無いわけでもないし、私が車で送ってあげましょうかしらね」

僕はそれならと思って。

「じゃあ僕がタクシーで連れて帰りますよ。このどしゃ降りの雨やみそうもないしどうしようかと思ってた所なんですけど。僕もそのまま帰ります」

「いいの?」

「ついでです。それに最後まで引き受けた仕事はしますから」

「それじゃ頼もうかしら。ヨロシクね。1日お疲れさま」

そう言うと土田先生はあっさりと了承して職員室に戻ってしまった。

「ママ、最近お疲れっぽい感じやったしなぁ。心配や。ほんなら早よ帰りましょう」

僕も畑山の背中をそっと押して歩き出した。

呼んだタクシーは不親切に正門の前で止まってしまったので僕は畑山の手を取り頭にジャケットを被せて少し小走りにして校舎を後にした。


時折横からくる雨粒が繋いだ掌の間にも入り込み、滑る手をしっかりと畑山は握り返してきた。


『彼女の場合Ⅲへ』