【軌跡5】胃転移(2011年冬) | 骨肉腫女子の今を生きるブログ

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骨肉腫と12年付き合っています。(02年〜)
転移の数は数知らず…。
それでも今与えられた生を全うしたい。
それが私を生かせてくれた人たちへの感謝の
しるし。

そんな私のブログです。
色々関係ないことも全て、
骨肉腫の私が感じたことを書いていきたいです。


今日も明けましておめでとうございます音譜

といっても母がインフルエンザになってしまい心配です…。
そして私もうつらないようにと用心しています。

さて、昨日は仕事復職までの話でした。

それからは病気を忘れたのかのように働き詰めでした。
もちろん半年に一回の定期検査のたびには怯えていました。

そして2011年の10月頃、
坂や階段を登ると疲れるし、
普段も疲れがたまっているのか眠気があり…。

肺を手術して肺活量が半分になっているから、ちょっと動くとしんどいよと言われていたので、それかな?なんて思っていました。

しばらくして、
コンクリートのような黒い便が出るようになり、いよいよあれ?と思うようになりました。

最後には歩くにも眩暈がして、
さすがにこれはおかしい…と思い会社の近くの大学病院にいったところ、
そのまま点滴をして、胃カメラをして、入院となりました。

胃からの出血でヘモグロビンが7程度だったようです。

2011年11月、
前回の肺の手術から三年強でした。

その大学病院の内科入院で絶食となり、
CT、腸カメラ、胃カメラ、骨シンチ、子宮検査、色んな検査をした結果、

胃と肺の転移がわかりました。

正直、三年も立っているので驚きました。

そしてたくさん泣きました。

胃に来てしまったのか…今までよりも絶望感に襲われました。


とまぁ、どちらにしろ手術が必要なことや今までの経緯があるので地元の病院で治療を行うことにし、
点滴をつけて新幹線で地元に戻りました。

結局地元の病院でも同じ検査を再度行いました…それなら気心知れた病院に早く戻りたかったな…なんて。

検査の結果、
肺に一つ、胃に二つ、腫瘍か見つかりました。

まずは食べて栄養を取ることが最優先なので、胃の手術を行い、そのあとしばらくして肺の部分切除と決まりました。

三週間食べれないのはとてもしんどかったです。

さらに今まで経験したことない検査や頚部での点滴、何より絶食、と不安の中過ごしていました。

私この先どうなるの?
死んでしまうの?

ずーっと頭の中をぐるぐるぐるぐるしていました。

手術説明の時に、
部分ではなく全摘だと聞いて、
また泣いてしまいました。

食べるのが大好きなのに…
どうやって生活していくんだ…。

でも、先生が最善の方法といっていたし、私自身も、まずは生きるために最善だと納得できたから、少し前向きでした。

何より明るくて誠実な消化器外科チームの先生たちがいてくれて救われました。

そして、12月に手術しました。

手術自体は全摘の一般的なものなのではと思います。
手術での出血量は少なかったのですが、貧血気味だったので輸血をしました。

そして何より、消化器の手術は術後が辛くてびっくりしました。

飲むのも術後二日後から、
食べるのも三日後から全粥を少しずつ。

そしてなにより、切り傷より、腸に物が通る時のキリキリ感(早期ダンピング)が痛くて痛くてたまらない…。

食べた後に運動をしたら脇腹が痛くなりませんか?
あれが継続的に強く続くような痛みです。

とまぁ、もう終わればすべてこうやって冷静に話せるのは、
本当に本当に有難いです。

結局術後10日程度で一旦退院しました。

それから年を明けて肺の手術を行いました。

こちらはびっくりで、三年前よりも術後のチューブを抜くスピードや歩かせるスピードも早く、
医学の進歩を感じずにはいられませんでした。

そして、その後は整形外科の先生と相談し、東京のがんセンターにセカンドオピニオンにいきました。
主治医からの提案でした。
先生もなす術がなかったようです。

結局特に真新しい治療はなく、
今までで一番次の転移までの間が空いた薬を組み合わせるというアドバイス?をもらいイフォマイドとメソトレキセートをそれぞれ二クール、計四回行うことになりました。

ここに来て一つ発見だったのは、
胃がなくなったせいか吐く物がなく、
副作用である吐き気が和らいだことです。

そのおかげで?、治療中もご飯が食べれたのは有難かったです。

そうこうして2012年2月から7月まで入退院を繰り返していました。

仕事も休職して、
社会との繋がりをなくし、
一方で家族のそばで治療に専念できました。

目標や目的が見つからず、先の不安に怯えて、不安になるたびに思考を止めて…正直まわりのことに色々気を回せませんでした。
ただ一日生きているだけ、
まずは目の前の治療をこなすことに精一杯でした。

それでも知っている主治医や看護師さん、薬剤師さんがいるところで治療ができるのは精神的に救われました。

いつも人の繋がりには感謝せずにはいられません。

yukie