【軌跡1】10年前の告知に至るまで(2002年初夏) | 骨肉腫女子の今を生きるブログ

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骨肉腫と12年付き合っています。(02年〜)
転移の数は数知らず…。
それでも今与えられた生を全うしたい。
それが私を生かせてくれた人たちへの感謝の
しるし。

そんな私のブログです。
色々関係ないことも全て、
骨肉腫の私が感じたことを書いていきたいです。

私と骨肉腫の出会いについてちょっとだけお話します。

2002年の夏、
この病気がわかりました。

その頃私は浪人生で、
上京目指すべく予備校通いをしてました。

○ゼミでサテライトの画面の中の講師陣に憧れ頑張ってました笑。

夏前に左膝が時々ズキズキして、静かになった夜なんて痛みが気になって寝つきにくいこともありました。

近くの整形外科に言っても成長痛??ってことで大した処置もなく経過観察。

そのうちに膝の曲げ伸ばしが痛くて、階段や和式トイレが難しくなって…。

再度受診して初めて、緊急でMRIを撮ろう!となり…そこからは転がるような展開です。

大学病院への紹介状を渡され、
暗くて汚い(失礼あせる)大学病院の整形外科外来に行き…。

あの頃のことはよく覚えています。
胸が締め付けられるしょぼん

診察室はよくわかんない学生や研修医が詰め詰めに入り、お母さんだけ残ってくださいと私は病室を追い出され…。

不穏な空気がただただ怖くて私は待合室で泣いていました。

でも今思うとお母さんは一人で早めの告知(骨肉腫の可能性が高い)を受けて、私よりもっともっと怖くて辛かっただろうなと思います。

おかしな話だけど、今こうやってブログに書いて初めて、あの時のお母さんの気持ちになって考えられるなんて…

子どもはいつまで経っても子どもというかあせる
本当に私って子どもだな…。
アラサーなのに…苦笑。

自分自身が親にならないといろんな気持ちには気づけなそうですガーン

あ~人の親になるくらい長生きしたい~メラメラ

…脱線しちゃいましたが…

その後検査入院をし、手術で生検をして、骨肉腫と病名が確定しました。

お見舞いに来てくれた高校の友達が帰ったあと、主治医に呼ばれ、家族とインフォームドコンセント受けました。

本当に怖かった。ショックだった。
そのあと病室に帰って母親と大泣きしたのを覚えています。

でもインフォームドコンセント
(ん?コンセプトじゃないよねDASH!)の中で、私先生に聞いたんです。

『受験できますか?』

病気の怖さをわかってなかったですね。でも受験という目標を持って、私の闘病生活と私の人生はまた動き出しましたビックリマーク

まずはここまで。
さすがに10年前のこと整理するのは大変だけど、あの時のカンファレンス室の蛍光灯の暗さや、あの時の辛さはしっかりと覚えているものですね。