今日は暗い内容です。苦手な方は また別の記事の時においで下さいね♡

 

 

 

 

星星星星星

 

 

 

 

ゴリラちゃん(実父)の一番上の姉であるイッコおばちゃんが老衰で亡くなりました。

 

 

 

 

ちょっとでも思い出すと、運転中、料理中、買い物中、何をしてても涙が溢れ出してしまい 生活になりませんでした。

 

 

 

 

少し時間が経ち、落ち着いてきたので備忘録として残したいと思います。

 

 

 

 

80歳でした。80で老衰って早すぎですよね。

 

 

 

 

しばらく前から認知症を患い、食生活が滅茶苦茶になって、一気に寿命が縮んでしまったんだと思います。

 

 

 

 

元々は日本舞踊をやっていて姿勢が良く、自宅で洋菓子教室を開いたり、地元のケーブルテレビで洋菓子作りの番組を持っていた、明るくて元気なイッコおばちゃん。

 

 

 

 

未だに思い出すのは口を大きく開けて大笑いしているイッコおばちゃんの姿です。

 

 

 

 

私の実家から車で20分ほどの距離の一軒家にヒロシおじちゃんとふたり暮らしでした。昔は月に1〜2回は会っていたと思います。

(数ヶ月前に高齢者施設に入居)

 

 

 

 

ふたりには子どもが居なかったから、私は実の子のように可愛がってもらっていました。

 

 

 

 

私が両親と上手く行かない時、進路に悩んだ時、仕事に行き詰まった時、イッコおばちゃんチによく一人で駆け込んでいました。

 

 

 

 

美味しいコーヒーを淹れてくれて、愚痴を聞いてくれたり相談に乗ってくれました。

 

 

 

 

散々、散々、お世話になったのに

 

 

 

 

最期の数年間は会えず(会わず?)。

 

 

 

 

困った時だけ助けを求めて、自分勝手な私です。

 

 

 

 

千葉県内の高齢者施設ではコロナ禍で面会が出来なくて、ヒロシおじちゃんの地元(滋賀)にふたりが移る時

 

 

 

 

サヨナラの挨拶をする段取りをしていましたが

 

 

 

 

認知症の老夫婦がまた『千葉から離れたくない』と言い出すと、計画通りに進まないから…

 

 

 

 

という理由で会えずじまい。滋賀の高齢者施設での生活に慣れ始めたら会いに行こうと決まりました。

 

 

 

 

 

そして5月。

滋賀の親戚からイッコおばちゃんの体調が優れないと連絡を受けて、その日のうちに慌てて翌日の新幹線のチケットを購入したのに

(父、母、従妹、私)

 

 

 

 

間に合わなかった。

 

 

 

 

イッコおばちゃんの温かい手を握りたかったです。

 

 

 

 

お見舞いのために滋賀に向かったその当日がお通夜になってしまいました。

 

 

 

 

認知症のヒロシおじちゃんは私が聞かされていた症状よりずっと話が通じました。ちょっと話す程度では認知症だとわからないほど。

 

 

 

 

 

それが余計に可哀想でした。

 

 

 

 

 

遺族控室で、お棺に入っているイッコおばちゃんに向かって

 

 

 

 

おじいちゃん

おーい

イッコちゃーん

チョコポテチちゃん達が

会いにきてくれたよー

 

 

 

 

と声を掛けるんです。

 

 

 

 

そして私たちに向かって

 

 

 

 

おじいちゃん

わざわざ来てくれてありがとう

 

今はドタバタしてるけど

ひと段落したら

悲しいんやろな〜

 

イッコちゃん、いい奥さんだったよ

本当にいい人だった

寂しいな〜

 

最期の言葉は亡くなる前の晩だよ

(ふたりは同じ高齢者施設で別の個室)

 

俺が

『イッコちゃん頑張るんだよ~』

って言ったら

 

元気で明るい声で

『は~い!』

ってさ…

 

あれが最期だったんだな…

 

 

 

 

 

ヒロシおじちゃんはプロのカメラマンだったので、イッコおばちゃんの遺影も当然ながらヒロシおじちゃんが撮った写真でした。

 

 

 

 

 

撮ってばかりのヒロシおじちゃんは自身の写真は少ないのですが、結婚50周年のレストランでの夫婦の写真をフォトフレームに入れて、その日も大事そうに持ち歩いていました。

 

 

 

 

アメリカに住んでいるタンタン(実妹)は帰国が難しかったので、LINEのビデオ通話をしました。

 

 

 

 

タンタンも私と同じく感情の起伏が激しい人。通話が始まってから、一瞬で号泣していました。

 

 

 

 

 

ゴリラちゃん(実父)

お前(タンタンのこと、ゴリラちゃんの娘)

なんで、泣いてんの??

 

 

 

 

 

 

一同

 

 

 

 

 

 

 

ゴリラちゃんの天然っぷりったら、もう。呆れる。

 

 

 

 

 

ゴリラちゃんは13歳の時に母親を病気で亡くし、姉であるイッコおばちゃんが母親代わりになっていたことがあったと思います。

 

 

 

 

そしてイッコおばちゃんは滋賀の田舎の長男の嫁になり、子どもが出来なくて辛い思いもいっぱいしたようです。

 

 

 

 

 

でも、嫁いだ先でも明るく楽しい性格は好かれたのでしょう。身なりもいつもカッコよかったイッコおばちゃんのイメージ通りの葬儀会場になっていました。

 

 

 

 

 

たくさんのサンプルからイッコちゃんの雰囲気のものを選んでカスタマイズしたんだよ

と滋賀の親戚が話してくれました。

 

 

 

 

↑杖をつきながら、遺影を見つめるヒロシおじちゃん。

ヒロシおじちゃんは裸足でスリッパを履くから脱ぐ時に ぺったり貼り付いて脱げないんです。私がそのたびに手を使って脱がせてあげてました。イッコおばちゃんはその姿をみて大笑いしていたに違いない。

 

 

 

 

 

滋賀を離れる時にヒロシおじちゃんと握手しました。

 

 

 

 

 

わたし

タンタン(実妹)と会いにくるからね

元気でいてね

(元々タンタンは9月に来日予定)

 

 

 

 

 

慌てて日帰りで千葉県内の自宅に着いたら、単身赴任先からおっちゃん(旦那)も帰ってきていました。

だったら一泊して告別式も参列したかった😭

 

 

 

 

日帰りで滋賀までお見舞いにいく、とは話していたものの、亡くなってしまったのは知らなかったので驚いていました。

 

 

 

 

 

わたし

(残された旦那さんの)

ヒロシおじちゃんが

夫婦ふたりの写真を

フォトフレームに入れて

持ち歩いててさ…

 

パパ(旦那のこと)は

私に先立たれても

そういうこと、しなそうだよね

 

 

 

 

おっちゃんグラサン

うん‼︎

しないね‼︎

 

 

 

 

 

四半世紀も一緒にいるのに、私の魅力を全然わかっていない。いつになったら理解するのか。おっちゃんは本当におバカ者です。

 

 

 

 

 

新幹線で京都まで行って、滋賀までは在来線を使いましたが、京都で降りなかったのは初めてかも。滋賀では琵琶湖がずっと見え続けました。

 

 



 

 

 

行きの京都駅構内でお蕎麦屋さんには立ち寄りました。みんなは にしんそば。私は おろしそば。

 

 

 

 

 

イッコおばちゃんには もう会えないと思うと辛いです。もっと話したかった。

『ハレルヤ〜チャンス‼︎』して会いたいな〜