美しくなるために忍耐も根性も必要ない


今、我慢してる事をやめるだけで身体は楽になるし、楽になると身体本来の機能が発揮されるので自然に整っていく


我慢しないし、楽になるし、整っていくから、自分の事を、いいじゃん、て思えるようになる



食べたいなら食べて

寝たいなら寝て

言いたい事言って

やりたくない事やめて

やりたい事やる


一気に仕事辞めろとか、世界に飛び立てとか大きな事じゃなくていい


人の顔色みるのやめる、お世辞言うのやめる

背筋伸ばすのやめてぐでんぐでんにしてみる

好きだけど生産性ないからやらなかった事やってみる


そんな小さな事からでいい

やるのに怖くない事からでいい

勇気なんて出さなくていい

言わない事が、やらない事が、頑張る事が、我慢する方が、楽ならそれでいい

自分が快適に楽にやれる範囲でいい



身体のためにこれを食べた方がいいからとお腹を満たすために食べるのと、その時食べたくなった物を食べて、うんまぁ!😻てなるの、どちらが身体/「私」が喜んでいるんだろう


食べ過ぎて苦しくなってしまうなら、食べて満たしたくなるような、発散したくなるようなストレスが心にかかっている


そのストレスの原因を降ろすか、逆に、これを発散するんだ!美味しいからいい!て開き直る☀

罪悪感、自己嫌悪、自分責めが一番心と身体に負担がかかる



自分の事をいいじゃん、て思えなくなっている負荷をおろしていく


ぐっと力が入って緊張しているところから、すっと力が抜けてリラックスできるようになる



自分の心が楽になって満たされ落ち着いてくると、自分の今の身体も悪くないじゃん、ここはいいじゃん、あれ?美しいのかも?て、自分を見る目が変わってくる


今の「私」を受け入れられるようになる


情報や誰かの言葉ではなく、「私」の身体が求めている事をやるようになる


(例えば、筋トレをやりたくなるかもしれないし、筋トレをサボりたくなるかもしれない)


「私」らしい美しさになる



身体が美しくなる、という意味でも

今の身体を美しいと思えるようになる、という意味でも

美しくなるのは簡単だ


簡単、楽、歓び、気持ちい、ほっとする、を選んでいくだけで「私」らしく、美しくなっていく


それだけを人生の指針にしてもいいくらい笑


それを選んで出来上がっていく身体、つくられていく人生は、そんな幸せが積み重なったものになるんじゃないだろうか🍑



怠けているから、頑張れないから、我慢できないから、レイジーな身体になるんじゃない


頑張ってるから、我慢してるから、ガチガチに緊張して体内が巡らなくなって、膨らんだり歪んだりする


ダイエットを頑張っているから、食事を我慢しているからという意味ではなく、もっと奥のその行動原理、自分に価値がないからと過剰に頑張ってやっている事、言えなかったりやれなかったり感じないように心が我慢している事だ


頑張って我慢して自分を抑えて、そんな "努力" をしているから今の気に入らない身体になっているのに、そこからまた頑張って努力して美しい身体にしようなんて大変すぎるし、つらすぎる。。


そりゃ、美しくなるために頑張ろう!と思っても心が反発して出来ないのは仕方がない


頑張って我慢して自分を抑えてるその "努力" から引いていったら、心が軽くなって、心と連動している身体も本来の美しさに戻る


成るのではなく、戻るから簡単なのだ


気持ちいい、楽、で元に戻っていくのだ



その、頑張って我慢して抑えているのが普通で当たり前だから、そこから引く方が、力を抜く方が怖くて大変なように感じる


良くも悪くも慣れているものが簡単にできるから


「私」に戻ると、"努力" して身体を緊張させたり膨らませたり歪ませている方がとっても大変で労力がかかっていた事がわかる


戻る方が楽で簡単なのだ


その「私」を抑えるために使っていた膨大なエネルギーを、「私」が人生を愉しむために使うのだ☀



美しくなるのは難しい、大変、我慢、忍耐、頑張らないと、という認識を変えて、簡単に楽に生きていいし美しくなっていい


頑張れないから美しくなるのを諦めるんじゃなくて、頑張れない人にも美しくなれる道はある


【美しい】と何を結びつけるかは、好きに選べる


もちろん、我慢して頑張った結果、美しくなれる、でもいい



美しく"なる" 必要なんてない、そんな概念すら必要ない、かもしれないし


今すでにこれで美しいんだ、と知ることかもしれないし


「私」の美しくないは誰かの美しいで、「私」の美しいは誰かの美しくないかもしれない





今の時期に咲き乱れている彼岸花で例えてみよう



フツウは蕾がまっすぐ上に伸びて咲くのだけど、この子は伸びる途中に周りの蔓草に蕾がひっかかったらしく、そのまま伸びようとして茎がぐにぃいと曲がって蕾も1つ折れてしまっている




しかし、どんな状態になったとしても、生命力に溢れていて、その歪な造形だからこそ美しい


それぞれの美しさがある


どんな事があっても、どんな造形でも花は咲くのだ



そして数日後見に行くと、蕾にひっかかっていた蔓草が外れていた

彼岸花の上に伸びる生命力が蔓草を振り払ったのだ


「私」を生きる事で、選ぶ事で、抑えている蔓を外していく

抑えていた蔓を外す事で、「私」自身が咲くためにめいいっぱいエネルギーを使える