修士の一年の頃書店でアウトオンアリムを買った。平積みになっていて、すごく売れていた。1987年だったかと思う。

 

 

 

 アウトオンアリムは今となってはピ系といわれる領域を開いた衝撃的な本で、女優シャーリーマクレーンのスピ体験の記録である。それを翻訳した夫妻が山川夫妻なのだけれど、この本を買って読んでいた僕には誰が翻訳したかなどはあんまり興味はなかった。

 

 やがて修士を卒業し、大阪の製薬会社に就職し、僕は入社して間もなく、ビーユーセミナーに参加した。あとでわかるが、ビーユーはもともとアメリカでやっていたライフスプリングというセミナーが輸入されて日本人向けになったものだった。このあたりのことを、別記事に書いた。

 

 ところで、アウトオンアリムを訳した山川夫妻も、実は自己啓発セミナーへの参加が発端となって国家公務員を辞めて翻訳家になるという人生に導かれたのだった、と最近彼らのYoutubeでたくさん語っている。彼らは日本で自己啓発セミナーを受講し、アメリカでライフスプリングを受けたのだそうだ。

 

 

 

 

 話がもどって、大阪にいた僕は、ビーユーセミナーを受け、そのころつきあっていた優美(後に結婚した)にも勧め、彼女もセミナーを受けた。彼女はやはり大阪の外資系の会社で勤めていたのだが、その上司であった女性課長がこういうことを言ったという。

 

----- 自己啓発セミナー? そういえば、私の親しくしていた友人が、やはり自己啓発セミナーをうけて、そのあとアウトオンアリムという本を翻訳して、高級官僚だったのに仕事をやめてそういう方面にいってしまったのよ

 

 優美は大学時代からの同級生であったから、僕が学生時代にアウトオンアリムを愛読していたのを知っていた。彼女の上司が山川夫妻の知り合いだったということなのだ。この上司は、上のことを語るとき、あの人たちはおかしなほうにいってしまった、といった軽蔑の言葉として語ったというよりは、なにか身を案じるような心配するようなふうだったと優美は言った。おそらくとても親しかったのだろうなと思っている。そのころ山川夫妻がタデウスゴラスの”怠け者の悟り方”(この本のころは高校時代にラムダス本で知っていたが日本語に訳される日が来るとは思わなかった)を翻訳上梓されていた。実はそのころおそらく山川紘矢氏がご病気で苦労されていたころだったと最近Youtubeで知った。

 

 結婚して4年後に優美はこの世を去り、僕は転職して播磨の山奥の研究所で働くようになり、時間は流れてずいぶんとたち、いまではYoutubeで山川さんが話しているのがいくらでも聞けるようになり、ライフスプリングの話をきき、なつかしくもなり、なにかまだ僕はなんかの流れの上に生きているのだという感じもしてくる。いやいや、ひとは皆なんかの流れの上にいるのだ。宇宙の中で大切な命という宝物をもらっている存在は、かならずなにかにもう一度つながり、なにかメッセ―ジを感じるように生きていくものなのだ。

 

  

 

 

Do to others as you would be done by. 

 

というフレーズを高校のころに英語の時間に習った。これはイエスの言葉なのだが、なぜか日本の高校生も言い回しの勉強として習うのだった。教科書には出てこないので、なんかのプリントか参考書から先生が拾ってきたと思う。

 

 もちろん、キリスト教徒なので、この言葉を知っていた。そして、このことばが、どうにも難しいなあと思っていた。

 

 自分がしてほしいと思うことを、他人にしなさい。

 

こういうキリストの言葉をOSHOラジニーシのような人は違和感を唱えるのだろうな。僕も、そうだ。

 

 なにか取引のような言葉だ。親切にしてほしいので、親切にする。それはだいたいわかるし、どっちかというとやっているほうだな僕はと思う。そして疲れたりもする。

 

 愛してほしいので愛する。これはうまくいかないときがある。

 

 いったい、僕は人からしてほしいことってあるだろうか? 仲良くしてもらいたいので 仲良くする。

 嫌いなひとはどうだ? 嫌いな人は、嫌い。あんたにはよってきてほしくない。離れていてほしい。

 だから僕があなたにしてほしいことは、遠くにいて消えてほしいということ。ゆえに私も

 あなたから離れ、あなたの視界から消えている。

 

 これは、どっか矛盾がある。

 

Do to others as you 

would be done by.

 

   イエスが直接僕に語っているのだとすれば、お前が本当に人からしてもらいたいことは何?

 と問いかけているのだろう。

 

 最近 ちょっとわかった。僕は、人々から仲間だと思ってもらいたい。と心の深いところで思っている。

 それは自然なことなのだ。なぜなら、宇宙のなかに分離はないというなら、仲間であるはずだからだ。

 

 しかしどうだろう。僕は、この人は仲間じゃない、とかこの人は仲間だとか区別をしている。そしてそのことがどこか苦しいと思っている。漠とした恐怖のようにも思える。

 

 そうだった。僕にイエスが言っていることは、お前の心の中での区別を落とせといっているのだった。

 人から仲間だと思われたければ、人を仲間だと思え。

 

思え、といわれても、思えないということがあるのだけれど、それがすこし奇妙なことに

思う必要もなく それはそのとおりのままだという気にもなってきた。

 

    たとえ向こうが仲間だと思ってくれなくとも

  本当は仲間でなのであるというゆるがない宇宙の真実があることを思い出せ

 

ということをキリストが語りかけてくる。(と僕は信じる)

 

今 ロシアとウクライナで戦争をやっている。

ずっとやっていると、憎しみのエネルギーが積み重なっていく。なんとか終わってほしいと願う。

仲間が互いに戦っている。強く、祈りが必要に思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

こういう本に出会えた。

 

大山泰弘さんというチョークを作る会社の社長さんが(1932-2019)書いた。

 

 

   大山さんの会社は従業員の70%が知的障害者なのだそうだ。しかし最初からそうだったのではなく、また大山さん自身もそういったことに無関心だったという。ところが養護学校の先生の強いお願いということで 2人の知的障害者の少女を短期間の体験実習のようにうけいれることになった。養護学校の先生は、最初は養護学校を卒業する少女たちの就職先を探しに来たのだったが、大山さんはそれは無理と断った。しかし先生は、この少女たちが、養護学校を卒業しても就職できなければ、福祉施設に入ることになり、一生仕事をして人の役に立つということを経験することがないまま生きていくことになるから、せめて仕事をするという経験だけでもさせてあげてほしいと頼み込んだ。

 

 期間が終わった時、おどろいたことに社員の中から彼女らを雇ってあげてほしいという声があがる。二人の少女の仕事ぶりはとてもまじめで、不器用に、けれども一生懸命仕事をし、そして喜んでいる。その姿に打たれたのである。それが始まりだったという。

 

 

 

 

   そこから長い年月のいろいろなことがあるのだけれど、

   いつしか大山さんは、他人がすこしでも幸せであるために自分の力をつかっていくということが

  実は人間の幸せの本質なのだということを、従業員全員とともに心底から見出していく。

 

 著書 ”利他のすすめ”から 抜き出す

 

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   今の若者はかわいそうだと思うことがあります

 まだ社会に出て働いた経験もないうちから

  「個性を大切にしなさい」

  「個性的でありなさい」

 と言われて育つからです。それで「自分探し」をしてみたり、ことさら人と違ったことをしてみたりする。

 そんな姿が、ときに苦しげに見えることがあります。

 

  ---中略

 

  神様は個性をつくったのではありません

  人の役に立つことを幸せだと思う人間を作ったのです。

  そしてその幸せを追い求めて努力すれば、おのずから「個性」は生み出されるのです。

 

 

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――――ところでわたくしこのたびエミー賞を受賞しました。

 

と寺西さんが唐突に、言った。

 


 

 

 今日の昼前くらいに、半導体チップへのアルミの蒸着がうまくいかないので相談するため静大にいるはずの寺西さんに電話したら、普通にすぐ出てきて、相談にのってくれた。それはシリコンの表面をフッ化水素で処理してからではないとうまくいかないですよ、といったこまかいことを教えてくれた。僕のほうに常識がないのでこういうあほな質問をしてしまったのであるが、快く教えてくれたあとで、ところで私このたび-----

 

  と軽く言い出した。

 

エミー賞?とはアメリカのドラマとかで俳優さんが受賞していたりするやつではないか!今回、エミー賞の工学技術部門での受賞となる。寺西さんが若いころ開発したイメージセンサはいまは世界のどのカメラにも入っているのだった。というわけで、映像の世界への大きな貢献が今回の受賞につながる。

 

 ちょっと前に紫綬褒章をもらってそのショット前にエリザベス女王工学賞 をもらって、日本の科学技術というものの輝かしさをいまだかつて灯し続けているこの人が、今度はエミー賞なのだそうであった。

 

――――おめでとうございます。

 

と僕は言い。

 

――――あともうノーベル賞くらいしか残ってないですよ、ノーベル賞は無いですか?

 

と聞いた。

 

  それは、このこれまでの仕事ではもうないだろうと思うと寺西さんは言い(いやそうでもないかもと僕は思う)、しかしこれからなんかいい仕事をしてそれからだねえと言う。企業を定年退職後も大学の先生になって研究を続けるこの人のバイタリティはすごいなあと思う。

 

 そういう寺西さんの生涯現役ぶりについて

 

―――― 今でもやってられるのは、定年退職してそっちにいたときに 流河さんといっしょに 放射光のセンサー開発のややこしいのにとりくんだというのが大きかった

 

 と、うそかほんまかよくわからんけれど、言ってくれた。そのシンクロトロン放射光/X線自由電子レーザー用のセンサーはたしかに開発が難航していたのだけれど、途中から企業を定年退職した寺西さんが参加してくれて瞬く間にいろんな問題を解決していってくれたのだった。流石に世界的なイメージセンサーの大家なのだった。そういう人が、僕のようなちっぽけな人生を生きる人間と、何年かの間、集中した仕事の時間を持ってくれたのだった。僕はまるで指導教官を得た学生のようにせっせと仕事して、センサーはどんどん仕上がっていった。その後、寺西さんは静大に移り、ここを去ったのだった。

 

――― それは、もしそうだとしたら、僕は人類に貢献したことになります

 

と僕は言った。こういう人とかかわれたこと。それも、人間としてこの時代と時間と場所にいて、こういう仕事をやってたからだなと思い、出会いの不可思議を思う。やっぱ人間が生きているのは、不思議なことなのだ、どこでどういう出会いがあるかは神秘、神の恵みだなと思う。

 

補足:  寺西さんは、東大生だったとき久保亮吾先生という統計力学(物理やっているやつはみんな知っている)の大家の研究室だったのだそうで、その寺西さんから直々に指導をうけた僕は、なんとなく久保亮五先生にも近づいた気がしてちょっとうれしい。

 

 

 

 

 

 

 先週、和歌山新宮の実家にいた。母と同居している妹に用事があり家を空けるので、替わりに介護休暇をとった。

 家事をして、母を介護して、ネットをつないでテレワークして過ごした。用事が済んだ妹がもどってきて兵庫に帰ろうとしていた時、突然母がしゃべれなくなった。音声を出してうなってはいるが言葉になっていない。

 

 看護師の妹が、明らかにおかしいと救急車を呼び、いっしょに新宮医療センターに乗っていった。僕は予定していたweb会議の司会を他の人にお願して医療センターに向けて後を追った。

 

 tPA(血栓溶解剤) のむやみな投与は大出血を招くことがあるので、様子をみていたら、自然に開通し、しゃべれるようになったと医師は言った。やはり脳梗塞だった。妹に替わって世話をしている間の薬の管理がよくなかったのだ。それでもいつも飲んでいる「血液サラサラの薬」は、半減期が長いから、それが効いたのだろうと医師が言い、MRIを見せてくれた。脳の断層のどまん中に小さな脳梗塞がある。僕は自分を責めたが、妹はむしろ、いよいよ今日僕が兵庫に戻ってしまうというのが引き金になったのだ、そういうことはよくあるという。母は、今日デイサービスから帰ってきたら僕が居ないと思うと、寂しすぎるので今日はもう行きたくないと言っていた。

 

 2泊3日入院することになった。母が退院するまで、新宮での滞在を伸ばすことにした。

 今、コロナで面会はできないので、短い入院でも母の認知症が進むことを心配した。たった2泊のことでそれはそんなにひどく進むものではないのかもしれないが、どんどんと老いていく母の命がしぼんでいくのにできる限りの抵抗をしていたいというむなしい努力、でありながら自分の親というかけがいのないものに対する精一杯の孝行をやっておかねば済まされない人間の性が業かわからないもの、それは愛か執着かはわからぬし、あえて解説する必要もない感情が、どうしてもなにかをせねばおれないのだった。

 

 医療センターで看護師として働いている古い知り合いに連絡をした。

 いろいろと入院中のアドバイスをくれた。

”おうちで使っている、見慣れたものや、家族の写真や、時計、カレンダーなんかあると良いといいます。面会受け付けが5時ごろまで、患者さんに渡したい荷物を届けてくれます。エレベーターホールのところです。”

 

 と連絡をくれ、認知症がすすまないように、短い時間なら電話してもいいのではと言ってくれた。というわけで、僕はクラウドにおいてあっていたいろいろな写真をDVDに入れてカメラのタオカでプリントしてもらって、面会受付(面会はできないのだけれど)から病室にとどけてもらった。

 

  二日後、元気に退院した。なにごともなかったように笑顔で母はしゃべれるようになってもどってきてくれた。認知症のせいで母は自分がなぜ入院していたのかわかっていない。退院の手続きも、コロナで病室に迎えにいけないので、時間外出入口のところで待っているだけだった。

 

 時間外出入口付近は薄暗い廊下に待合のソファがあり、そこに座って母の出てくるのを待った。早めに着いたので、割と時間があった。時間外出入口からは、いろいろな人が出入りしていた。僕のように誰かの退院で出入りする人もいたし、シフト明けだろうか、私服に着替えた病院のスタッフらしい人が何人か出ていったりしていた。

 

 白いナース服のベテランのような人が通って行って出入口の受付のところで何かを話している。

 しばらくすると、その人がもどってきて、お久しぶりといって名のった。

 

 しばらく会っていなかったからわからなかった。それはいろいろアドバイスをくれた同級生だった。

 

――――大事にいたらずよかったですね

と彼女は言った。

 

――――発見が早くて、家が広角だからここまで救急車も速く来れたし、それに消防署が近所なので、呼ぶと3分くらいで来たのです

 

と答え

 

 ー―お元気ですか

 

 と僕はつづけた。その人は僕の横に座って、近いものが見えにくくなったと言った。その凸レンズの眼鏡の向こうに、今もなつかしい昔の美しい目があった。それは初めて会った16の時とかわらないものだったけれど、長く医療の世界で勤め上げて来たどこか厳しいような強さが加わっていたと思う。この地域の広い範囲をカバーする大病院の看護師を統括する、このひとは師長の一人となっている。

 

――――  横田君は、毎朝ずっと話を配信してすごいね

と、その人は言う。

 

―― けどあれは、少年のときから あんなふうに すごい処理能力だった(そして。正しい人だった。。)。

 

 

 と僕は言う。(その”横田君”が生徒会長だったとき、この人と二人で幹事として生徒会長を支えて手伝っていた。)

 

  やがて病棟の看護師さんに、母が車いすを押してもらいながらやってきた。微笑んでいたと思う。母に、この師長さんにお世話になったのだと話す(*1)。師長さんは、は、階が違いますが、と言う。僕の母に初めて会ったその人は、母が僕とよく似ていると言った。言われてみてあらためてそうだなと思った。老いて縮んでいくけれど、僕はこの人の子孫であることに疑いようがない。やたらとくっきりした二重の濃い目の顔。

 

 師長さんは、車いすを押して連れてきてくれた看護師さんに、ここから私がかわりますと言い、母の車椅子をおし、出入口まで見送ってくれた。僕はどうもありがとうございましたと言った。

 

 

*1  母は市長さんと間違えている。車の中で、婦長さんという昔の言い方をしてやっとわかってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

本来シンプルである人間が 人々の顔色をうかがうとなにか

ややこしい人間になる それだけ人のことを気をつかうからだけれど

 

なんでそんなに気を使うんですかと言われると

そうさなあ 僕は実際 神の愛ってものを ほんとうには信じ切れていないから

なんとか自分でどうにかせにゃならんのではないかと

ちょっといつもびくびくしてるのさ

 

と正直者の僕は言う

 

さて今朝は

朝家族とともに おせちをならべて おめでとうございますと

まとものなことをやって 日本のささやかなお正月をはじめて 

今年の抱負とかいって それぞれが いろんなことを言う

孫は ことしは自転車をがんばる とかいう ふつうにかわいい

 

それで 僕の抱負はというと なんか恥ずかしいので言わなかったのだけれど

今朝 初日の出を家で見ながら (昨年の新築のこの家の二階から ばっちり初日の出が見える ありがたい)

一つ心に舞い降りて来たことがある

 

日の出が見える方向に 仏壇のようなかたちをしたキリスト教の仏壇もどきを

僕は飾っている 仏壇は西に置くらしいので これは仏壇の置き方ではないし いたしかたなくこのものを

僕は単に壇とでも呼ぼうか

その壇には十字架と マリアの像と 和尚の遺影と 位牌(のようなもの。正式にはカトリックには位牌は無い)と、

南無阿弥陀仏の札(大谷派の坊さんである妻の弟が書いてくれた)がかざってある。

それに床にヨガマットが巻いてある

まったく僕は八百万の神を信じているのである

 

その壇の上の窓から初日の出が上がる直前まで 壇の前に坐っていたとき

やはり 今年の抱負は 愛 だ と思った。

なんだかんだいって 僕は 本当には神の愛てものを信じきれておらんと つくづく反省する

 

そういうわけで 家族の前に はずかしいので それは言わなかったのだけれど

キリスト教の本質は 愛であり それがすべてだ それ以外は ちびたことだ

ことしの正月は帰省できず 故郷では妹と弟が母を囲んで正月して そろそろ教会にでかけるころだ

 

今年の抱負は 一年かけて ”神の愛” というものを 深く深く、わかる人間になろうということにしようと思います。

こっぱずかしい 抱負であるが 実は 僕が心底もとめていたのだと 今はわかる。遅すぎた”わかる”だと、また反省する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年は帰省しなかったが、1月の末に妹とバトンタッチして しばらく母を看にいくことにした。介護休暇というものをとって。

自分に孫がいるような人間になってしまったので、母を介護するというようなことにもなる人間にもなったのだった。

 

 

そういうふうに人間は順番でやっていって最後は生老病死とくるので、さすがに仏教の教えというものは

真実を如実に描きだしているのだ 一体何のため とかいう問いに若いころからつまづく人もいれば

この世のすばらしさを謳歌しながらけっこう長い勝ちを味わいつくる人間もいて 生物は競争の適者生存が進化を生むという

実に本能的なパワーゲームで希少なる君臨を目指して うしろから急き立てられるように 例えば受験勉強などをして

意味もわからない恐怖をモチベーションにして自分のどこか深い気持ちをいためつけている といったことが

大人になってもそのまま続ている というような人生を生きていて いんだろうか?

というところに来た時、意外と残りの人生はあんまり残ってない初老となっていて、まったく無駄に生きた

というようなことを悔いるのであった

 

といっても、古い日記など見ると 僕はいつもなにもかわらず 似たようなことを

言っている人間だということに 愕然とする。進歩ということ

は 僕にはないのかもしれぬ。

 

 

 さて今年の抱負だったか 七夕のお願いだったかに

 量子力学をマスターしたいというようなことを書いたのだ

 ところが僕は この量子力学というものを なんども何度も勉強もし またいくらかは仕事で使ってもいるような 人間だ

 それがなにか理解したり納得した感がない ファインマンは 量子力学を理解している奴なんかいない

 と言った。

 

 そんなところだ。それはキリスト教を理解する とか仏教を理解する とかいう言葉にかなり等しい

 そんなもんは理解できない 信じるくらいが関の山だが 信じてやってみて自分なりの信が生まれてくるとき

 それこそが 如是我聞 (私はこのように聞く)である。

 理解したつもりはないけれど、実験室で 光は粒として 何度も僕の目の前にすがたをあらわした

 あれはまぎれもない粒であって アインシュタインが言った通りだった そんなことは

 こううことをやっている人は日常茶飯事に見て来た 光子は数えることのできる粒だ

 

昨今 量子力学がスピ系と結びついて 人間の意志が世界を作っているとか だから ひきよせ

 とかいう 話を語っている人たちがいるのだけれど

残念ながら 量子力学での”観測”というのは、実は人の意志と関係ない。人がいなくても、たぶん

波束は収縮し、光子は一個ずつ仕事をする。僕が診てなくても検出器の予想できない位置に確率だけを頼りに光子がチャージを出現させる。

 

 

 上の本を再読した。僕が思っていたようなことをちゃんと書いてくれていた。量子力学の”観測”は、確率の波が、具体的な結果として現れてくることを言うのであって、それは人がいなくても、どこかで確率の波がなにかと相互作用して具体的な結果を生む。それは起こっている。だから人がいなくても量子力学の法則にしたがってこの世界では何かが起こっている。

 

 しかしこれはいったいなんだ。なぜそうなっている? わからない。人は自然のことを本当は知らないけれど、自然をよく観て 俳句を詠むことができる。そこに我が入るといやらしくなる、と俳句をやる人から聞いた。

 

 今年の終わりに、やっぱり僕は 量子力学の数式と格闘しながら、来年もあいかわらず格闘していようかなという抱負を抱いている。これは永遠の格闘ということで、僕の人生はいいんではないか。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     真空の何もない空っぽの空間にエネルギーがもたらされてある閾をこえると、光子が生まれてくる。けれども光子が励起されていない空っぽの空間にも、もともとエネルギーがみちている。それを真空場が持っているゼロ点エネルギーと言う。ということは量子光学の教科書を開けば本当に書いてある。しかし、その場には、宇宙で起きた過去から未来へ渡る永遠の事象がそっくりそのままホログラフィーとして記録されていて、しかもそっちが我々人間の本体であって、個々の人間は肉体が存在している間だけ機能する端末にしすぎない。ということはどこの教科書にも書いて無くて、この田坂本には書いてある。

 

 田坂先生は、もともとが量子力学の応用を(原子力工学:田坂さんのころはおそらく花形だったと思います)学んだ人であるから、いいかげんに言っているのではなく、そういう研究もいくらか出てきているのかな、とは思った。

 

 しかし、光の物理というものを学んできた者の一人として、上記のSF的ストーリーと、物理学がきっちり結びついているとは正直思えない。大栗博司さんという(けた違いの天才だ)という先生が言っていることをネタにしたのかなとも思ったが、そっちは純粋科学で、どこにもトンでも系のノリはない重力の理論だった。だからこれはリンクしてない。というわけで、実は田坂さんが、なぜそういうことを言いだしているのか、ほんとのところまだ出典がはっきりしない。英語のサイトをググってみると、いくらかそういうものがあったのだけれど、それらの著者を調べると、どうもプロの科学者ではないことが多いようで、さてどこを見れば田坂さんの原典が見つかるのか実はわからない。これをまじめに読んでくれる人がいたら教えてほしいというのが正直なところです。(田坂広志さんと大栗博司さんといっぺん対談でもしてください。どっちもヒロシだし。どちらもいわゆる一流人だし。ありえる。)

 

 それにしても、”死は存在しない”と挑戦的なタイトルだと思う。副題が、”最先端量子科学が示す新たな仮説”であり、これも挑戦的だなと思う。ほんとに最先端量子科学が示しているかというと、上述のごとく正直僕はそう思えない。(だから田坂さんにはリファレンスに原典は示しておいてもらいたかったとちょっと思ってます。)

 

 この本では、死んだら上述のゼロポイントフィールドに存在しているホログラフィで書かれている記録にもどるのだと言う。そしてその記録こそが我々の本体だという。田坂さんは、この本の中でも、これはゼロポイントフィールド仮説といって、科学的に立証されてないけれど、そうなんちゃうかなと言っているだけのようである。しかし、同じようなことを僕は昔、中野真作さんから聞いたことがあった。

 

 僕はカトリックだから神様に審判されて天国か地獄かどっちかにいって終わりと思っていた子供だったが、それが少年期の終わりごろに輪廻転生ってことがあると何かで読んで(高橋信二だったか丹波哲郎だったか)、どことなくそっちのほうが本当のようなぞくぞくする感じを覚えたのだった。なんでぞくぞくするのかわからないけれど、どっか深いとこで本当はそうなんじゃないかなと思っていたのか、あるいは人類共通の深い願望なのか、キリスト教の言う審判されて天国地獄ということのほうがどうにも作り話のように思えてならなくなった。

 

 そんなわけで、人間が輪廻転生するということを、どっか体の芯のほうで受け入れてしまったのだけれど、昔からいろいろな人がいうような矛盾も感じていた。私が誰かの生まれ変わりだとすると、その前の自分はまた誰かの生まれ変わり。そういうことをずっとつづけていくと、僕はどっかの原始人の生まれ変わりであり、そいつの祖先は。。と続けていくと、ダーウィニズムを受け入れる限り、いつかは恐竜だったり魚だったり、アメーバだったり、細菌だったり、という先祖に転生していた自分がいて奇妙なことになってしまうのである。輪廻転生の物語にはどこか嘘がある。人間は人間にしか生まれ変わらないのか、花にもなれるのか。これはいったい何の話なのだ???

 

  そういう疑問を中野さんに言ったのだったと思う。すると中野真作さんは、面白い答えをくれた。(あれはいつのころだったか。もうずいぶん前だ)あのメールをとっておけばよかったなと思う。だいたいこんな返事が来たと思う。

 

――― 私は個人としての魂というものが輪廻するということは無いのだと思っています。人間は死ぬと大いなる命にもどるのだと思っています。

 

 中野さんはちょっとエックハルトトールとも似ていて、なにか心霊的なものを見たとかいう人ではないのだが、生命そのもののの癒しということを深く経験して来た人でもあるので、上の彼の言葉は、そういうふうに”感じます”ということだと僕は思うのだけれど、これを聞いたときに、僕はやはりぞくぞくするような本当のことをきいた気がした。

 

 そうだ、これに違いない。だから私の前世がどこらへんからクロマニョン人になるかというようなことを心配しなくてもいい。人間がみな死んだら大いなる命にもどるのだ。

 

  けれども、世界各地に言われる転生とか前世の記憶というのはなんだ?と思ったとき、ピンときたのは、そうだそれはでかいマザーコンピュータのようなもんだ、ということだった。

 

 その大いなる命には、たしかに死んだ私の父や、妻やそれらの記憶がしっかり残っていて、転生ということが起きるとき、そこにその記憶を潜在意識にダウンロードでもした個体が発生するのであろう。すると、僕がそれらの人を亡くして喪失感にさいなまれているときに、なぐさめになるものは無くて、そのマザーコンピュータに単なる記録があるだけだ。。。。ほんとに死んだら大いなる命に戻って終わるなら、あのなつかしい個人と天国で再会することは絶望的に不可能なのか。

 

  とむなしくなるかに思えたとき、急に一つの直観が芽生えた。いや違う、そっちが本体なのではないか。そっちが本当の生命のほうだ。そっちの世界、マザーコンピュータの莫大な世界は、僕らがわかっているコンピュータの中のアーカイブのようなものの概念を超えているのかもしれない。こっちの地球の狭苦しい物的世界をはるかに凌駕しているのではないか。もっともっと光にあふれた本源なのではないか。そっちには、一つながりの生命の合唱があって、高らかに笑っている世界があるのではないか、そして個人としてのあの人も、ちゃんと存在させ得る”可能性”としてしっかりありえるのではないか。会いたければ会えるのではないか。本当のその人に。。という考えが湧いてきた。

 

 今回この田坂さんの本を読んでみると、これがまた酷似したようなことが書いていあるのであった。そういうわけで、もちろん田坂本にソースのリファレンスがないことが残念なのだけれど、これは一般向けの本だから仕方ないし、そこに目をつむれば、どうにもインスピレーションを与えてくれる一冊だったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

田坂塾 から水曜日にメールが届き、入塾が許可された。

 

ある日、”死は存在しない” という怪しげなタイトルの本がAmazonのお薦めに上がって来たのだった。

 

 田坂広志という人が書いたものだった。この人のプロフィールをwikipediaで見た。もともと理系で研究者だった人が、シンクタンクの世界で実績をあげて成功し、内閣官房参与なども歴任したような超絶バリバリであった。大学教授でもあり、いくつかの会社を作った人でもあり、経営者向けに数々の講演を行い、上述”田坂塾”なるものには7,000人くらいの、いろんな分野の人がいるとのこと。それに入塾申し込みをし、水曜にメールがきたら許可ということだった。一応、入塾動機とかを書いて送り、田坂さんが読んで判断して入塾許可となっているらしい。

 

 田坂さんは東大の原子力工学で博士をとった人であった。三菱金属で技術者としてのキャリアを積んでいたが、30代のころに大病を発症し、もはや絶望的と思われたとき、ある禅僧(名前は明らかでない)のもとの修業がきっかけとなり、”命がある限り今日一日を大切に生きよう”、という考えがに至った時奇跡的に治癒した(完治には長くかかったが)という。その後、なぜか直観が冴えわたるようになり、シンクタンクの世界に転身し、いろんな苦労もしたが多くの実績を上げて今に至る、というような人だった。偉人だなあ僕には到底無理と感嘆した。

 

 僕は資本主義社会においてビッグマネーが動く世界などとは無縁の人であった。もちろん国の研究所の研究員をしているので国家予算とは関係が深いのだけれど、ビジネスの世界を泳ぎこなしている経済とか国際社会とか大人な世界とは無縁の個人であった。とても僕は世を動かすような人ではありえない。だから田坂さんのようなキリっとした面持ちの経済人の成功哲学はちょっとうけつけない、のであるよ僕は。。。と思っていた。

 

 

 

 

 

  けれども、これを読んで、考えが変わった。Youtubeの田坂チャンネルも見たら、上の写真よりは今は少し老けて優しげな田坂さんが語っている。もともとこの人は大病(著書に明らかにしている場合もあったように思う。おそらく癌)が機縁となって禅僧(誰なのかは明らかにしていない)のもとで何かをつかんだ人だった。ということで、”死” というものと深く向き合うということを経験した人だった。だからこそ、その華々しい業績の根底には、彼の生き方、というものがある。

 

  

 この本の中で(ほかの本も実はそのあとたくさん読んだんで、他でもこれを語っているのだけれど)、

 ゼロポイントフィールド仮説というものを彼は語っていた。これは、僕の理解した範囲を言葉で表現すれば、

 

―――― 人間の精神と生命の根源は、実は真空(からっぽ)の世界から生まれてきた宇宙の原因とみなつながっている。

そのことにはちゃんと量子力学の理屈がある。

 

と読み取った。田坂本がこういう書き方で書いているわけではないけれど、エッセンスはそういうことだと感じている。  

 

 上述の通り、田坂さんはもともと東大で原子力工学の博士を取得した人でもあるから、巷にあふれかえる”量子力学スピリチュアル”と一線を画していることを僕は期待してしまったけれど、田坂本をいくつも読み、またゼロポイントフィールド仮説、なるものを検索もしてみたけれど、確固とした論文とか研究とかは見つけられなかったので、まだまだ量子力学スピ系の域を脱してない者ではあるのだろうなというのが正直なところの感想です、田坂先生すみません。

 

 といいながら、しかし、前掲著”死は存在しない ~  先端量子科学が示す新たな仮説”を読みながら、いくつものポイントで、僕は、これを本当はもともと直観的に知っている、もしくは、こうなっているのではないかと感じていた、と思えた点がいくつもあった。また田坂本は、いわゆる金がもうかるとか、ひきよせとかいう、サクセス話とも違っていて、深さがある(と僕は感じた)。だから、どうしても放っておけない気持ちになった。だから、少し書いてみようと思った。 (つづく)

 

 

 

 

 

人にすすめられて、

 

 

を読んだ。

 

  絶版でアマゾンで高値で取引されている。運よく図書館にあったので読めた。

 

  著者エンリケバリオスは、体験談として書いているのか創作として書いているのか明らかにしていない。しかしこれを読んでいると、既視感がある。こういうことを心のどこかで知っていた。

 

  僕はこの地球という星だけに人間が孤立して”いる”ということが、奇妙に思える。

”宇宙人”などというと、また怪しげなことを言う、と思うだろうが、宇宙にある星の数を考えてみれば、どこかに思考能力を持ち、かつ我々の文明を凌駕した”人たち”というものがあってもおかしくない。

 

 しかし宇宙人を、まだ我々は見たことがない(とまともな人は思っている)。アメリカの政府の中枢は会っているという話があっても、普通には真に受けない。僕も真に受けてない。だから僕らはいまのところ、普通は宇宙には人間は僕らしかいないと思っている。地球人はものすごい人口になってしまったから人間だけで十分で、未知の外界の人のことを考えなくても知らない人はどっさりいる。

 

 しかし、それではなにか寂しいと思う。この宇宙に地球人しかいなくて、その地球人というものが、いまだに戦争などをして互いに疑念をもってしんどい生活をしている。あるいは職場でストレスフルに生きている。ひきこもって孤独な人もいる。鬱積した”地球”の姿が見える。SDGsといい、この地球の生命をつないでゆこうと言うのだけれど、一体なんのため?というニヒルな思いもすこしある。常に生命の継続のブレークスルーは閉鎖系ではなく、開放系に向かうことにあった。宇宙に隣人が、それもどっさりいてくれたほうが、とても安心な気がする。という思考が、この”アミ”を読んでいると湧いてきた。

 

  ところで、話が飛ぶのだが、こないだノーベル物理学賞をとった研究は”量子もつれ”ということについてだった。彼らは光子を使ってそれを示した。僕は、前回と前々回の記事で光のことを書いていたので、その間にこのノーベル賞の話題も書いてみたいと思っていた。

 

  どんなに遠くに離れていても一瞬のうちに伝わるものがある。という不思議を彼らは示した。二つの量子がもつれあっていれば、それが可能である。この物理学賞に先立つずっと以前に、ボームという人が、実は宇宙は分離したばらばらなものではない、ということを主張した。

 

  これと宇宙人がいるということと、なんの脈絡があるんですかと言われると、うまい説明を僕は書けないのだけれど、その量子もつれということがある、ということと、どこかに宇宙人がいる、ということの間に、なにかつながりがあるように感じてしまうところがある。ちょっとSF的ですが、何万光年も隔たった宇宙の果てに住む者たちと、私たちを、その空間的なへだたりを障壁とすることなくつなぐてがかりが、見つかるのではないかというような。いやすでにつながっているとでもいうか。