修士の一年の頃書店でアウトオンアリムを買った。平積みになっていて、すごく売れていた。1987年だったかと思う。
アウトオンアリムは今となってはピ系といわれる領域を開いた衝撃的な本で、女優シャーリーマクレーンのスピ体験の記録である。それを翻訳した夫妻が山川夫妻なのだけれど、この本を買って読んでいた僕には誰が翻訳したかなどはあんまり興味はなかった。
やがて修士を卒業し、大阪の製薬会社に就職し、僕は入社して間もなく、ビーユーセミナーに参加した。あとでわかるが、ビーユーはもともとアメリカでやっていたライフスプリングというセミナーが輸入されて日本人向けになったものだった。このあたりのことを、別記事に書いた。
ところで、アウトオンアリムを訳した山川夫妻も、実は自己啓発セミナーへの参加が発端となって国家公務員を辞めて翻訳家になるという人生に導かれたのだった、と最近彼らのYoutubeでたくさん語っている。彼らは日本で自己啓発セミナーを受講し、アメリカでライフスプリングを受けたのだそうだ。
話がもどって、大阪にいた僕は、ビーユーセミナーを受け、そのころつきあっていた優美(後に結婚した)にも勧め、彼女もセミナーを受けた。彼女はやはり大阪の外資系の会社で勤めていたのだが、その上司であった女性課長がこういうことを言ったという。
----- 自己啓発セミナー? そういえば、私の親しくしていた友人が、やはり自己啓発セミナーをうけて、そのあとアウトオンアリムという本を翻訳して、高級官僚だったのに仕事をやめてそういう方面にいってしまったのよ
優美は大学時代からの同級生であったから、僕が学生時代にアウトオンアリムを愛読していたのを知っていた。彼女の上司が山川夫妻の知り合いだったということなのだ。この上司は、上のことを語るとき、あの人たちはおかしなほうにいってしまった、といった軽蔑の言葉として語ったというよりは、なにか身を案じるような心配するようなふうだったと優美は言った。おそらくとても親しかったのだろうなと思っている。そのころ山川夫妻がタデウスゴラスの”怠け者の悟り方”(この本のころは高校時代にラムダス本で知っていたが日本語に訳される日が来るとは思わなかった)を翻訳上梓されていた。実はそのころおそらく山川紘矢氏がご病気で苦労されていたころだったと最近Youtubeで知った。
結婚して4年後に優美はこの世を去り、僕は転職して播磨の山奥の研究所で働くようになり、時間は流れてずいぶんとたち、いまではYoutubeで山川さんが話しているのがいくらでも聞けるようになり、ライフスプリングの話をきき、なつかしくもなり、なにかまだ僕はなんかの流れの上に生きているのだという感じもしてくる。いやいや、ひとは皆なんかの流れの上にいるのだ。宇宙の中で大切な命という宝物をもらっている存在は、かならずなにかにもう一度つながり、なにかメッセ―ジを感じるように生きていくものなのだ。