その年の1月には、僕は研究室が決まって、サークル(管弦楽団)も退団して、実験室に入り浸る日に入っていた。3年の三学期の終わりごろで、だいたい授業も取り終えて、来年度は卒業研究をやって、修士の入試をやって、といったころだった。

 

  先輩たちと一緒に晩飯を学食で食べて、研究室に戻る道すがら、第一学群棟で今日はオケのパート練習をやっていることを思い出した。いつもなら、退団してしまったサークルに先輩面して見に行くなんてことは躊躇してしまうのだったが、なぜかその晩は見に行ってみたくなった。

 

 3階に上がっていくと、練習の音がせず、何人かがひそひそと立ち話している。なんか変だなと思うが、ひとまずビオラの練習している教室に行ってみようと歩いている。そこに2年のホルンの後輩が僕の顔を驚いた様子で見つめていう。

 

 

ーーーーMさんのことは聞かれましたか?

 

いいえと僕は答える。ホルンの後輩はたしかこういう言葉でそのことを言った。

 

ーーーー自殺されました。

 

 僕は目をまるく大きくあけたと思う。それからどんな時間が流れたか、順を追って思い出すことはできない。

 医学棟の霊安室にその人の遺体があり、その人の幼い顔で眠っていた。詳しいことはわからなかったが大学のキャンパスで一番高いF棟と呼ばれる建物からの飛び降りだった。

 

  僕の高校から来た後輩であり、同じ学部に進学してきた少女だった(なくなったとき19歳だった)。オケにさそい入部した。楽器の経験がなくて苦労していた。ときどき練習を見てあげた。夏に帰省したときに、筑波にもどる汽車がいっしょだったので、いっしょに筑波まで乗っていった。見送りにきた母が、この子らいっしょに行ったり来たりするようになるかしらんといって、どこか喜んでいた。たとえばこの子と将来結婚して地元にでも帰ってきてくれんやろうかとか思ったのかもしれなかった。那智の人だったので、あのころは先に那知からくる汽車に乗っていたのだろうか。母は、一人不安そうに乗っていたその子が、僕の姿をみてとても安心したようになったと言った。

 

  あのときの母は同じような年齢の娘を持つ親でありかつ、未亡人になって2年たったころだったので、いろいろと子供たちのことを案じたり、そして母子家庭となって大学生をかかえ働きながら、忙しさの中に沢山の思いを錯綜としていただろう。母はそんな目で僕らを案じ、見守り、1986の冬に、その人の訃報を聞いた。たしか僕が電話して伝えたような気がする。

 

  遺体は勉強好きだった個人の意思と考え、ご両親が筑波の医専に献体した。この子の父親は教師で、その父親の兄弟も教師であり僕が小学校の時に習った先生だった。新宮市で葬式があり、新宮までオケの何人かが行って参列した。僕も参列した。

 

  遺書があったと言われている。僕のことなどは書かれていなかったのだろうと思う。その後2度ご実家を訪れて仏前に参らせてもらったが、ご両親から何か問われたことはなかった。2度目に訪ねたときは写真は外してあった。遺書には、自分が勉強する意欲がなくなったことを悩んでいたようなことが書かれていたらしいと聞いたことがある。

 

  僕のいた学部(第二学群農林学類ということであった。いまは生物資源学類という。)の仲間は仲が良かったので、その人が亡くなってみんなが悲しんだ。そのときみんなでささえあっていたように思う。僕は楽器経験もないその人を無理にオケにさそったことを悔やんだ。Y田(という同級生)はそれをきいて

 

----  湯川ちゃんは、Mさんに知らなかった世界を見せてあげたんだから、それは彼女にとってよかったはず

 

と慰めた。そうだといいなと思った。それでも、あんなにマジなオケにほうりこんだことは、やはり無責任に思えた。そのことと、このことがどれくらいつながったか計り知れないが、起きたことにはすべてのことが絡み合って起きている。彼氏がいたとも聞いた。どんな学生生活だったのか。全てはわからない。

 

  そんなことを、さっき急に思い出した。そしてこんなことを深く思った。そうだ僕は、すこしも幸せである必要なんてないのだった。自分の幸せになんて求める必要がないのであった。その人が精一杯の命を短く断ったときに、その人があったであろう幸せを得る暇もなくその物語は終わった。その人が青春の頃を過ぎていろいろな無数の出会いがまだあって、生活をして面白かったり怒ったり泣いたりしたかもしれない時間をすべてその日にやめたのだった。だからそこにはこの三次元世界の幸せをゲットしないまま去った一つの人生があった。僕はその人の純粋すぎるキャラクタを今でも覚えていて、その人はもしもそのあと生きても決して人を押しのけて自分の得をゲットしようとするような人ではなかったとわかるので、その人生はもしかするとやはり苦しいものであったのかもしれないと想像もしてしまう。

 

 僕はあの日から実はただ淡々と生きてればいいだけの人間なのだった。なぜなら、あの人が死ぬのを僕は止めれなかったのだったからだ。最期に会ったのはたしか筑波にそのころ在学していた新宮高校の卒業生で会ったときだった(その後僕が進学した医科学修士の教授が二人も新宮高校の先輩だったのだ。その先生らが毎年集めてくれた)。その会合のとき、何故僕はなにか話してやれなかったのだろう。けれども時間は流れ、その瞬間は過ぎ去り、もうあれから40年もたとうとしている。40年僕はなにをしていただろう。急にこれを思い出して、僕はもうあの瞬間に止まってしまった命を思うとき、なにか自分の幸せのようなものを亡者のように求める人生を禁止されているように感じるのだ。それは罪悪感とかではないと思う。真実を生きねばならないということを、奇妙な回路を通ってその出来事は教えてくれているように感じるからなのだ。

 

 それゆえに、天に上った彼女は今も語りかけているということを、心底信じようと思う。自らを断ったその魂はしかし、かならず神がひきとって宇宙を満たしている幸せの命の源に返したと僕は思う。僕らがいつかは還るそこへ。そこには、その何年かあと僕が妻とした人もまた短い生を終えて還っていったのだった(それからも30年たっている)。それらの魂のあるところは、この今生きている世界のように無駄に戦ってお互いに損をさせあって苦しんでいる世界とはちがって、もともと人が無限に幸せだという真理に満ちた世界だ。人生というものはそこから来た僕らが、そこへ還るだけだ。そんなシンプルなことを僕は、結局学ばねばならなかった。それでもそれが一番結局大切な学びだった。

 

 

 

 

 

 

今日、テレビを買って持っていった。老人ホームの母の部屋に。

孫が来るのだ。孫というのは松戸に住む私の姉の娘であって、こないだ結婚したのだけれど、このGWに岡山が実家の旦那さんを連れて祖母に会いに来るというわけであり、結婚式のDVDを持ってくるという。祖母さんの部屋にはDVD見れるもんがないというと、姉や妹がてDVDとかブルーレイとか見れるテレビくらいとっとと買ってやれという。(この孫と違って、僕がときどき連れて行く小学生は僕の孫であって祖母にとっての曾孫で、やれやれややこしい。)。

 

そもそも婆さんは新宮にいたころからもうやることといったらテレビしかなかったのだから、

こっちにきてプレザンメゾンに入って半年もよくテレビ無しで過ごせたなと彼らは言う。

 

しかし、もしも母がそのうち亡くなったら、買ってあげたいろんな家具をひきとってここを引き払って持って帰ることが

なにかとても悲しいような気がして、なんとなく気が進まなかった。テレビはホールにもあって、皆さん一緒に見ていることも多いし、部屋に閉じこもってテレビばかり見るようになったらよくないかなというようなことも考えた。施設長さんも、テレビは皆さんお持ちですが、あんまり見てないですよと言った。というか母自身が私はテレビなんか見ぬと言い張っていたのでもあった。

 

しかしながら残された人生、苦労させたお母ちゃん(兄弟は子供のころから母をお母ちゃんといってきた)に好きなだけ好きなテレビにせてあがてやってくれろ、というのはもっともな話で、単に私がケチっていたということでしかない。見ようが見まいが買ってあげよう。

 

なにしろこのたびは可愛い孫(もう30だが)が来る。そのめでたいDVDをおばあさんに見せながら孫が大切な時間を過ごしにくるということに貢献せねばならぬと考えて、けっこうお高いテレビ+DVD BLUE RAYとテレビスタンドと、ケーブルとかなんかもろもろ買って、持っていたのでした。うちにあるテレビよりでかいやつである。

 

おばあさんはそれで相撲を見るのか好きなはずと妹は言う。5月に夏場所というのが始まるのに間に合った。

 

設置に手間取ってプレザンメゾンから帰って来た。リモコンの操作ができるだろうかこの人は。

帰り際には城崎から来て入居しているお友達(なんか品の良い方で旅館の女将だったのではないだろうかと僕は思っている)と仲良く夕食の席に行きました。それぞれ歩行器と車いすで。

 

晩7時ごろ妹が電話した。7時のニュース見るから忙しいといって電話切られたという。

テレビは気に入ったようである。

 

 

 

ひさしぶりに母のことを書くのだけれど、実際には毎週土日に会いに行っている。プレザンメゾン姫路広畑に昨年11月の半ばに入って、もう半年たってしまった。半年の間、僕は毎週土日に必ず会いに行っていた。

 

 7時間かけて、こっちに連れてきたあの日のことを僕はずっと忘れないのだろう。ぎりぎりまで、新宮市の介護施設に入れて帰ってくることを悩んだあげく、どたんばでお断りして兵庫に連れてきたのだった。体力がなくて、途中休憩しても車いすもなくて出られない母を、ノンストップで車で連れてきたのだった。つまりトイレもいけないからオムツ頼りで。命をすり減らすような旅だったので、母は新宮にはもう帰れないのやねと、道すがら言った。

 

 長旅で母といろいろ話した。母は若いころ大阪にいたことがあるはずという話をした。おじさんについてきたと言った。そのおじさんは知っている。淀川のほとりに住んでいた。僕が高3のとき東京で模試を受けたが台風で帰れなくなって大阪どまりで世話になった遠い親戚のおじさん(僕の祖父の世代の)。18の母はその大阪のおじさんについてきてどこかの女中のようなことをしていたとかいう。それは昔聞いた話と違う。母はある会社で勤めていたはずだった。いろんな記憶は遠すぎて母の脳の中で違うものになっていっているのかもしれなかった。実は、それはいろいろと哀しい話のはずだったが、もうそんなことも覚えていない母の記憶は、そのほうがよかった。母は哀しく大阪を去って故郷の熊野本宮に帰り、そこで田舎教師として赴任していた若き父と出会ったはずだ。そんな会話をしながら僕は大阪を超え神戸を超え、西播磨にまで至りついた。

 

 それから数か月、僕がこの龍野に建てた家に母は住んだ。トイレの位置を覚えることができないほど認知症が進んでいたことを初めて知った。デイサービスに行くとなぜか人気者になる母。姑の汚れ物を世話してくれる妻。三か月がすぎ、さがしまわったがあげく、新規オープンした姫路広畑のプレザンメゾンという老人ホームに入ってもらった。看護師さんも日中は駐在しているので母は最初病院に入院していると思っていた。やがて他の入居者からここは老人ホームやでと聞かされて、おどろいていた。

 

 あれから半年、僕は毎週二回会いにいき、ときどき曾孫もつれていき、ときどき妹が名古屋から会いに来て、姉が千葉からきて、正月には弟もきて僕の家に滞在して毎日母に会った。そうこうしていると、母にとっては新宮にいたら盆と正月にしかこない子らが、よく会いに来てくれるような気にもなって、やがて、

 

  --- ここに来てよかったんやねえ

 

と納得しようとしてる。実際和歌山の南端の新宮よりもここは兄弟にとってアクセスがずいぶんよくなった。介護士さんたちは、”おかあさんはなんかかわいいですね”という。何かの世話してもらうたび、どうもすみませんとすまなさそうに言う母を、介護士さんが、”少しも気にすることないのですよ”と言っててきぱきといろいろしてくれる。新規オープンしてから半年で、だんだん施設自体も運営に慣れてきて、レクレーションも毎日手を変え品を変えいろいろしてくれている。レクの時間に面会にいくと、すごく活気あふれるように盛り上げてくれている。新しい施設は介護度低く発足するから活気がありますが、二年もするとどんどん変わっていくものですと、入った時に提携病院の人から聞いた。

 

  数年前から新宮の実家に帰ると、もう動けなくなくなってしまった母が何もすることもなく寝てばかりいて、当時同居の(僕の)妹が心配しつつも仕事があるので、とにかく事故無き事を祈って仕事に出ていくという生活であった。デイサービスに毎日いく体力でもなかった。だからこっちにきて、施設に入って元気になったように見えると、正月に来た弟は言った。どんどん元気になって永遠に生きている。そんなわけはない。人間はなんて矛盾なのでしょう。

 

  それでよかったかどうかなど、全然わかりません。故郷にいて時間をすごさせてあげたかった気持ちしかないけれど、これしかできなかったという無念ばかりある。これからどうするんやという不安ばかりある。いたしかたない。とにかくこうなった。長男だからせにゃならんとかそういう古い考えでもない。僕が末の弟であれなんであれ、やはり母をこういうふうに最後はみたのだろうと思う。マザコンだからと、僕は言う。それでよい。マザコンだ。ほっておくわけにいかない。それでこうなった。そしてまだ続く。こういうのを愛というのか。そうだ間違いなく僕は母を愛している。よぼよぼの母と、若きころの母の間に60年の時間が横たわっている。まだ生きている。命ということの不思議と、大切さをこうして学んでいる。これでよかったとか悪かったとか、まったくわからないけれど、こういうふうに心配して、どうしたらいいのだろうかと、それぞれの一家が悩む同じ悩みを悩む。最期に別れがあるという決まり事にむかって、とにかく時間を大切に生きようとするのだみんな。みんな同じことを悩むのだな。

 

 

 

オッペンハイマーの感想をもう一つ。

 

トリニティ実験のシーンである。秒読みから、点火、遠く離れた位置でたくさんのプロジェクト参加者の面々がサングラスをかけないと見えない異常におおきな光を見る。それからけっこうな時間がたって音と爆風が押し寄せてくる。

 

いろいろな映画で繰り返し映像化された核爆発の光の、オリジナル、歴史上人間が初めてみた光がそこにある。

 

 

トリニティとはインドの3神のこととも、キリスト教の三位一体のこととも言われている。オッペンハイマーがその名を付けたといわれている。この実験の時点で、彼等プロジェクト参加者の面々は、これが本当に人間を殺すのに使われるということをまだ経験していない。けれども、おそらく彼らは物理学が解き放つ、物質の中に蓄えられたエネルギー(E=mc2)ーは化学結合の組み換えで起きている普通の燃焼とは桁がいくつも違っていることを実際に見てみたいという探求心が勝っていたのではないだろうか。この実験にトリニティという名前を付けたオッペンハイマーは、これが殺人兵器と知りながらも、なにかロマンのようなものを感じていたということをうかがわせる。

 

 

 そしておそろしきことかな、映画を見ている僕自身が、このまぶしい映像、立ち上がっていく夜に光るきのこ雲の高さに、なにか形而上的な”神”的なものを感じてしまうのであった。それは美しいということなのか、おそろしいということなのか、とにかくなにか”神”である。(その荒ぶる神を、実際に日本というこの国に、2つも落として行ったのであった。ここで、僕がこれを美しいとか神とかいいうふうに表現することは、倫理上問題があるのは承知しているのだけれど、この映像を見ていると、彼らが”神の領域”とかいうものに肉薄してしまったなにかぞっとするような感動を分かち合わされてしまう。そして、それがどんなに悲惨な結果を我が国にもたらしたかを知っている僕らは、優秀な頭脳の面々がワクワクするような仕事が、こういうことにつながってしまうという異常な光景は結局一つの狂気だったとしか言えない。)

 

オッペンハイマーは、原爆を作り出すが、使うかどうかを決めるのか自分ではないという立場をとった。けれども、作り出してしまえば”使える”という立場を人間は手に入れる。

 

物語は、ドイツが降伏、ヒトラーは自害し、日本も度重なる空襲で降伏寸前という状況を踏まえ、研究者たちが、もうこの爆弾を人間を殺害するために使わないでもいいという状況になったことを喜ぶシーンがある。けれども、オッペンハイマーは、これを完成させなくてはならないと断言する。複雑な心情であるが、そこには莫大な予算をつぎ込んだ国家プロジェクトを背負った人間の苦悩も見て取れる。結果を出さなくてはならない。そして、もう一つ結果を見てみたい、という内面からの欲求。完成させはするが、そのあとどう使うかは使う立場の判断にまかせる。そこまでが自分の仕事。仕事に忠実である、やるといった約束を守るということが、仕事する人間の形として美学としてまた、自己の主張した”やれます”と言う言葉のプライドをかけて、彼は成し遂げなばならなかった。と自分で決めていたのだと思う。

 

  この映画に、長崎や広島の惨状の直接的な取り扱いが無いということは、日本の側ではよく言われたことだった。映画全体の構成からして、それを加えることは難しいように感じた。しかし、日本人である僕らは、アメリカとそこに亡命した物理学者が、もう80年もたとうとしている昔に、彼等の最先端の量子力学の成果として、あれを生み出してしまったことは、おそろしく狂気じみた集団行動だったといわざるを得ない。科学はつまり、なんにでも使えるのだ。現在でも、ミリタリー規格の部品はけた違いに高価で取引され、大きな金が動く業界になっている。それにぶらさがって無数の家族が養われているのである。それは一人の力で変えてゆけるものでもない。

 

  トリニティという言葉にオッペンハイマーは神を込めた。しかし僕らは、宇宙にエネルギーを与えた神は、生命に癒しを与える神であって、癒す神のほうが本当に神の望むことなのだというような夢をいだきたいと思う。時代が過ぎ去った。80年がたった。神にもう一度出てきてもらおう。今度は”火”ではなく、平和と歌をもたらす神に、それぞれの内面深くから登場してもらおう。あたらしき時代の到来の前に、この映画が作られたこと。唯一の被爆国の日本人としてこれを見たこと。僕らは新しい別の

トリニティに向かっていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

初日の”オッペンハイマー”を観てきた。

 

 あの当時物理学者達が原爆の開発というものにどうかかわったかについては、ハイゼンベルグの”部分と全体”という本が僕の知るほとんどすべてだった。”部分と全体”では、プランクらとともにドイツに残ることを選んだハイゼンベルグの視点から、ナチスについて、そしてアメリカについて、科学者の倫理について語られている。

 

 ハイゼンベルグは亡命するニールスボーアを訪ね、戦争と自分たちのおかれている状況についての相談をしたと、この”部分と全体”には書いてあった。しかし今日観てきた映画”オッペンハイマー”では、アメリカに招聘されたニールスボーアが、はっきりと怒りを込めて”ハイゼンベルグは私にナチスへの協力を依頼しに来た”と話すシーンが出てくる。ロスアラモスを率いる主人公オッペンハイマーが原爆開発のチームにボーアを招いたのだった。敗戦国となったドイツで、終戦後ハイゼンベルグらは逮捕され原爆製造への関与などが調べられることになる。

 

 ボーアが招かれた、その招きの宴会の席に、セリフのある出番はないがボンゴをたたいている青年がいた。間違いなくファインマンである。ファインマンは、その著書”御冗談でしょうファインマンさん”の中で、アメリカの優秀な高校生たちを率いて”これは戦争なんだ”とけしかけて驚異的な計算を猛スピードで達成した様を語っている。この映画は、日本にとっての戦争の傷を描いたとされるゴジラ-1と比較され、アメリカにとっての勝利の戦争の歴史でありながらも、科学者の罪というものを考えさせる。

 

 物語の中で特異な位置を占めるのはアルバートアインシュタインだ。予告で少し顔を出すアインシュタインは、作品の中では、実はもっと何度も登場し、オッペンハイマーと会話する。アインシュタインが登場するたびに、思慮深い語りとまなざしで、観ている人は癒される。最期のシーンで、オッペンハイマーはアインシュタインに印象的な言葉を投げかける。ロスアラモスに直接かかわらなかったとはいえ、アインシュタインがルーズベルトにドイツよりも早く原爆を開発すべきであると進言したことは有名であり、アインシュタインの心の深くに、戦争に対する責任という意識が深く刻まれていたことだろう。

 

 先述の”部分と全体”の中でも、アインシュタインはヨーロッパの量子力学の研究者グループ群の中では別格の天才として語られている。アインシュタインの当時における影響力は果てしないものがあったに違いない。その偉人がアメリカに亡命し、大統領に進言したことが、本当にロスアラモスにまでつながったかについては議論のあるところだが、アインシュタインという人のキャラクターからして、そのことは深く心の傷にのこったと思う。

 

  アインシュタインは、戦前に来日し、熱烈な歓迎をうけている。戦後湯川秀樹と会った時に、自分を歓迎してくれ、また自分も深く愛するようになったその国の人々に原爆を落としたことを”涙をぽろぽろ流して”あやまったと湯川秀樹夫人が著書に記している。(自分が落としたわけではない。それでも彼の中で人間がもしも一つにつながっているという意識が深いところにあったとすれば、落としたのは自分であり、落とされたのも自分だと感じたのかもしれない)。

 

 さて映画”オッペンハイマー”だが、初日終わったところでネタバレするわけにもいかないので、この記事では、周辺の話ばかり書いてしまったが、実際、僕ら物理をかじってきた人間にとっては、登場する実在した物理学者たちのラインナップがとても興味深かった。オッペンハイマーはボルン(オリビアニュートンジョンの祖父でありノーベル賞受賞者)のとこで学んだのであったとかいうことがわかったり。

 

  終戦、そこから始まるソ連との軍拡競争、歴史の抗いがたい流れに翻弄されていくオッペンハイマーの輝かしいような悲しいような、本人と話してみないと、わからない複雑な心情の作品として仕上がっていた。

 

横田老師が3回にわたって”禅と発酵”と題して朝の法話を配信している。

 

  条件を整えて、あとは自然に発酵してくるのを待つだけ、というところが発酵と禅は似ていると話した。

 

  ”Y君”はその昔高校生のときに、坐禅は他力だと言った。自分でしようと思ってする坐禅が”他力”だというところが奇妙だなとそのとき思ったのだったが、あれからもう40年以上の月日が経ち、その時に少年Y君が言った”他力”の意味の深さがようやくわかってきた気がする。というようにY君はあの当時からどうしてこんな少年が存在するのかなという不思議な人でもあり、それなのに人間らしさという意味でも、十二分に人間らしく、なにか大地にきちんと根をはったような、どこからどうつついても間違いのない男、そんな人だった。

 

  ところで僕が最近、いいなと思っている発酵の教科書はこれだ。

 

 

  こんなに発酵を愛して、多面的に実験して経験して書き記したその博学と集中力と、いい意味での執着というものが、この本にあふれかえっていて、読んでいるとどんどん賢くなった気になり、発酵の魅力に引き込まれていく。

 

  BioPhilia(生命愛)を涵養しなさいという。

  --- この本を読み、発酵飲食物の実験をするあなたには、発酵に必要な特定のバクテリアや菌類の群落だけでなく、我々自身がより大きな生命の網の中で共進化してきた存在であるという意識を養うように、お願いしたい。

 

  この一節は、妙に僕にとって魅力的で、そういうことを僕はしたかったのだったと、胸の中の欲求をそのまんま言葉にしてくれたみたいで、うれしくもなった。そうして、これが”禅と発酵”のお話の中で横田老師(坐禅は他力と言ったY君は今は横田老師と呼ばれている人になっているのである)が言ったことと同じことなのだろう。

 

 この本の中でしばしば登場するLynn Margulis博士(ほんとになつかしい高校のころ放送された科学番組コスモスをプロデュースしたカールセーガンの妻(元妻らしいのですが))が、

 

   ーーーーバクテリアは連続体

 

  ということを言っている。その意味は、バクテリアというものは遺伝子を水平移動させて、おたがいにやりとりしているので、進化というよりも情報をわかちあって存在しているものなのだそうな。発酵の環境が整うと、バクテリア存在達は、そこの環境でよく発酵するための遺伝子情報を渡しあって、発酵をすすめるエネルギー存在としてふつふつを湧き上がってくる。なにか、発酵したいという願いが、その場に情報プールから降ろされてくるようなとこがある。これは純化された酵母などを使っての発酵よりも、塩とキャベツだけのザウワークラウトを何度も作っているうちに、僕自身が実感していたことだった。

 

 たったこれだけで、毎回うまいこと酸っぱい乳酸を作り出す乳酸菌が増殖して、簡単にそれは作れた。そこに発酵したいという要求がもともとあって、条件だけを与えた、というように僕には見える。これは、そういうことなのだ。そんなことを繰り返していると、Biophiliaがちょっとずつ涵養されていく。って気がしているのだけれど。まあそこまで掘り下げなくても、とにかく面白がってやっていようかな、と思う。

 

 

 

―――――そして、彼らは、実際には、世界は神によって創造されたものではなく、悪魔によって作り上げられたのだという結論に達するのである。 (宇宙をつくりだすのは人間の心だ フランチェアスコ・アルベローニ 草思社)

 

 グノーシス派の人々は、そう結論したのだ、と本書の最初のほうに書いてある。

 

 日々の生活、仕事、もうすぐ定年とはいえ、僕はまだ仕事しているわけで、そして日本は文明社会なわけで、そういう文明社会にはヒエラルキーというものが存在していて、それは収入だったり、人を顎でこき使ってもいい権利だったり、著名人や偉そうな人と友達になれる権利だったりしながら、この世界は自己の価値を高めて他者に納得させてひれふさせるために頑張るというようなベクトルが、あるように見える。それがひどくストレスフルで、本来望んでないということを、僕のような非暴力の宇宙の星からやってきた(のかもしれない)平和生物はもう耐えられない、もう去りたい、とか思いながら子供時代からなんとか生きながらえて来た(ような感じがしてきた最近とみに。単なる弱虫とも。)。

 

 本書は、その根底には、この地球界における生物の宿命があると説く。

 

 ――――― 「生きる」とは、何を意味するのか?それは他の生物の命を奪って、自己のうちに取り込むことを意味する。人間を含め、あらゆる生き物は、他者を犠牲にすることでしか、自分の存在を維持できない。しかし、それならば、我々のモラルや道徳は、いったいどこから生まれるのか? 生きることとモラルは矛盾するのではないか?(とカバーに書かれている。)

 

 少なくとも動物はそうだ。植物は太陽からエネルギーをもらい、地面から窒素他を吸い込み、自立する。その代謝の産物を動物が横取りし、肉食の動物にいたっては、血なまぐさく、他の動物ががんばってあつめたそれらをバクバク食って、繁栄する。自己の遺伝子を温存するために、喧嘩に勝ってハーレムを形成する動物もいる(トドとか。人間もか。)。文明のおかげでなんとなく綺麗に暗部を隠しているけれど、人間も根底は同じような動機で生き、努力し、生存と繁栄を得ようとして戦い競争し、アニマルな本能のおもむくままに、文明社会においても(あるいは小学校や中学校のいじめ現象にもつながる、生命の不安からの逃走としてのエネルギー傾斜の最下位の誰かがひどい目にあうという、悪)、上下差別、の世界が、この世界そのものに見える。

 

  僕は老母を介護施設に預けている。毎週面会にいく。介護士さんたちが、休日でも正月でもシフトを組んで、世話してくれている。人間は、他の生物では考えられないくらい、弱者の命をがんばって尊厳するために骨を折る。ただ競争して生き残ることだけしか求めないなら、こういう事はありえなかった。現実に道徳というものがその根底にある。それは生物の法則に明らかに反している。収入を得ることができる仕事とニーズがあるから、という理屈だけでは説明つかない。いろいろなことをニヒルに捉えるのを一度やめてよく見たら、そこには人間にしかない、丁寧な働きっぷりがあって、そうだこれが人間だと思う。そうだこれだ、これこそ人間だ。

 

 著者フランチェアスコ・アルベローニは、この本の最後のほうで、ある結論めいたことを書いている。

 

――――― 自分のためにだけする行為は どこか空しい p.167

 

 生命の奥底のほうで、自分のため、という生き方が結局少しも自分のためにならなくて、閉塞した孤独と苦しみだけが残ってしまうと叫んでいる。それは孤島に自分をおいやってしまうものに思えてくる。あるいは、知足(足ることを知る)という言葉の深い意味もここにある。人は、自分が食っていかねばならないので、とにかくまずはそれが成り立つようにするとする。しかしさらにもっともっと誰かから奪い取ってやろう、という発想はどこか亡者の狂気が巣食っている。人のために、というような生き方がないと、窒息してしまうようなとこが、人間にはある。

 

  高校の時にY君に、自分とは何か?と問いかけた。少年だったからこそ今よりもっと切実でナイフの刃な精神で、問いかけたそのことに、彼は、山田無門老師の引用して答えた。

 

―――――――― 山田無門老師が、ある悩んでいる青年に教えたこと。本日ただいまから君はもう、自分のことをすべて捨てて、他人のためになることだけを考えて生き、働きなさい。そうして、ある日、ああ幸せだな、と感じる自分がいたら、それが本当の君、本当の自分ということだ。

 

  僕は毎週、介護施設に面会に行き、スタッフの方の明るさ、元気さに圧倒される。ほんとうの自分とかややこしい理屈ぬきに、もうここに人間の一番すばらしい働きがある。実際働いている。僕も命を自分のためだけにではなく、なにかに開いていく、そのせいで世界がよくなっていくと信じられるようなことを、すこしでもして生きていくのが、悪魔が創造したとグノーシスが結論したこの世界の闇と”生物の法則の悪”の中にあって、イエスキリストのラディカルで人間の自由として別の創造をする道だ。暴力や権力や、自分の今までの業績やらで、威張ってもいいとか誰かをいじめたり横暴を働いていいと自分の許可を出しているような人間のやからの見かけ上の元気さにそれは必ず負けないものだ。

 

 それが生きている意味だ。すくなくとも、僕、という人間が歩いていくべき道だと、とりあえず頭の中だけでも、口でいう言葉だけでも、そう思い始めるくらから始まっていく。ちっぽけな一歩として。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

  

最近、稲盛和夫の本を読んでとても感銘をうけている。

 

 

 

 偉人というものからなんかを学ぶなどということは、僕のような志の低い者には10年早いのだけれど、こういう年齢なので、10年早いなどと言っていられなくなって、あわててというのでもないが、最近、あらためてこの京セラの創業者のいうことを読んでいて、心に響いてくることが多くて、ああ私も年を取ったのであろうかと思ってみたりする。

 

  自分の中におけるいろいろな違和感の原因はこういうことだな、ということがこの本を読んでいると明らかになってくる。利他ということを忘れてしまうのだ。いともたやすく。人間は自分のためだけに生きていても閉塞してむなしくなって縮んでいく。生命とはそういうもんだった。

 

  だから人生の目的は 地位でも名誉でも金でもなく、死ぬときに唯一もっていけるもの 魂をみがくことだと、稲盛さんは言う。

 

  ああそうだなあと、深く深く感動もしてみたのだけれど、まてよ。なにか心の深くに、待ったをかけるものがある。

 

  魂を磨く? なんかエライものになろう、ということをどっかでやっぱり考えてしまう。否、否、そういうことではないのだ。磨いた魂には、やっぱりキリストの言うところの”愛”の量が増えているかどうかが重要なことなのであった。つまり、誰かより自分がエラくって、誰かを見下してもかまわないという自己満足のような要素は、これにはない。ということでないと、やっぱりどこかしんどいものがある。魂を必死で磨いているつもりで、なにかエゴイズムに磨きがかかってしまうようなとこがある。

  

  努力したら、自分が得するというどこか生命の大本と分離した、しんどいものがある。僕のようなもんが稲盛さんの言葉を云々するのもどうかと思うけれど、この魂磨き、という言葉には気をつけねばならないなと思った。それはエゴイズムをその言葉に投影してしまうがためにそう見えてしまうのだけれど、少なくとも僕は、魂を磨くという言葉を読むと、なんか立派なものになって尊敬されたいというねじれた発想にいってしまう、心の癖というものがある。

 

  魂なんか磨かなくてもいいのだ。というと語弊がある。だけど、こう書いてみて、なにかどこかにこっちのほうが真実に思える。いや稲盛さんは磨かにゃならんといった。しかし、どこか僕の中に、そんなもん磨かんでいいのだよ流河君と言い切ってくるものがある。なぜであろう。成功しない人間は価値がないというようなことを言うなら、なにかもっと大きな生命と宇宙の目的から外れるような気がする。よくわからない。

 

 

 

 

 

 クルックス卿(1832 -1919 イギリス)が心霊科学について一連の研究を行ったことはよく知られている。

真空管のカソードから出る陰極線が粒子により成っているだろうことを提唱し、その後の電子の発見につなげたという歴史を変える研究を行った人である。

 

 僕らは最初から電子というものの存在を知ってしまった世界に住む。電子工学などといって、その存在がもう確立してしまって高度化した文明が開花しまくっている世界に住んでいる。しかしよく知らないくせに知ったような気で生きている。それでも電子て何だといわれたら、そんな不可思議なもんが本当にあって、それにより現代の科学の根底が構成されているということは依然驚異だ。化学はおろか生物学の根底にでも電子の話が山ほど出てくる。

 

  しかし、最初に電子をみつけた人たちの時代とその努力を見ると、これは奇跡の洞察だと思う。質量が正確に一定の粒子、まるでレゴブロックのような規格の定まった部品で僕らはできているのか?だから本当にやはり神が裏で手をまわして、こうであるように設計した人工(神工?)の世界かここではないのかなという不思議な疑問。

 

  そういう鋭い洞察力を初めに発揮した19世紀の巨匠たちの醒めた目の中には、心霊現象はやはり、実験実証して客観的に疑って、疑いを極限まで攻めてみたかった対象であった。それがクルックスのやったことだった。その結果、彼は、どうしても心霊の存在を認めざるを得ないと結論したらしい。

 

 上は霊媒フローレンス・クックが物質化させたケイティ・キングという霊の姿を、なんとクルックス卿その人が撮影した写真である。クルックス管で有名なその人がこういう写真をとっている!

 

 心霊科学の分野では、他にも音声で霊からのメッセ―ジが聞こえたり、霊の力でものがうごいたり、といった現象をいろいろ記録していて、そういうことが19世紀に交霊会として盛んにおこなわれていた。クルックスの最初の目的は、そのまやかしを暴くことだったが、いわゆるミイラ取りがミイラになった。こういう心霊科学の研究は、まともな科学者がけっこうまじめに取り組んだり、こうしたことを研究する団体に所属したり顧問したりしていたらしい。そうそうたるメンバーの名が挙がっている(キュリー夫人であるとか)。

 

  しかし、これらを調べていて、ふと気が付いた。音、物質化、物体の移動、霊視、そういうことで、あの世の世界からメッセージが来るのを見て、私たちはあの世があるのかもしれんと思う、というのは、妙にややこしく、また狭苦しく思えてきた。神はそういうことをするであろうか。まどろっこしい。地球型生物の英語とか日本語とかいう文法の世界におとしこまれた言葉とかでメッセ―ジをくれたり、いちいち地球型生物人間種の美人の女ケイティの形をとってみせたり。それらは何だろう。なんだろうこのわかりやすさは? いや違うこれはおとしあなだ。本当はこんなことをする神はわかりにくく、低俗なあほのようにも思える。

 

  神が創造した宇宙の目的を知らない僕らは、それを知るということ自体が不可能な程度の脳のハードウェアの限界に制限されている。なに思考やイメージは無限ではないか!!というならば、そのとき僕らはすでに異世界の思想に毒されている。思考イメージは無限なわけがない。脳がやっているんだから。

 

  しかし個人的な見解をいうなら、神はきっともっと、心霊の交霊会なよりもたくさんのメッセージを、僕らの意識できない無意識領域かなんかに、非言語の情報として、常にインプットしつづけているのではないだろうか。神の声を聞くに心霊科学はあまり能率的な方法ではない(心霊科学をやること自体はウェルカム。やったほうがいい。あたらしいことをみつけよう。)とも思えた。普通の科学をやって、普通に生きているだけで、醒めて生きてれば、それらの追求には驚きがある。驚くのは心がおどろくのである。なぜかそのことにワクワクするのである。その感性のほうに、宇宙からのリアルで巨大なメッセージがある。この世界そのまんまで、オカルトであり、神秘であり、メッセージである、それで十分にも思えた。そいつの正体は何かをあばくということをやりたいのだが、まるでエデンで善悪を知る木の実を食うなと禁止されていたように、そのあばきがこの世界で禁止されているものだから、答えは決まらないのだら、追求しつづけることは許されているので、永遠の問いといって、楽しんでいていいと、いわれているようにも思えた。永遠の問いという言葉は妥協なのか、負けなのか、勝利の歌なのかわからない。

 

 だからこそ逆に自然科学をしっかり見つめたクルックスが、その曇りのない目で、霊もながめてみたかったことは、なんと美しい心なのだろうと、思う。しかし、僕には生憎縁がなくて、交霊会もそこそこでやってないし、いろんな超科学の実験に成功したという話の世界からも遠い。だから、あんたはふつうのことやってなさいと言われているように思える。

 

  しかしこう書いていて、ふっと思い当たるのはやはり、復活したイエスがトマスに言った言葉の意味だ。たぶん上のようなことを踏まえてイエスがいった。

 

  --   トマス。あなたは見て信じたのか?みないで信じる人は幸いだ!!

 

 誰かこのブログをお読みのかたで、霊体験などおありのかた、いくらでもコメントください。いろいろききたい。聞き役に徹しておききします。

奇妙な本をみつけた。

 

この和田さんは、ペンネームをいろいろ変えながら、いくつかの本を出版し、すでに他界されている。

 

  上の本を偶然みつけて、読んでみたら、実にまじめに丁寧に書かれている。この本全体が、シャーロックホームズで有名な、コナンドイルが晩年にはまった心霊研究のことを扱っているのだが、コナンドイルの人となりも詳しく書かれていて、決して生半可な興味で心霊研究に携わったわけではないことがわかる。

 

  ところで、このブログになんども書いたように、人間世界の悲劇を救うには、どうしてもあの世がなくてはならないと、僕は思っている。同じことを、この上述の本のなかで、カントが言っていると書いてあった。僕にとって、カントといえば純粋理性批判だの、難しくて読む気にもならん本を書いた人物として思えないのだったが、この本のなかで紹介されたカントの言うことは、とても納得した。

 

----カント は 人間 の 倫理 について 考察 し、 ひとつ の 結論 を 導き出し て いる。 それ は 倫理 に 必要 な 観念 が、 自由、 神、 不死 の 三つ で ある という こと だっ た。

 

  というのである。

 

  自由は、自由意志。人間には自由意志がある。これはキリスト教でも言われている。人間は悪も善も行い得る。ある意味それを神が許しているということになる。あるいは自分で善悪を問う力を持ってしまったともいう。本能のままにただ生きている単純な生物と違う。(当然ここで旧約聖書の創世記を思い出す)。

  

 そして選択の自由が与えられてしまったがゆえに、なにが正しいということを考えるという宿命がある。”神”という言い方を、カントがしてしまうのも、”神”の審判ということを意識する故と思う。人間存在は、正しいとか間違っているとかを悩むようになっている。その奥底には”神”というものの存在への無意識の恐れがある。

 

 最後は不死である。人間が肉体物質だけの存在で、死ねば終わるなら、この人生は欲望の限りやりたいほうだいやって、終わればいいだけである。しかし多くの人間がそんな馬鹿力を持たない。弱く、受け入れがたき悲劇にみまわれながら、意味がわからないまま人生を終える。耐えるだけの時間を過ごして死んでいく無数の生。もしも人間が不死ではないのなら、果たしてこれに耐えることは本来必要なのか? みんな死んで終わってほしいと願うほどにくたびれた生の群れ。

 

 この3つのことをカントが言っているらしい。とても親近感で、言いたいことを言ってくれたと思った。

 

  選択の自由を得たこと。神から分離したこと。これで人は逆に”神”を意識した。分離がないなら、三昧であって、パワフルな永遠のエネルギーが統一している。(東寺のでかい仏さんをみると、永遠に座っている宇宙に見える。)。分離があり不安があり、”神”もどき(偶像)を持ち出しては、善悪を言って外の誰かを攻撃して過ごしていくのが、この世の人間の哀れな人生となった。金か名誉か、正義か悪か。それがあまりにも苦痛なので、この肉体で終わってしまわない不死の永遠の中に本当の意味が与えられていなくては、救いようがない。つまり地獄とはここのことである。

 

  この本で、もう一人特筆に値するのはクルックスである。クルックス管という真空管が有名で、電子の発見につながる優れた仕事をした科学者である。クルックスはとてもまじめに心霊のことを研究したということでも知られている。クルックスの行った心霊現象の検証は、”心霊現象の研究”

 

 

というこれまた極めてまじめに書かれた本にまとまっているらしい。読んでみたいのだが、これは絶版であって、中古がバカ高く取引されている。国会図書館にはあった。英語だと、フリーでも読めるようなとこをがいくつかあった。読んでみたい。