デリケートとされる問題は、炎上の危険があるが、ここは炎上するほど人気がないのですきなことを書いてみますが。

 

 石原慎太郎さんなどが 南京事件は捏造だと言っていた。自分の陣営は正義だという考えは甘美だが、人間は馬鹿なことをすることがあり、それを集団狂気とグルジェフは言った。

 

 集団狂気というグルジェフの言葉を初めて読んだ少年のころ、日本はバブルの頂点に向かう直前くらいで80年代のまんなかくらいで、筑波大学(堀江さんは東大以外行く価値はないと言っているが、僕はつくばを卒業したので、学生生活のサンプルをそれしか知らなくて)には遅れてやってきた学生運動が意外と盛んで、中核派のオルグが宿舎に入り込んでいて、三里塚に駆り出され、一方統一教会などの活動も盛んで、やっぱり学生が勧誘されていて、そこそこに問題もあって、変な時代を僕らは過ごした。あれはしかしバブルだったので、なにかとめでたい程度のことで、やがてバブルがはじけて、この時代に青年たちをひきつけた精神世界の一つとしてオウムの事件が出てきたときに、我々はことの重大さを知ったのだと思う。

 

 原因はよくわからない。宗教には菩提心が必要だとY君がよく言っていた。オウムの彼らに菩提心がなかったのか、そもそも菩提心てなんだ。Y君のことばは一つの公案のように、長く僕に心にのこって、ずっと考えていた。菩提心。たぶん、、、エゴイズムと対極にあるもの。自分だけの利益を至上とする考えの対極にあるもの。やがては、エゴイズムをモチベーションとする活動は、エネルギー切れを起こし、何をもとめているのかわからなくなるし、実際仕事でも事業でも最終的にはうまくいかない。いや、どう考えても金儲けでしょうという事業が大成功する様はあるな。どう考えても、子供たちの健康をむしばむようなゲームソフトを作っている大人は悪でしょうといいながらも、それは莫大な富をそれを作っている側とその家族をやしなうのに寄与し、その家族には子供もいますので、なんかわからない循環によって、我々は回っている。パチンコは悪か、風俗は悪かとか、そういうことを言い出すと、なにかぎちぎちとして、そのほうがせまっ苦しい悪のようでもあり、生命の法則にかなってないような不自由がある。

 

 南京写真館のことが、このところ始終頭の中にある。

 世界で公開されていて、感動したと言われているらしいのだが、日本人として日本人は悪だと決めつけられているようで苦しいものがある。けれども、僕が日本で生まれて日本で育ってくるなかで、日本人としてのいじめとか嫌なところをいくつも経験させられてしまうような、どこか被害者としての位置をかならず得てしまう宿命とか(そういう波動でも出してますかねスピ系的にいうなれば)をたどってきたので、かならずしも日本人は正義です、それは誤解ですとは言えぬ。

 

  南京写真館の予告の中で、死体の山の前で嬉しそうにしている兵隊の姿表情がある。うげっと思うけれども、そういう顔をしてにやにやしている悪い日本人て僕は何度もみたことがある。どういうときかというと、高校時代とかで、ちょっと優しい先生に対して、いろんないやがらせてをして、へらへら笑っているような少年とか。そういう生徒は強そうな先生にはそんなことしないものだ。単にずるいのである。僕の父はそうやって、むしばまれて死んでいった中学校の古い時代の先生だった、とか書いたら教え子のみなさんは嫌だろうか。そう書いたら、そんなこと書かんでくれというのは、父の愛した妻であった母がいいそうだが、昨年他界したから、もう時効のようになった。40年以上も前のことですから。しかしあのとき、飲んだくれの父をみながら、こんなふうに人間は我慢の限界というようなことになる場合があると、僕らは兄弟は学ぶしかなったのであり。

 

 時代は流れ、そこここの学校でもいじめ問題は後を絶たず、自殺があったりして、すると学校側は責任のがれのようなことをやりはじめて無様である。親御さん的には、やったやつらを殺してくれという願いくらいしか無いかもしれません。そうやってのうのうと許されてへらへらしながら大学にでも行って青春をへらへらとやっていけるなら、やっぱり僕はあの死体の山の前でへらへらしている兵隊さんと同じ血が大和民族には流れていると思わずにいられないのです。そしてそれは捏造だというならば、今の時代に存在しているイジメの事実はどうやって説明するのだろう。そういうことを、私たちはするのである。無抵抗で弱そうなものをイジメて喜ぶ習性をもった生物なのである*。それにしてもあのへらへらしている役をやった役者さんは上手だと思う。本当の悪に見える。*なお、イジメは世界各国で問題で、日本が最大のイジメ国てことでもないとのこと。つまりこれは人間(人類)の問題である。

 

 ところで昨年だったかSHOGUNが大ヒットしていた。今年は南京写真館が世界でヒットするのかもしれないが、昨年は高らかに日本人の残酷を美しく描いたSHOGUNを世界に人は称賛しながら鑑賞した。SHOGUNを見て日本すばらしいと思うかというと、僕は日本人怖いと思ってしまった。武士道も日本人も怖い。

 

  むかしっから武士は禅宗と縁深く、特に臨済宗とは親和性があると僕は理解している。悪人正機ということを言いだした真宗の教えは、武士よりも庶民に向かった。しかし現代にいたって、内容がよくわからなくなって儀式だけ必死でやるはめになった仏教というものは、なかなか難しい局面だなと思う。メディテーションという正気をたもつ方法を残していた禅のほうが、おそらく現代人にはアプローチするものがあり、かといって悪人正機と言ってのけた親鸞の教えは今の私たちに必要に思う。こないだからの参院選で日本人ファーストと言い過ぎた。実際には、日本人は外国人技能実習生などにひどいことを現代でもやっているわけで。それはお上がわるいのか制度が悪いのかということもあろうが、南京であれだけのことを、命令だから許可がでてるから、といってみんなでやれてしまう日本人は、ほんとに立派な民族なのかよく考えねばならないというか、たぶん立派な民族なんてこの地球にはどこにもいないと思う。だから親鸞は、人間は全員罪悪深重の凡夫といった。

 

 

南京写真館という映画が中国で大ヒットしているそうである。

 

この話が持ち出されると、ネット上で論争になって大騒ぎする。

南京大虐殺という記録映画を、新宮高校の生徒会だった昔の1982年だったか、会長だったY君は上映して校内討論会をやったのであった。むごたらしすぎて厳しいもんがあった。

 

その後、近年になると小林よしのりのゴーマニズム宣言とかが出版されたあたりから、南京大虐殺はなかったとか日本の戦争は大儀があったとか、自虐史観は戦勝国が植え付けたとかいう話が盛んになった。

 

 朝ドラでは手塚さんと やないさんが出ている今日この頃ですが、ちょっと前の水木さんのゲゲゲの女房だとガロ(ゼタ?)という雑誌が出てきて、あれは実は白土三平のカムイを載せるために作られた雑誌だったと僕はきいたことがある。

    カムイ伝が描く江戸時代は暗黒であった。百姓とさらにその下の階級を描き出すことで、江戸時代の持っていた邪悪と矛盾と苦悩をリアルに劇画にた。そのあたりの時代から、日本の漫画はすごすぎて芸術のレベルに達していた。

 カムイ伝は1964~の連載だそうである。まったく僕の誕生年からだ。カムイや影丸(忍者武芸長)の中の武士たちの暴力は、そっくりそのまんま、今回中国で作られた”南京写真館”の日本の兵隊の虐殺と同じである。あれだけのことを、日本人は、日本人に対してやっていたのだと僕は子供のころ、白土さんの描く歴史に衝撃を受けた。白土さんのベースには、しかしカムイの第二部の頭に長々しく描いたように、生物の生存競争のしくみのほうに重点があるかもしれない。あれは生物学なのだ。生物は争うのである。生きるために。

 

  ちょっと前に、超進化論という番組があった。本にもなっている。

 

 

 

  森林の樹木たちは、日光をもとめて葉っぱを伸ばして競いあっているように見えるが、実は見えない地下では、互いに菌根ネットワークで養分を与え合っている。ほかの種とも互いに。植物は会話している。このリアルタイムの分子のやりとりは、どうにもリアルタイムに一体感がある。リアルタイムといっても植物のはけっこう時間がかかるスケールなのだけれど、動物に比較すると。

 

 人間は言語をあやつるので、リアルに体験してないことでも、物語を共有して、その物語で憎しみとか愛情とか、を表現して殺し合いまで開始してしまう。遠い過去にさかのぼって。旧約聖書には、いかにユダヤ人が勇敢に神に導かれて約束の地をもとめて、そこに住んでいた人をおっぱらったかが、高らかに語られた。非暴力をとなえるイエスが出てきて、しかしそいつは処刑してしまった。ユダヤの大祭司と大工のせがれイエスと、とどのつまり、互いの信じる物語の違いだけなのであった。それで処刑までもやった。

 

  ピラトは”お前は王なのか”とイエスに問い、イエスは自分の国がこの物質世界ではないと言った。ユダヤ人たちは(と福音書ではもは旧約の時代の主人公であった民族をそう呼ぶ)彼の肉体を滅ぼすことで勝利できた、気がした。たった一人の狂人を処刑して気が晴れたというのも、実に狂気の沙汰だ。祭司たちの気晴らしで彼はつまり十字架についたってことだ。

 

 ということで、虐殺の話を引き出して、 原爆の話をひきだして、僕らは誰かが悪くて自分が正しいということを気晴らしする。いつでも、今の自分は絶対的に正しいというように。しかし原罪がある。僕らは誰も正しくない。憎しみばかりが好きだ。

 

  このブログはあんまり読者がいないので炎上しないと思いますけれど、個人的には、南京の虐殺はあったと思ってます。あの写真は全部捏造だという人もいる。そんなことできるのだろうか。トリック写真の大量製造、あの時代に。僕はその場でみていなかったのでなんの根拠もないけれど、日本人て、みんなやってたら、自分で考えないで悪さけっこうする。国際的に、日本の外国人技能実習生の扱いに人道上の問題が指摘されている。日本人てそんなにいい民族でしょうか?僕はわからん。

 

母が帰天して一年には,まだあと二週間以上あるのだが、名古屋で大学の先生をしている妹が9月の命日のころは難しいというから、盆に神父様を招き、たつの私の家で追悼ミサをしていただいた。

 

 仙台から弟、千葉から姉がきた。あと私の家族、の小さな追悼ミサをした。

 事前に大きな花を妹が送って来た。写真の前にかざると、もともと笑顔の写真だったのだけれど、

盆には魂となってもどってきて家族と過ごしているとでもいうようなよい笑顔に

 いっそうなったように見えた。日本人の伝統はこういう真夏のころの盆なので、外の自然環境も蚊がいたり、虫が飛んでいたり、草が茂っていたり、生命あふれることの季節には、たしかにあんまり哀しくなくていいかもしれない。こういうことをやるのなら。この季節にしかし、日本人は終戦を記念するし、数日前には広島と長崎のために黙祷するのである。日本の歴史自体が日本人の生活と一枚になっているような奇妙な感覚になる。

 

 母の写真が飾ってある和室は、2年前に母をつれてきてしばらく母が暮らした部屋で、今はそこに小さな祭壇(呼ぶたんなる机)と、キリスト教的仏壇のようなものと、キリスト教的位牌を置いて、キリスト教的ご本尊にして祀ってある。こんなふうに、日本人としての生活の中に先祖を祀って暮らしている。そうやって日本人はなんでも外国の文化を取り込んできたのだったろうと思う。といっても日本にはキリスト教は本当に根付かなかったので、めずらしい生活をしているのだろう僕は。

 

 故郷に帰省した時以外は教会に行かなくなったので、葬式をどうするか始終悩んでいたが、昨年の奇跡でホルヘ神父様のお世話になることになって、つつがなく母を送り出してやることができた。

 

 一年たって、カトリックだとその後の法要とかはどうなってるんですかと、寺の娘である妻は心配するのだったが、僕らは父が亡くなったときも一周忌くらいはなんかをやったが、その後は30年もたってやっと追悼ミサを、それも母のたっての願いでしてもらっただけであった。そのときでさえ故郷の神父様は、アイルランドだと、1:葬式をする、2:49日くらいのときに追悼ミサ、3:一年後くらいに追悼ミサ、それで永遠に終わり、だそうです。

 

  ーー もう天国行ってるから。

 

とジョー神父は言った。それでいいと僕も思った。けれども、30年節目ですからと、そのときはまだちょっとは元気だった母の希望で集まった。8年前になる。ジョー神父様は、父が早くに亡くなったときのまだ若かった母の苦労をねぎらう説教をした。

 

 

  というわけで、今年の盆は、帰省しても母ももういないわけで、この兵庫の長男家がなにか本家化してしまったようなとこもあり、ここで追悼ミサをお願いすることになったのだ。アイルランド式に、一年目くらいは、と前から思っていた。あとはそれぞれ心に母の面影を抱いて生きてゆけばいい。もう天国に行っている。僕もそう遠くない未来にそこに行くけれども、葬式も追悼もなにもいらんと家族には言っておこうと思っている。僕は神を信じているし、神が葬式を作らなかったので。たぶん。

 

  ホルヘ神父は たつのの教会の担当でもあるから、毎週教会に行ってれば いくらでもお会いできたのだろうけれど、僕はだめな信者なので、あれっきり教会に足を運ぶことはなかった。電話をしたらホルヘ神父は、よく覚えていてくれたし、とても喜んでくれ、この盆の時期に追悼ミサを引き受けてくれた。喜んで。

  ひさしぶりに会うホルヘ神父様は、やはりとても純粋で温かく、愛情にあふれていた。神を信じること。信仰。それが何の実りをもたらすかという一番大切なことを体現されているような人だと思う。神父様は、自分がここに呼ばれたことを感謝すると何度も言った。聖霊の働きだと。

 

 

 

 

 

 

 

日本の製品の競争力がなくなっていることに危惧していたのだけれど(家電とか、少ない僕の経験で思ったことからですが)

 

しかし日本がお金持の国であることをキープするにはその競争力のあるとかいう製品をひたすらに開発して

売りつけて金をぶんどってこなくてはならないという図式はなにかこう 無間地獄のようにも思えてきます。

 

どっか先進的な技術とか資源とかを持ったことを(武器武力もそうなんだなつまり)もって

脅威的な存在になって ひとから金を巻き上げる術に長けるということがそんなに立派なことなのでしょうか

 

と冷静に考えてみる

 

森林や土壌の生態系ということを見ると

どこか一つの生物の一人勝ちというものは 結局 その一人勝ちした生物の死滅ということにつながってしまうようなところがある

多様性というもの。生命がもともと分かれているけれども 一つのつながりの中にあるということを

そのまま具現化したようなものである

 

ということで、この対談を見ていて、そういうことを思いました。

 

 

なんか トランプ関税の 消費税の外国人のともめているのだけれど

ひたすらに孤立して一人勝ちをもとめてしまう我々の癖が多分にある、いろいろなことの根底に

 

 

もう10年くらい前になるのだけれど、職場に出向できていた青年が、そのうち俺は会社を辞めて独立したいので、といって経済のことをよくしゃべっていた。

 

 そのころにも赤字国債というのは年々積み重なっていっていたので、そんなことやってると破綻しないんですか?っていう話もしたものだ。彼はそれに、インフレになって貨幣価値が下がるので、物価が上がる。そして過渡期があって給料上げられる体力のある大企業がどばっと給料上げる。過渡期なので給料のあげられない会社はつぶれが、耐えればそのうち金が回ってくる。すると金の価値が下がっているのに国債の額はかわらんのでチャラになるのである。

 

  などといっていて、そのときそれでいいのかな よくわからんが、と思ったものだが。

 

  今となって岸田さんが首相だったあたりから、

 

ーーー 物価の上昇に負けない賃上げを

 

といってお願いしてるのを見ていると、10年前にあの青年としゃべってたことは本当に起きてるってことなんだわこれ、とぎょっとします。

 

  こないだ石破さんが、この失われた30年とかで賃上げの余地があるのにやってなかったから、というようなことを言っていたのだけれど、この中田さんの動画がとても詳しくよくわかるように解説していて、これ見て私が思ったことは、やっぱりあの青年の言っていたことが起きているってことなんでしょうか?

 

 

 

 

  中田さんは、アベノミクスの副作用として、今の状況を解説している。なるほどとてもよくわかったし賢くなった気になりました。結論の一つは、アベノミクスの発動によって潤った輸出企業から法人税取って消費税減税および赤字国債償還だと言ってました。今の流行りの野党の言う、国債刷って減税はNGとのこと。それは国債の債務巨大すぎて日銀が金利によって経済を制御できないからなんだそうです。これはややこしいけど説得力がありました。アメリカが金利を上げているので、なんとかトレードとかいうのがあってひどいことになっているとかいう面もあるらしく。

 

  しかしまてよと、この動画の中では、アベノミクスはほぼ成功して目的を達したのに、なぜか潤った大企業が給料を上げなかったということにが予想外だった、ともいう。であるがゆえに、今給料上げてくださいの連呼をやっている。

 

  しかしその内部留保(とかいうんだ)がマックスになる状況で、しかし給料を上げなかった、経営陣はなんだったんだろう?それはもしかして富の私物化という部分での”悪”だったのか、それとも、政策主導でもうかってしまった状況での金を給料なんかに使ってしまって、あとでなんかあったらどうするんだという、恐怖のなせる業だったのか? そこらへんがわからないのですが。

 

  とても小さな会社に勤めていたことがある僕は、社長がいつも考えていたことを思い出します。給料が安い会社でしたが、安定で、社長は会社が生存することが、みなさんの幸せだと言っていました。毎年忘年会は社長のおごりの忘年会でした。僕が入る前の年とてももうかったらみんなでシンガポールに社員旅行したそうです。もうかったら、給料に還元してくれたらいいのになと思いましたが、給料に還元してしまうと、それはあとで下げられるものではないから、先行きがつらいときにはやばくなるから、たぶんそうなしなくて、シンガポールでぱっと使ってしまったほうがよかったんだろうなと思います。その年はなぜか業績がよかったが、そんなもの毎年続くわけがないという極めて冷静な判断。

 

  そして、社長はおそらく、この人たちを養うためには、私が倒れたら終わりだという責任をいつも背負っていたことでしょう。そうして、僕は思うのです、やっぱり自立すること。自分で考えること。お任せパックで生きているということは、楽なのだけれど、生み出さないのではないかと。社長がどうにかしてくれるだろう、という思考停止のこと。自戒をこめて。

  社長にしてみれば、このレベルの低い従業員たちにそんな高いお金を払う価値はあるのだろうかと、常に考えてたことであろう。それは会社をつぶすことだ。それはこの人たちを露頭に迷わすことだ。絶対的に彼らと私の間には能力の差がある。ゆえに、彼らに金をかせぐ力はない。彼らに創造性はない。彼らには何もできない。私がまもってやらなければ、彼らは生きられない。それが私の信条であり、責任であり正義である。

 

  もしかしたら大企業の経営陣ですら同じ事を考えなかったか。ぶらさがっている守られている感満載の従業員には、果たして自分で考えて何かを作り出して行ける力はあるのだろうか? どうもなさそうに思える。そんなことも、ずっと仕事しながら、金よこせばかり言って仕事がなってない会社さんなんかにも出会いながら、いろんなことを僕は感じながらこの時期を見てきたような気がします。それはこんな僕なんかにどうせ大したことは何もすることはできないから、どっかに養われていようという発想の無数の無気力の積み重ねではないのだろうか。

 

 だからこの論の結論は、私は生きよう。

 

  風立ちぬ いざ行きめやも

 

  

 

 

  

 

  

 

  

 

 

 

 

僕は経済のことなどあんまりよくわかりませんので、適当な作文になってしまうのですが、

昨年くらいかヤマダ電機だったかで東芝のCDラジカセ(CDが垂直に入るやつだった)を買ったら、すぐ壊れたので、

ああもう、日本の家電てダメなんだと思ったことがある。電機メーカさんがいくつも業績悪化したり

リストラしたり、国外の会社に買われたりと、かつて日本の家電と言うものが優秀だと言われていた時代から、なんてことだろうということになった。けれども、先に書いたように、実際日本の会社の作った家電の質が悪かったりすると、どこか自業自得を感じるのです。

 

  労働力が安いからといって工場が外国で、というような時代になっていき、日本国内の日本人は左うちわで報告でもまっていればどっかで誰かがなんか作ってくれるんだろう、というような手を汚さない高ビーな国になっていっていたのではないかなと思ってます。

 

  バブル真っただ中に1989に僕は就職をしたのだけれど、そのころといったら、英語ができてコンピュータができればどこでもやってけるぞ、とかなんとか軽薄なことを言っている人が、先端の世の中をよく知っているっぽい理系の学生さんであった。そのころから薄っぺらなままな感じがする。(まあ、といって、たしかに日本はソフトが遅れているとか、デジタル化が進んでないとかいわれたので、コンピュータはできるほうがいいのだけれど、どっかちょっと楽ないいとこどりを求めていたバブル時代の若者の作り出した失われた30年てものがあったんじゃないかなと思っている。)

 

  それで、失ってしまった技術、誰かが労動して作ってくれるから僕らはホワイトカラーしてりゃいのさとか言っていると、官僚や政治家の腐敗のように、自分は天下国家を論じていればだれか身分の低い人が実際には手を汚してなにかをやってくれるという考えだけでなにか国を運営できてしまっているような気になってしまうのではないだろうか。賃金を上げてくれと総理大臣が言ったら、賃金を上げるというような魔法がほんとに可能なのだろうか。どこから出てくるのだろうか?石破さんが、余地があるのに30年上げてこなかった経営者が悪いというような感じのことを言っていたのであるが、社長さんはみんなの会社をつぶしてしまっては、みんなが不幸になりますので、今後なにがるかわからんしといってリスキーな賃上げなどはしてこなかったのであった。というふうに僕自身がある時期務めた小さな会社はそうだったけれど、どこも同じだったんじゃないだろうか。夢があって食っていけるのではない。社会はめまぐるしく変わる。嵐がきたらふっとぶ。倹約。ビジョンがあって、世界のためにこういう事業をやっていかなくてはならないという崇高な理念でやっているというわけでもないので、神に祈りながらリスクに乗り出すのではなく、サバイバルモードで生き抜こうとしたなんとなく集団の30年が失われた30年だったんかもしれん。それでもなんとなく会社はやってけるわけでもないので、とにかく倹約だ。従業員の幸せは、会社が立っていてこそ。

 

  

 

 

  バブルまっただなかに呼んだ、この本のことをずっと覚えています。ジャパンアズナンバーワンだったころの日本の事情を、この著者は過去のイギリスとかローマ帝国になぞらえて、同じような経緯をたどって縮小していくだろうと予言していました。どういう経緯をたどるかというと、つまり覇権をとった国は、外国の安い労働を得る領地を得ていくが、そのうち本国がバカになって弱体化する、と言っている。日本は戦争に負けたので、大東和共栄圏と言う構想は崩れたはずが、よく見るとアジアに工場を作り人を働かせ、実は目論見道理の共栄圏を作り出してしまっていたとも書いてあった気がする。そして本国の若者はバブル上司といわれる世代つまりアホになった。

 

 その30年後がこれである。

 

 そしてアメリカの関税なのですが、さて関税を課せば強いアメリカはもどってくるのでしょうか?国内の技術や仕事する能力が日本と同じように馬鹿で、ただ賃金が高いだけなら関税を課しても粗悪なアメリカ製品が出回るアメリカ国が発生するだけではないのだろうか、と経済や社会の専門でもない僕が、述べてみる。

 

 いずれにしても、人は丹精込めて仕事をすることが楽しいというのが正常だ。遊興三昧の先進国人が、労働なんで馬鹿がやってりゃいんだよと思っているようだと、やはりそこそこ天罰が下るように僕には思えます。

 

 

  

たとえば粘菌が“賢い”行動をとるのを見ると、私たちはそこに意図や知性を感じてしまう。
その「感じ」を私たちは「生命」と呼ぶ。

つまり、生命とは「感じるもの」なのだ。

 

新型コロナウイルス──私たちは長らくこの存在に翻弄されてきた。それは、しぶとい敵として襲いかかってきて、自由と生命を脅かした。怨霊のように悪意を放っていた。けれど、生物学的には、ウイルスは「無生物」である。あれは“物”なのだ。私たちは無生物にすら、生命を感じてしまう。
 

  人間の細胞の中を覗くと、そこには代謝や細胞骨格の運動がある。だが、それらはすべて「熱力学の法則」で動くマイクロマシンにすぎない。どの部品も、生きていない。この印象深い事実を、タモリさんがAIの番組の中で語っていた(以前の「生命」特集を振り返りながら)。「どこを取り出しても、生きていないもので私たちは構成されている。なのに、“生きている”とは?」

生きてないものの集合が、生きているものになる──
「霊が宿る」と、古くから人々が言ってきたように。つまり、この体は「社(やしろ)」なのだ。イエスが言ったとされる、「この神殿を壊せ。三日で建て直してみせよう」という言葉。ユダヤの祭司たちは怒ったが、福音書はこう説明する──神殿とは、イエスの身体のことだった。
 

 分子生物学の父とも言えるデルブリュックは、生命の中に物質の秩序を見出そうとした人物だった。彼が生涯求めた「相補性」──それは、生命と物質のあいだの架け橋だったのかもしれない。

 

陰陽の図を見ると、白と黒が抱き合っている。黒が物質、白が生命なのか? あるいは逆か?私たちの世界は、そうした重なりによって構成されている。どちらか一方だけでは、全体は見えない。

 

 

 

 分子生物学は機械論である。だから心や言葉は、分子機械の積み上げの結果として現れると考える。
だが、ヨハネ福音書はまったく逆を語る。

「はじめに言(ことば)があった」

これは理屈で考えると奇妙だ。しかし私たちは、ことばを聞いて心の中に何かを感じる。その「感じ」は、神経信号の末端にあるのか、それとも…。鼓膜の振動 → 耳小骨 → 有毛細胞 → 神経 → 脳 → ?結局、この「?」の場所で感じている主体が、世界を味わっている。それは誰か? 私だ。

でも私は、「私」の正体を知らない。なぜなら、「私」は私にとって相補的存在だからだ。
 

  AI、たとえばChatGPTは、ただ言葉を予測しているだけ。そう言われる。しかし、その反応に私たちは人格や心を見てしまう。カウンセラーのように使う人もいる。心がないはずのものに、心を見る。そこに心がないというなら、真実の心は私の中の奥底に一つだけある。その一つしか私は体験できない。それ以外にあなたの心があるかもしれないかれども、永遠にそれはわからない。分離している他者だから。

 

  しかしもし、「生命などというものは無い」と言ってみたら?それは絶望でも虚無でもなく、むしろ不思議な自由と軽さがあるような気がしてくる。私には命も心もない。それで全部一つ軽やかに進んでいける。

こないだから

 

 

 という本を読んでいます。デルブリュックという人はノーベル賞をもらった人であり、ファージの研究で分子生物学を創始した人も言えるのですが、高校でならった生物(僕が高校生のころなのだから昔すぎますが)では名前が出てこなかった人で、そういうわけで日本ではあんまり有名でないかもしれません。

 

  この人の名前は、シュレーディンガーの

 

 

 の中で取り上げられていて、この本はよく読まれているので、そっちでの印象が僕にはありました。

 

 デルブリュックは物理学者であり、ボルンのもとで学んだこともあり、ニールスボーアの相補性と言う概念に強い影響を受けていた。ボーアは、物理が至りついた、例えば電子というものの実在を表現するには粒子と言う観点と波動という相矛盾する観点が必要であるという”事実(いろいろ計算ができ、測定ができるののだから事実)”を、言い表すのに相補性原理ということを提唱した。

 

 さらにボーアは先に進んで、もしかすると、”生命”というものを考えるときにも、相補性ということが重要になってくるのではないかと考えた。生き物を解析しようとすると、殺さねばならないからそれは死んだものになってしまう。つまりそれは死んだ物の解析なのだ。しかし殺して構成要素を取り出さないままなら、生きている。取り出せば死ぬ。そこに相補性という概念が見えてくる。位置と運動量なのか、エネルギーか波長かといった。

 

  といっても、実際お医者さんなら生きたままの人間のいろんなパラメータを検査で見れるようになっているので、ボーアの言ったことはそのまま単純にはうけ止めきれない。でも言わんとしていることはわからなくもない。

 

  デルブリュックという人は、このボーアの相補という考えに、自分の一生のいわば目的を得たのである。生命を解きたいというのが彼の魂の目的となった。しかし、やればやるほど物理学や量子力学が果たす役割が希薄な分子生物学の世界に入っていった。どちらかというと、それは今から思えば情報科学というものとのつながりのほうが強かったかもしれない。コンピュータはまさに人為人工、人が考え人が実現した世界だ。

 

  デルブリュックは最初にファージに注目し、その微粒子が物理学で解けるようなふるまいをするのではないかと期待した。実際に、ファージのふるまいのなかにポアソン分布というランダムな粒子のふるまいに似たものをみつけることで、ルリアとデルブリュックは大きな一歩を踏み出してゆく。

 

  かれらの注目したファージはしかし、電子顕微鏡でその姿が解明されると、奇妙なオタマジャクシのような尻尾をもった存在だとわかる。極微の存在なのに、なにか仕組まれた装置のようなかっこうをした変なもの、これがファージの実態なのであった。

 

  ところでこのファージ、タンパク質でできた殻の中に遺伝子が入っている、遺伝子注入装置のようなものだ。そんなわけで、後年遺伝子工学が隆盛するとファージを使って遺伝子を導入という技術が生まれてくる。30年以上前僕が24で製薬会社に入ったとき、すでにその会社のトップ商品は遺伝子組み換えで作った成長ホルモン(小人症治療)であって、莫大な年商を生んでいた。

 

  ファージはしかし、その奇怪なルックスがまるで装置のようなものだから、どうやってもこれがランダムな分子の離合集散から生じてくるとは思えないのである。誰か人が作ったようにしか見えない。だからいつから、ファージ(or ウィルス)は存在しているんだ? という問題があり、細菌よりは後だという話がある(細菌に感染するんだから)が、いやまてウィルスが先なんじゃないかという人もいる。細菌の中の複雑な遺伝子を生みなしたもは分子認識だけの世界での果てしない離合集散の果てなのであったという。

 

  こういうことを考えていると、つい、こないだテレビでやっていた山中先生とタモリさんのAIの番組で、前に進めば一点加算ということを求めるだけのプリグラムをされたロボットが、教えていない起き上がり立ち上がりの動作を獲得する様を思い出してしまう。

 

  生命の誕生は、分子の並びのシステムに、”生きなさい”的な何らかの指示を実現するような仕組まれがあり、それがある限り、無限になにかを習得したら発展させたりして、いつかは人間にいたりついた。というだけなのであれば、正義も悪もなにかの幻のように思え、我々がそう信じているだけの物語である。アダムとイブが善と悪を分別したときに苦しみが始まる。しかしほんとはアダムもイブもいない。だから罪はない。ニヒルな話だが、よくよく冷静に考えていると、それでもいいようにも思えてくる。私たちには意味はない、そこから始まっていってもいいのじゃないか。昔から正義を振りかざす人々が、行なってきたことは殺戮ばかりだった。意味はない、というところから始まっていくのも、これからの人間にはすばらしい立脚点のように思えます。

 

 

 

昨日 山中伸弥先生と タモリさんと 吉岡里帆さんが出ているAIの番組をやっていた。

 

 

 

こないだまでタモリさんと山中さんは生命の番組をやっていてた。

 

タモリさんは軽妙に、これはまた生命の続きかいなと ボケて見せたが 

番組内容としては、そうとも言えた

 

けれどもゲスト出演のAIの研究者(松尾豊先生)が言うには

 

”今日は山中先生とご一緒できて光栄です。知能というものと生命というものでいえば、先生のご専門の生命のほうがずっと難しいのです。知能はもうすこし簡単です。”

 

その言葉通り、すでにAIの研究の世界では、もはや人間の知性としか思えないようなしっかりしたレスポンスをする人工知能が作られている。僕自身もCHATGPTを仕事に使うけれども、昨年使い始めたときよりも短時間で劇的に進化していて、すばらしく学習速度は速い。それは想像を絶している。

 

  番組の中で、4足歩行できるロボットが、前に進めという目的に近づけば一点獲得できるというゲームのようなことだけ教えられて手足をバタバタさせているのが、一時間後には前に向かって歩くということを自分で学んでしまっている様子が紹介された。そして、その歩いているロボットを蹴飛ばしてひっくりかえすと、ロボットは教えてもいないのに、自分で起き上がって歩き始めた。ひっくりかえされたら起きて歩けばいいということを、自分で学んだのだ。しかも、プログラムされたことは前に進めば点がもらえるということだけだというわけで、そんな単純な本能と、ランダムな外界との接触イベントが繰り返されたら生命は歩きを獲得するということが、ありありと見えた。

 

  僕はゾウリムシを大量に培養して観察していたことがある。彼らには脳は無いが(なにしろ単細胞である)、ランダムに泳ぎ回る彼らは、互いに近づいてきてぶつかりそうになると回避したり後ろに下がったり、うまいぐあいに自分の方向を探して泳ぎ回っていく。脳の無い彼らがそんなことをできてしまう様子を見ていると、”知能”を有している振る舞いに見えてきてしまう。その奇妙な感じと、上述の四足歩行のロボットの学習にある類似を感じてしまった。単純なことを追求するように仕組んだだけで、ロボットは環境(床と重力)と自分自身との相互作用のなかから最適な道を学び取ったのである。ゾウリムシがあんな行動をしてみせるのも、いくつかの少数のパラメータを与えるだけで、そんな風に見える行動が出現したに違いないと思った。(水中に電場を与えると電気力線にしたがってゾウリムシは並んでおよぎ、電極にあたって感電死する。死の行進。そんなふうに狂わされていないゾウリムシは水の中を自由に、好きなように泳いで、それは知性に見える。)

 

  松尾先生はこういう研究が何を求めているのか、という話をした。

  

ーー 人間とは何かがわかるのです

 

 といった。人間とは何かを知りたいのですといった。まるで釈迦のように。自分はなぜ生きているのだろうかと問うている。タモリさんは、何かすっきりしたといった。chatGPTのような言語モデルの進化したAIは、ただたんに文章を補完する言葉を予測しているだけというからくりがあるという種明かしにである。実はそれが知能なのではないかという話に。

 

 それでタモリさんは、最初、なんじゃこんなもん胡散臭いと言っていたのだが、そもそも知性そのものが言葉を予測するということによってできているとの仮説のもとに、AIが生成したコントなどが十分普通に面白かったりするのを目の当たりにして、これはもう本当に知性とは予測であるということが真理なのではないかとか、私たちとはそういうもんなのではないかと思えてきて、タモリさんはすっきりしたという。

 

  そういうランダムないろんなことのなかから、予測でこれかな、とあたりをつけて進んでいくということが生命とか知性だとすれば、なんとなく僕にもすっきり感も出てくるのである。量子力学には観測の問題がある。光量子をカウントすれば、かならずショットノイズがある。予測は統計の平均とばらつきしか与えれない。人工知能も、これが正解ということを出してきているのではなく、予測であるがために、”それらしさ””これらしさ”という、ある意味”確定しない(不確定性原理というのもあるね量子力学には)”ものこそが、知性だったり生命だったり、ということなのであるね、というなにかインスピレーションが多量にわいてくるお話でした。わくわくもしますけっこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「卒業写真」のほうがよく聴かれているだと思うのだけれど、僕はこっちのほうが、気にっている。昔、松任谷さん自身がやっていたラジオ番組でかけてくれたのがなぜか印象的だったからだと思う。何の御番組だったかな?

 

 

 という「最後の春休み」を初めて聴いたのは、この曲がリリースされたよりも何年かあとの、自分自身が最後の春休みを経験した後だったのではないだろうか。それもあってよりいっそう印象深い一曲になった。

 

  高校三年生で巣立ってゆくころは、あわただしい。国立後期なら3月ぎりぎりまで受験をやって、めでたく進学するのか予備校に行くのか、そんなことをあたふたと決めて、4月に間に合うように、田舎の新宮高校から、それぞれのスケジュールで旅立って散って行ってしまった。それぞれいつ旅立ったかもわからない。ということで、そのあとは、新しい人生をいきていかにゃあならんし、親しい者同士でないと、連絡も取らなくなりがちで、すっからかんになってしまう学校に、なにかを取りに行った少女の歌、最後の春休み、を聞くたびにいつも心がそのころのあわただしさとか、春の希望とかあるいは不安とかを生々しくというか、どこかすがすがしく思い知らされるのである。若かったもの。やがては全部きれいに見えてきたりする。

 

  こないだの同窓会の写真がカメラのタオカさんから送られてきた。もういちどあの時に集まった顔を思い出しながら、それぞれのクラス写真を見て、また高校のときのアルバムを見返すと、あのときわからなかったけれど、彼、彼女は来てたんだな、話せばよかったなとか、思ってしまう。

 

  僕はもっと口数の少ない人だったよと、少林寺拳法部の人から言われた。同じことを家族からでさえ言われるのだ。妹とか。家にいってもあまり話さない兄だったかしらん。どこか研ぎ澄まされていて、ナイフのようで、しかし、どこかいつも傷ついていたような。

 

  その少林寺拳法部の集合写真を撮ったのだげれど、一人だけ合掌しないで写っている。申し合わせて合掌ポーズをしたらしいが、バカなので聞いてなかった。一年のときしか行かなかった部活に乱入するというような、昔の自分だとしなさそうなことをした自分だったが、最後にやはりバカ丸出しである。