今日という日をあとでふりかえってこれを読む日が来るんだろう。

 

今年、外的には、手がけていたたぶん最後の作品になるだろう装置が、なんとか動き、論文も投稿し終えたこと。面白いと思えたことを学びながら、なんかをつくって、長く時は流れた。来年度で一区切り、定年が来る。

 

 久しぶりに、今日、ニューアースを読んだ。エックハルトトールのニューアース。

 彼は内なる空間を説く。内なる空間というものは、ずっとありつづけたので、失われたことはなかった。ということが、やっとわかったよと僕は言いたいようなところが今ある。さっさともっと若いうちに気が付いてりゃいいものを。

 

 母を見送ったのは昨年だった。つい昨年だった。母は乱れない人だった、晩年になるにつれおだやかに。僕にはしかし僕の晩年がくるしかなく、今はあの内なる空間というものの安らぎに向かうことが、道としてはっきりして、自然に思える。つまり結局僕はそうだった。無理はない。ここに来るしかなかった。

 

 そんなことから、明日から来年なのだけれど、いいと思う。来年が与えられる。いい一年になると思う。やっと行くべき道が見つかったような感じがする。人が読んでなんのことかわからないだろうなこの話はと思いながら書いてみる。今年が暮れる。

 

 

グルジェフという人は、戦争のことを集団狂気だと言った。何の著作で読んだか、”ベルゼバブの孫への話”だったか、”注目すべき人々との出会い”であったか、ウスペンスキーの”奇蹟を求めて”だったか、そのすべてに書かれていたような気もする。グルジェフは人間を研究するために意図的に紛争地域を訪れたという。

 

それを読んで、若者だった僕は、人間というものはそいう恐ろしい状況になればみんなで狂うのだなあと学んだ気になった。

 

 そういう人間の集団の恐ろしい状況は、普通の生活の中ではなかなか見られるもんではない。というわけでグルジェフもわざわざ、そういう地域に出向いて研究したんだなあと思った。

 

 のだけれも。。。。

 

 現代、情報がすばやいインターネットとかテレビ(もうオールドメディアとか言われているし、金を持つ会社とか国家の制御により不公平にならざるをえないからである)の世界では、肉体の暴力よりも前に、情報が煽るメカニズムが人を集団狂気にしてくれる。

 

 最近日本人ならみんな感じている、台湾有事というに日本の国会の中での答弁の文言一つで、国と国が暴力するしないにかかわず状況にまで増幅され、双方の国の人々もSNSであるとかなんであるとかで、好き放題に、基本的には相手のことをボロカスにいうという情報が流れまくっていく。これは集団狂気の一つである。

 

  エデンで神様のもとで、安穏としていたアダムとイブには、ある日 蛇が、善悪を知ることを教えた。ゆえに、世界には味方と敵という2の陣営があって、対立してないと納得いかなくなった。

 

  ということで、今住んで暮らしている日常そのまんまに、実は集団狂気の中にあったということを、昨今ひしひしと感じている次第です。

ずっと見たかったタルコフスキーの惑星ソラリスをやっと昨晩3時間かけてみた。

どれくらいずっと観たかったかというと、48年である。

 

ソ連の映画だというこれが日本にきたのは1977年で、翌年スターウォーズと未知との遭遇が日本にきている。

このころに宇宙をテーマにした映画が3つも日本にやってきて、おりしも宇宙戦艦ヤマトが映画でヒットし(テレビの放送ではだめだったのに)、とにかくそのころ宇宙だった。。

 

  しかしこのタルコフスキーのソラリスはソ連で公開されたのが1972年であることに、昨日見て初めて気が付いた。

日本に公開されたのはタルコフスキーの友人だった黒沢明の呼びかけによるものだったという。だから、その5年後にアメリカ発の宇宙ものとしてきたスターウォーズや遭遇と比較すると、特撮のファクターが希薄で、むしろドストエフスキーの作品を読んでいるような感じである。

 

  音楽はところどころ、バッハ「われ汝を呼ぶ、主イエス・キリストよ」BWV639 が使われ、それによってこの作品が神によって作られた人間というものの悲しみをよりいっそう感じさせる。

 

  この作品のことを知ったのは、そのころ購読していた中一コース(学研のほうです。旺文社は時代。)の映画紹介の記事だったと思う。それにきっと、スターウォーズや未知と遭遇と一緒に紹介されていたような気がする。時系列的にあり得るかどうかよくわからないが。そのあと、中3くらいで買ったいろんなSFを紹介している本で、この映画のことをまた読んで、そこに挿絵で描かれていた主人公の妻の半裸の姿が気になった。まあなにしろ中3だし。

 

  さてその半裸は、昨日観ていたら本当に、出てきた。妻の姿をとって出現してきたソラリスの海が作り出した幻のその女性は、自意識をもった人間そのままであり、主人公ケルビンを愛し、ケルビンも再会したハリーを愛した。ハリーはしかし10年前に死んでいるのである。このソラリスの海の上に浮かぶ宇宙ステーションの中にだけ姿をあらわすが、彼女自身なぜここに自分が存在しているのかを、深く悩むようになる。ハリーはその苦しさのあまり液体酸素を飲んで自殺するが、しかし凍ったからだがとけると、苦しみながら生き返る。想念が作り出した存在である彼女は死ねないのだった。その生き返るシーンが、あの昔みた本の挿絵の半裸だった。

 

  ハリーは怪我をしても傷口が閉じてなおってしまうし、死んでも生き返る。ロケットにのせておいはらっても、現れる。そしてケルビンを愛し、しかし自分がだれかわからない、そして苦しむ。ケルビンは彼女の存在が幻想だと知っていても、そこに質感をもって出現したその再現率とリアルにどうしてもそれが幻想とは思えない。彼女がたとえ幻想でも、今のこの彼女を愛するという気持ちはもう真実としかいえない。

 

  そこで、宇宙船の生存者であったほかの二人と、いろいろな哲学的な会話と喧嘩と、ああだこうだがあって、最後はケルビンの脳波で変調したX線ビームをソラリスの海の打ち込んでしまうことで、ハリーは姿を消す。対消滅とかニュートリノとか物理の言葉でどうにかこうにか説明をしたりしながら。

 

  ケルビンさんは、地球に帰った。そして、自宅にもどって、待っていた老父に会う。カメラが遠ざかって周りが見えるようになると、しかし自然にかこまれた自宅は、実はソラリスの海に囲まれた島だった。

 

 

  タルコフスキーの名作と言われているこれは、同時期日本にきたアメリカの宇宙ものとも、日本のヤマトとも全く違うテイストの作品だった。けれども、そのテーマは重い。自分とはなんなのか、自分が見ているこの世界、この人生とはいったいなんなのかがあのストーリーに凝縮して問いかけられている。

 

  ソラリスという場所を用いて語られているけれど、これはこの人生そのものだ。我々はだれかを愛し、悲しみ、生きて死ぬが、しかし、本当はここが何なのか、自分がだれか、相手が誰なのかも知らない。そして最後にみなと別れて死んでいく、それだけの存在に意味をといつめると、それは不安と苦しみを呼ぶ。けれども、本当には、そうなのだ。何も知らないで、ここにいる。ソラリスが作り出した幻影と人生はかわらない。その幻影(マーヤとか仏教でいうのかこれは)に居ながらにして、我々は人を愛し、喜んで悲しんでいる。それこそがしかし命だともいう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仲代達矢さんが亡くなられた。11/8  92歳とのこと。

 

仲代達矢というと、すぐに思い出すのが、「人間の条件」という映画である。

20代の仲代さんのしかも初主演作品らしい。僕が生まれるよりも前の作品で、白黒である。6部構成で、全部上映すると10時間くらいになる。2部ずつ3本の映画として上映されたものだそうである。

 

 

 ーーーテレビでは、1979年1月2日に東京12チャンネル(現・テレビ東京)が開局15年記念事業として全3作を12時間ノーカット(途中ミニ番組による中断をはさむ)で一挙に放送した。

 

 とwikipediaに書いてある。父と一緒に見たのを覚えている。新宮に住んでいた僕はテレビ和歌山で観たってことになる。そして、12時間番組ではなく、数日にわけて放送されたのを連日見たという記憶がある。

 

  白黒の画面で、なにか古めかしい映画を父が酒を飲みつつ見ている。おもしろくはなさそうだなと思って、僕はたぶん2階の勉強部屋に行っていたはずだが、しばらくして下に降りてきたら、まだ父は見ている。映像は、衝撃的な場面になっている。

 

  中国の荒野のようなところに列車が着く。扉をあけると、なかから立ったまま押し込められて長い旅を続けていた人達のなかから、すでに死んでいる人が列車の外に倒れこぼれてくる。やせほそって、ヒトラーによるアウシュビッツでのユダヤ人虐殺というような写真や映像に見るような画面の色と構図だ。すると、主人公である梶(仲代)の同僚が叫ぶ

 

 ーーー 蒸し殺しやがった!!!

 

  運ばれてきた彼らは中国の囚人で、梶らは彼等を用いて行われる鉱山の仕事の管理をする日本の会社の社員である。梶は兵役の免除と引き換えにその仕事についたはずだった。しかし、列車から死体が倒れ落ちてくるその映像があらわに描き出したように、その現場での中国人労働者への日本人による横暴は激しいものがあり、やがて梶は中国人らの側にたつようになる。結局その仕事場を追われて梶は兵隊として前線に送られる。

  

  この列車から死体が落ちてくる場面を見て、僕はもう画面にくぎ付けになり、その後毎晩「人間の条件」の時間になるとテレビの前に座った。放送が、本当にwikiのいうように1979/1月ごろならば、僕は15歳であって、もうすぐ新宮高校の受験だなというころだった。思い出すにたしかにそうだったと思う。受験勉強をせにゃならんなと思いながら、僕は冬休みこれを連続で最後まで見てしまったというような気がする。それくらい、目が離せない展開のそしてリアルな映画だった。

 

  梶はソ連の戦車が迫ってくる戦場で塹壕から射撃で何人も人を撃つ。穴ぐらの上を戦車が通過していく。同僚が発狂する。死体を戦車が踏みつぶす。不発弾が着弾する。奇跡だ俺はまだ生きている。。。ぎりぎりの画面が続く。

 

  物語はシベリアで捕虜となっても続き、梶は結局シベリアで死んでしまうのだ。このリアリズムとものすごい映像と物語が、なんと僕の生まれる数年前に作られ上映されていたのだ。その後、僕はこの映画がテレビなどで放送されたのを知らない。最近ネットで古い映画もみれるので、やっとあのときのあの映像を数年前にみることができた。

 

  仲代さんというと、最初に見たのがこれだったので、僕の中では仲代=梶という図式がずっと成り立っていた。この映画を見た1979にはしかし仲代さんは47歳のころだったので、梶だった20代の若者ではなかったけれど、今から考えればまだまだ若くて壮年の大俳優だった。といってもあんまりテレビとかに出てくる人でもなかったので、僕が次にスクリーンの仲代さんを見たのは、「優駿」という斉藤由貴の映画でだった。優駿は1988なので、9年たって仲代さんは56歳。ううん、そんな感じでした。大会社の社長にして馬主という役柄でまさに大御所でした。その大御所は会社を大きくしながらもいろんなものを背負うようになってしまったのだよという、娘斉藤由貴には理解不能の問題がいろいろありまして、というような話であったと思う。ああしかし、1988なんてバブル絶頂だった。仲代さん、戦前生まれで、戦争映画出て、高度成長かけぬけてバブルの時代の社長を演じる。

 

 そこから次に思い出すには、やはり「大地の子」で上川隆也が演じた息子であり中国名陸一心と中国で分かれた日本の肉親である父を演じた仲代さんである。製鉄会社でベテランの技術者として勤めながら、中国で生き別れとなった肉親をのことをずっと心の傷みとして生きて来た男。これが1995年であるので、仲代さんは63歳。今の僕とあまりかわらない。中国残留孤児を探したり再会したりといったことが行われ、日中国交正常化のあとの時代。けれども、まだ中国人が人民服を着ていたり文革があったりと、日本と中国の間の状況が今と全く違う時代。

 

  こうしてみてきますと、仲代さんはいろんな役をやったのだと思うのだけれど、やはり、なにか重い人間の運命とか、社会の壁、との間で苦しむ大人の男というものを、演じて来たひとだなと思う。晩年の風情は、リア王とかにそのまんまメイクアップなしでもなれるように見える感じで。

 

  無名塾でたくさん俳優を育てた人でもあった。すばらしい俳優。すばらしい人間。

 

  冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

例年のごとく、少し前に稲刈りが終わっている。近所の田んぼです。

稲穂が実って、昔から言うような、実るほどこうべを垂れていた姿もすこしだけなつかしく、

こういう田んぼの姿を朝みかけるころになると、徐々に朝のゴミ出しもちょっとだけつらくなる。寒々とした、と言う言葉が似あう風景になってしまった。そのうち雪が積もってしまっていたりする姿もまた見えることになるだろう。

 

 

 一年が回っていく。ついこないだ正月だったのにとかは、思わない。一年いろいろありました、というほどでもない。けれども、まだ幸い、仕事しているし、また幸い、新しいものを作る仕事をしてお金をもらっているから、ある時間をかけて、いろんな検討に実験にと重ねて、ようやく今年はモノになる装置ができて、ビームラインで使ってもらって、上々の評判に見える。ここらで論文でも書こうということになり、そういう作業を最近はじめたところ。そんなことをしてお金をもらえるのは幸せだと思う。

 

 なんてことを言っているのも、現役だから言えることで、この日こう書いたのをあと何年か後にみたら、なつかしいというか、どう思うのであろう。ずいぶんと昔のことになるが、こういう仕事をしたいと思ってこの研究所に入れてもらった。最近は普通になってしまってありがたみがわからないが、タイムスリップして若いころに戻って、今自分がやっていることを見たら、そんなふうになりたかったというくらいのことにはなっているようにも思える。けれど、実感というものがない。常に何か足りぬとでも思っているのだろう。

 

 一昨日スーパームーンであった。十数パーセントでかいという月の日、残念ながら曇っていて今一つだった。あれは月の出からすぐに、ちょっと赤いくらいのときに見ると、遠くの街並みの上に巨大に見えて怖くさえある、ってのがいいのだ。たまに、あれが本当に月なのか、とにわかに信じられないアングルがある。たとえば、長い真っすぐな道の遠方の消失点の上あたりの月で、それが異常に見えた子供のころの記憶がある。満月じゃなくて半月だったかもしれない。

 

  それは12/24あたりのクリスマスのミサとパーティーに家族で参加して、家に帰る道すがらで、けっこう遅い時間だったと思う。父も母もまだ40代、姉と妹と小さい弟と私の六人家族。昔だから街灯が少な目で暗い夜に、大きな赤い月が、国道42号線の向こうの端のほうに、可笑しなほど大きくてどうしても月だとは思えない。なにか巨大な超自然的な電球があのあたりにあるのではないかと思われた。

 

  そういう思い出は、一体何のために自分の中に何十年も残っているのかわからないけれど、神が与えてくれたクリスマスプレゼントの風景だと思って大切にしまっておく。母も逝ってしまって1年以上過ぎている。あの世界とこの世界と、いろんな記憶と、何のために人間は存在するのかわからなが、ただ思い出は無駄になつかしい。僕の中にしか存在しないアングルの風景でしかない、そういうランダムな記憶が断片として、僕の中にあり、やがて僕も逝く日にはそれも消滅していく。やすらかな宇宙だここは。

  

  

ロバートフリップもダリルホールも約80歳になってしまった。

しかし全然かっこいい。

 

    フリップのソロアルバムexposureは1979の作品である。レイモンドムーディーの”垣間見た死後の世界”は日本では、1977の刊行である。つまりスピ系のはじまりである。その後しばらくするとシャーリーマクレーンのアウトオンアリムを山川夫妻が刊行する。ナウウェン神父の傷ついた癒し人という本を僕はたぶん1980 くらいにケルソ神父から紹介されて読んで、そのなかにクリムゾンのデビューアルバムのクリムゾンキングの宮殿の中の名曲エピタフの詩が紹介されているのを知る。クリムゾンのリーダーであるフリップはグルジェフの神秘主義に傾倒していた。レッドツエッペリンのジミーページは黒魔術だった。よくしらんがクロウリーとかかな。クロウリーは水木しげるも研究していたみたいだ。そんなことを事細かに説明してくれていた渋谷陽一さんもこないだ亡くなった。渋谷陽一とサウンドストリートをやってて友達になれそうかなれなさそうかといっていた坂本龍一もだいぶ前に亡くなった。なんてことだろう。悲しい。

 

  エピタフを書いたシンフィールドは、つい先ごろオッペンハイマーという映画で描かれたような物理学者の時代の悪魔性に若者の感性で絶望した楽曲を実現し、それはクレッシェンドのトップに向かう歌詞に表れている

 

  The fate of all mankind I see
Is in the hands of fools

 

 ーーー  人類の運命が馬鹿者の手に握られていることが私には見える

 

  ここのところの曲のつくりは最高で、中二病の僕を泣かし続けた。

 

  しかし80年代には、クリムゾンを解散してのち、グルジェフの思想を学んだフリップの実験は、

 

 ーーー生きる

 

 ということにあった。世界の原罪を背負うことをやめたと、彼は言っているように思う。だから生きることはエゴイスティックだけれど、おのれが世界を救うとかいうのは傲慢であるという悟りも感じます。

 

  ということで、フリップ師は長くエピタフを封印していたと聞く。若者をだましているような気分になるからだそう。けれどもフリップ69の歳、来日してくれてちゃんとエピタフを演奏し、僕はそれを聞いたのであった。あれからなんともう10年たってしまい、フリップ79。

 

  アルバムexposureで共演してくれたダリルホール同い年。けれどもみな今でもかっこいい。フリップは、人類を救うことよりも、生きることを選んだ。そこがまたいいようにぼくは思う。なにしろフリップはなぜかモヒカンである。この歳にして。

 

 

 

「出星前夜」に引き続き、興味がわいてしまったので これを読んでみた。

 

  知らない作家の知らない作品を、ひょいと たつの図書館で借りて読むという、安上がりな趣味を持ってもう10年以上になる。確か母が脳梗塞で入院した直後くらいだったか。僕はリスクをしょって冒険やら経験値を得るということができない程度の人間であるけれど、何の危険もなく本くらいならいろんな体験やら知らないことを知ることもできましょうから、と思って、あるときからそういう読書をするようになった。なにしろ流行作家とか何も知らない僕なので、適当に分厚くて読みごたえがありそうな格好の本を棚から引き抜いては、司書さんが工夫して背表紙に貼り付けてくれている要約(帯を切り抜いて貼ってある)を読んで、これはいけると思ったら読む。ときどき当たりがあり、夢中で読めてしまうようなものに出会える。そして、全然知らなかったことを知る。

 

  「出星前夜」で初めて島原の乱の全貌を知った僕は(まったくよく知らなかったのだなんとなくしか。天草四郎とかくらいしか。)、もう一つ図書館の棚でみつけてこれを今度は読んでみた。

 

  川越宗一の「パシヨン」である。パッションはメルギブソンが監督したイエスの受難を描いた残酷映画と同じタイトルである。パシヨンは日本の話なので、やはりまた島原や長崎にまつわる物語となり、もう一つ、スコセッシ監督の映画「沈黙」(遠藤周作原作)でイッセー尾形がやっていた井上筑後守が準主役といってもいい立場で登場した。主役は小西行長の孫にあたる小西彦七である。更に日本のマルコポーロと言われたペトロ岐部、”沈黙”でも登場したフェレイラ元神父がいる。

 

 この読書で僕はこれらの人々を初めて理解し知ることとなった。小西行長がキリシタン大名であったとかいうことも知らなったくらいで、こういう年齢になってやっと、日本という国の持つ特殊性をいろいろ学んだ。

 

  大阪夏の陣ので経験した戦の乱暴狼藉の地獄を教訓に、強く天下泰平を望んだ築後守がその願いに忠実であるがゆえに、お上への忠誠と、キリシタンへの弾圧を強烈に推し進めてゆく人生を歩いていく。片や、運命として小西行長の孫として生まれたために、敗残の家臣たちからお家再興の願いをかけられながらも自由をもとめて司祭への道を進んでいった彦七。かれらは、物語の終盤で拷問を与えるものと受けるものとして対峙する。

 

  こういうことがその17世紀日本では起こっていたのだ。人間を治め、平和を維持するということと、神にまかせ自由に生きるということは、対立的なことなのだろうか? ある時代、キリシタン大名というものが何人もいて、領民ともどもキリスト教徒だったりしたわけだが、結局日本はキリスト教というものが日本を乱すものと定義した。布教ということと侵略や商売やといったことが複雑にからんでいた点もあるし、進んだ西洋の武器弾薬いろんなものの脅威ということもあったろう。

 

  しかして、残虐と暴力により、ものごとを平定するという方針は、やはりむごたらしく、哀しく、キリスト教歴史においても世界で行われたいろんな迫害と殉教の中でも、日本のキリシタンの弾圧の歴史は非常に激しいものの一つとなっている。逆にキリシタンのよる寺社の焼き討ちなど、そういうことも実はあったのである。この本にも正直書かれている通りで。さてこれは何だろう。日本人の性の一つだろうか。どうにもおっかない遺伝子を僕らはもっているのかもしれぬ。現代にもはびこるいじめの問題とか、無関係とも思えない。集まって調子にのってバカをする。戦争も集まって調子にのったバカのなせることなのかもしれない。勉強ができてエリートを歩んでいるのだけれどなんかバカとか。いろいろ。

 

  

 

おどみゃ島原の ♪~

 という歌を高校の修学旅行のバスガイドさんが教えてくれた。バスガイドは19だった。今の自分がタイムスリップしてみることができたら子供が子供をバスガイドしているように見えるかもしれない。それでも16か17の僕ら(高2で修学旅行に行った)には19のバスガイドはしっかりした大人にしか見えなくて、最初に自分が19だと自己紹介してくれたときに僕らはおどろくほかなかった。

 

 そのころの新宮高校の修学旅行は毎年九州で、阿蘇、長崎などを回った。僕は長崎の自由時間を一人で歩き回った。あのころも一人でいることが苦痛ではなかったのだろうか僕は。坂を上っていくと美しい教会が現れた。その大浦天主堂に入ると、他校の女子らがお御堂に静かに座っていたのを覚えている。

  26聖人の像がならぶ殉教の地も、また原爆の資料館も、この地一帯に何の業かわからぬが、キリストの受難のような神に背負わされたかのようなどうしようもない悲しみのトーンが流れているように感じられた。

 

 

 

  僕はカトリックのキリスト教徒でありながら天草四郎という名前くらいしか島原の乱について知っていることがなかった。おどみゃ島原のという歌を19のガイドさんから習ってもう40年以上たった。だからあのガイドさんもしっかり60代だろう、僕もそうなのだから。島原の乱を、ためしに日本史の教科書でしらべてみると、ほんの数行述べられているにすぎない。

 

  しかし、この作品”出星前夜”で、初めて、この一揆には、厳しく禁じられていたキリスト教の教えに従うものへの取りしまりという表の理由の裏の真実の理由があったことを僕は学んだ。よくしらかなかったが、歴史をよく勉強する人にとっては常識だったかもしれない。この乱は、島原を治めた松倉家が領民に課したありえない重税などに端を発するものであり、飢饉、疫病なども複雑にからんで、蜂起する以外になかった追い詰められた民の最後の行動だったことがわかる。この本では天草四郎よりも、むしろ島原の鬼塚監物(四郎らとさらし首になる)らに焦点を当てている。彼らがもともと豊臣方の武士であったものが徳川の世となり刀を捨てて百姓となった強者であったため、彼らを多数擁していた島原の蜂起軍は強力で、幕府が命じた九州諸藩たちの軍が太刀打ちできなかったということが、この乱を長引かせた。

 

  とはいえ、もちろん歴史が証明するように、いかに異国の神への信仰深くあれど、それは戦の神ではなく、愛の神であった。

この蜂起軍は、籠城の果てに力尽きて追討軍に敗れ、数万にも上ったすべて女子供もふくめ処刑され、また戦死した。壮絶なできごとであった。

 

  高い税をとり、己は好きな暮らしや夢を追いかけ、税を払う民の困窮など興味がなく別世界のことと忘れ果て、民が苦しんでいようと病んでいようと、暴力で税をとりたてたという、でたらめの政の果てのできごとだった。もちろん、松倉の殿はこの戦後、おとがめをうける。最後は斬首となった。蜂起の民は、命をかけ、徳川にでたらめの政がどのような悲劇を生むかを知らしめるために戦っていたのだった。

 

  昨今、日本も高い税に苦しんでいる日本になっていると私たちは言うのだが。この本の時代の農民が為政者たちにやられたことといったら直球で犯罪であった。年貢を納めない領地の庄屋さんをムシロにくるんで火をつけたりしたという。

 

  

  

 

一昨日、秒速5センチメートルの実写を見て来た。

 

 

 

  このアニメーション作品を実写化してしまいたいという気持ちになるのはよくわかる。絵が異常に美しいからである。

 物語をつむぐのはストーリーだけではなく、セリフだけでもなく、風景、星、雲、風、雪、すべてふくめた映像が語るその言葉なのだということを、新海さんの作品を見るといつも思う。話を追うためだけではなく、新海さんが作る絵柄を見たくて、僕らは映画館に足をはこぶ。

 

  実写秒速5センチメートルの映像は、アニメーション作品をしっかり再現していた。それだけ奥山由之監督の新海誠監督へのリスペクトが感じられる。そして、一時間ほどのアニメーションのでは描かれなかった部分が補完されている。新海監督は、この新しい実写作品をご自身も見て、いたく感動したと語っている。また、いろんなところに、たくさんの人の感想が述べられていて、概ね評判はよく、泣けたという話も出ている。

 

  最後プラネタリウムに座ってコトー先生館長と会話するシーンで、僕もうるうると来ました。

  貴樹君はどうして、ああなんだろう、という?をアニメを見た僕はずっと抱き続けていたのでした。たくさんの人があれを見て、あの種子島?の高校の女子に肩入れしてしまいたくなってしまうのも、よくわかったのでした。貴樹君は、なぜああだったのか。それは、伝えることができなかったコトバをずっとしまい込んでいたからだということが、この映画では、もっとはっきり打ち出してあった。そういうことをわからせる会話をさせるための宮崎あおいと吉岡コトーのキャスティングでした。それでもわざとらしくなくて、程好く理解させてもらいました。逆に、察してくれよお前、というような説明省略型のつくりだと、なんか不安はのこったであろうなと。コトー先生と篤姫先生を持ってきたことで、説明のための存在という付け加えではなく、役者の芝居力でちゃんとなってました。監督の英断です。

 

  さて、明里は桜の花びらの落ちるのは秒速5センチメートルと言ったのだけれど、実際には、貴樹君の人生が秒速5センチメートルなのである。不器用に、自分はどうしてこうなんだろうという原因を不明のまま、前によたよた進んできたけれども、なにがしたいのかわからない、どうなりたいのかもわからない。本当の気持ちもわからない、そういう貴樹君を見ながら、しかしながら、多くの人が、僕も含め、ああ、これって俺か、とか思ってしまうのである。秒速5センチで牛歩してゆく貴樹君とは裏腹に、大人になれないピーターパンをやっていたはずの高畑充希の明里ちゃんは、ご結婚されて、貴樹君もきっと幸せなんだわと確信微笑みしていられる余裕の大人になっていたのでした。

 

 あの雪の桜の木の下で、すでに明里ちゃんは姉さんのように、弟貴樹君をだきしめていました。それから10数年大人になれないでピーターパン化してしまった貴樹君が、コトー先生に涙で語ってやっと言葉をとりもどしたのでした。さすがはコトー先生です。精神科もいけます。

 

 

 

ノーベル賞といいますと、僕ら古いもんは やっぱり湯川秀樹とくる。

 

 明るい戦後の話題 として湯川先生のノーベル賞が1949年だから終戦後すぐです。それは素粒子物理の理論であって、その時代のこの分野は映画オッペンハイマーで描かれたような具合に、時代を先導するとともに、人類の罪業に寄与してしまった分野でもあった。

  映画の中でもひときわ哲人に描かれたアインシュタインが戦後、湯川に会ったときに、自身が強い親しみを感じていた日本にそれが落とされてしまったことを涙を流して悲しんだと、湯川の妻が述べている。

 

  アインシュタインは、ナチスが原爆を開発してしまう前に、アメリカが先んじるべきだと、時の大統領に進言したとされる。  

  オッペンハイマーは、この国家プロジェクトを率い、そこに集まった物理学者の面々の中に、ボンゴとをたたく、若きファインマンもいた。ボーアは、ハイゼンベルグと決裂してアメリカに亡命後、このプロジェクトに加わり、プランクらとともにドイツに残ったハイゼンベルグらはヒトラーに協力することになってしまう。ハイゼンベルグの著書 ”部分と全体”では、ドイツに残った彼らが、しかしいかにして原爆の開発を遅らせてヒトラーを欺こうと苦慮したことが述べられている。ハイゼンベルグらは、終戦後占領軍に一度は逮捕されてしまうのであった。

 

 とここに出てくる科学者たちはノーベル賞受賞者ばかりである(オッペンハイマー以外)。科学という知識は神から与えられた自然を読み解き、しばしば人間の力を桁違いに超えたパワーを生み出す原動力になる。ノーベルという人がダイナマイトを発明し、莫大な財産を築き、”死の商人”と呼ばれることになった運命をなげいて、私財を投じてこの賞を設立したという。社会に与えるインパクトの大きさは、人類の生き死にを左右する。

 

  という激動の第二次世界大戦が終戦し、焼け野原になった日本に、湯川秀樹の受賞は明るいニュースだった。日本人で初めてでもあった。というわけで、つまり古い人間には、いつまでたってもノーベル賞というと湯川秀樹なのである。僕は母方が和歌山の湯川氏であるから、婿養子で湯川になった秀樹先生と遺伝的つながりはないものすごく遠い親戚としての親近感とかも。けれども、物理学を勉強するときは、その後にノーベル賞をもらった朝永振一郎の本が僕は好きです。

 

 今年はノーベル賞が日本人から二人もでた。

 

医学生理学賞 坂口志文 先生

化学賞 北川進 先生

 

後者の北川先生というかた、私の職場のSPring-8でも研究を行ったかたであった。

ここにはたくさんユーザーがくるし、広いし、ビームラインは多いし、私人はなにも絡みはなかったけれども、この施設にとって喜ばしいことであった、ということで、

 

 

と斎藤さんもコメントを出した。この兵庫の山中まで実験しにきてくれたんですね。昨日もK藤君のビームラインに実験にきていた京大北川研の准教授の方が、先生がノーベルとったからってことで、急いで京大に帰っていったとのことでした。大騒ぎだ。

 

  北川さんのコメントは、面白い。

 

” これからは「気体の時代」――。今年のノーベル化学賞に決まった京都大の北川進特別教授(74)は、自らが開発した新しい材料を生かせれば、世界がエネルギー資源を奪い合う「争い」がなくなるという夢を描く。”

 

 そうなればいいな。湯川さんの時代は戦後から冷戦の時代へ、大国が水爆やコバルト爆弾やと作っては実験していた時代であった。それはオッペンハイマーが率いて、この国に投じられた原爆のきのこ雲に象徴された、覇権を争いつつもどこか終末におびえている人類の姿だった。今は、人間はまだ生きて、この星を大切に美しい場所にしていきたいと願う時代。

 

 たとえサムソンとペリシテ人の戦いを、今でも繰り返している中東の輪廻のさなかにも、一つの希望として。

 

「これからは気体の時代」 ノーベル賞・北川さんが描く争いなき世界(朝日新聞)|dメニューニュース(NTTドコモ)