みなさま、こんにちわ
さくらゆかりです。
さて、東京湾の記念船の続きは、横浜にやってきました
桜木町の「日本丸メモリアルパーク」に、「帆船日本丸」が繋留されています。
日本丸というのは、船員を養成するために、文部省の航海練習船として建造された船です
建造されたのは昭和5年(1930年)
日本はすでに一流の海運国でしたが、商船教育機関は10数校の学校があったものの
大型の練習船を保有しているところはなく、大正時代の終わりには大型練習船の建造計画が
文部省により持ち上がっていました
昭和3年、議会で2船の建造計画が承認され、神戸の川崎造船所で建造が始まりますが、
設計は日本人に知識のあるものがいなかったため、スコットランド人の
ラメーズジ・エンド・ファーガソンさんが担当しました
こうして、2年後の昭和5年、完成した一番船が「日本丸」です
(2番船は海王丸といいました)
その後、日本丸は54年間、船員学校の実習訓練船として活躍しました
正確な人数の集計はないですが、航海の総距離は183万キロ(地球45周
)
育てた実習生は11500名に上るとされています
船員教育船としてだけでなく、戦中戦後の時代には、帆を外して石炭輸送や、外地からの引き上げ船、南方諸島での初の遺骨収集など数多くの業務にも従事しました
昭和59年(1984年)。日本丸は引退し2代目の日本丸にバトンタッチし
その後横浜市に払い下げられ、1985年から横浜市が一般公開を開始しました。
現在は重要文化財です
なんといっても、帆船
ただし、普段は帆は張ってなく、年に12回の総帆展帆の時だけが全部の帆をみる機会なのですけど、帆やロープの貼り方(縛り方?)に、動物のニックネームがつけられていて、下図のようにその解説がありました(字が小さくて分かりにくいですけど…
)
操舵室
一番上層の操舵室
舵輪 かっこいい
航海に必要な教科書(潮汐図、天測歴、国際信号や灯台表の本など)や
コンパスなどが展示されてました
船の換気のための通風筒
ただ固定されているのではなく風向きに合わせて向きを変えられるようになっています
そのため、きせる型通風筒と呼ばれます
船が岸壁に接岸している時、ロープが張ってあるのを見たことあるかと思いますが
そうしたロープをくくりつける台(ひっかけ)です
船内にはいっていきましょう
清潔で、とってもきれいなのが、印象的でした
表彰も数多くされているようです
こちらが、訓練生の居室(寝室)
これは、船員さんが毛布を準備した時に、ただ置くのではなく、飾り毛布といって、
アレンジメントして用意する習慣(趣味)です
この毛布は、見事な「ハート」の形をしていますねー
こちらも、船員のベッド
機械室長の部屋
展示品の部屋では…
当時の時計や、六分儀がありました
帆のミニチュアセット
医務室
昭和35年、盲腸の手術が行われたことが記事になっています
続いては、エンジン。帆船といっても、帆はあくまで訓練のために張るものなので、通常動力(エンジン)で、もちろん動きます
日本丸のエンジンの部品が多数、解説されていました
エンジンルーム
調理室
船で料理を作るのも大事な仕事ですね
講堂
船長の部屋(公室)
赤じゅうたんで立派
飾りのフラワーアクセサリーがありましたよ
船長室の続き…
あれ、ぬいぐるいが… もちろん当時のものではないですね
士官ルーム
士官ルームの天井にはステンドグラスがあります
船医室
事務長室
通信室
海図は海図室にあって…
もういちど、船のデッキにでました
手動舵輪 おおきかったです
ちょっと暑いですが天気のいい日でしたよ
日本丸は、入館料がかかり、単館で一般400円
(おなじ敷地にある「みなと博物館」「柳原良平アートミュージアム」の共通券だと800円)
桜木町駅から、コスモワールドや運河パーク、赤レンガなどに行く起点あたりにあるので
ご興味のある方はぜひご覧になってみては。
なお、単なる展示だけでなく、海洋教室や子供向け体験プログラムなども実施されているので
イベントがたまたま入る時もあるようです。
さて次回の船は、山下公園「氷川丸」です
それでは皆さん、明日も皆さまにとって良い日でありますように~