興福寺 南円堂・北円堂が特別公開中
「うるわし奈良」のツアーで興福寺について学びました
奈良の興福寺の南円堂と北円堂が、現在特別公開されています。(11月10日まで)
何度も興福寺に行ってますが、今回はただ見るだけでなく興福寺についてくわしく知りたいと思い、10月17日に『うるわし奈良』のツアー・イベントに参加しました。
私がこの日参加したツアーは『興福寺まるごと!不比等のヒミツから秘仏まで』。
藤原鎌足の息子・藤原不比等を軸に興福寺について知る3時間のツアーです。
『うるわし奈良』ツアー参加は初めてで、ちょっとドキドキしながら集合場所の行基噴水前に。
優しそうな女性のガイド・忠内香織さんが待っていてくださって、不安がなくなりました参加者は男性も女性もいて10名、半分は他府県の方。
まず渡されたのが、オレンジ色の興福寺バッグです。
パンフレットや地図と一緒に、ゆかりふりかけが入っています
興福寺と三島食品のコラボの特別バージョン!イラストは南円堂におられる四天王の中の増長天でしょうか?(私の名前と同じゆかりなので、この食べ物には愛着があります)
すぐに興福寺に行くと思いきや、まず奈良県庁の屋上へ奈良県庁の屋上からは奈良市の街が一望できます。ここから奈良の都・平城京を捉えます。
↓ 南方向を見ると、すぐ前に興福寺の五重塔や中金堂の屋根が見えます。
↓ 西側、写真の左には東大寺大仏殿、右には若草山が見えます。
上の写真の景色からもっと右に視線を移動すると、三笠山が見えます。↓(後ろの大きな山ではなく、手前の小さな山が三笠山)
遣唐使で唐に行った阿倍仲麻呂が詠んだ歌
「あまの原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」の、あの三笠山です。
屋上では忠内さん作成のテキストを見ながら、奈良時代の天皇やそれを支える人達、不比等の話などを聞きます。日本史をざーっとなぞっただけの私には知らなかったことやおもしろい話がいろいろ聞けておもしろい
県庁を出て、土塀の続く狭い道を歩きます。
現代の奈良市の道は、奈良時代に造られた碁盤の目の条坊と重なります。平城京の中でこの辺りがどういう位置づけだったのかなどを教えていただきます。
心の中では1300年前にタイムスリップ
京都から攻めてこられた話などを聞きながら歩いて、興福寺に着きました。
興福寺はなんと7度火事に見舞われているとか興福寺の歴史は焼失と再建の歴史とも言えます。
↓ 中金堂は、7度の焼失の後昨年300年ぶりに再建されました。
↓ 今回私達がまず入ったのが、東金堂。
奈良時代に創建以降5度焼失の後、室町時代に再建された国宝です。
納められている仏像21体、作られた時代が様々です。私はここの十二神将立像が好きです。12体それぞれのポーズがおもしろい!
次は、特別公開中の南円堂。
八角形の小さなお堂ですが、12体全ての像が国宝です。歴史で「運慶・快慶」を習いますが、その運慶の父・康慶(こうけい)が12体全てを作っています。
↓ そして、特別公開中の北円堂。
こちらも八角形のお堂に8体の仏像、全て国宝です。
無著菩薩立像(むじゃくぼさつりゅうぞう)・世親菩薩立像(せしんぼさつりゅうぞう)の2体が運慶の作。弥勒如来坐像(みろくにょらいざぞう)は、運慶が統率し運慶一門の仏師が作ったと言われています。
今回の南円堂・北円堂の特別公開は、康慶・運慶の作った仏像を間近でじっくり拝めるのがすごいところです。
最後は興福寺を出て、奈良基督(きりすと)教教会を門の外から見学しました。ここは宮大工さんが建てた和風の基督教教会というたいへんめずらしい貴重な建造物です。
ツアーに参加して、普段ならなんとなく見てしまう街、お寺、仏像、教会にそれぞれどんな意味があるのかを知ることができました。そして、今まで私はあまり関心を持たなかった藤原不比等に興味を持ち始めました
最後に、ガイドの忠内香織さんと一緒に写真を撮っていただきました
忠内さん、とても楽しく勉強になりました。ありがとうございました
この「興福寺まるごと!不比等のヒミツから秘仏まで」は、これからも何回か開催予定です。
奈良では今、奈良国立博物館で『正倉院展』が開催されています。1日で両方回ることもできます
歩きやすい靴を履いて、奈良にお越しになりませんか?