こんにちは 王様です。
2017年5月、ALSの確定診断の為、くまりんは、検査入院した。
ALSの告知自体も、辛い出来事だったが、入院中、ご飯が食べられなかったり、トイレに行けないのも、辛い出来事だった。
移住したタイ国から、一時帰国し、「神経痛性筋萎縮」の診断を、一年前に受けた東京23区内の国立病院の神経内科を、4月末、再受診した。
その場で、「重篤な運動ニューロン疾患の疑い。家族と一緒に話すこと。直ぐに検査入院。」を告げられ、もう99%、ALSであることを確信したくまりん。
念のための検査入院、王様の付き添いは無し、くまりんは不安いっぱいだった。
王様の面会は、緩いルールだったので、昼前から消灯前まで、なんとか長時間滞在できた。
でも、くまりん一人での時間、食事とトイレが問題だった。
まだ、検査入院であり、ALS患者でもなく、ケアが必要であることが、病棟では配慮されていなかった。
直前までの生活では、くまりんと王様二人で協力すれば、くまりんは日常生活を送れていた。
でも、よく考えてみれば、退院後直ぐの申請で、「障害者手帳1級」で「要介護4」の認定を受け、ALSの病状はかなり進行していたのだ。
くまりん一人では、身の回りのことが、上手くできなかった。
入院した神経内科病棟、そのフロアーでは、ナースコールが、いつも鳴っていて、途切れることがなかった。
看護師さん達は、駆けずり回り、患者のベッドの側を通っても、「ちょっと待ってください」、「今すぐ来ますからね」の声だけを残し、去っていった。
運よく来てくれても、数十分後。
まだ、確定診断前で、患者でもないくまりんは、忙しそうな看護師さん達に、お手伝いをお願いできなかった。
入院中の朝食を、一人では、食べるのが難しかったくまりん。
王様が面会中の昼食・夕食は、お手伝いが出来、完食だった。
二日目に、カルテを見て、病棟担当医が、朝食を食べていないくまりんに気が付いた。
そして、くまりんから、一人で食べることが難しいことを聞き、看護師さん達に、お手伝いの必要を伝えてくれた。
でも、急性期病棟では、ケアまで手が回らない状況。
残念ながら、看護師さん達の忙しい様子から、あまり期待は出来なかった。
衣服の脱着が上手く出来ない、お手伝い無しでは歩行移動が難しかったくまりん。
王様がいない間、夜間から午前中の時間帯、トイレは、どうしていたのだろう。
「フフフ」と口を濁していたくまりん。
忙しい病棟では、「一人で身の周りのことが出来る」か、「栄養剤の投与。オムツで過ごす。」か、このどちらか2分類しかないのだろう。
タイムリーなちょっとした介助で、自力で身の周りのことを続ける、このことは、病状の進行を抑えるリハビリ効果があると思う。
そして、それ以上に、患者自身の生きる意志を持ち続けるために、大切なことだと思う。
さて、ブログをアップする期間が、空いてしまった。
アメブロを開くこともない日々が続いていました。
くまりんも、王様も、心身共に、少し疲労が蓄積中。
受けていたサポートが変わるのは、しょうが無いことだが、その引継ぎがスムーズにいかないのは、ちょっと辛い。
以前なら、平気で受け止めていられたが、今は、少しの負荷の増加でも、ちょっと大変である。
お友達のお土産の紙袋を持つ、くま家の長男「ひるとん君」。
鎌倉・雪の下のドイツパン屋さんの「ベルグフェルド」。
こっちの紙袋は、お友達の説明では、パン屋の隣のハムソーセージ屋「アルトシュタット」。
「雪の下」と言う素敵な地名、鎌倉駅や鶴岡八幡宮の近く、清泉小学校も近くみたいだ。
どこかで聞いたことのある店名「ベルグフェルド」、そう、小川糸の鎌倉を舞台した小説に出てくるパン屋だ。
王様は、鎌倉でも、海沿いの店や海岸にしか行かなかったので、新鮮に感じる内陸の鎌倉。
以前、ドイツパンや硬いパンが好きと、王様が言っていたのを覚えてくれていたお友達。
くまりんへのお土産だけでなく、王様にもお土産を持ってきてくれた。
久しぶりのドイツパン、ずっしりみっちりしたパン。
小ぶりな角パンなのに、重い。
王様の好きなものまで気にかけてくれて、王様は嬉しい。
隣同士のお店、「アルトシュタット」のハムソーセージと「ベルグフェルド」のパンを、両方買って、サンドイッチにするのが、地元での定番みたいだ。
この粗挽きソーセージは、少しチョリソー風かな、しっかりした味で、ドイツパンにも負けない。
食べる時は、「ロイヤルコペンハーゲン」と言えば「ブルー フルーテッド」、その「ハーフレース」のお皿を使った。
次は、また、ALSの新薬の続きを書く予定です。
明日の夜は、花火大会。
くま家の部屋の目の前で打ち上げだ、くまりんと王様二人、そして家族のぬいぐるみ達と楽しむぞ。