意味なんて過剰な首飾りのようなもの。あっても、なくてもいい。 | 現代アート思考でビジネスを変革する「メタ・アーチング」

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【意味なんて過剰な首飾りのようなもの】

「メタ・アーチング」創始者の石橋です。
先日大阪にある国立民族博物館のビーズ展へ行きました。
 
 
さまざまな、物が糸やそれに似たものでつなぎ留められていました。

実は霊長類の中で穴に糸を通せるのはホモサピエンス(新人)だけで、チンパンジーやゴリラ、ネアンデルタール人(旧人)にはそれが出来ないのです。

ホモサピエンスでそれが出来るようになるのは、2才ごろかららしいです。
  
まさに、人間らしさの象徴なわけです。

 
 
ビーズの多くは装飾品や飾りの置物などに使われていて、
美しく飾るほかに、呪術的な意味や権力の誇示に使われていました。


私たちは何故、そういう「飾り」を必要とするのでしょう?

 
 
飾りとは余計な物であり、過剰の象徴です。

飾りが別に無くても、呪術的な意味や権力が本来はなくなるわけではないのに、他と区別するためにわざわざ飾りを作って、見せつけるのです。

それは、私たち人間が目に見えない抽象的なものだけでは、心もとない
からではないでしょうか。

 
 
呪術、権力、安心、力、尊敬などは目に見えな抽象的なものです。

人はそれだけでは不安なんです。
 
 

何かそれらの目に見えないものを「目に見える確かなもの」としたいと願います。

そして、それを創り出して、目に見えないものを象徴させるのです。

 

現代の人が不安に思っていること、

自分とは? 将来は? 愛って? 生きがいとは?

も抽象的なものなので、目に見えないし、はっきりしません。

それは不安なので、何か目に見えるような確かなものが欲しくなります。

資格だったり、お金だったり、プレゼントだったり、
人の笑顔だったり・・・。

しかし、それらは本当はその物自体ではなく

ただの象徴なんです。

その物ではない飾り=余計な物なんです。
 

象徴をいくら集めても、その物の代わりにはなり得ません。

でも、人間はそういう「余計な物」が欲しくなる。


「余計な物」になんとか代弁させようとする。

人間は「余計な物・過剰」から逃れられないです。

それは言葉自体が「余計な物・過剰」を簡単に作り出せる構造になってるからです。

物を作りだすのは物凄く大変ですが、
言葉を作り出すのはすごく簡単です。

「私は土星まで旅行に行きました。」

と書きさえすれば、いいからです。
でも、土星旅行をするなんて、今現在はとても無理な話です。
 
 

「私は土星まで旅行に行きました。」という文章は
ただの文字でなんの意味も存在も本当はないのです。

「共感が大切だ」
「心の痛みを感じる」
「本当の自分」なども
ただの文字でなんの意味も存在も本当はないのです。

人間はみんな、言葉という過剰な飾りを見て、右往左往しているというわけです。
 
 

今回の話はちょっと難しかったかもしれません。
これでも、言葉に関してはほんのさわりでしかありません。

これだけは言えますが、
言葉を理解してない人は、世界を理解することはできません。
 

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