こんちは!ゆかっぺです。(^^ゞ
うちの近所には「石原さん」というおじさん(でも年齢は80過ぎてるだろうから、おじいさん?)がいる。というか、いた。
つい先日亡くなってしまった。
私は石原さんが好きだった。
うちの町内に石原さんがいる、というだけで安心感があった。
石原さんを見ると、いつも「しっかり地に足がついている人」だと思った。
なぜだかいつも、そう思った。

石原さんは、農家をされていて野菜やお米を作っていた。(昔は国鉄で働いていたそうだけど)
子供の頃からこの土地に住んでいて、ここらへんの土地もいくつか所有されている。
うちの家も、もともと石原さんが持っていた土地を買ったものだ。
石原さんは、夜、大好きなお酒を飲んで8時には寝る(そうだ)。
朝は、暗いうちから起きて畑仕事を始める。
私はまだ布団の中だけど、うちの隣の、石原さんの農機具などがしまってある倉庫の扉がガラガラ開く音が、よく聞こえた。
「石原さんの1日が始まるだなぁ」と思った。

うちの家の裏に、石原さんの野菜畑があり、うちの庭から畑作業をしている石原さんをよく見かけたし、会えば挨拶もして、たまには言葉もかわした。
「野菜いるか?」と、そのまま畑の野菜を引っこ抜いて、私にくれることも良くあった。
家に帰ると、玄関に野菜が置いてあることもあった。
石原さんは、畑の横にある農機具などがしまってある倉庫で、農作業の合間に、よくテレビを見ていて、倉庫の開いた扉から、テレビの音が聞こえてくることも良くあった。
なんだか「そこに石原さんがいる」というだけで、私は良かった。
うちの隣が、石原さんのお孫さん家族の家で、石原さんは、自分の畑からお孫さんの家に行くときは、うちの庭を歩いて通って行く。
人の敷地だからとか遠慮せず、うちの庭を歩いて行く石原さんも、とてもいいなと思っていた。
町内の子供達のパトロールもされていて、子供たちが学校から帰る頃には、通学路に立って、子供達に声を掛け、見守ってくれていた。
うちの子も、小さい頃からずっと声を掛けてもらい、見守ってもらってきた。
何年もずっと。
石原さんはそうやって子供達、子供の親達にも安心を与えてきた。

以前、石原さんと話をした時、石原さんは「子供は宝だ」と言って、私は、すっごくそうだそうだと思った。その言葉がすっと胸に入った。
よく聞く言葉だけど、石原さんが言うと、心から納得するというか、受け入れられるというか、とにかく言葉が薄っぺらくない。
心にあるものを、そのまま真っすぐに言葉にする人だから?
今はもう、隣にある石原さんの畑を見ても、当たり前にいた石原さんの姿はない。
石原さんが仕事の合間にテレビをみていた倉庫の扉もしまったままで、テレビの音ももちろん聞こえてこない。
これからも石原さんの奥さんや、息子さん一家、お孫さん一家が、畑の世話とかされるのかもしれないけど、なんだか人が住んで賑わっていた家が、急に空き家になったような感じに私は見えてしまう。
今日、買い物をしに、石原さんの家の前を通った時も、私の心の小さな穴に、ピューピュー冷たい風が吹いていくような感じだった。
もう、私は、石原さんが当たり前にいる世界にはいない。
そう思うと、こうしていれることも当たり前ではないし、まだまだ難しいけど、今ある一瞬一瞬に感謝して、1つ1つ祈りを込めながら生きれるようになりたいなと思う。
石原さんは、そんなに大きくもなく細い体をしていたけど、いつもどっしりとした大きな木のように安定感のある人だった。
とってもとっても「地に足がついている人」だった。
私のように、石原さんがいることで、安心できた人は、たくさんいたんじゃないかと思う。
石原さん、ありがとう。

↑この木、ブランコついてた~🎵