10年ひと昔(そんなこともあったね) | 俺様的猫と母ちゃんの日々

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わが子を可愛がるばかりに、一日に何度も「可愛い♥️」を繰り返す。そんな猫バカ、親バカです。
俺様的猫のチョキと母ちゃんをどうぞよろしくd(>ω<。)ネッ!!

2010年11月20日 土曜日朝から7時30分
土曜当番のあたしが仕事に出かけようとした時
パパの部屋からドーン!と言う音が響いた。

休みなのに何してんの?

見に行ったらベッドから落ちてその下で
もがいているパパ

どうしたの?

とりあえずベッドに引きずりあげると
声にならない声をあげて
失禁した。

只事ではない。

寝ている娘を起こす。
パパがおかしいんだけど、、、

寝ぼけ眼で起きてきた娘が
救急車を呼ぼう。と、言う。

救急車?110番?119番?
震える手で携帯を探す。

あ、119番だ。

程なく下に緊急自動車が救急車と消防車2台到着。

火事じゃないんだけど、、、

救急隊の方がパパに呼びかける。

『○さーん、あなたのお名前はー?』

あたしが答える

『いや、、奥さんバイタルチェックなので』

そこから救急隊の方があちこちに電話をする。

『意識混濁、58歳男性、受け入れをお願いします。脳疾患と見受けられます。』


引き受け先が決まらない。

30分経って決まったのは隣の市の大学病院

救急車の中で
救急車ってこんなに揺れるの?
と、ただ揺られてるあたし。

着いた先の緊急外来

濡れたままの毛布に包まれてるパパ

寒いかも、、、とだけ思う。

やがてパパは奥に消えて
1時間半後に先生から話があると呼ばれる。

目の前には

頭のレントゲンとCTとMRIの写真

頭の半分が真っ白で何も映っていない。

『頭の一番太い血管が詰まって、左手半分が死滅してします。数時間後にこのまま亡くなるかもしれない。一週間後に亡くなるかもしれない。もし生き残れても一生寝たきりになります。意識も戻らないと思います。気管を切開して、空気の通り道を作るのなら、今日中に手術をするかを決めてください。それをしたら亡くなるまで外せません。食べることもしゃべることもできません。どうしますか?』


しばしの沈黙。そしてあたしと娘が目を合わす。
頷き合う。


『やらないでください。それでは生きているとは言えません。』


この時から覚悟は決めた。

ここからどうなってもこの人の天命。



そこから、すったもんだの10年目を迎えた。

話すことは出来ず、身体のの片側は機能しなくても
お菓子が大好きな3歳のパパが元気にしている。


天命って、なんだっけ、、、、

病院からの着信を他と区別して
ひとときも携帯を離せなかったあたしはもういない。


ここからは、一日でも長くパパより生きること。
見送って出かけること。
それだけが望み。

そんなこともあったねーと
すべてを笑い飛ばすには、まだ人間が出来ては居ないけれど。


やれることをやれるだけ。

この話を書いたら一冊の本が出来そうだから

10年ぽーんと、飛んでみた。

今日もできることを出来るだけ。

そうやって今まで来たんだから
これからもそうしていこう。

人間だもの、、いい人ばかりではいられない。
怒ったり笑ったり

頭を撫でられたいけど
頭を撫でてあげよう。


今年はコロナで面会謝絶が続くけど

梅が咲く頃に、桜が咲く頃に
お散歩に連れて行ってあげられる日まで

支える側がへこたれては居られない。


今日も元気に参りましょー。



おっと、、この人よりも長生きしなきゃーね。