29年前の1月17日

30歳だった私。




 

ものすごい大きな揺れに

目が覚め飛び起きた!


 

 

次女(当時3歳)と一緒に

和室で寝ていた私。

 



長女は(元)夫と別部屋で寝ていた。

 

 

和室には大きな婚礼ダンスがあり

その前に布団を敷いて寝ていた私は

 

 

突然の揺れに

 

タンスの下敷きになる!っと




 

反射的に次女を抱っこして

這いつくばるようにして逃げようとした。

 


 

揺れがおさまり

(元)夫が別の部屋から

大丈夫か?と声をかけにきてくれたけど

 

 

電気もつかなくて真っ暗な中

 

足が動かない。

 

足の上に何か重くて大きなものが乗っている。

 

でもそれが何なのかもわからない



 

タンスなんやろか??


『足が、動かへんねん!

 足の上になんか乗ってるみたい』



不思議なことに

痛みとかは感じなかった。



 

 

(元)夫が

何かわからない大きなものを

手さぐりで持ち上げ、


早く出ろ!と

 



なんとか這うようにして

抜け出すことができた。

 

 

その瞬間も大きな揺れが来て

怖くて怖くて

 

 

次女を抱っこし

長女と3人でテーブルの下に隠れた。

 

 

食器がガチャガチャと音を立てて

食器棚が揺れていて



 

(元)夫はその食器棚が

倒れてこないように

押さえていたと思う。

 

 

テーブルの下にいるときにも

ものすごい大きな揺れが起きていて

本当に怖かった

 

 

「ああ、このまま 

 このマンションが潰れて

 死んでしまうんだ・・・・」

 


「こんなことで死んじゃうんだ・・・」


「死にたくないー」

 

 

 

そう思いました。

 

 

しばらくして

揺れがおさまって







 

生きてた、と思いました。

 

 



でもそのあと、

どうしていいのかわからなかった。


どう行動していいのかわからなかったんです。




 

学校はどうなるん?

このあと、どこかへ避難するん?

 

どうしたらいいんやろ?

 

 

どうしていいか全くわかりませんでした。


 



当時は賃貸マンションに住んでおり(4F)

外をみると、みなさんが駐車場に

避難されていたので

 



 

私たちも、

このマンションにいるよりは

車の中にいたほうが安心かもしれないと思い

 



家族みんなで車に避難しました。

 

 


家を出る時に

タイミングよく

父から電話があり

「地震、大丈夫やったか?」 と心配して

かけてきてくれました。

 

 

 

私は、

「とりあえず、大丈夫、

 今から外に避難するから」とだけ



伝えて、外に出ました。

 


 

そのあと、すぐにどこも電話が

みんなつながらなくなったんです。

 



 

あの時に父と電話がつながってよかった

(安心させてあげることができてよかった)と

思いました。

 

  

車に避難してしばらくして

何か食べ物を手に入れようと




近くのコンビニに

買いに行ったら

 



コンビニも

もちろんぐちゃぐちゃでしたが

食べ物はもうほとんど

何もなくなっていました。




 

 

夜が明けてきて

空が明るくなってきてるはずなのに 



 

ものすごい黒い雲のようなものに覆われていて

不気味な暗さで

何か白いようなものが降って来ていて



 

あとで思うと

あれは地震で起きた火災の黒煙と

灰のようなものだったようです。

 



 

どれくらいの時間

駐車場にいたのか覚えていませんが

 

 

ご近所さんたちと

もう家に帰っても大丈夫かもねと

言いながら

 



部屋に戻りました。

 

 

 

明るくなって見た部屋は

電子レンジが落ちて、

エアコンの室外機も位置がずれ

 


私の足の上に乗っていたのは

大きな大きな仏壇でした。



 

高さ1800くらいある

大きな仏壇が倒れてきて

逃げようとしていた私の足の上に

乗っていたのでした。



 

当時、大きな婚礼ダンスがあったのですが

そのタンスも、前に踊り出てきていて

 

揺れの大きさを物語っていました

 

 

水が出ない

ガスも使えない

 

 

一番最初に復旧したのは

電気でした。

 

 

電気が使えるようになって

テレビをつけ

 

 

目に飛び込んできたのは

高速道路から落ちそうになっているバス

 



ぐねぐねになった阪神高速

 

 

真っ赤に燃えている神戸の街

 

  

もう何もする気になれなかった。

 



ただただ ただただテレビを見て

呆然としていた。

 

 

大変なことになっている。

こんなことになるん?

 

 

信じられなかった。

 

 

 

私の足は 仏壇の下敷きになったからか

ふとももに

大きな大きなあざができていた

 



でも不思議なことに

痛みを感じなかった。

 

 

 

その後、数日間

お風呂にも入れなかったので

(ガスが一番遅かった)

 



 

1時間くらい離れた銭湯に行ったり

実家に帰ってお風呂に入ったり

(それも片道1時間半)

 

 

不便な日は続いた

 


 

だけど

そんな中でも近所の人が

   



子どもさんにあげて、と

パンや バナナや、お菓子

たまごなんかも分けてくださった。

 


 

遠くの親戚より

近くの他人。

 

 

人の優しさにたくさんふれた。

 




あの時はほんとに

みんなが助け合い、励まし合いながら

生きていたように思う。

 


 

長い期間、水がでなくて

車で15分ほどのところの

ガソリンスタンドで

 



水をわけてくれるとのことで(無料で)

 

 

ポリタンクを持って

何度か水をもらいに行った。

 



その水が入った18リットルのポリタンクを

4Fまで階段で運ばないといけなくて

 


1人でうんしょ、こらしょと

運んでいたら

 

 

 

たまたま夕刊の配達に来ていた

新聞配達のおじさんが

 

「何階まで行くんや?」

 

「4階です」

 

「運んだろ!」

 

と言って

 



水の入ったポリタンクを

4階まで運んでくださいました。

 

 

ほんとうに

あの阪神大震災の時は

たくさんの人に助けられました。



 

人の優しさにふれて

悲しい出来事が起きたのに

こころが温かくなっていました。

 

 

あの時に助けてくだったみなさんには

ほんとに感謝でいっぱい。

 

 

 

 

あれから29年。

 

亡くなった方々のご冥福を祈るとともに

もう二度と、

こんな大きな災害は起きてほしくないと

心から思います。

 

 

 

鎮魂の灯りを天国の人たちへ。






 


4年ぶりに

ルミナリエが再開されましたね。









地震のあと、初めてあのルミナリエを

見た時には



胸が熱くなり

心が温かくなり

灯りがくれるパワーをものすごく感じたのでした。



ルミナリエの光の中を

歩きながら泣きそうになったことを

思い出します。




能登半島地震で

被災されたみなさまの様子を

テレビで見るのが苦しいです。




いろんな感情が込み上げてきます。




どうか

みなさまが、1日でも早く

穏やかな生活に戻れますことを

お祈りしています。










 整理収納アドバイザーをしています。

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