相手に分かってもらおうと
言葉の限りを尽くして
一生懸命伝えようとすればするほど
どんどん相手との距離が開いていく気がする・・・
そんな経験、ありませんか?
わたしはあります(笑)
貝塚ゆかです、こんにちは。
今回はそんな
「伝えようとすればするほど
分かってもらえない」とき
何が起こってるか?について
書いてみます♪
これねー
私、長年の謎だったの。
専業主婦の頃
育児が辛いこととか
自分の悩んでる気持ちを
旦那にどうにか分かってもらって
旦那にどうにか分かってもらって
寄り添ってもらいたくて
細かい感情のヒダを
得意の語彙力を使って(笑)
必死で伝えていた時期があったのよ。
でも、旦那は
こっちの必死さとは裏腹に
「早く終わんないかなー」って顔して
ムッツリしてる(苦笑)
で、最後に
「分かってくれたかな」って聞くと
「わかったわかった」って言う(笑)
でも、これじゃあまだ
私のことを分かってもらってない!と
そういうことを何度か繰り返したら
耳を傾けるどころか
だんだん私との会話さえ
避けるようになっちゃった。
こんな状態で
毎日グルグルしてたわたしが
やってたことが
ENMAカードを使うようになって
やっと見えてきたの。
たとえば今
細かく話せばきっとわかる!
わたしの状況を想像して
寄り添ってもらえる!って思ってた。
でも、それって
どだいムリな話で、、
世の中に、自分と同じ人って一人もいない。
同じ親から生まれた兄弟だって
性格や物事の捉え方が違うし
ましてや、赤の他人は
それに加えて育った環境もまったく違うから
同じ場所で同じ体験をしたって
その人によって感じることは違うし
同じ言葉を使っても
その人によって意味や重さ
そこに紐づく体験は違うの。
さらに脳の特性もあり
共感とか寄り添うことに
意味を見出さない人だっているし
それにどう反応するかは相手次第だから
分かったところで
わたしが期待する反応は得られない(苦笑)
だから
どんなに言葉を尽くしても
自分のことを
100%他人に理解してもらおうなんて
ムリ、絶対!!
ムリなのに
必死で分からせようとしてたってことは
たとえて言えば
相手を羽交い絞めにして
好きでもないハードロックを
否応なしに聞かせて
どうだ、いい曲だろ!!!!
と、共感を迫ってるのと
同じことなのよ。
で、それに気付いたわたしは
完全に理解してもらおうとか
共感してもらおう、と頑張るのをやめた。
たとえそれが相手にとっては
理解しがたい価値観であっても
わたしは、こういう時に
こう感じるのだよ、ということだけ
伝えるようにしたの。
理解するかしないか、
共感するかしないかは
相手の自由だもんね。
そしたら自分もすっごく楽になったし
わたし、という人物が
何を考えているか
クリアになるようになってきた。
さて、そんなときの