英語オタクの半生【エピソード0(ゼロ)】 | 乳がん治療中でも暑苦しくてすみません。

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人生いろいろあるけど酸いも甘いも思い切り楽しもう!

2017年~乳がん手術・治療を経験してひと皮むけました。
思い込みを外してもっと軽やかに自由に生きたい人のサポートをしています

振り返ってみれば
わたしの人生の半分くらいは
 
 
「英語」
 
というキーワードで選択されてきたなぁと思います。
 
 
 
とにかく、小さいころから
英語が話せるようになりたい!!!
 
 
と思い続けて
そこからずっと大学まで。
 
 
といいながら
なぜか仕事は英語にさっぱり関係なく
今も英語に関係ない生活をしていて
 
 
いつか英語を使った仕事を・・・
と思ってるうちに
グローバルの波で英語ペラペラに話せる人が
そこらじゅうにいて、
わたしの筋金入りのメイドインジャパンな英語は
活躍させる場がないまま、なのですが・・・
 
 
人生を振り返る、という意味で
わたしと英語について
書いてみようと思います。
 
 
 
わたくし、育ちは群馬の片田舎(桐生市)
昭和50年代は外国人なんてテレビの向こうの人で
白人=全員ハリウッドスターに見える状態。

リアル外国人は
イケメン二人組がチャリで勧誘するある宗教の男性以外
ほぼ見かけないという

 

 

そんな田舎で暮らしてました。


英語に出会ったのは幼稚園のとき。

まったく勉強に無頓着な母が入れたのは

なぜかお勉強させる幼稚園で
(あまり考えずに入れたのだろう)

 



仏教系の幼稚園なのに
なんと英語の授業があり
すらっとした白人男性がやってきて
英語を教えてくれたという


昭和50年代では

割と熱心な幼稚園だったですね。


 

 

で、そこでその男性が
リンゴの絵を見せながら

ものすごい口を横に開いて


エァポーーー(Apple)

 

 

と言ったときに

これが英語かっ!

と幼心に衝撃を受けたのです!!!!



なに、これ??

おもしろーーーい!
と思ったのがきっかけ。



その白人男性があまりにキラキラしていたせいか
幼稚園時代からミーハーだったのか

とにかく「英語しゃべれるようになりたいっ!」

と思ったんですよね。


でも今みたいに

英会話教室なんかないし

情報さえないので・・・



小学校に上がっても

何かしら英語に触れる機会がないかと

アンテナを立ててました。

 

 

それで見つけたのが

ガールスカウト。

 


ガールスカウトに入ると、

年に一度、横須賀のベースから

米国のスカウトが遊びに来て

折り紙や紙風船など日本の文化を紹介して

一緒に遊んで交流できる会があるんです。

 

↓ガールスカウト協会よりお借りしました写真



ガールスカウトの普段の活動って

野外キャンプとかハイキングとかなんですが

そういうものには一切興味がなく

(むしろアウトドア嫌いw)



その年に一度の外国人との交流会目的で

ガールスカウトに入団したいと母にせがみ

 

 

普段の活動(祭りの後のゴミ拾いとかボランティア多い)

大きなイベント以外はほぼ幽霊部員となり

交流会だけはウキウキと参加するという

小学生のくせに不真面目なヤツでした(笑)

 

 

それでその交流会で

スカウトのメンバーのお母さまが

英語をペラペラと話している姿を見て

めちゃくちゃ憧れましてね!!!


のちのち、そのお母さまが

近所で英語塾をやっていると聞き

小学5年生から受け入れをしているとのことで

5年生になったら絶対にあの人に

英語を習うんだ!!!!


と決意をし、母にもお願いして
5年生になるのを

首を長ーくして待っていました。


5年生になって習い始めた英語は

もう新鮮でワクワクしてすべてが楽しくて!!

 

まずは英語に慣れるため
当時「もくもく村のけんちゃん」という紙芝居テキストで
そのフレーズを読んで書いて覚えるのですが

もうすべて完璧にやってましたねー。


 

小6では中1の英語テキストを先取りして

1年早く英語を進めてしまうのですが

おかげで中1~中3までは

勉強せずとも学校のテストはほぼ満点でした。


若干スラムな地域で育ったので

勉強できると「ガリ勉」て敬遠されるという文化もあり・・・
メガネをかけていたので「銀ブチメガネ」という

あだ名もつけられ、

中学時代は完全に「イケてないグループ」でしたが(笑)


そんなこんなで英語塾にどっぷりだった中学時代ですが

習うだけでは飽きたらず

「リアル外国人」と触れ合いたくなったわたし。

 

 

またいろいろとアンテナを張っていたら

中学の英語の先生が

 

「そんなに英語が好きなら

外国人と文通してみたら?」

 

 

と薦めてくださり

 

 

外国人の文通相手を紹介してくださる機関を

教えてくれて、文通を始めました。

 

 

もう夢中で辞書引いて

たぶんめちゃくちゃな英語だったけど

生の外国人と触れ合うのは本当に楽しくて。


 

大学入ってからはその子に

会いに行っちゃったんですけどね。

(詳しくは別記事で書いてます)

→私流★お金をかけずに英語を身に着ける その4 日本人ゼロの世界に3週間



 

さらに高校は

近所の進学校が「英語科」を新設するとのことで

カリキュラムを見たら英語の時間数が圧倒的に多く

さらに3年生では
大嫌いな体育と数学の授業がない!!!

 

 

それだけが理由で

1ミリも迷わずそこに進学を決めたのですが

 

 

フタを開けたら

要は今でいうただの

「特進コース」だったんですよね(笑)

 

地元のトップ校だったんですが

あまりの進学率の悪さに

テコ入れすべく作られた

聞こえのいい「英語科」という名の「特進科」

 

 

 

高校に入学して3日目くらいに

先生から分厚い大学図鑑を渡され

「はい、志望校決めてね」

と言われて唖然としたわたし
 

 

 

帰宅するなり

「お母さん、わたし、大学行くらしいよ」

 

 

と言って母もおったまげるという(笑)

 

 

しかも高校入学式の前日に

父がトラックに跳ねられ

コンクリートに頭を強く打ち付け

意識不明で生死をさまよっている真っ最中


もともとの経済状況もかなり逼迫してたので

大学??んなもん行けるのか??

って感じで高校生活がスタートしました(笑)

 

 

幸い父はものすごい生命力で

半年後に意識を取り戻し

 

 

わたしはその父の保険金と

奨学金を受けることで

大学に行くことが出来ました


(父は自分の保険金を
母がわたしの大学資金に使ったことを

ひどく怒ってましたが)

 

 

そして、大学進学は

もちろんここでも迷わず

「英文科」を選び進学。

 

 

英語が得意だったので

英語の配点が高い学校を選んで

大学受験もすんなり合格。

 

 

3歳まで住んでいたらしいけど

記憶がないので

一度住んでみたかった京都へ。

同志社大学に進学しました。

 

 

大学に行けば
これでわたしも英語ぺらぺら!と思いきや
フタを開けてビックリ!

大学の英文科はなんと「文学」を学ぶ場所・・・

 

 

そうです。

「文学部 英文学科」は

英語ではなく

「文学」を学ぶところなのです

 

 

英語には興味があるが

文学にはまったく興味がなかった私は

リサーチ不足で間違った学部選びをしてしまい

授業にはまったく興味が持てず・・・

(アーサー王物語とか中世の英語を原文で読んだり

英詩の鑑賞とか、辞書の起源とか・・・)

 

 

それならばサークルで英語を!と
ESS(English Speaking Society)に入部し

そちらに精を出す日々。

 

 

留学生に京都を案内するボランティアをしてみたり

英語でディベート練習をしたりしましたが

 

 

ESSでは、日本人同士で英語を話すのが

つまらなくなってしまい、

 

 

今度は夜な夜な遊びに出かけて

外国人がいるバーで

外国人に話しかけるという

実践型に切り替え(笑)

 

 

1人暮らしで羽を伸ばしまくったこともあり
どんどん

ただの遊んでる大学生に

なっていきました(笑)

 

 

ホームステイも留学も憧れていたけど

我が家の経済状況では到底無理。

 

 

 

なので中学時代から続いていた

ペンパルの家に遊びに行くという

「無料でホームステイ」案をひねり出し

 

初めての海外、いきなりペンパルの家に

3週間泊まりこむという突撃をしてみたりしていました(笑)



↓19歳、初の海外。1人でペンパルに会いに行った

 

 

初の海外が一人だったことで

自信がついて

その後バッグパッカーで旅したり

いろんな経験をしました。


バッグパッカーの話は別記事にあります♪

→バッグパッカー女ひとり旅の記録


さあ、英語も学んだし仕事でも・・・と思い
就職でももちろん

英語を使った仕事を・・・と思ったのですが

 

 

フリーダムすぎる一人暮らしに浮かれ
その日暮らしを謳歌していた私は

今でいうパリピ

(いかれてるオメデタイ人を
パーティーピープルって言うらしいよw)

のような状態で

あまり真面目に就職活動をせず・・・

 

 

さらに時代は
バブルがはじけた上に

わたしたち第二次ベビーブーマーで
就職は土砂降り時代。


関西ではそれなりに名の通った大学で

それなりに優秀な男子の同級生でも

希望の会社に就職が決まらず
就職浪人を選んだ人もいました。
 

 

そんな風に周りが目の色を変えて就職活動をしている中

なんとかなるかと遊んでいたパリピなわたしは

 

すでにコネ入社で大手銀行に就職が決まっていた
大金持ちの女友達と夜な夜な遊び暮らしており

その女友達の彼氏に本気で先行きを心配され(笑)
たまたまその彼氏が就職フェアなどを開催する代理店に勤務していて

その方のツテで「英語ができる子を探している」とのことで

神奈川にあるソフト会社に面接に行く事になったのです。



もう、ほんと出たとこ勝負な人生ですね(笑)

 


さらにこのありがたい話をいただいて

ほぼ確定であろう面接日当日
なんと寝過ごしてしまい、遅刻!!!

 

 

頭痛だのなんだの理由をつけて

遅刻して面談もしていただき
この会社にめでたく就職。。。
しかも二部上場(今は東証一部)という

なかなかな会社に就職でき

ラッキーとしかいいようがないですね。

 

しかし!

ここから私の英語人生は

横道をそれはじめます。

 

英語ができる、、、で入社したはずが

なぜか英語を使う仕事はゼロ。

 

 

聞いてみたところ・・・

どうやら海外進出そのものが

マユツバな案件だったようで(笑)

 

 

これからはグローバルの時代なのに

社長をはじめ役員も全員英語オンチ。

 

 

海外進出したいけど英語出来る人がいない!

ということで、英語が出来る人材の募集だったそうですが

 

 

国内での売り上げも良かったので

海外進出プロジェクト自体が

ま、いっか。と、頓挫した模様(笑)

 

 

世の中は不況だったけど

WINDOWS95が出た時期でもあり

ソフトウェア関連の事業は

景気が良かったので

人材をガバガバ取っていたんですよね。

 

 

で、とりあえず採用してみたものの
人も余ってるし、技術者でもないわたしは
英語がまったく関係ない

総務に配属されました。


やることは、
みんなのお弁当を聞いて回る係りと

電話を取るだけの業務で

張り切っていたのに
つまらないことこの上ない(笑)



総務課長はヒマすぎてマンガ読んでたり
わたしもネットサーフィンしてヒマつぶして定時退社しても

ちゃんとしたお給料もらえてたので

ありがたいと言えばありがたいんですが。
 

 

1週間で仕事を覚えてしまったので

退屈な毎日に飽きて3か月で辞めたくなってしまい、

さすがにそれもまずいだろうと考えた挙句

 

 

隣の営業部なら外に出られる!!

と営業畑に飛び出して、そのまんま会社員。

 

 

エンタメ系の情報を配信する

ネットベンチャーに転職し

映画試写会に行き放題、

ハリウッド俳優を生で見られる

ミーハーにはたまらない仕事にもついて。


トム・クルーズもメグ・ライアンも見れたし
憧れていた字幕翻訳家の

戸田奈津子さんも間近で見られて

めっちゃ楽しい仕事でした。

 

 

もしかしたらわたしは

「英語」っていうか

このキラキラしたハリウッドスターたちがいる世界を

「英語」に求めていたのかも、

なんて思います。

 

 

 

そして結婚して主婦になり

さらに英語から離れた生活になりましたが

 

 

出産して外に出る機会が減ったら

なんだかやりがいのあることがしたくなり

赤子に乳を飲ませながら

英検準一級の資格の勉強をして

合格してみたり(笑)

 

 

息子が小さいころ

在宅ワークで稼ぎたい!と

英語関連のブログライターを

やってみたり。

 

 

なんやかんやで

「英語」はずーーーと好きなんですよね。

 

 

まあ、話す機会がないし

もともとあまり話せないのですが

駅のきっぷ売り場で困ってる外国人に

話しかけたりして・・・

 

 

最近の外国人観光客は

日本語もお上手なので

 

「May I help you?」と聞いたら

 

「ア、ダイジョブデス」

 

と返されたりしますけどね(笑)

 


やっぱり、
英語でコミュニケーションすること
大好きなんです。


で、
何が私をそんなにひきつけるのか?
と思っていたのだけど・・・
もしかしてこうかも?と思うのは


私にとって、
英語(外国語)の魅力とは


何しゃべってるか分からない相手が

 


英語
というツールを通じて


何しゃべってるか分かる!!

 
 
 
  
わたしにとって


 「外国語」って
わからないものが
わかるようになる、という
知識欲を満たす最強ツール。

 

最近気付いた共通点


英語に限らずだけど
わたくし
「わかる」ためのツールが大好きなんですね。



ENMAカードは
自分をわかるためのツール。



わからないものがわかるようになることが

きっと好きなのね(笑)



ちなみに、私の場合
なぜ英語か?というのは
私の小さい頃、私の田舎には
「英語」という選択肢しかなかったから。


今だったら
環境によっては「スペイン語」とか「韓国語」とか
習ってたのかなー。


でもやっぱりハリウッドスターが好きだから
英語なのかなー(笑)


1000年後なら
宇宙語習ってるのかなー(笑)


まあ、そんな感じで

英語を知る、から

自分を知る、にシフトチェンジしてしまい

いまはENMAカードなどのツールを使って

講座をしてますが

 

 

やっぱり英語は今でも好き。

英語の歌とか、歌詞調べちゃうし。

 

 

きっと

「異文化とか、知らないことを知るのが好き」なんですよね。


 

ま、英語を使った何かをする機会、は

またいつかあるでしょう、と思ってます。



こうやって

「英語」というキーワードで

自分の人生を振り返ってみたら

 


この大好きな英語を通じて

「いかにお金をかけずに英語を習得するか」頭をひねり、
 

 

「自学自習の精神」や「サバイバル精神」が

身についたのかもしれませんね(笑)


英語の習得については昔書いた
こんな風に勉強してましたという過去記事があるので

良かったら読んでみてくださいね^^

 


→私流★お金をかけずに英語を身に着ける方法

 

 



 
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