昨日は、朝5時半起床、
朝7時過ぎに娘の小学校へ付き添い、
家に戻り、資格の勉強と仕事
あっという間に午後になり娘帰宅して
宿題を一緒にする。
夕方4時から仕事開始。
父が差し歯がとれたとのことで母と歯医者に。
すぐ見てくれて助かる。車いすがない父は私が支えるか、這ってトイレに行っている。おむつ下着にはまだどうしても抵抗があるよう。
父が退院してきてから、今日でちょうど3週間。
入院前までは車も長距離運転できていたのだけど。
入院して2週間骨髄への放射線治療をやって帰ってきてから
物が食べれなくなってしまったから、10キロ以上痩せて、歩けなくなり
別人のようになってしまった
娘の夕食は母がやってくれて助かる。
私は娘の寝かしつけをしながら夜中1時近くまで仕事でチャットや電話で
対応に追われる。
シャワーを浴びる気力も残っておらず、倒れるように眠る。
疲れた
私の姉も兄も夜勤有の仕事をしているのだけど、
日勤と夜勤がある仕事はとても大変だろうなぁと思う。
体内時計が狂ってしまうだろうなぁ。
夜中12時過ぎまで週に何回か働く日々があと3か月続くのか。
母は、私のしている仕事に大反対で辞めろ辞めろ、厚生年金とかある会社で
しっかり働け。延々に言い続けていて悲しくなる。
70代の母親が40代の子供に口を出すとかよくあることなのだろうか。
長男(兄)を溺愛している母。
一緒に暮らしたかっただろうに、兄夫婦はなんと奥さんの実家の敷地内に
家を建ててしまった。 母は大ショックだっただろうな。
でも、正直母と一緒に暮らすのはお嫁さん的にも兄的にも無理だったろうと思う。
昔30代だった姉がせっかく就職が決まった場所に
母が勝手に電話して辞退させたことがある
それきり、姉はあまり実家に長く帰省することがなくなったし、
父母は姉にもう何年も前から帰ってきて欲しがっているけど、
姉は帰ってこないだろうと思う。
父母が死んでから、家を継ぎたいとおもっているんじゃないかな。
父が介護になってしまって、トイレで倒れてウォシュレットがオンになってしまっていたため、倒れた父の体にかかり父が全身濡れてしまって、立たせてあげるの手伝ったって話したら、電話口で姉は心配するのではなくて、笑ってた
大変だったね。と言うのではなくて、
笑った姉にすごくびっくりして嫌な気分になり、悲しかった
姉はもう帰って父母とは一緒に暮らすことはないだろうな。
とても短気で家事を一切しない父と、
口うるさく不平不満文句が多く、お金の執着がひどい母。
客観的にみて誰が一緒に暮らしたいと思うだろうか
いいところは、父は車の運転が上手だったし、母は料理上手。
二人の年金で暮らしていて、一緒に住んでいないから、
金銭的援助を求められたことは今まで一度もない。
二人の年金貯金でやりくりしてくれてそれはとてもありがたい。
それに育ててもらった恩もある。
東京の短大へも行かせてくれた。
とてもありがたかったけど、一緒にまた高校生の頃のように
暮らせるとは思わない。
ふと、あの時、私が希望した高校に行かせてもらえていたら。。と思うことがある。
(バス代がないという理由で受験させてもらえなかった)
娘にはこんな思いをさせたくないな。
後悔しないように過ごしたい。
40代になっても、海外で暮らしていても
帰れる実家があるだけでありがたいということを忘れちゃいけない
昭和20年代生まれの父も母も、
昭和、平成、令和と70年以上
一生懸命に生きてきて今がある。
結婚生活50年近く色々あっただろうなぁ。
二人が少しでも穏やかで心温かい日の暮らしができるようにと思う。
私は自分の心のバランスを取りながら、娘の成長を見守り有意義に過ごしたい。