これまで、花木を比較的多く取り上げてきたが、草花についていえば「紫蘭(しらん)」が盛りを迎え、川端などで群生しているものや鉢植えのものを時々見かける。基本種の花色は紫紅色で、花弁は細長く、完全には開かずに俯いて咲く。名前は、詠んで字のごとく紫色の「蘭」であることから付けられた。但し、「洋ラン」のような派手さはない。
以下には、例により「紫蘭」を詠んだ著名俳人の句を取り上げ、その解説と感想を記した。尚、これらの自作句と概説については、昨年5月に投稿した「夏季:紫蘭」という記事にまとめているので、合わせてご覧いただきたい。*作者のプロフィールについては、Wikipediaなどを参考にしている。
君知るや薬草園に紫蘭あり
きみしるや やくそうえんに しらんあり
高浜虚子(たかはま きょし)
掲句は、普通の会話をそのまま句にしたもので、「あなたは知ってますか。紫蘭は薬草なので、あの薬草園にも植えてあることを」というのが句意。まるで虚子が、弟子か友達に知識をひけらかしているように思えるが、どうもそれだけではないような気がする。「君知る」に対し「紫蘭」→「知らん」を意識した言葉遊び、駄洒落の句のように思えてならない。そう考えると虚子大先生も非常に身近に感じられる。
高浜虚子(1874年- 1959年)は、愛媛県出身の俳人・小説家。1894年、子規を頼り上京。1898年、俳誌『ホトトギス』の編集を引き継ぐ。1902年に子規が逝去した後、一時的に俳句から遠ざかるが、1913年、俳壇に復帰。大正末期から、「花鳥諷詠」を提唱しつつ、自然を客観的に写生し、その中にある詩情を詠むという「客観写生」という概念を確立した。
紫蘭咲いていささかは岩もあはれなり
しらんさいて いささかは いわも あわれなり
北原白秋(きたはら はくしゅう)
掲句の鑑賞のポイントは、やはり下五の「あはれなり」をどうとらえるかであろう。「あはれ」は、現代語では「あわれ」と書き、「気の毒」「惨め」「不憫」といった悲哀の意味で使われることが多い。しかし、古語では、心が強く揺さぶられるような美しさや、かわいらしくて愛(いと)おしい対象に使われる。従って、掲句の句意は、「無機質な岩も紫蘭が咲くことにより少しばかり愛おしく思えてきた」となる。6-8-5の音の流れもゆったりとして心地よい。
北原 白秋(1885年- 1942年)は、福岡県出身の詩人、歌人、童謡作家。若くして与謝野鉄幹の新詩社に参加し『明星』で活躍。第1詩集『邪宗門』で象徴主義的な作風を確立し、後に『思ひ出』などの詩集や、多数の童謡、民謡、歌集を残す。尚、俳句は10代から始めており、メインの活動(詩や童謡)の傍らで行う趣味ではなく、「日本語のリズムと色彩を極めるための重要な実験場」と位置付けていたとのこと。
局塚その面影の紫蘭咲き
つぼねづか そのおもかげの しらんさき
下村ひろし(しもむら ひろし)
「局塚(つぼねづか)」とは、一般に歴史上の高貴な女性(局)にまつわる塚や墓のことをいうが、この句に詠まれた局塚は、一ノ谷の合戦で討たれた平通盛の妻・小宰相を祀る「お局塚」のことではないかといわれている。「紫蘭」の花は、派手さはないが、凛とした気品のある紫色で、うつむき加減に咲く花姿が悲劇的な運命をたどった女性の面影に重なって見える。掲句は、そのことを抒情的に格調高く詠まれた句である。
下村ひろし(1904年- 1986年)は、長崎県出身の俳人、医師。長崎医科大学卒。在学中、田中田士英の指導で俳句を始める。1933年、「馬酔木」に入会し水原秋桜子に師事。1947年「棕梠(しゅろ)」を創刊・主宰。終生まで長崎で活動したと見られ、初期より異国情緒のある句を詠む。また医師として被爆者の救済に務めた経験ものちの句作に影響を及ぼした。




