(*´∇`)ノ    Yu-ju    &

るっちゃん です ♡ ฅ^._.^ฅ 


今日も奇跡のコースの学びと

ホーリースピリットからの

メッセージ&オラクルカードを

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今日のオラクルカード



今日は猫の日なので猫カードです

爆笑

独立心を保ちましょう


独立心を持って、自分と他人との間にスペースを保ってください。(周りの声・エゴの声に影響されないでください。)

健全な自尊心は良い人間関係をはぐくみます。毅然としていて下さい。自分をよく知りましょう。(内なる声を聞きましょう。)

向上心を忘れず、自分を大切にしましょう。そうすれば、世界は鏡のようにそれ(愛)を映し出します。他人と依存し合う関係にならないでください。群れてばかりいないでください。自由気ままにいきましょう。(ひとりぼっちのように思えても、あなたはいつも創造主と繋がっています。)

リスクを恐れずに未知の世界に踏み込んでください。それが、猫のスピリットが望んでいることです。独立心を持って自由に歩き回りましょう。

猫のスピリットはあなたに思い切ってやってみましょうと言っています。猫が高い場所から落ちても上手に着地するように、あなたは難なく切り抜けるからです。何事も、心配は不要です。猫のスピリットはハプニングも大好きなのです。予定外のことが素晴らしいチャンスにつながることもあります。直感を含め、あなたのあらゆる感覚が鋭くなっている時期です。覚えておいてください。一時的な失敗も、素晴らしい成功への足がかりになるのです。思いっきり冒険を楽しみましょう。あなたには優れた判断力が備わっています。自分を信じてください。(あなたには高次元からの導きと、あなた本来の素晴らしい力を持っています。)


独立心とは、自分が神の子で在ることへの信頼

この世界の創造主で在ることの責任感


愛する猫達♡いつもありがとう



奇跡のコースと祈りの歌について

『奇跡のコース』は40年以上にわたり、悩みや問題にとらわれずに真の自分の人生を生きるための心のトレーニングとして、宗教や文化を超え、世界27か国以上に翻訳され、学ばれています。

エックハルト・トール、ディーパック・チョプラ、ジェラルド・ジャンポルスキー、ニール・ドナルド・ウォルシュ、など名だたるスピリチュアルリーダーたちが引用しそれを伝えています。

このコースは、かつて無神論者であったニューヨーク、コロンビア大学臨床心理学教授ヘレン・シャックマンが「イエス・キリストの声」を聞き取り、7年にわたりまとめ上げたものです。

奇跡のコースは自習書であり、テキストとワークブックを通じて奇跡の思考体系を理解し、具体的に毎日その思考を当てはめていく365の心のトレーニングがあります。


「祈りの歌」は、奇跡講座下巻の付録で、「祈り」「赦し」「癒し」の三つのテーマに焦点を当てています。

祈りは奇跡の呼び水であり、赦す心の重要性と、その結果としての癒しについて語っています。

ACIM (A course in miracles)によれば、誤った信念にとらわれると、自分で癒すのは難しい状態になります。しかし、誰もが望んでいるように、自分を癒すことが必要です。

ACIMは、このジレンマを逆転させる手助けをしてくれるもので、自力(自我意識)では手に入れられないものを成し遂げる方法について説明しています。




奇跡のコース
祈りの歌第1章Ⅲ .Ⅳ

テキスト第三章に進む前に、

ワークブック付録の『祈りの歌』第1章を掲載します。


第1章・序章はこちら下矢印


第1章・1.真の祈りはこちら下矢印


第1章・2. 祈りの階梯はこちら下矢印



奇跡講座下巻・祈りの歌

第1章Ⅲ 他者のために祈る


1、私たちは、祈りとは常にあなた自身のためのものであると述べた。そして、それはその通りである。それでは一体なぜ、他者のために祈る必要があるのだろうか。

また、もしそうする必要があるのなら、どのようにして、それを行うべきなのだろうか。正しく理解されるなら、他者のための祈りとは、あなたが自分の罪悪感の投影を兄弟から取り去るため、及び、自分を傷つけているのは彼ではないと言うことを認識できるようになるための、手段となるものである。あなたが罪悪感から救われることが可能になるには、その前に、彼こそがあなたの敵であり、邪悪な相手方であり仇であると言う有毒な想念が、放棄されなければならない。そのための手段が祈りである。それは、上昇する力と、神にさえも届くところまで上っていくと言うゴールを持った祈りである。


2、階梯の下段を成す祈りの初期の諸形態は、妬みや恨みから自由ではない。それらの形態の祈りは、愛ではなく復讐を要求する。また、それらが死を求める呼びかけであることや、罪悪感を大切にするものたちにより恐れから作り出されたものだと言うことを理解しているものは、そのように祈る事はしない。罪悪感を大切にする者たちは執念深い神に呼びかけ、それらに答えるように見えるのはその神である。地獄を他者のために求めておいて、その後に、それを求めた者自身が地獄から逃れる事は不可能である。地獄の中にいるものたちのみが、地獄を求めることができる。赦されて、自らの赦しを受け入れた者たちは、決してそのようなことを祈ることはできない。


3、と、いうことは、これらのレベルにおける学習目標は、「祈りは、祈られた形においてのみ、答えられる」ということを認識することでなければならない。それで充分である。ここからは、次のレベルへと続くたやすい歩みとなるだろう。次の上昇は以下の考えで始まる。


私が兄弟のために求めたものは、私自身が自分の身に起こってほしいと思うようなものではない。だから、私は彼を私の敵にしてしまったのである。


他者を自由にすることの中に、自分自身にとっての価値や利点を見ていないものが、この段階に到達できない事は、明らかである。この段階に到達するのが、長い間、遅れることがあるかもしれない。なぜなら、それが、慈悲深いものではなく、危険なものに見えることがあるからである。罪悪感を抱いている者たちにとっては、敵がいると言うことに真の利点があるかに見えており、敵たちが解放されるには、この想像上の利得が放棄されなければならない。


4、罪悪感は隠蔽されるのではなく、手放されなければならない。また、これを少しも苦痛を感じずに行う事はできない。そして、この段階の慈悲深い特徴を垣間見た後でも、しばらくは、恐れの中に深く後退することがある。なぜなら、恐れの防衛は、それ自体で恐ろしいものであり、そうした防衛の数々が認識される時、それらは恐れも一緒に連れてくるからである。だが、脱出手段のように見えるだけの幻想が、囚人にどんな利益をもたらしたことがあるだろう。彼が真に罪悪感から逃れるには、罪悪は消え去っていると認識する以外にない。そして、彼が罪悪を他者の中に隠していて、それが彼自身のものだとわかっていない間は、どうしてこのことを認識することができるだろう。脱出に対する恐れにより、自由を歓迎することが困難になっており、適を牢獄の番人にしてしまうことが安全であるかに見えている。それならば、敵が解放されることが、あなた自身に狂気のような恐れを抱かせないということが、あり得るだろうか。あなたは彼を、あなたの救済とし、あなたの罪悪感からの脱出手段としてきたのである。この脱出手段へのあなたの執着は深く、これを手放すことに対するあなたの恐れは激しい。


5、今、一瞬の間、立ち止まりなさい。そして、あなたが何をしてきたかを考えなさい。それを行ったのはあなたであり、それを手放せるのもあなただと言うことを、忘れてはならない。両手を差し出しなさい。この敵は、あなたを祝福しにやってきたのである。彼の祝福を受け取り、そうすることで、あなたの心が高揚して、恐れが手放されるのを感じなさい。恐れにしがみついてはならない。また、彼にしがみついてもいけない。彼は、あなたと共に、神の子である。彼は牢番などではなく、キリストの使者である。あなたが彼をそう見られるように、あなた自身が彼にとってキリストの使者でありなさい。


6、物事や地や人間の愛や、その他あらゆる種類の外的な贈り物を求める祈りは、常に、牢番を仕立て上げて罪悪感から逃れるために作り出されているのだが、このことに気づくのは容易ではない。これらの物事は、神の代替となるゴールのため、したがって祈りの目的を歪曲するようなゴールのために使われている。そうした物事を欲求すること自体が、そのような祈りである。はっきりと求める必要はない。神と言うゴールは、それ以下のいかなるゴールの探求においても失われてしまい、祈りは敵を求める要請となる。ここにおいてさえ、祈りの力はかなり明確に認識できる。敵を欲するものが敵を見つけ損なう事はない。しかし、それと同じように確実に、彼は自分に与えられている唯一の真のゴールを失うことになる。その代償について考え、それをよく理解しなさい。他のすべてのゴールは、神を失うと言う代償を払わせるものである。



祈りの歌第1章

Ⅳ.他者と共に祈る


1、少なくとも第二のレベルが始まるまでは、人は祈りを共有できない。と言うのは、その地点に達するまでは、一人一人がそれぞれ異なるものを求めずにはいられないからである。しかし、一度、他者を敵としておく必要が疑問視されたなら、そして、そうする理由が、ほんの一瞬だけでも認識されたなら、祈りにおいてつながることが可能となる。敵同士は1つのゴールを共有しない。このことの中でこそ、彼らの敵意が保たれている。彼らの個別の願望が、彼らの武器であり、憎しみの中の要素である。祈りにおいてさらなる上昇を遂げるための鍵は、次のような単純な考え、すなわち心の変化にある。

『あなたと私は連れ立って進む』


2、今や、祈りにおいて助けることが可能となり、そうすることで、あなた自身も上に進むことができる。この段階から、より速やかな上昇が始まるが、それでもまだ、学ぶべき多くのレッスンがある。道は開かれており、希望を抱いても大丈夫である。それでも、最初のうちは、祈りにおいてつながる者たちでさえ、祈りが真に追求すべきゴールではないものを求めがちである。共に祈る時でも、あなた方は物事を求めることがあり、それにより、共有しているゴールと言う幻想を打ち立てるだけとなる。具体的なものを共に求めていながら、自分たちが原因を抜きにして、結果だけを求めていると言うことに気づいていないこともある。そして、あなた方はこれを手に入れることができない。というのも、結果を生じさせることのない原因に向かって、結果を与えてくれるよう求めて、結果だけを受け取ることができるものなどいないからである。


3、それならば、共に祈る者たちが、まず初めに何が神の意志であるかを尋ねるのでなければ、そうしたつながり合いでさえ、充分ではない。この原因からしか、すべての具体的な物事を満足させる答えが生じる事はありえない。そして、その答えの中では、すべての個別の願望が1つに統合されている。具体的な物事を求める祈りは、常に、何らかの形で過去が繰り返されることを求めている。かつて楽しまれていたもの、そのように見えたもの、また、他の人のもので、その人が好んでいるように見えたものなど、これら全てが、過去からの幻想に過ぎない。祈りの目指すところは、現在が引きずっている過去の幻想の連鎖から現在を解放することである。そしてまた、間違いを表していた選択の一つ一つから癒されるための治療法として、祈りが自由に選択されるようになることである。祈りが、今、差し出すことができるものは、あなたが以前に求めたものの全てをはるかに凌駕するのだから、それ以下のもので満足するのは嘆かわしいことである。


4、あなたは、祈るたびに、新たな機会を選択してきたのである。それなのにあなたは、往古の牢獄のすべてから即座に自分自身を解放できる機会が訪れたと言う時に、その機会を押さえ込んで、再び牢獄に閉じ込めておきたいのだろうか。自分の求め方を限定してはならない。祈りは神の平安をもたらすことができる。崩れて塵に帰る時までしか存続しない狭い空間において、時間に縛られているどんなものが、これ以上のものをあなたに与えることができるだろう。


文章を掲載させていただきましたことに

心より感謝致します。





神の平和は

今、私の内で輝いています

その平和の中で全てのものが

私を照らすように

そして私に

自分の内なる光で

全てのものを祝福させてください






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HSいつも導きをありがとう (❛ᴗ❛人)✧

いつも皆様の光と繋がり

愛を広げることを意図します


では、みなさま、今日も

ホーリースピリットと一緒に

素敵な1日を!


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