(*´∇`)ノ Yu-ju &
るっちゃん です ♡ ฅ^._.^ฅ
今日も奇跡のコースの学びと
ホーリースピリットからの
メッセージ&オラクルカードを
お届けします♡
今日もご覧いただき
ありがとうございます
この情報を必要とされるかたへ
届けられることを意図しております
実は今日、My Birthdayでして
るっちゃんに祝ってもらいました〜
この世でこうして色んな経験ができることに
感謝します❣️ありがとうございます❤️
それでは
今日のオラクルカード
今日は誕生日なので
私の基本のオラクルカードを
るっちゃんに引いてもらいました
私は人間としての
経験を積んでいるスピリット
愛に近づくために今ここにいます
まったくもってその通りですね〜
そして今日はもう一枚
るっちゃんが引いてくれました
喜びは
素敵なものを生み出す
最高のクリエイター
はい!私はいつも喜びを選びます♡
思えば
長い年月スピリチュアルは学んでいたものの
知識としては知っていたものの
なんで生きなければならないのか…
生まれたことに感謝なんかできない…
もう嫌だ、誕生日なんか嫌いだ…
と、涙が止まらなかったある誕生日の日に
突然ホーリーから話しかけられ
心の平安に触れさせてもらって
生まれて初めて、誕生日を
本当に祝ってもらった気がしたのでした
そこから、真剣に
奇跡のコースの学びが始まったのでした
ホーリー、いつも一緒にいてくれて
ありがとう❤️
今日も祈りの歌をお送りします
第1章. 真の祈り
(奇跡講座下巻)
1、祈りとは、神に到達するために、聖霊により差し出されている道である。それは、単なる質問でも祈願でもない。祈りが何も求めないと言うことを、あなたが悟るまでは、祈りはうまくいかない。そうでなければ、どのようにして、祈りがその目的を果たせるだろう。偶像を求めて祈りながら、神に到達することを望んでも、それは不可能である。真の祈りは、願いを叶えてもらおうとして求めると言う落とし穴を回避しなければならない。そのように求めるのではなく、既に与えられているものを受け取ることができるように、すなわち、既にそこにあるものを受け入れられるようにと、求めなさい。
2、あなたはどんな具体的な問題に対する答えでも聖霊に尋ねるように告げられ、その必要があるなら具体的な答えを受け取るだろうと教わってきた。あなたはまた、一つの問題と一つの答えがあるだけだとも、教えられてきた。祈りにおいては、これは矛盾していない。ここでは、決定すべきことがらがあり、それらは幻想であろうとなかろうと決定されなければならない。あなたが認識できるレベルの必要を超えた答えを受け入れるようにと、あなたに求めることはできない。したがって、重要なのは、質問の形ではなく、その尋ね方でもない。答えの形は、もしそれが神により与えられたものであれば、あなたが見ている通りのあなたの必要に合致するだろう。これは単に、神の声からの返答のエコーに過ぎない。真の音源は常に、感謝と愛の歌である。
3、それならば、あなたはエコーを求めることはできない。贈り物は、歌そのものである。歌と一緒に、倍音や和音やエコーが生じるが、これらは副次的なものである。真の祈りにおいては、あなたは歌だけを聞く。他のすべては、単に添えて与えられるものに過ぎない。あなたはまず初めに神の国を求めたのであり、だからこそ、他の全てが確かにあなたに与えられたのである。
4、真の祈りの秘訣は、あなたが自分に必要だと思っている諸事を忘れることにある。具体的なものを求めるということは、罪を見咎めておいて、それからそれを赦すのとよく似ている。祈りにおいても同様に、あなたは自分が見ている諸々の具体的な必要は意に介さず、それらを神の御手の中へと委ねるのである。そこにおいて、それらはあなたから神への贈り物となる。なぜなら、それらの贈り物が、「あなたは神のほかに何者も神々とせず、神の愛のほかに愛を求めない」と、神に伝えるものだからである。神の答えとは、あなたが神を思い出すこと以外の何であり得るだろう。これを、つかの間の問題についての少しばかりの些細な助言と交換できるだろうか。神は永遠のためにのみ答える。しかし、それでも、その中には、すべての小さな答えが内包されている。
5、祈りとは、脇に退くことであり、手放すことである。また、耳をすまして愛するための静かな時間のことでもある。それは、いかなる種類の懇願とも混同されるべきものではない。なぜなら、祈りとは、あなたが自分の聖性を思い出すための道だからである。愛が差し出す一切を十分に受け取ることのできる聖性が、なぜ、祈願したりする必要があるだろう。そして、祈りの中であなたが向かうところは愛である。祈りとは捧げ物であり、愛と1つになるためにあなた自身を手放すことである。もはや欲すべきものは何も残っていないので、求めるべきものは何もない。その空の状態が神の祭壇となる。そしてそれは神の中では消え去る。
6、これはまだ、誰もが達成できるレベルの祈りではない。そこに達していない者たちは、依然として祈りにおいて、あなたの助けを必要としている。なぜなら、彼らの求め方は、まだ受容に基づくものではないからである。祈りにおける助けとは、あなたと神の間を別のものがとりなすという意味ではない。しかしそれは、他者があなたの傍に立ち、あなたを神の元へ引き上げる助けをする、ということは意味する。神の善性を認識したものは、恐れを抱かずに祈る。そして、恐れを抱かずに祈るものが神に到達しないということはありえない。それゆえに、そのようなものはまた、神の子がどこにいていかなる形を纏っているように見えようとも、彼にも達することができる。
7、誰の中にでもいるキリストに祈ることが、真の祈りである。なぜなら、それは彼の父への感謝と言う贈り物だからである。キリストがただキリスト自身であるようにと求める事は、祈願ではない。それはあなたの本性について感謝を捧げる歌である。ここに、祈りの力が宿っている。それは何も求めず、一切を受け取る。この祈りは、すべてのもののために受け取るので、共有されることが可能である。このことが真実だと知っているものとともに祈ることが、答えを与えられるということである。おそらく、具体的な問題のための具体的な形の解決が、あなた方のどちらか一方に訪れるだろう。それがどちらであるかは問題ではない。もしくは2人が真に互いに同調している場合は、それは両方のもとに届くかもしれない。それが訪れる理由は、あなたが、キリストは、あなた方の両方の中にいると認識したからである。それがその唯一の真理である。
神の平和は
今、私の内で輝いています
その平和の中で全てのものが
私を照らすように
そして私に
自分の内なる光で
全てのものを祝福させてください
HSいつも導きをありがとう (❛ᴗ❛人)✧
いつも皆様の光と繋がり
愛を広げることを意図します
では、みなさま、今日も
ホーリースピリットと一緒に
素敵な1日を!
感謝を込めて ♡ Yu-ju & るっちゃん