チャイコフスキーヤー(´・ω・`) | 紙業新報のブログ

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紙パルプ業界紙。月3回発行。の公式タワゴト、ボヤきその他(笑

 

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さいきんチャイコフスキーの悲愴ばっかり聴いてるんですね。

 

それというのもなんとなく買ってみたクルレンツィス&ムジカエテルナの、この写真のCDですけど、今までにない新鮮さだったので、これがきっかけで、昔買ってたのや、前に友人からもらったものや、さらに自分で買いに行ったりして、とにかく悲愴ばっかり聴いちゃってるんすよ。

 

たまに5番も聞くんですが、ほぼ悲愴ですね。

 

 

 

 

あまりにも主情的、独白的であると同時に、汎人間的で普遍的な感情表出と芸術性を体現するチャイコフスキーの数々の音楽作品。その中でも悲愴は、いわばチャイコフスキーの最終的な芸術的結論でもあるし、世に向けて彼自身が放った最後の言葉でもあったと思います。交響曲第6番という壮大な別離の辞を残して、チャイコフスキーはこの世を後にした。去りゆく背中しかもう見えない。<悲愴>以降、この作品を聴いたあとはもう、彼の後ろ姿しか見ることができない。それぐらい暗い曲ですよね。

 

しかしながら、19世紀に書かれた楽譜から、これほど音の現在性を顕現させたのは稀ではなかろうか?クルレンツィス、驚くべき芸術的達成だと思います。

 

とはいえ、このクルレンツィス盤ですが、ちょっと今まで聴いたことのないアクセントや濃淡のつけ方が「うっ」って感じがして、ちょっと聴きづらくて、最初聴いたあとは他の盤に向かってたんですね。順不同ですが

 

ユロフスキー&ロンドンフィル

テミルカーノフ&ロイヤルフィル

カールベーム&ロンドン響

ギュンターヴァント&NDR

アバド&シカゴ響

カラヤン&ベルリンフィル(3種)

バーンスタイン&ニューヨークフィル

ホーネック&ピッツバーグ響

キタエンコ&ケルン・ギュルツェニッヒ

クーベリック&ウィーンフィル

スヴェトラーノフ&ソヴェト国立響

ロストロポーヴィチ&ロンドンフィル

ダウスゴー&スウェーディッシュ・チェンバーorc

フリッチャイ&ベルリン放送響

ムラヴィンスキー&レニングラードフィル

ゲルギエフ&ウィーンフィル

ショルティ&シカゴ響

ムーティ&フィラデルフィア

ミュンシュ&ボストン響

パッパーノ&ローマ・サンタ・チチェーリア

カラヤン&ウィーンフィル

アシュケナージ&フィルハーモニア

ジュリーニ&ロサンゼルス響

マルティノン&ウィーンフィル

リットン&ボーンマス

インバル&フランクフルト放送響

ジュリーニ&フィルハーモニア

ロジェストヴェンスキー&ロシア文化省大オーケストラ

ハイティンク&コンセルトヘボウ

 

これぐらいを一気に聴いてます。書き出してみたら、なんだかまだ聴いた覚えのない盤もあったりしましたよ、ええ。ロジェベンなんて昔はLPの頃はモスクワ放送交響楽団っていうのを聴いてたんですけど、これとはまた別のものなんすかね。とにかく悲愴ばっかり聴きまくってます。

 

どの盤がいいのか、ランキングでも、と思ったんですが、ちょっと難しいすね笑

 

好みでは、ヴァントが好きですかねー。これは悲愴に限らず、ベートーヴェンもブルックナーもシューマンもブラームスも、ヴァントのを聴くと聴きやすい感じがして、これは完全に私の好みということなんでしょうかね。

 

クルレンツィスのは、現代的な悲愴のありようを描き切った驚くべき演奏でした。色々聴いてその後またクルレンツィスのを聴きましたら、やっぱりすごいなと。ホーネックのもかなり現代的で、この作品のもつ感情の激しい起伏や、葛藤、分裂と融合、不安と希望と、恐怖、渇望など、人間的ないろんな要素が、ゆたかに、現代人の感性に見合った形で再現されているなと感じました。クルレンツィスの方がより衝撃的ではある。ホーネックのはクルレンツィスよりもカッコいい仕上がりになっている。よりスタイリッシュな感じに。

 

ヴァントの悲愴だと、普通の悲愴とちゃうみたいな、今まで聴いてた録音というのは、過剰な思い入れを盛りすぎた演奏だったのではないかと今一度疑わせるほど、虚飾のない演奏と言いますか。お料理に例えれば、素材の味や旨味を自然な形で引き出した一品、みたいな録音ですかね笑しかしそれだけに、悲愴という作品が本来持っているプロポーションのよさや、第2主題の比類なき美しさが、他の人の演奏より以上にくっきりと浮かび上がっており、よかった。

 

また、ジュリーニ&ロサンゼルスのは、別の方向から虚飾を排したストイックな美を極めている演奏で、これはLPの頃に聴いたときもすごく印象に残ってた録音ですね。

 

カラヤンとウィーンフィルの分は、もう無我の境地みたいなとこがあって、もう自動的にこういう音が出るようになっちゃってるんですね。カラヤンだと。

 

他のどのCDもよかったんですけど、まだまだ世の中には悲愴がいっぱいあるわけですから、今後も聴き続けることになりそうですね。今までさんざん聴いてきて、もう飽き飽きしたと思ってたら、何度聴いても新鮮に聞こえてくるという、19世紀の末期に書かれたこの作品の奥深さに、あらためて感動を禁じ得ないって感じですかね(๑╹ω╹๑ )