明日から少し旅に出ます。

 

と言っても、地方民なので少し東京に行くだけですが。

仕事でもなく、旧交を温めるための旅行です。

長い距離の移動をすることは、時に自分を振り返る良い機会となります。

 

非日常的な世界に身を置くことで、しばし現実の自分から幽体離脱することができます。

自分のように、現状があまり芳しくない場合、この機会は大切になります。

というのは、かつて自分が味わった冒険心、そして少しの挫折による忸怩たる思いを再認識できるからです。

今の自分に欠けているもの。

それはまぎれもなく挑戦する気持ちです。

かつて新卒で入社した会社を半年程度で退職した自分。

その時は社長になりたいという一心で上京したことが思い出されます。

 

それから早10年。

時間の流れは残酷なものです。

しかし、今更何言っても始まりません。

それならば、改めて挑戦する気持ちを呼び起こしたい。

そんな思いで明日から少し旅に出ます。

 

旅先ではブログではなく、手書きのメモで想いを綴ってこようと思います。

少しでも実りがあり、かつ新たな挑戦をする準備として時間を過ごすために。

今日は書くことと話すことの違いについてです。

 

よく、「知っていることとできることは違う」ということを耳にします。

確かに知っていても形にできない。

そんな経験はしばしばあるものです。

 

また、頭には思い浮かんでいるのにうまく表現できないということもまたしかりです。

それはひとえに、自分の中に定着していないからというのが理由として挙げられます。

自分の中に定着していることであればそれを表現することは容易く思われます。

しかし、自分の中に定着していない場合、自分の言葉として表現することは難易度が上がります。

結果、表現がぎこちなくなり自分の言葉でうまく表せないということが起こり得ます。

 

基本的に物事を書くということは自分の内面で完結する行為です。

そのためじっくりと考えつつ、物事を書くということに慣れている場合、そのことを話すことがとたんに難しく感じられる場合があり得ます。

なぜかと言えば、頭に思い浮かんでいることをそのまま話すことは書くことと似て非なることだからです。

言いたいことをとりとめもなく話していると、しばしば文脈がめちゃくちゃになるものです。

これは自分の頭の中が整理できていないからという理由に尽きます。

そのためインプット過多になっている場合、話すことがへたであるということが往々にして起きます。 

 

今この文章もしゃべっていることを自動的に文字起こししてくれています。

多少手を加えているにしても、言いたいことをスムーズに表現できているとは思えない文章です。汗

 

自分教科書として考える場合、アウトプットを意識する時に人に話すという行為は避けられません。

話が苦手だからといっている場合ではありません。

そうであるならば頭に浮かんだことをスムーズにアウトプットできるよう日々訓練することが重要になってくるように思われます。

 

そのためにこうした文章を作成しています。

日々感じたことをスムーズにアウトプットする。

この一連の流れをより加速度的に展開し、アウトプット能力を高めていこうと思います。

今日はちょっと恥ずかしい話を。

 

あることを人から質問され回答に窮する画面がありました。

自分のこれまでの実績というのは決して誇れるものではありません。

 

そのため、「過去の実績はどういったものですか」「過去に何を成し遂げましたか」

そういった質問には非常に困ることがあります。

しかしそういったことを質問された以上、答えないわけにはいきません。

結果、自分の苦い過去と向き合うことになります。

 

結構誤魔化したくなることはあります。

しかしごまかしたところで、うまくいっていないことは事実です。

そのため、今はごまかせたとしても、いつかほころびが出て、結局評価を下げる結果になることは明白です。

また人からの評価の前に、自分自身にも傷を与えることになります。

これはごまかしという行動による自尊心の毀損とも言えるでしょう。

 

そのため今日はありのままさらけ出してしまいました。

非常に恥ずかしい現状ではあります。

しかしごまかさないで伝えたことによる清々しさはあります。

この回答の結果「なんだこいつは」と思われるかもしれません。

しかし、それが今の自分なので仕方がないと受け入れるしかありません。

 

大事なのはこれからの自分に対して自信を持てるかどうか。

そのためにはこれからの希望をして現在の自尊心を保つことの方が大切です。

実績がない以上、自尊心を保つには自分に正直であるしかありません。

自分に正直になることを積み重ねることによって少しずつ自分の中の自信を深めていく。

そのプロセスを重ねることでしか自分を成長させる方法はないように思います。

 

正直に自己開示をする。人によっては当たり前かもしれませんが私のようにできない人もいるかと思います。

これは自分教科書なので、恥を忍んでできないことをできないと述べています。

自分をごまかさずにさらけ出すことは安心開放感をもたらしてくれます。

この開放感と自分に正直でいることを大切に日々を歩んでいきたいとそう考えた次第です。

昨日の飲み会では食事をいつも以上に食べました。

その結果お腹が痛くなるぐらい満腹になり、朝になっても膨満感がなくなりませんでした。

 

そうすると日中の活動にも良くない影響が及びます。

やはり何事においても節度を守ることは重要であるように思われます。

節度を守らないと、何かしら活動によろしくない影響が出てくるように感じられました。

満腹の場合は頭が十分働かず、体も重たく感じてしまいます。

二日酔いの時ほどではないですが、このような状況ですと日中の活動が十分できず、不完全燃焼な1日に終わってしまいます。

実際、今日は時間の使い方もうまくなく、あまり生産性が高くなかった1日であったように思います。

 

そうであるのならば、やはり日々の食事、そして体調管理には十分気を付け、普段通りの生活が一番であることを改めて認識した方が良いと思った次第です。

 

とりあえず昨日の分を挽回するために、今日は筋トレをいつも以上に頑張りカロリーを消費しました。

少しでも自分の目指す目標に向けて近づくために、たまの失敗も糧として日々の生活を着実に送っていきたいと思います。 

最近家でお酒を飲むことを控えるようになりました。

そうすると当たり前ですがお酒を飲んでいた時間がそのまま浮くようになります。

その浮いた時間で何をするかといえば、自分の場合は筋トレです。

今までも筋トレをしていましたが、時間が空いた分今までよりもセット数を増やすことに成功しました。

その結果として、筋トレの翌日に筋肉痛が残ることが増えました。今もいろいろな部位が痛んでいます。笑

これは筋トレの効果が今までよりもより高まったということの証明でしょう。

 

なぜこの効果を高めることに成功したかといえば、ひとえにお酒を飲んでいた時間が空いたからに他なりません。

何気なくしていた習慣をやめるとその分時間が浮きます。

その浮いた時間に何をするかはその人の自由です。

しかし、少しでも効率的な時間の使い方をしようとすれば、自分にとって良い影響をもたらしてくれることは間違いなさそうです。

 

巷ではよく時間術という話を聞くことがありますが、時間術とセットにすべきは効率化で浮いた時間に何をするかではないでしょうか。

せっかく作った時間も無為に過ごしては意味を持たなくなってしまいます。

もちろんリフレッシュ、リラックスの時間であればいいのですが、何もせずにただただ過ごしてしまうことは無形遺産である時間の無駄遣いに他なりません。

それであれば少しでも浮いた時間に何をするかを考えておき、きちんと行動に移すこと。

それは多くの人にとって役立つ時間の使い方なのではないでしょうか。

 

ということを、筋肉痛を感じながら思った次第です。

これからも自身の健康のために筋トレは続けていきますが、より効率的に、そしてより効果的になるように時間術とともに積極的に取り組んでいきたいと思います。