動き続けることで、何かが変わった感覚が得られる。

 

これは間違いないことのように思われます。

何もせずじっとしていることは楽ですが、何もしていないので何も変化が生まれません。

当然社会に働きかけてもいないので、環境も変わりません。

ただ、変わることといえば時間が経過していることでしょう。

他の人が一生懸命活動している時に何もしていなければ、どんどん差が開いていきます。

そして、その積み重ねが大きな差をもたらす。

結果、人生の満足度にも大きな違いが出てくるでしょう。

 

こうした感覚が得られるのはとにかく動いてみることによって変化を感じることによってです。

動き続けると何かしらの変化が生じます。

たとえそれがいいものであっても悪いものだってもです。

何も変化しないよりは変化した方がいいと思うのは自分だけではないでしょう。

 

そんなことをがむしゃらに行動しようと考え続けて、何かを変えようと思い行動して得られた感覚です。

ここ数年失っていた感覚だったので、久しぶりに思い起こせて良かったと思います。

 

内容としてはふわっとしていますが、今日自分としてきちんと動くことができて良かったと感じています。

今日は大いなる反省から。

 

昼ご飯のメニューをいつもと変えて、お腹いっぱいになるまで食べてしまいました。

結果、ご飯を食べてからのパフォーマンスがぐっと下がり、時間を持て余す結果となってしまいました。

本来であれば、今すべきインプットを行い、自分の今後の生き方について考えるための時間を設けようかと考えていました。

 

しかし、そうした思いを眠気が打ち砕き、睡眠時間にその時間を奪われてしまいました。

そこから学んだ反省は三つあります。

まず、そもそもが最近寝不足であったということです。

やはり睡眠不足はパフォーマンスを落としてしまいます。

次に、ご飯を食べ過ぎてしまったことです。

これは自分の欲望に負けてしまったという噂に他ありません。

最後は、仮眠が長すぎたということです。

多少の眠気は、15分程度の仮眠で取れるものかと思います。

しかし、これも欲望のまま惰眠を貪ってしまいました。

 

全て、自分を律せなかったことに原因があります。

つまり自分の意思の弱さが原因だったと言えるでしょう。

 

そうならないために、今後は自分の意志の弱さを認め、意志の力ではどうにもならないように環境づくりに努めていきたいと思います。

日々自分を目標に向けて動かすための環境を作り、自分をオートメーション化させていきたいと、強く感じたこの一日でした。

今日ふと思ったこと。

それは何事も自分の考え方次第で良くも悪くも感じられるということです。

 

例えば、昨日の記事を参考にしてみましょう。

自分の人生詰んだという主観をどのように捉えるか。

 

ポジティブに考えれば、これから上がっていくしかない。

伸び代の塊。

今詰んでるんだから後は良くなるしかない。

 

そんな解釈ができます。

 

これをネガティブに捉えれば、本当に詰んだ。

もうどうしようもない。

生きている意味がない。

俺の人生こんなものか。

 

そんな言葉が思い浮かびます。

 

ただし、元を辿れば、どちらも自分の考えから派生した発想です。

そうであるならばどちらの言葉を自分に浴びせるのがいいのでしょうか。

自分に対する言葉であるならば、自分を奮い立たせるものである必要があるでしょう。

そうでなければ、自分の将来は言葉の通りになっていきます。

つまり本当に詰んでいく人生となるでしょう。

これは自己達成予言とでも言うべき事象だと思います。

 

よくオプティミストとは成功すると言われます。

これは物事を楽観的に捉えることによって、ポジティブに考える癖がつくからではないでしょうか。

同じ事象に対してポジティブに見る人とネガティブに見る人では、その後の行動や考え方に大きな差が出ることは火を見るよりも明らかです。

 

それであれば、ポジティブな発言をするまではいかなくても、自分の考えや目の前の事象に対してポジティブな解釈をすることにより、生きやすくなるのではないでしょうか。

少なくとも、自分の場合は解釈を変えることにより気分が軽くなるのを感じられています。

 

ここで大事なことに、現状の棚上げもあります。

現状の事を考えると気が重たくなることが多いのではないでしょうか。

そもそも、現状が大変だから人生詰んだという発想が生まれます。笑

この現状の棚上げについてはまた改めて述べたいと思います。

 

とりあえず、今日は自分に対して都合のいい解釈をすることも悪くないということを強く感じた次第です。

収入は少なく支出が多い。

そして貯金がゴリゴリ減っていく。

そんな状況が続き、将来の自分が困窮するのが見えてくる。

そんな状況を変えようにも、変える術を持っていないように思える。

こういった時、人生が詰んだという風に感じられます。

 

というよりも自分が今そんな感じです。汗

 

これを、日中強く感じました。

現在の仕事では思うように成績が残せません。

結果、収入は減る一方。

また、転職をしようにも履歴書を汚し続けた結果、思い通りに活動が進みません。

そのため、冒頭の思いを抱くに至ります。

 

しかし、そんな状況を受け入れると気分はかえって楽になります。

というのは、これからはもう動くしかないからです。

人生詰んだ、そう思って何もしなければ本当に詰んでしまいます。

しかし、詰んだと思ったところからがむしゃらに動き続けると光明が見えてくるようにも思われます。

ある意味、ずるずると流され続けるよりももがくことができるように感じられます。

今まで動いてこなかったツケだと思い、そして動いてこなかった分、エネルギーが有り余っている。

そのように理解して突破口を見出すために行動し続ける。

これこそが、人生詰んだと感じたところから悟った感覚です。

 

現状を少しでも良くしていくには、とにかく動くしかない。

その動くことも短期的ではなく、長期的な視点を持ってやるしかない。

そんな自分に期待してくれる人もいれば、なんとも思ってない人もいると思います。 

むしろ、何とも思っていない人が多い分、ガンガン動くことができるでしょう。

 

そう思い、自分の目標に向けてできることを積み上げていくことこそが、人生詰んだと感じるところからの逆転劇だと思われます。

 

そんな逆転劇をこれから展開していこうと思った次第です。

今回東京に旅をしてきました。

 

旅によっていろいろな場所を見て、昔を思い出したことはありますが、それよりも気付いたことがあります。

それは人と会うことによって多くの刺激が得られるということです。

 

当たり前のように思えますが、時間をおいて昔の友人と会うと様々な気づきが得られます。

特に、しょっちゅう会っていた人が新しい環境で頑張っている姿を目にすると、このままではいけないという焦燥感に近い危機感が得られます。

そして、その刺激こそ自分を動かすために重要なファクターと感じられました。

 

どうしても、意志が弱い自分が自分自身を動かすことは困難です。

その場合、環境あるいは人の力を借りることがどうしても必要になります。

今回、久しぶりに会った友人との交流によって、自分に期待してくれている人、自分のかつての目標をしっかり覚えてくれている人の存在に気づきました。

また、自分を受け入れてくれるそんな人の存在もありがたいものです。

 

様々な場所をの観光もしました。

しかし、観光スポットよりも昔の友人との交流の方が大いなる刺激をもたらしてくれました。

これからも積極的に外に働きかけ、多くの人と交流をしたいと思います。

もちろん、友人とはいっても貢献する姿勢を忘れずにいたいものです。

そのために、 自分のスキルをブラッシュアップしていきたい。

 

そう思った次第です。