まずは皆さんに、
お知らせを☆
9/7(土)、
荒川祐二、
久しぶりに九州で講演会を、
行います☆
…そして本日、
8月6日8時15分は、
広島に原爆が投下された日。
日本は正しかった、
正しくなかった。
自衛戦争だった、
侵略戦争だった。
様々なことが、
今この現代もまだ、
議論されていますが、
ただ、
そういったことは、
当事者でない、
現代人たちが語り続けた所で、
答えが出るわけもなく。
ただ僕は、
2015年に、
『神風ニート特攻隊』という本を、
出版した際に、
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インタビューした中で、
聞いた言葉があります。
それは、
『当時の日本の空気は、
全体的に、
まるで何かに憑かれているようで、
明らかにおかしかった。
それは、
間違いなかった。
ただ戦争によって、
国の形が変わるにしても、
それにしても、
降参をするのが、
遅すぎた。
あそこまで国民の命を、
犠牲にする必要はなかった』と。
そして同時に、
こうも仰っていました。
『ただ1つだけ言えることは、
戦地に赴いた人たちは、
誰一人として悪くない。
彼らはただ、
君らのような、
後の世代の幸せを願い、
『礎』となった。
そのことだけを忘れず、
本に書くなら、
そのことを伝えてほしい』と。
その言葉を聞いた時、
僕はそれを、
伝えなければならいと、
思いました。
『礎』とは、
楚はバラバラに離れた、
木の枝のこと。
そこから、
離ればなれという意味になり、
それが石とくっつくと、
離れ離れに置いた石の上に、
柱を立てる。
そこから、
『物事の根本を意味する』、
と言います。
でもその時に、
『礎』となった人々は、
当時今の僕よりも、
遥かに若い、
10代後半や、
20代前半の若者たちだったのです。
僕はこう書きました。
※『神風ニート特攻隊』は、
自分なんか生きる価値もないと思い、
ニート生活をしていた、
20歳の主人公 田中隼人が、
特攻隊の時代にタイムスリップし、
特攻隊員や、
当時の人々との触れ合いの中で、
生きる意味を見出していく物語です。
□■□■□
日村(※従軍記者)「礎、という言葉知っているか?」
・・・いしずえ。
隼人「国の礎になるとか、土台の石の礎石とかに使われる?」
日村「そう、それだよ。基礎の礎でもある。多くの隊員さんが、自分が礎であると言うんだ。
俺よりも一回りも若い人が。
何で年上の俺が、彼らの上に立っているんだと思うと、恥ずかしくてしょうがない」
それをいうなら、僕など何も知らず死んだように生きていたので、もっと恥知らずだ。
日村「細かく分けると、
楚はバラバラに離れた木の枝の事らしい。
そこから離ればなれっていう意味になって、
それが石とくっつくと、
離れ離れに置いた石、
その上に柱を立てる。
それが礎のようだ。
そこから物事の根本を意味するらしい」
少し早口で言われたので、僕は半分ぐらいしか意味が分からなかった。
日村「国体は国民あってのもの。柱そのもの。
それがバタバタ死んでいくなんて、おかしいじゃないか。
未来は、この方たちの屍の上に成り立っている。
そうでもしなきゃ維持できない国なら、いっそいらないんじゃないか。
・・・なんて一時は思っていた事もあった」
隼人「・・・」
日村「でも今は思う。もし今降伏なんてしたら、それこそ死んでいった人たちに申し訳が立たない。
だから後には引けないんだ。国とは人であり家族であり故郷であるらしい。
・・・ちょっと難しいかな」
隼人「・・・はい、全部は分かりませんでした」
日村「まあ俺も整理し切れてないんだよ、考えも感情も。
どんどん出撃していく若い人がいる事を、理由をつけて納得しようとするから訳がわからなくなるのかもしれない」
隼人「・・・」
日高「でも、死んでいった隊員さんたちは絶対に非難できない」
隼人「・・・はい」
日村「俺は理不尽な光景を、自分の役割を演じる事で、正気を保っている」
自分の役割・・・。
日村「君はどうだ?」
何一つ、答えが見つからない。
隼人「・・・僕には・・・分かりません・・・」
日村「・・・そうか」
□■□■□
そしてこの『神風ニート特攻隊』では、
終盤に、
出撃していく、
特攻隊員の方々から、
主人公へと、
手紙が託されていきます。
その手紙を一部、
紹介させて頂きます。
□■□■□
・特攻隊員 牟田の手紙
田中 隼人 殿
私が君に手紙を残す事に驚いたでしょうか?
私自身、君に手紙を書こうと思った自分に驚きました。
なんとも、君を見ていると心配になるのです。
最初は洒落た一句を読もうか、美文調に書いてやろうかと思ったのですが、君のみに残す手紙なので、実直な気持ちを記す事としました。
君は命を無駄にすべきではないとあの時に話しました。
それは全くの同意です。
ただ此度のことは、我々にとっては無駄ではない。
どの隊員もそう信じているものであります。
そう思いたいのです。
時機を失する。
この事が何よりも恐ろしいのです。
日本男児たる者、すべからく桜のように散れ、とまでは言いません。
ただ、死を賭して何事か成すべき時が来たのなら、迷うべきではない。
死は或は泰山より重く、或は鴻毛より軽しといいます。
大儀に適っていると思えば、時期を逸してはならないと私は考えます。
例えば堀之内少尉。
先の宴会ではからかいもしました。
こんな温厚で心優しい人間が、何故に特攻隊に志願したのか。
今、私と同じ兵舎にいますが、寝てしまうのが怖いのか、三角座りをして何事か呟いています。
しかし、堀之内少尉は心優しいからこそ、敵軍に本土の侵入を許したくないために志願したのかもしれません。
あるいは芥見少尉。
会津若松出身らしく、御祖父様は白虎隊だったとか。
お調子者に見えますが、勇猛さは本物でしょう。
階級と年は私のほうが上でありますが、彼に元気付けられることもしばしばです。
正直に言えば、私もこの書く手が震える事があります。
いくらこの国の礎になる誉れ高き作戦とはいえ。
後に靖国神社で会えるとはいえ、恐怖で手が震えるのです。
私自身、自分は勇猛だと思っていたのですが、彼には適わないようです。
彼は遺書のみ書いて、形見も手紙も残さないようです。
武士の家系ならば、そんなもの残さずとも家族は承知しています、との事でした。
形見に関しては、私も迷いました。
見れば家族は私を思い出し、いつまでも悲しんでしまうのではないか。
しかし、人の死を受け入れ、前に進む勇気をくれるのもまた形見というものであると思います。
なれば、と思い、私は家族に形見を残す事にしました。
田中少尉の弟の君。
君を見ていると、満州に出兵している弟を思い出してしまいます。
ついつい君に構いたくなってしまいますが、同時に故郷と家族を嫌でも思い出してしまいます。
だから手紙を書かずにはいられなかったのです。
我々は今日まで軍隊に入って猛特訓の毎日を送ってきました。
この作戦で、我々のそれが報いられるのです。
日本人なら好むと好まざるとに関わらず
誰もが悠久の大儀のために死ぬべきであると私は言いました。
しかし君は生きてください。
君たちのために、
我々は喜んで礎となりましょう。
お元気で。
牟田 茂
□■□■□
僕らの命はこうして、
僕らの幸せを願い、
散っていった、
多くの先人の方々の、
魂と愛の、
『礎』の上にあります。
前を向いて、
生きていかなければいけない、
と思うのです。
先人たちの築いてくれた、
今のこの時代の、
平和に、
感謝して。
そして、
自らもまた、
連綿と続く、
命の繋がりの中で、
後の世代へと、
幸せのバトンを、
繋いでいくために。
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