『スサノオと菊理媛を巡る旅』。
イザナミの魂を黄泉の国から解放し、
二柱の神を和解させるために、
まず僕自身が乗り越えなければならない、
恐怖という名の『闇』がある。
…そう考えたその時に、
僕の脳裏に、
この国の礎を築き上げた、
一人の男の姿が浮かび上がった。
初めてこの国に、
『日本』という名称を与え、
今この現代にまで至る、
この国の礎を築き上げた男。
しかしその国づくりは同時に、
『血の穢れ』という、
同様に今この現代でも、
解決されていない、
『差別』という問題を生んでしまった。
おこがましいのかもしれないのだが、
僕はほんの少し、
ほんの少しだけだが、
天武天皇の気持ちが、
分かる気がしていた。
リーダーという人の上に立ち、
先頭に立って、
人を引っ張っていく立場であれば、
それがどれだけ小規模の組織であっても、
全員の意見を取りまとめ、
全員が納得する判断をしていくことは、
困難を極める。
僕自身経営者として、
ほんの数十人という規模の、
組織でもそうなのだ。
それが天武天皇の場合、
『国』という想像もできないほどの規模。
ましてや、
日本史上最大の内乱と呼ばれた、
『壬申の乱』という、
国が大いに乱れた直後のことである。
新たに国の礎を築こうとなった時、
全員の意見を取り入れて、
全員が納得する答えを出した上での、
国の運営は、
正直…出来ない。
だからこそ天武天皇は、
自らを神と化し、
その威光によって、
自らの進める国づくりに、
従わせるという方法を取った。
『1000年続く国の土台を築き上げる』という、
強すぎるほどの意志を持ちながら…。
その結果としての、
ある意味の『犠牲』としての、
血の穢れだったのかもしれないが…。
天武天皇のもとへと向かう道すがら、
僕の心にはどうしてもわからない、
疑問が湧いてきた。
あ「…あの、泰澄さん…」
泰澄「…どうした?」
あ「今僕らは、
天武天皇のもとに向かっています。
その前に、
どうしてもわからないことがあるんです…」
泰澄「…なんだい?」
あ「天武天皇は、天皇となる前、
まだ大海人皇子と呼ばれていた時は、
民を愛し、自然を愛した、
心優しき青年だったと思うのです…。
それは僕自身も見て感じました…」
あ「なぜ、そんな心優しき青年が…、
罪なき人たちにも、
『血の穢れ』を与えるほどの存在に、
なってしまったのか…?」
あ「その答えが分かりません…。
その後色々調べたのですが、
正直、何もそこまでしなくても…って、
思ってしまうのは僕が、
甘いからなのかもしれないのですが…」
泰澄「天武天皇の治世と、
その遺した功績に関しては、
素晴らしいものがある。
それは揺るぎない事実であり、
それは理解出来るかな?」
あ「…はい、もちろんです。
天武天皇が築き上げた、
この国の礎があるからこそ、
今もこうして僕らが、
生きていられる時代がある。
そこに対して、
何の異論もありません」
泰澄「そう、それは私も同じ。
彼が作ってくれた制度や文化、
教育の礎があるからこそ、
その後のこの国の繁栄がある。
それは紛れもない事実だからこそ、
私も、そして役行者たちもまた、
本質的な意味では、
天武天皇のことも持統天皇のことも、
恨んではいないんだ。
ただ彼が唯一、
過ちを犯したとしたなら、
それは…」
あ「……?」
泰澄「自らを神としてしまったこと。
それに尽きる」
あ「自らを神としてしまったこと…」
泰澄「今この現代でもそうだろう。
どれだけ立派な指導者でも、
自らを神と化してしまったその瞬間に、
それはもう神の姿をした魔に、
取り憑かれてしまっているのと一緒なんだ。
そこからは自らを『神』と見せ続けるために、
虚像を作り続け、
それを進めれば進めていくほどに、
偽りの自分と、
終わりなき戦いを続けなければならないという、
修羅の道が待っている」
あ「………」
…言葉が出なかった。
まるでその時の天武天皇、
いや本来、
民を愛し、自然を愛していたはずの、
大海人皇子の気持ちを思えば、
発する言葉が無かった…。
それを取り返していけるのもまた…、
今を生きる、
『人』でしかない…」
…泰澄さんとのそんな会話を経て、
僕らは天武天皇の魂の鎮まる、
奈良県は明日香村にある、
『宮滝遺跡』へ来た。
僕は天武天皇の持つ、
あまりの威圧感に、
意識ごと飛ばされてしまった。
しかしそれもまた、
僕自身の持つ弱さだとしたら…。
この菊理媛を巡る旅のすべての行程を終えた今、
今の僕の目に、
天武天皇はどう映るのか…?
一抹の不安という、
正直な気持ちを持って、
再び天武天皇と対峙する。
でも僕には、
どうしても天武天皇に、
伝えなければいけないことがあった。
…そして…?
天武天皇がかつて、
この国を思い、
日本史上最大の内乱へと、
大きく舵を切った宮滝遺跡のこの場所に、
天武天皇がその姿を現した。
初めて会った時と変わらない、
威圧感はそのままに、
天武天皇は無言で僕を、
まっすぐ見つめ続けた。
以前と同じように、
圧倒されそうになった自分がいたが、
この身から魂が離されないように、
気を強く持つ。
吹き荒れる風に、
身を振り回されるような状況の中、
僕は必死に声をあげる。
あ「あ、あの…!」
天武天皇「………」
あ「こ、こんな僕なんかが、
お言葉をかけて申し訳ございません…。
僕、あの、荒川祐二と、申します…!!」
天武天皇「………」
その瞬間、
少しだけ吹き荒れるような威圧感が、
収まった…?ような気がした…。
滝のように流れ出てくる汗の中、
言葉を続けないと、
自分が自分で無くなりそうで、
僕は必死に言葉を続ける。
あ「まずはお詫びをさせてください…!
先だっては大変ご無礼を、
失礼致しました!!」
天武天皇「………」
あ「何も知らずにお声がけをしようとしたこと、
本当に失礼だったと思いますっ!!
でも、違うんですっ!!違うんですっ!!」
天武天皇「………」
あ「僕本当に、考え違いをしていました!!
僕は旅の道中ずっと心のどこかで、
貴方様が悪だと、
思っていたんです!!
でも、違うんですっ!!違ったんですっ!!」
天武天皇「………」
収まりかけていた、
威圧感がより一層強くなる。
それでも僕は必死に食らいつき、
フラフラになりながらも、
言葉だけをあげる。
あ「違うんですっ!違うんですっ!!
聞いてください!!違うんですっ!!」
天武天皇「…何が違う…?」
その瞬間ピタリと、
威圧感が止み、
初めて天武天皇が言葉を発した。
僕自身もフッと力が抜けたように、
地面に崩れ落ち、
まるで天武天皇に土下座をするかのような形で、
地に這いつくばりながら、
息も絶え絶えに必死に声を上げる。
あ「…貴方様は…悪では…ありません…。
決して…悪では…ないんで…す…」
天武天皇「………。
…貴様ごときに何が分かる…」
あ「…僕…、どうしても…貴方様が悪として、
自分自身が世の中に発信してしまうことに…、
どうしても納得がいかなくて…。
その後ちゃんと調べたんです…。
そうしたらやはり違っていました…」
天武天皇「………」
あ「…もちろんもうすでに、
ご存知だとは思うのですが、
今この現代でも宮中に伝わる、
『四方拝』という儀式があります…。
これは毎年元旦の早朝5時半に、
天皇のみが着ることを許される、
装束をまとった天皇陛下が、
天地四方(天と地、東西南北)の神々を拝し、
その年の災いを祓い、
豊作を祈願する儀式と言われています…」
『この世で起こるすべての困難は、
我が身を通してください。
すべての穢れは自分の身が引き受けますから、
どうか国民を守って下さい』という、
八百万の神々へ国家国民の安泰を祈った儀式だと、
知りました…。
これが…」
天武天皇「………」
あ「貴方様の本当の思いではないのでしょうかっ!!
その思いの表れが、
過去の過ちへの反省ともなり、
数千年を経た今でも、
貴方様の子孫によって始まり、
今でも代々受け継がれている…。
でもこれが、これこそが、
貴方様の本当の願いだったように思うのですっ!!」
天武天皇「………。
…すべての歴史を知った上でも尚、
同じことを言えると言うのか…?」
あ「…僕なんかが言うのも恐縮なのですが…、
人は間違えるものだと思うの…です…。
過ちを犯すものだと思うの…です…。
でもそれをいつまでも過去を責めても、
何も変わらなくて…。
だからもし差別というものが、
今この現代にでもあるとするならば…、
それを無くしていくのもまた、
今を生きる僕らの責任ではないでしょうか…。
現に今この時代は、
昔に比べて、
そういった『血の穢れ』に対する差別は、
確実に無くなってきています…」
天武天皇「………」
あ「…もうご自分を許されても…、
いいのではないでしょうか…。
…こんなことを…僕なんかが…、
僕なんかが申し上げてすみません…。
すみません…ずみまぜん…、
うあぁ…あぁぁぁぁぁ…」
気付けば僕は、
子どものように涙を流し、
鼻水を流しながら、
天武天皇の魂にしがみつくように、
話をしていた。
正直言って、
見た目的にはこれほど、
『穢らわしい』存在もないことだろう…。
でもこのことを、
歴史の過ちばかりではなく、
天武天皇の真実もまた、
きちんとお伝えしないことには、
僕がこの物語を伝える意味がない。
どちらか一方だけを、
悪にすることなんて出来ない。
そう思いながら、
必死に涙を流し続けていた、
その時だった。
天武天皇「…ふっ。
ふ、ふははははははっ!!」
…天武天皇が…、笑った…?
しかもその笑い声は、
決して嫌な笑い声ではなく、
心底心を許した時にのみ発するような、
どこか気の抜けた空気を感じさせた。
天武天皇「…何とみすぼらしい…。
しかし…何と尊い…。
これだ…これではないか…。
朕が護りたかったものは…」
あ「…??
…????」
天武天皇「…か弱くとも必死に生きる民たちの、
その誰もが安心して、豊かに、
幸せで生きることの出来る国を、
作りたかったのではないか…。
…そうか…そうだったではないか…。
もっと…早く…過ちに気付いてさえいれば…」
あ「…?????」
…突然のことに何が何だか分からない中、
僕はロクに何も考えずに、
答えてしまう。
あ「あ、で、でも…そんな国は、
出来ていると思い…ます。
僕なんかでも、楽しく毎日、
生きてます…。
今は戦争もないですし、
飢えることもないです…」
天武天皇「…そうか…そうか…。
朕が願った国は…出来ていたのか…」
天武天皇が、
そう言った瞬間だった。
突如として、
その魂が光り輝き…。
うっすらとそこに、
かつてこの国を愛し、
民を愛し、自然を愛した、
心優しき青年、
『大海人皇子』の姿が、
浮かび上がった。
その傍らには、
かつて彼を愛し、
夫婦二人三脚でこの国の礎を築き上げた、
持統天皇こと鸕野讚良(うののさらら)の姿があり、
共にその魂は、
光の中へと溶け込んでいった。
同時にその扉を閉じていた、
重き鎖がゴトンと音を立てて、
崩れ落ちた。
ス「………。
…よくやった…。
…よく…やったな……」
…。
……。
………。
…………。
…『後悔』というものは、
穢れの中でも最も祓うために、
困難を要するのかもしれない。
それは過去の自らの過ちを認め、
同時に失意の中から、
再び前を向いて、
立ち上がらなければいけないから。
しかしその穢れを祓えるものは、
過去にはなく、
今を生きるこの瞬間に、
再び立ち上がろうと、
精一杯、一生懸命に、
命を輝かせてこそ出来るもの。
数千年と続くこの国の礎を築き上げた天武天皇の、
同じように、
数千年と続く『後悔』に終止符を打ち、
次は伝説の神の『後悔』に、
終止符を打ちに行く。
いざ、
イザナギとイザナミのもとへ!
『スサノオと菊理媛を巡る旅』、
残りあと3話!!