小池氏の動きは、民衆党の”仕分けごっこ”の再来ではないか。
また、橋下徹氏は、既得権益に対する"抵抗勢力"をつくり、"有権者の味方"として戦う姿を見せることで、多大な支持を集めた。しかし、国政にまで食い込んで政局をかき回した挙句、なにをやってくれたのかは、皆目検討がつかない。小池氏はそれらと似ている。
あれは、政治ではない。
Show だ。
国政が自民で動かないことへの不満分子の憂さ晴らし用受け皿になっている。
結局、損をするのは都民だ。
似たようなのに、なんとか大学の白熱授業ってのがあったけど、もんだいを引っかきまわしているだけで、解決になってない。
あれも、Showだ。
本当に勉強をしたければ他の先生が書いたもので勉強しなければならない。
小池劇場に戻ります。
「豊洲問題」の経済的犠牲
もし来年、小池氏が国政を揺るがすとすれば、それはどれだけ国益につながるのだろうか。
「それ(夏以降の小池氏の仕事)を見ると、『小池さんには経営感覚がないのではないか』ということが、感じられる」
「小池氏は、豊洲にストップをかけ、移転に対して否定的なことを言いながら脚光を浴びるというスタイルを取っている。こうした政権運営というか、マスコミ操縦で人気を取るやり方というのは非常に危険なやり方だ。彼女の政治手腕のなかに大きな弱点があることを感じるのです」 こう主張すると、このように問題提起したこと自体が成果、実績と後押しをする人は言う。
それは、自分の鬱憤を晴らすためだけの成果であり、皆の全体の経済は疲労しているのだ。
そこを解らないで、また民主党の政治ごっこを繰り返すのか。
つまり小池氏には、都の実際の繁栄(経営)よりも、マスコミ受け(広報)を優先してしまう傾向があるということだ。~民主・事業仕分けと同じだ。パフォーマンスがほとんどで、なにも残されていない。
築地市場の豊洲移転も
"問題"をひと言で振り返ると、「豊洲の移転先がガス工場跡であり、土壌汚染がされていた。しかも、その汚染物質が地表に出ないようにするための『盛り土』がされていない箇所があった」というのが、主な内容だ。
しかし、豊洲では汚染物質の除去作業はしっかり行なわれている。その上でする「盛り土」は「念には念を入れて」という措置であり、絶対のものではない。
それを、さも「盛り土をしなかったせいで、豊洲の地中に眠る汚染物質が、市場の水や食物を侵す」かのように、マスコミなどが煽って報道しているのだ。
結果として市場移転が遅れ、水産卸だけで損失額は1年で40億円弱になる。さらに、資金繰りが苦しくなって廃業する中卸業者が増えるとも言われている。さらに、豊洲の移転延期に伴い、五輪の選手村につながる幹線道路、「環状2号」の開通も、五輪に間に合わなくなってしまった。
そもそも、現在の築地市場は、老朽化が進み、衛生面でも問題が多い。アスベスト問題も指摘されるなど、豊洲よりもはるかに「危ない」状況にある。
小池氏は、豊洲の土壌汚染のリスクに注目するあまり、経済的に多大な犠牲を生んでいる。
小池劇場の底にある「環境左翼」幸福の科学はこう指摘する。
「都知事選挙のときに、小池陣営は、『緑の色のものを持ってきてください』というような運動をしていましたが、緑、グリーンは『環境』を意味します。(中略)あまり『環境問題』について言う人というのは、基本的に左翼と同じ考えを持つ傾向が強いのです。つまり、開発や発展に対しては、マイナスの考えを持つ傾向が非常に強くて、(中略)だいたい『開発反対』になってきます」
豊洲移転問題で思い浮かぶのが、民主党政権の失政として有名な「八ツ場ダム」の建設中止だ。「コンクリートから人へ」をスローガンに掲げ、開発を罪悪視した民主党は危うく、多大な投資額をドブに捨てるところだった。
「脱原発」運動も、構造が似ている。放射能への過剰な恐怖心が煽られたことで、福島の復興は必要以上に遅れている。さらに、原発の「ゼロリスク」が叫ばれ、その再稼動は進まない。エネルギーコストが上がったことによる経済的損失は、尋常ではない。
有権者に求められる「冷静さ」
は、ない。自民党の既得権益に憂さ晴らししたい気持ちも解らないでもないが、小池氏の劇場はちょっと危険だ。
「小池氏は判断において『環境』という面に引っ張られる傾向が強い。そして、『環境・安全を"軽視"する利益団体と戦う』構図は、マスコミ受けもいい。しかしその中で、経済的に釣り合わない損害を出してしまう危険性がある。この傾向のまま、小池新党などを起こし、国政を揺さぶることが、国益に資するのかは疑問だ」
小池氏の動きは、未知数の部分が多いが、もし来年、小池氏が"乱"を起こした場合、有権者には「物事の大小を見極める冷静さ」が求められるだろう。
小池氏を「女性の政治家、およびそれを目指す方々にとって、一つのモデルケース」という面もあり、それは期待しなければならないが、手腕、経営感覚においては一線を画す必要もあろう。