おはようございます。
「寺院用お仏具」の京都唯心庵
「ハワイのお寺での結婚式」のウエリナアイリです。
皆さま、コロナウイルスでの自粛生活お疲れではありませんか?
わたしも疲れております😢その疲れを少しだけ癒してくれました話がありました。
なんと、マスクが1枚来たんです❗️
お国からではありませんよ。私がお世話になっている菩提寺からです。😷
私は浄土真宗の門徒です。私のお寺は京都市内にある小さなお寺です。そのお寺から、定期的に情報紙(寺報:乘誓)が送られて来ます。その寺報の中に「マスクを1枚入れております。よろしければお使いください。」のメモと共にマスク1枚入っておりました。何かほっとして嬉しく、大層に言いますと感動しました。
我が家は、ご承知のように夫婦で商売をさせていただいていますので、月参りもお休みをさせていただく事が多いです。お寺参りもサボっております。しかし、住職さまの気配りにコロナでイライラしている気持ちも一息つき、お寺が身近に感じました。
その寺報のメインの記事を一部をご紹介いたします。(コロナ関連の記事です。)
「記事タイトル:無常と非常」
無常という仏教用語があります。「常が無い、あらゆるものは変化し移り変わる。」という意味です。この「無常」の原語は、古代インドの言葉サンスクリットで「アニトヤ」というのだそうです。その昔、中国の僧侶は、インドに旅をし、サンスクリットで書かれた仏教教典を持ち帰り、中国語に漢訳しました。その時「アニトヤ」という言葉は「無常」と漢訳されましたが、別の僧侶は「非常」と訳しました。つまり「無常」と「非常」はもともと同じ言葉なのです。「非常」とは、「普通でない差し迫った状態。また、思いがけない事変。緊急事態」と辞書にあります。特殊な事が起きた時だけ、私たちは「非常」と感じますが、実はそうではなく、私たちのいのちは常に「いつ終わってもおかしくない、非常事態の中にある」ということなのです。「緊急事態宣言」が発出されたのは、いつ誰が罹患してもおかしくない、非常事態であるということを我々に知らせるためですが、それ以前の平穏な日常も、実は「無常」であり「非常」であったということです。今回の感染拡大や様々な災害、思いがけないできごとが起こると、何もなかった日常のしあわせを改めて感じますが、それらが収まるとまた日常の不満の中に埋没してゆきます。無くしてから初めて、失ったものの恵や有り難さを知らされますが、「無常」や「非常」という仏語は、「今その有り難さに目覚めよ」と教えてくれているのでしょう。恵まれ支えられている私であることを忘れないようにし、まずは自分でできることを考え、行動したいと思います。
(蓮の写真と記事本文は関係ありません。)
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