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 おはようございます、こんにちは、こんばんは!

 yui-yuiです!٩(ˊᗜˋ*)و

 

 さてさて、この間ね、アニメの氷菓を見返したんですよね。

 米澤穂信先生の小説、古典部シリーズのアニメです。

 

 それでふと、アニメ第17話『クドリャフカの順番』の解決編を見た時に、文庫本を読みながら見てみようって思ったんです。

 

 アニメの氷菓は、ビジュアル面(主に主要キャラのギャップ)はともかくとして、とっても原作に忠実ですし、とても素晴らしい出来で、毎週劇場アニメを見ているかのような、テレビアニメでは考えられないほどの素晴らしいクオリティでした。

 

 それでも、やっぱり文章の方がグッとくる表現が多い。

 テレビアニメはそこにあるものを見て聞く、ということで、文章を読むよりも、頭を使うという行動が削られやすい気がするんです。

 

 想像力を削る。

 わたしは、氷菓がアニメ化されたとき、ビジュアル面で慣れるまで、結構苦労しましたしねー。

 最初に自分で想像した情報より、アニメ化、ということで新しく入って来る情報が強いから、慣れるまでは中々w

 

 今はもう慣れたので、原作を読んだときにも、脳内では、折木くんのお声は中村悠一さん、千反田さんのお声は佐藤聡美さんのお声がしますw

 

 アニメ放映当初も結構文庫と首っ引きでアニメを見たりしたものですが、折木くんはちょっとアニメの方が冷たい感じするんですよね。

 それもそのはずで、文庫はほとんどが折木くんの一人称。

 でもアニメでは、それを踏襲してはいても、文章で表されている一人称を再現するのは難しい。

 

 そこで温度差が出るんですよね。

 

 クドリャフカの順番の解決編は、特に人への想い、期待が強かったお話だっただけに、そこがアニメでは表現が不十分だった。

 田辺先輩の強い思いは、はぁ、そんな思いがあったんだなぁ、という形でしか伝わらない。

 

 でも原作は、折木くんが思うところに振れているというか、折木くんが主人公の一人称なのだから当たり前なのですが、だからこそ、とある事象に対しての折木くんの気持ちが、読者にも伝わりやすい。

 

 そういうのが、アニメでは全般的に欠けている……というよりは、弱いんですよね。

 でもそれは、アニメという表現媒体では、限界もあると思うんです。

 先ほども書きましたが、見るだけ、聞くだけで、頭に入り込んでくる情報。

 それに時間の制限もありますしね。

 

 なので、氷菓のアニメはそういうことを踏んまえると、とんでもなく、とてつもなく素晴らしいアニメだったと思うんです。

 

 でも、やっぱり、原作が小説だと、どうしたって無理が出る。

 実写映画なんかは結構ひどかったですからね。

 まぁ実写映画はもうキャスティングから物議をかもしておりましたけれども、内容も大概だったなぁって思います。

 原作一巻の氷菓を実写化したんですけれどもね、無理して映画オリジナルフレーバーを入れたかったのか入れざるを得なかったのか、まぁそのオリジナル要素がことごとく邪魔でしたねw

 

 まぁあとは、山崎賢人くんがさー、実写請負人とか言われてる割に(本人が名乗った訳じゃないんだろうけど)折木くんの落としどころが甘かったなーって思う。

 

 あんな役作りじゃ原作は読んでないだろうしね。

 せいぜいがアニメ見た程度じゃない?

 

 折木奉太郎は、かったるくてふてくされてるんじゃなくて、省エネ。

 

 映画のコピー「謎解きは手短に」も甚だしくカンチガイしてるし。

 

 手っ取り早くコトを片付けるために手を抜くんじゃないのよ折木くんは。

 

 映画オリジナル要素もいいけどね、原作ファン馬鹿にしちゃいけませんよ、実写化するなら。

 

 やるならファミコン版グラディウスⅡ←くらいしっかり楽しませるオリジナル要素入れろ!

 な~に~こ~れ~す~ご~い~よっ♪

 

 おっと、逸れましたw

 

 まぁそんな訳で、原作が小説の物で映像媒体で良い、と思ったものは、時々ですが小説を買っています。

 

 最近だと『ペンギン・ハイウェイ』。

 これはほんとうに、小説も映画も素晴らしい作品でした。

 映画を見たその日に本屋さんに走りましたw

 

『君の声を届けたい』は映像からのノベライズでしたけれど、買いました。

 まぁノベライズに関しては、可もなく不可もなくw

 ただまぁ、ライトノベル然とした、小説、文章としての力を感じるものではありません。

 

 洋画だと『アイアムサム』も買いましたが、アイアムサムも映画が先のノベライズで、しかも映画にはない、つまらない要素をぶち込んでくれたせいで台無しになりましたね。

 映画の方が良いです。

 とは言っても、アイアムサムは人を選ぶ映画だと思うので、万人が観て万人が面白いとは言わないであろう映画ですが。

 

 最近では、ライトノベルからのアニメ化が多いようですが、ライトノベルは、ノベルとは言うものの、小説とは違う読みものです。

 

 まぁウィキペディアに依れば、古典部シリーズもライトノベルらしいですけれども、実際に書いている作家さんの地力が、いわゆる流行りのライトノベルを書いている方々とは、天地ほどの開きがありますので、仮に古典部シリーズがライトノベルなのだとしても、そこいらのライトノベルとは訳が違う。

 なにしろ米澤先生は直木賞作家ですからね。

 

 そう思うと、直木賞作家が書くライトノベルってものを経験できるって訳です。

 これは中々稀有ですよ!

 

 それはさておきまして。

 やっぱり、そういう、文章から感じる力って大事だと思うし、凄いなぁって思うんですよね。

 

 直木賞作家繋がりで言うと、わたしは、江國香織さんも結構好きで、でもまぁ好きと言っても五冊くらいしか読んでないかな。

 直木賞作品『号泣する準備はできていた』も読みましたが、わたしは今のところ『神様のボート』がイカレてて好きです←

 平凡に潜む狂気的な意味でw

 あ、殺人とか暴力とかの表現は一切ないですよ!(゚Д゚;)

 女の内に潜むナニガシ……的な意味でw

 男性にはちょっと刺激がある作品かもしれませんねw

 

 でもこういう作品こそ、映像化が難しいのかな、って思います。

 『流しのしたの骨』も、『泣かない子供』も映像としてイメージは湧きますが、それを映像作品として面白く作れるか、というと、全然別の話で、特に江國香織さんの作品は、いわゆる俗にいう『面白さ』とは一線を画している気がする『面白さ』なので、余計に映像作品化は難しいと思います。

 

 村山由佳さんも好きですが、ある意味で、性(サガ)という面では、江國さんと似た部分もありますね。

 読み終わった後に、ごっそり体力を奪われるような感覚は、村山さんの方が強い気がしますw

『Bad Kids~海を抱く~』

 が好きです。

 

 おっと、小説のお話でなくてね!(゚Д゚;)

 や、小説の話です。

 

 アニメや映画、映像でバババッ!と頭の中に情報が送られてくるものと、自身の想像力を伴って読んでゆくものでは、楽しみ方が違うなぁ、というお話です。

 

 それだけまとめて最初から書いただけじゃつまんないでしょ!w

 

 では、また!(๑˃̵ᴗ˂̵)و