嬉しい知らせ | 自然のある暮らし〜程よく楽しく

自然のある暮らし〜程よく楽しく

【いのちを調えること】

50歳を機に大阪から高知へやって来て自分らしく生きていくお話し


日常をただただ楽しく綴って
いきます。

皆さんの生きるヒントに
なれば幸いです

【食といのちの調理人】小石 倫子です爆笑ラブ

まぁ、3日間の自然農の全国実践者の集いが終わり濃密な時間を過ごすことができましたラブ照れ

一昨年までドップリと経済的利己主義に傾倒し過ぎて
不安に駆られて他人軸に惑わされ、疲弊し過ぎ、
昨年は、そんな自分から脱却するべく
自分自身を俯瞰する1年間でした。

当初は、60歳を迎えるにあたり、その後の夫婦の生活をどうするか問い直して、自営業を選択肢に選んで始めた飲食店でしたが、
当初の目的
夫婦の身丈に合ったささやかな経済活動の自立と
自分自身が好きな食材を調理することで、関わる人々の役に立ちたいという2本の柱を掲げて始めたものの
最後には、情報の渦と経済活動の利己主義の罠にドップリとハマり、
楽しむというところからはほど遠いところに着陸している自分に気づき、閉店を決断しました。

その頃から、全てにおいてもう一度自ずからを問い直すべく、自然農の塾の門徒を叩きました。

良妻賢母になりたいと願う自分
人の役に立つことが使命と義務感に駆られて
全てのことにいい人を演じる自分に自分自身を追い込み

どこかでできていない自分自身を責め

挙句には、周りが私の思いを知っていないからだとまで思うようになっていました。

そしてどこかでソレが出来ている人を羨み、また自虐する。

だけど、本来の自分自身は、ある意味他人には興味がないというというところも持ち合わせていて、

私は私
という漠然とした思いの自分自身もある。

その狭間で、ずっと揺れ動き答えを見いだせずにいたように思います。


そして自然農に1年間触れ、田畑に立ち、その思いがとてもちっぽけなことのように思い、
塾の棚田の風景に溶け込む木々や田畑の営み、吹く風の感覚、太陽と光、大智の温もり
虫たちの奏でる声、可もなく不可もない。

そしてそこに存在するハーモニーの絶妙さ。

それでいて、各々の清々しい立ち姿。

そしてソレはどれも一つとして同じではなく、そしてどれかが際立つわけでもなく、止まりもせず流れている。

その風景を見た時、
まさに行動したからこその存在を認識したわけで、
行動しなければ存在すら無きものとして理解するわけで。

そうコレこそが次元を超えるということなのかとも思う。

波動とエネルギーが共鳴するからこそ、その存在を認識する。

コレこそが宇宙の摂理とも自然の摂理とも思える瞬間でした。

ソレに介在でき、新たな次元に立ち得たと認識した瞬間。

私は私と確信した瞬間でした。

もう誰かのために何かをすることはやめよう。
頭では私の人生は私が主役。
その舞台の演出も私自身が私自身の存在感を現すこと。
そんなシンプルなことで当たり前ことがココロと身体がまさに同化した瞬間でもありました。

そう深く味わえば味わうほど、
夫婦二人で仲睦まじくやろうとすることもある意味ソレは私のエゴで、そうなることもならないことも可もなく不可もない。

どちらが良くて、どちらが悪いのでもない。

彼は、正直なところ自然農には興味がない。
私は、彼のフラメンコ愛に興味がない。


だけど、ソレは可もなく不可もない。

そう思えたとき、
心から自然に添い、従い、応じる。

その瞬間
心から
フラメンコを通して彼の人生が豊かになればいい。

そして全国実践者の集いの余韻に浸りながら
昨夜、いつもより帰宅が遅くなり、
とメールが来て、電話もかかって来ましたラブ照れ


昨年はほとんど夫婦らしい会話がなくびっくり笑い泣きてへぺろ

1年間過ごし、

私はわたしで、
昨年は自分がやりたいと思わないことはやらない
お互いに干渉がしない

でも、正直なところ無関心過ぎたとも爆笑ラブ


そして今思うことは
お互いに認めた上での自立爆笑ラブ

依存することもなく、かといって家族に無関心もまた違うニヤリ

彼のペースがあって、
認めた上での会話

ありがとうラブ


するとどうでしょう
家に帰れば
シーツに毛布なども洗濯してくれていましたおねがいおねがいおねがい

やはり彼との出会いも可もなく不可もないウインク

お後がよろしいようで笑い泣きびっくりてへぺろ