🧵この記事はきっかけ(1)  (2)のつづきです 

 

 

霞海城隍廟は思ったよりもかなりこぢんまりとした廟でした。当時住んでいた場所から近かった行天宮にはよく足を運んでいましたが、(今はもうたぶんやっていないと思いますが、当時は)行天宮に参拝に行くとお線香がもらえたので、天の神様にご挨拶をして爐にお線香を立てて、関羽様にご挨拶をして爐にお線香を立てて…ということはしていましたが、霞海城隍廟はどの順番でどう参拝したらいいのかわかりませんでした。他の廟では見たことがないお菓子やお茶も振る舞われています。とにかく係の方に案内をお願いして、教えていただいた通りに参拝し、月下老人にサイのことをお願いしました。「サイが私のことを大好きになりますように」と、確かそんなことをお願いしたと思います。(24歳の時の思い出なのでご容赦ください😂)

 

 

そうしたら、2週間もしないうちにサイから告白されました。

 

 

今から考えるとかなり無理があると思うのですが、「先生の帰国の直前にもう一度送別会をすることになった。今回の幹事は自分だ」と言って連絡をくれたので、当日言われた場所に行ってみたら、「みんな都合がつかなくて来られなくなったから、今日は自分一人だけだ」と言って、一人車で迎えに来てくれました。クラスは20人もいたのに、全員都合が悪いミラクル😂 それとも私はクラス全員から嫌われていたのか?!うーん…でもつい数日前、私の誕生日会と送別会を兼ねてクラスのみんなが集まってくれたばかりだし…

 

 

「そんな事あるか?」と聞いたら、「ある」と言うサイ。サイが予約してくれていたレストランで二人で食事をした後、台北の街をドライブして、美麗華のライトアップされた観覧車を見ながら少し外を散歩して、車で家まで送ってもらいました。最後に私とサイが二人並んで顔を寄せ合っている手描きの絵をプレゼントしてくれました。そして私たちは付き合うことになりました。

 

 

担任制のクラスは1コマ3時間の長丁場のクラスだったので、私は授業中生徒さんたちを退屈させないよう、体を張ったショートコントを1回の授業に2回はねじ込んでいました。台湾のダイソーで購入したヅラを被り、マジックペンで鼻毛を描いたり、眉毛の間を繋げたり、歯を黒塗りにするレベルの体の張り方でした。サイはこれを週2回のペースで、合計週4回、半年間見せられ続けていたのに、一体私のどこに惚れたのだろう…?芸人魂ある女いいやんってなったのかな…?え、じゃあサイめっちゃいい人やん!!!といろいろ思いましたが、まぁ、とにかく向こうが私を好きだと言うのだから仕方ないですよね。←???

 

 

私は帰国の日が目前に迫ってきており、サイは徴兵制のため入隊の日が数ヶ月後に迫ってきていました。

 

 

つづく

 

 

〈授業で使う教材は全部自分で作っていました。いやセンス!〉

 

 

〈自分でも思うよ、「え、どした?」って。たぶん、自動詞他動詞を教えようとして「ギターが壊れます/ギターを壊します」「服が破れます/服を破ります」を説明したくてすごい方向に行ったんやと思う〉

 

 

 

 

〈未だに私と仲良くしてくださっている当時の生徒さんたち、こんな私を見捨てずにいてくださり、本当にありがとうございます!〉