
前作
「酔いどれ天使」に続いて、戦後の町医者が主人公の黒澤明監督作品。
「酔いどれ天使」では結核に感染しながらも、自分の感情とヤクザとしてのプライドのために命を落とす激情型の若いヤクザ役だった三船敏郎が、今度は道徳観念と医師としての良心を貫く、「聖人」のような医師役で登場します。
軍医として従軍した時に、素手で梅毒持ちの兵士を治療したために自分も梅毒に感染してしまった青年医師(恐らく童貞)。
戦後は愛する婚約者の女性と結婚するはずでしたが、梅毒のために彼女に触れることもできず、ひたすら医療に打ち込みます。彼女に事実を告げれば「治るまで10年でも20年でも待つ」と言い出すに決まっているので、彼女の幸せを思うと身を引くべきだと考え、本当は愛している彼女を遠ざけ、一方的に婚約も破棄してしまいます。
真摯に医療に取り組み、患者に優しく、自分に梅毒を感染させた元兵士とその家族にも手を差し伸べるような、まさに「医師の鏡」のような男です。
「静かなる決闘」というタイトルは、いつ治るともしれない梅毒治療に黙々と立ち向かう姿のことだろうと思って観ていると、終盤になって「聖人」である彼がついに自分の心情を吐露するシーンがやってきます。
婚約者だった彼女が「明日他の男と結婚する」と知って、心に押し込めていた感情が溢れだすのです。
「オレの欲望は実にかわいそうだ。若い頃は若者らしい道徳観に押し込められ、戦争中は"帰れば彼女が待っていてくれる"という思いでガマンさせられ、今は医師としての良心に押し込められている。ずっと脂汗を流しながら必死でガマンしてきたのに、彼女は別の男のモノになってしまう」と。
ここではじめて、「静かなる決闘」というタイトルは、病気との闘いだけではなく、彼の医師としての責任感や道徳観と、男としての欲望との決闘だということを観客は知ります。
体内に梅毒がある以外は若くて健康な男性が、目の前の愛する彼女に指1本触れることができないのですから、たいへんな葛藤ですよね、確かに。
でも、そんな感情を爆発させたのはわずか数分。
彼はまた、何事も無かったかのように冷静で高潔な「医師」に戻って行きます。
一方、彼に梅毒をうつした元兵士の男は、きちんと治療をしないまま結婚し、奥さんを妊娠させてしまいます。結局奥さんは梅毒に犯されて酷い姿になった赤ちゃんを死産することになります。赤ちゃんの姿は映りませんが、それを見た元兵士の男の悲鳴と茫然自失ぶりに、どんな悲劇だったのかがうかがわれます。
戦後すぐの「昔の話」で片づけてしまうこともできますが、梅毒をHIVに置き換えれば、現代にもじゅうぶん通用するストーリーだと思います。決してセックスだけが感染源ではないとか、ちゃんと検査や治療をしないと自分も周りも不幸にするとか。
みなさん、ちゃんとHIV検査してますか?