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CINEMA道楽

映画を見続けて40余年。
たくさん見過ぎて
忘れてしまうので、
映画館やテレビで観た
映画の鑑賞日記を
つけることにしました。
ネタバレもありますので、
未見の人は気をつけてね

 京極夏彦の京極堂シリーズの映画化第2弾。
 アマゾンのレビューをちょっと観たら、原作ファンにボロクソにこき下ろされていました。小説でもマンガでも、原作に根強いファンがいる作品を実写映画化すれば、どう撮っても不満を言う人は必ず出てきてしまうものですが、それを差し引いてもヒドイです。
 私はとくに京極夏彦に思い入れはありませんが、京極堂シリーズの世界観はけっこう好きです。
 京極堂シリーズの映画化1作目「姑獲鳥の夏」は、実相寺昭雄監督が得意の妖しく耽美的な映像でその世界観を表現してくれていたと思います。こちらも原作ファンの評価は低いですが、「魍魎の匣」よりはだいぶマシです。
 実相寺監督が亡くなってしまい、「魍魎の匣」は原田眞人監督が撮っています。原田監督も良い監督だとは思いますが、私の印象では京極堂シリーズの世界観とはまったく合いません。
 音楽も全然マッチしていませんでした。本編のBGMも合っていませんでしたし、エンドロールで流れる東京事変が作品を完全に破壊しています。きっと"大人の事情"があるのでしょうが、日本映画にはいまだに本編無視の「エンディングテーマ」を流す作品がありますよね。

 戦後間もない頃のお話しですが、先日「酔いどれ天使」を観たばかりだったので余計に、戦後すぐにしては街並みがきれい過ぎるのが気になりました。クルマも建物もピカピカし過ぎで違和感を感じました。
 後半のクライマックスの舞台となる研究所"匣館"のセットも、無機質で現代的で作品本来の世界観と合っていません。もし実相寺監督が撮っていたら、どんな匣館になったのか、観てみたかったです。

 「少女の右腕だけが何本も匣に収められている」「<余計な>手足を取って胴体と首だけの美少女が匣に収まっている」様子は、文字では幻想的に美しく調和の取れた物として表現できますが、実写すればどうしてもグロテスクになってしまいます。そこにデカダンスな着色をして、グロいだけではない映像にして欲しかったのですが、やっぱり、原田監督はこういう世界観向きの監督ではないのだと思います。もっとリアルでドキュメンタリータッチの作品向きだと思うのです。
 「腕の箱詰め」をリアルに撮ったらもう、この作品は台無しです。

 この作品、数年前にアニメ化もされています。このアニメがとてもよくできていて、ストーリーに合った幻想的で耽美的な世界観で描かれています。構成もきちんとしていて、原作ファンからの評価もかなり高い作品です。私も夢中になって観たアニメ作品のひとつです。アニメを観ていたから、この実写版のわかりにくい部分が"脳内補完"できたのかもしれません。
 同じ「魍魎の匣」を観るなら、アニメ版の方をおすすめします。
 ススキノが舞台の探偵モノ。2時間ドラマ風の娯楽作品としてはそこそこ楽しめます。
 原作は昭和の話として書かれているそうですが、映画では時代設定を現代にしているのに、小道具や音楽で中途半端に昭和っぽさを出そうとしているのが滑稽な感じがしました。「ハードボイルド」をうたってみても、現代の札幌でこんなに流血事件が起こること自体が不自然なので、中途半端なんですよね。
 北海道出身の大泉洋が主演俳優として地元随一の歓楽街を走り回る「凱旋映画」として観る映画なのかもしれません。

 レイモンド・チャンドラー的なハードボイルドを日本でやろうと思ったら、現代とは乖離した時代設定や街並みを用意しないと滑稽でしかない、ということを再認識しました。
 「カサブランカ」をリメイクした石原裕次郎の「夜霧よ今夜も有難う」は"霧"をうまく使って無国籍感を出しています。
 林海象監督、永瀬正敏の「濱マイクシリーズ」も、横浜黄金町を舞台にしていますが、モノクロ撮影によってレトロな感じを出しています。
 そして、昨年のNHKドラマ「ロング・グッドバイ」は最近観たハードボイルドものの中では秀逸でした。原作はチャンドラーの「長いお別れ」で、何度も映画化・ドラマ化されていますが、このドラマは浅野忠信を主演に、舞台を戦後すぐの日本に置き換えて、ちゃんとハードボイルドな作品になっていました。逆に言うと、現代とはかけ離れた設定にしないと、日本が舞台のハードボイルドは成立しないということなのだと思います。
 この「ロング・グッドバイ」の中でも、小雪さんが「事件のカギを握るミステリアスな女性」として登場しているので、思い出しました。
 「探偵はBARにいる」の小雪さんよりも、「ロング・グッドバイ」の小雪さんの方がずっと良かったです。

 今の日本が舞台では銃を持つことも不自然だし、松田優作のようなハードボイルドが絵になる俳優さんもほとんどいません。
 現代日本を舞台にした「ハードボイルド」映画、誰か撮ってくれないかなー、と思いながら見終えた作品です。
 DVDのジャケットは三船さんですが、"酔いどれ天使"とは志村喬さん演じる、お酒が好きで口が悪くてでも心根は優しい町医者のことです。こんなにお喋りでエキセントリックな志村喬は黒澤映画では他に見られないと思います。
 三船にとってはこの作品が黒澤映画初出演作品。破天荒で強烈な存在感を見せた三船さんが、以降、黒澤映画には無くてはならない役者になって行ったのは周知のところです。
 三船が演じたのは、医者の忠告も聞かず、「ヤクザ」としてのスジや体裁を保つことにこだわって無鉄砲に往き、自ら身を滅ぼしてしまう若いヤクザです。ハチャメチャな男ですが、イケメンでカッコよくて、でも危なっかしくて放っておけない、と思わせるような魅力がある男です。
 戦後の復興期に幅を利かせていたヤクザ社会を否定する作品だったにもかかわらず、三船のインパクトが強すぎて、逆にこの映画がヤクザを美化したり憧れる人を増やした、という話もあるほどです。

 戦後の傷から立ち直り、高度経済成長へと突入しつつある、ゴチャゴチャしているけれど活気溢れる街並み。ゴミが不法投棄されブクブクとメタンガスの泡が湧いている沼。今見れば、遠い過去の風景でしかありませんが、公開当時はとてもリアルだったことでしょう。
 当時はまだ「恐ろしい不治の病」だと思われていた結核が扱われていることもあり、平成生まれの人が観ても「ナニコレ?」という印象しか受けないかもしれませんが、その頃のニッポンの「生命力」のようなモノは感じられるかな、と思います。

 黒澤監督は「静かなる決闘」「赤ひげ」など、三船さんを医者役に使った作品も撮っています。見比べてみるとおもしろいと思います。
 
 私が子供の頃、民法テレビはゴールデンタイムにたくさん映画を放送していました。
 「ダーティハリー」シリーズはその頃繰り返し放送されていて、私も何回も観ました。イーストウッドの吹き替えをルパン三世と同じ山田康夫さんがやっていたのが耳に馴染んでしまっていて、後になって字幕版を観てイーストウッド自身の声に違和感を感じたほどです。  

 当時、日本でもアメリカでも人気があった「ダーティーハリー」シリーズですが、この4作目は唯一イーストウッド自身が監督も務めた作品です。監督作品としては10本目だそうです。全然知らなかった。
 イーストウッド監督作品は後味が良くない物が多いという印象があります。作品に対する不満、ということではなく、世の中の矛盾や不条理を描き、あえて白黒をはっきりさせず、観た人自身に判断を委ねるような作品が多いと思います。

 ダーティハリーことハリー・キャラハン刑事は、法で裁ききれないような悪人を容赦なく裁く「ダークヒーロー」キャラなのですが、この「4」では、連続殺人事件の犯人を最後に見逃してしまいます。そこが賛否両論で、シリーズの中の「異色作」と言われるゆえんです。「たとえ同情の余地がある犯人でも、ハリーなら情に流されず見逃さない」と言う人も多いです。
 連続殺人の理由はレイプ事件の被害者の復讐です。レイプ事件は犯人グループの中に警察署長の息子がいたためにウヤムヤにされ、犯人たちは処罰を受けずにのうのうと暮らしていました。
 レイプ犯が罰を受けるのは当然だとしても、復讐のための殺人は容認されるのか、考えさせられます。
 ハリーは「赦す」方を選んだわけですが、「あなたならどうしますか?」という宿題を出されたような気がします。

 この作品で提示された社会的な弱者と強者の問題、「正義」とは何か、といった課題は、クリント・イーストウッドが今も映画監督として取り組み続けているように思います。
 どれだけ多くの"奇跡"を生み出せるかが宗教のステイタスですが、キリスト教というのは良くも悪くも奇跡だらけで、何が起こっても不思議はない宗教です。そのおかげでキリスト教の様々な"奇跡"を題材にした映画がたくさん作られています。

 この映画もそんな"奇跡"のひとつ「スディグマータ」を題材にした映画です。キリストが磔にされた時に受けた傷が突如誰かの体に現れるのが「スティグマータ」。この映画では神様なんてまったく信じていないピッツバーグに住む女の子に「スティグマータ」が現れます。
 でも、この映画は神の奇跡「スティグマータ」を描くための映画ではなく、1945年になって見つかった「トマスの福音書」に書かれている教会否定を絡めて、現代のバチカンなどのキリスト教の教会のあり方に一石を投じようとした作品です。
 「神は教会ではなく、あなたの心の中、あなたの周りにいる」というのは、生涯定住の地を持たず、道端で説教をし、行く街々で「奇跡」を起こしたキリストの言葉として頷けるものですが、それを認めると莫大な「集金システム」としての教会組織には都合が悪いというわけです。だからバチカンは未だに「トマスの福音書」を「福音書」(=キリストの言葉を記録した書物)として認めていないんだろうと。

 元科学者で今はバチカンの神父である主人公が、「スティグマータ」の調査でピッツバーグを訪れ、その過程でバチカンの「トマスの福音書」隠しの陰謀を突き止める、というストーリー。女の子に「スティグマータ」が現れたのは、「トマス福音書」の調査中にバチカンを追われた神父が亡くなり、彼のロザリオがその女の子の手に渡ったからなのですが、それだけの理由で「スティグマータ」が現れることに説得力がありません。
 ロザリオを媒介して女の子の体に神父の魂が宿り、神父に「スティグマータ」が現れたということなのか、「トマスの福音書」が葬られることを恐れた神父の魂が、彼女に「スティグマータ」を現してアピールしようとしたのか、そこが判然としないので、観終わった今もモヤモヤ感が残ったままです。
 映画の冒頭でマリア像が血の涙を流したり、「スティグマータ」が現れる前に彼女が自分の妊娠を疑ったりするシーンがあるので、彼女はマリア的な役割のヒロインになるのかと思っていたら、キリストそのものを体現する役割になってしまいました。マリアを予見させる伏線の落としどころはどこだったのでしょう。

 映像は終始ミステリアスな雰囲気が漂っていて、ストーリーとマッチしていたと思います。ビジュアルのおかげで最後まで観られたのかも。
 「スティグマータ」というビジュアル的にもショッキングな題材で目を引こうとしたのだと思いますが、地味でも「トマスの福音書」に直接迫るミステリーを観てみたかったです。
 そういう映画、あるのかな。