CINEMA道楽

CINEMA道楽

映画を見続けて40余年。
たくさん見過ぎて
忘れてしまうので、
映画館やテレビで観た
映画の鑑賞日記を
つけることにしました。
ネタバレもありますので、
未見の人は気をつけてね

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 この映画、どうしてあんなにヒットしたのでしょうか。
プロモーションの効果なのか、出演者の人気なのか、どこがあんなにウケたのが謎です。
 出演者も豪華だし、そこそこいいお芝居をしていると思うし、そこそこお金もかかっていると思いますが、映画としてはフツーだと思います。
 太平洋戦争を舞台にした最近の映画の中でも、突出した何かがあるとも思えません。
 それでも、何かがあるからあんなにヒットしたんだろう、と思ってじっくり見ましたが、やっぱりわかりませんでした。

強いて言うなら、悲惨でむごたらしい殺戮シーンも無く、生々しくない"スタイリッシュな"戦争映画だからかもしれません。
戦争が舞台の映画なのに、戦争映画らしい緊張感や緊迫感が全然ないところが"新しい"のかもしれません。
この映画を賛美する人はきっと「人間の條件」なんかは見てないんだろうな・・・

でも、これからの世代に戦争を伝え残して行くには、リアルで生々しいドキュメンタリータッチな戦争映画よりも、「永遠の0」のような、ファンタジックでスタイリッシュな作品の方が良いのかもしれないですね。

 
 久しぶりに映画を見る時間が取れました。

 何かにつけ「自由とチャンスの国」をアピールするアメリカですが、本当は「差別と偏見」が蔓延している国だからこそのアピールなんですよね。

 今でこそ、ゲイはおおっぴらに差別されることは少なくなっていると思いますが、この映画の舞台1979年のアメリカには、ゲイに対する露骨な差別がありました。

 この映画は、決して人に迷惑をかけているわけではない、むしろ人より真摯に生きているゲイのカップルが、周囲からの差別、というよりイジメに合い、その結果、ひとりの少年の命が失われてしまう、という、やり切れない思いが残る映画です。
 でも、とても爽やかな映像で、ゲイカップルのベッドシーンも自然に受け入れられるし、ダウン症の少年の笑顔に癒されます。
 映画の中のワンシーンを思い出そうとすると、微笑ましかったり、癒されたりするようなシーンばかりが思い浮かぶのに、ストーリー全体を振り返ると、主演のアラン・カミングの振り絞るような切ない歌声とともに、やり切れない思いがふつふつと沸いてくる、という、不思議な魅力のある映画です。
 
 父親が別々で、出生届けも出してもらっていず、学校にも行っていない12歳の長男を筆頭とする4兄妹。
 母親と一緒に5人でマンションに引っ越してきますが、ある日母親は子供たちをそこに残して帰ってこなくなってしまいます。
 最初の1~2ヵ月こそ、母親が置いて行ったお金で暮らせたものの、すぐにお金は底を付き、ガスが止まり、電気が止まり、水道が止まり、部屋は荒廃して行きます。
 それでも母親の帰りを待ちわびる幼い妹、妹たちを守ろうと苦悩する長男。

 カメラは決して彼らの暮らしに干渉しようとはせず、ドキュメンタリーを撮っているかのように、客観的に淡々と彼らの時間を映しつづけます。
 「誰も知らない」というタイトルですが、子どもたちは隠れ住んでいたわけではなく、コンビニに廃棄食品をもらいに行ったり、水道が止まった後はボロボロの服を着て、近くの公園で入浴も洗濯もトイレもするようになり、周りの大人たちが「誰も知らない」わけがないのです。
 「知ってるけど関わりたくない」
 周りはそんな思いで子供たちを見ていたのでしょう。
 この作品はあえて、そんな周囲の大人たちの視点で撮られています。
 それを観ることによって、自身の罪悪感や薄っぺらいヒューマニズムと向き合わされます。

 私は基本的に子どもと動物が主役の映画は嫌いです。
 「感動するだろ?」「泣けるだろ?」と言わんばかりの押し付けがましさがイヤなのです。
 だから、この作品もずっと観ずにいたのですが、実際に観ると、押し付けがましさや説教臭さの無いドキュメンタリータッチな作風に好感をおぼえました。
 
 ただ、押し付けがましさがない分、救いもありません。
 予定調和的なハッピーエンドを期待したり、「子どもが救われないわけがない」と思ってこの長い作品を観てしまうと、虚しさとやり切れなさだけが残ると思います。
 ベトナム戦争を扱ったハリウッド映画はたくさんありますが、ほとんどの作品のテーマに据えられているのが「狂気」と「善悪」の問題です。
 遠いアジアのジャングルの中で終わりの見えない長期の戦闘に身を晒したアメリカ人にとって、ベトナム戦争は「極限状態にまで追い詰められた狂気の記憶」なのだと思います。

 数あるベトナム戦争モノの中でも、この作品は大ヒットし、アカデミー賞も受賞しました。
 「自分探し」の感覚で志願してベトナムに来た新米兵士が、戦場での狂気を目の当たりにし、極限状態を経験し、ある意味「自分探し」を成功させるストーリーです。
 この若き兵士を演じたのがチャーリー・シーンです。
 ちなみに、私のベトナム戦争モノのマイベストはチャーリー・シーンのお父さん、マーティン・シーンが主人公の「地獄の黙示録」です。

 「プラトーン」はジャングルの中の戦闘シーンの尺が長いです。
 戦闘経験が少なく士気も低い部隊が、敵襲でパニックになり、グダグダになっている様子がリアルに描かれています。
 味方同士で疑心暗鬼になって銃を向け合ったり、現地のただの農民もみんなゲリラ兵に見えてきて、村ごと問答無用で焼き払ったり、目を覆いたくなるようなシーンが続きます。
 この作品に限らず、ベトナム戦争モノの映画に出てくる登場人物はみんな「頭おかしい」と思うような人ばかりですが、彼らの頭がおかしくなって行く過程がわかりやすく描かれています。
 でも、この作品の登場人物たちには「人間らしさ」が十分に残っています。狂気といっても「極限状態に追い詰められて錯乱してる人たち」という印象で、戦場を離れてアメリカに戻れば普通に暮らせるだろうな、と思うレベルの「狂気」なのです。

 その点、「地獄の黙示録」では、帰還しても普通の社会生活には戻れそうもないと思うような「完全にイっちゃってる」人たちが多数登場します。
 「フルメタルジャケット」では、映画の半分をベトナム派遣前の訓練施設のシーンに費やして、徴兵された若者を「狂気の殺戮マシーン」に仕立てて行く様子が克明に描かれています。
 この2本の「イっちゃってる度」があまりに凄くて怖いので、「プラトーン」も秀作だとは思いますが、私にとってはヌルい部類のベトナム戦争モノです。
 グリム童話の「ヘンゼルとグレーテル」が大人になり、魔女狩り専門の賞金稼ぎになっている、という設定のお話。 
 血や肉片が飛び交うグロシーンが多いからなのか、日本では劇場公開されなかった作品。

 おふざけB級映画かと思いましたが、結構スタイリッシュでノリノリなホラーアクション映画の秀作でした。
 魔女狩りなのに、魔法バトルではなくバイオレンスな肉弾戦で、武器や素手で血まみれになりながら魔女狩りをするヘンゼルとグレーテルがカッコいいです。
 グレーテルも女子ながら、顔面をボコられ、鼻血を出しながら体当たりで戦います。
 グリム童話の「ヘンゼルとグレーテル」といえばお菓子の家ですが、大人になったヘンゼルは、当時魔女にお菓子を大量に食べさせられたのが原因で糖尿病になっている、という設定もヌカリはありません。
 間延びしないスピーディーなストーリー展開と、兄妹のポジティブで颯爽とした行動力に爽快感を感じました。