1925年に書かれたイギリスの小説「ダロウェイ夫人」。この小説を執筆中の作者バージニア・ウルフ、その小説を愛読しながら自分の人生を思い詰める1950年のアメリカの専業主婦ローラ、2001年のニューヨークでエイズに犯されているローラの息子と彼を愛する女性。
異なる時間と場所での1日が並行して描かれて行く作品です。
「ダロウェイ夫人」の中の一節が台詞にもたくさん取り入れられているようで、「ダロウェイ夫人」を読んでいれば、もっと深く観ることができたと思います。
でも、読んでいなくても伝わってくるものはたくさんありました。
脚本の完成度の高さと俳優陣の名演で、3つの舞台を行き来する難しい構成にもかかわらず、ひとうの作品としてきっちりまとまっていました。
「私はこう生きるべき」「私はこう生きたい」「実際の私はこう生きている」
この3つが一致している人はまずいないと思います。
でも、一度切りの人生なので、どれかを選んで生きて行くしかありません。
母としての顔、妻や恋人としての顔、仕事の時の顔。たいていの人はそれぞれをうまく使い分けて無難に人生を乗り切って行くのでしょうが、そこに矛盾や息苦しさを感じてしまうと、自分の人生が生きにくくなってしまうのでしょう。
そこに折り合いを付けて生きられない人が、心を病んだり、自死してしまうのかもしれません。
「生を際立たせるために死を描く」というバージニア・ウルフの言葉が沁みました。
そう言ったバージニア自身は自死の道を選びます。
「僕はキミを喜ぶから生きてたんだ」と言ったリチャードもまた、自死します。
ふたりの死によって際立たせられた周りの者の「生」は、重い荷物を背負いながらも、前へ進んで行くしかないのです。



