はじめまして

ゆるまるの、ゆだまりです。

 

こころがゆるまる

からだががゆるまる

 

自分にゆるっと〇マルをつける

 

そんなことを大事だなと思っているのには

わけがあります。

 

 

  ①ゆるまれなかった学生~病院時代

高校時代、作業療法士という仕事に稲妻を打たれました。

子供の頃の将来の夢は漫画家、なにか人の役に立つ仕事に就くようにと育てられたので、漠然と、美大か福祉職かと考えていた中で学校見学で出てきた作業療法士。

これだ!と稲妻を打たれたように感じて

そこから、目標の大学を目指しました。

県内の高校で推薦枠があったので、どうにか推薦を取れるように、

高校時代は、ゲーム感覚で評定平均を上げていくことに喜びを感じていました。

 

 

ここで培われたのが

無駄に高いプライドと、自分は優秀である

と言う錯覚笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

勉強を頑張って

目標を手に入れることは

社会的にとても素晴らしいことなんだけど

 

ここで身についた比較優劣競争には

後々まで悩ませることになります。

 

無事に本命大学に合格。

大学も「教授に気に入られているよね。」と友達に言われるほど

大きい者に対して聴き分けのよい生徒でした。

 

そして、就職先は、大所帯のリハビリスタッフのいる中で

必要もないのに、顔色を窺いながら、

本当は休みたいのに「いつ、休みの申請をしよう」と、上司への申し出すら

ドキドキしていました。

 

「できるだけ早く仕事を終わらせて勉強会に参加する」

「できるだけたくさんの患者さんみる(単位を稼ぐ)」

「できるだけたくさん勉強(研修会など)に参加する!」

と、常に戦闘モードでかなり燃えていました。

 

なかなか、研修の多い病院だったので

普段の患者さんも手を抜かずに、夕方は猛スピードで事務処理をこなし

21時や22時までの勉強会に参加して

一人暮らしの食事は手作りで、昼はお弁当持参で(もはや納豆だった)

土日も、講習会や、ボランティアに参加していました。

 

そこに科内発表会が重なったところ

ある日、エンジンが無くなってしまい

布団から起き上がれなくなってしまったんですね。

 

初めて、大泣きしながら電話をして、休職

でも、このままでは作業療法士になれないと思って

そして、周囲や上司のおかげで、また時間をかけながら復職していきました。

作業療法士でよかったと思ったのは、

作業療法士の職員室で復職プログラムを受けられたことですね。

 

私が最強にゆるんでなかった、若かりし頃です。

 

 

  ②コーチングとの出会い

 

私がメンタルコーチングに出会ったのは

パートナーシップで悩んだときでした。

病院を卒業し、地方自治体で作業療法士として勤務していました。

 

独身だった私は

自分をよりよく魅せるための彼氏と引き合っていました。

友人の紹介で、小川幸子さんと出会いました。

 

小川幸子さんのブログはこちら

 

「次に私と会うときは、今の彼氏と別れた時だね」

と言われてから2年笑。

彼氏がいない=惨め

みたいに、彼氏を鎧代わりにしていたので

鎧を脱ぐことに本当に抵抗があったのですよね。

このままでは結婚が見えないと思った20代最後の歳

なんとか別れて、幸子さんの門を叩きました。

その後、継続コーチングを受講。

3か月であっという間に、最愛のパートナーに出逢い

結婚に至りました。

 

あの、1人で消耗し続けた20代はなんだったのだろうと思うほど

コーチングの力を感じたのは、このときでした。

 

私の父方の祖母がお寺の長女で、親族には僧侶が多く

母方の祖母も、仏教系の信仰に熱かったので、

幼いころから、仏教というものがすぐ近くにありました。

私自身も、仏教を学んだり、実践をしていましたが、

コーチをつけた結果は、圧倒的でした。

 そして、長女がお腹にいた時から

仕事を辞める声が聴こえてきたので

出産を機に退職します。

 

 

  2度目の継続コーチング

 

その後、結婚後に生後2か月の娘を連れて

夫の母親、姉との同居が始まります。

 

慣れない同居にかなり疲弊し

そこに、コロナ禍のテレワークや1歳、4歳育児が加わり

幼稚園がコロナで休みのなか、午前中に二人を連れだして

お昼を作りに急いで戻って

5人分の食事を作る

待てない子供がいるのに

「仕事があるから早くして」と、夫にせかされる

なにもやらない姑

 

私の心は爆発寸前でした。

いや、爆発して、家出をしました。

 

その時に、深夜に帰宅して

たまたま目を通したスマホに募集があったのが、幸子さんの

2度目の継続コーチングです。

 

子育ての合間を縫いながら、セッションに集中し

そこで、外側の状況に関わらず、自分を軸にして生きることができて

 

すごく救われました。

 

子育て以外に何をやりたい?

そう聞かれて

始めたのが

ボディケアでした。

当時1歳の息子も、もう5歳になり

あっという間に4年経ちました。

 

ちなみに、今は…昼は各自、急いでいるときはカップラーメン

 

手伝ってほしいことを具体的にお願いすると

お姑さんは「他にはなにかやることある?」

って、ちゃんときいてくれます。

 

やってほしいことがあったら

察してよじゃなくて

頭を下げてお願いする

 

高い位置にいるから、そんなことができなかったんですね。

 

  コーチング提供者になる経緯

 もともと、発達のゆっくりさを感じていた長女ですが、

環境調整しながら、楽しく過ごしてきましたが、

ついに限界がやってきます。

 

2023年の5月末から

小2の娘が

一日に何度も転んだり、体がガクガクと不随意運動が出たりするようになり

段々とその頻度が増えてきて…

学校からは発作が起こるたびに呼び出されるし(そして早退)

病院を転々としたり、母子入院したり

学校と生活面の相談を重ね

車いすを手配して、頭部保護帽を申請して、訪問リハを探して…

てんかんを引き起こしている

脳萎縮の原因は不明ですが

落ち着いたら作業療法士として復帰しようと思っていたものの

対面ではない形での働き方を考えるようになりました。

 

そこでまた、幸子さんのコーチングの門を叩きます。

 

それは単なる自分自身が、等身大で、安心感を得ながら学びを進めていけるセッションでした。

 

自然と、有料の継続クライアントさんとも引き合い

こうして、メンタルコーチングをやっていこうと思っています。

 

外側は、娘の状況が変化して、

確定診断もつかない状態のため、

「どうやって、そんなに笑顔でいられるの?」

と、よく聴かれます。

おそらく、他者を通じた自己対話により

一人ではたどり着けない場所にいるのだからなのかもしれないと思いました。

 

メンタルコーチングに出逢って10年。

 

自分の新しい働き方を模索すると共に

自分が救われてきた、

幸子さんオリジナルのまんまるメゾットを継承して、次の方に伝えていきたいと思います✨

 

2週間に1回、90分のセッションを継続的に行うと

どうなるのか。

次に、継続クライアントさんの例もぜひシェアしていきたいと思います。

 

必要な方に届きますように✨

 

どうぞよろしくお願い致しますニコニコ