UAG美術家研究所・碧子

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湯上がり秘書・碧子のお仕事と写真日記

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大分市美術館は月曜日休館ですが、第一月曜日は開館してます。で、美術館前にあるゾウの像。
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旧竹田荘は、田能村竹田の生家を復元したもので、竹田の門弟たちは住み込みで詩画の修業に励み、頼山陽ら墨客もここに宿泊しました。
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田能村竹田と交友のあった広瀬淡窓の私塾・咸宜園では、竹田に入門した高橋草坪、帆足杏雨、田能村直入らが学びました。また、この咸宜園に学んだ地元日田出身の僧・平野五岳は、竹田に私淑して詩書画ともに優れ、三絶僧と称されました。
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南画家の田能村竹田は、郷里の竹田村(現竹田市)を出て京都方面に東遊する際、きまって戸次(現大分市戸次)の帆足家に立ち寄ったといいます。帆足家は領内有数の豪農で、酒造業も営んでいました。のちに竹田に師事し高弟となる帆足杏雨の生家でもあります。帆足家は、現在でも帆足家本家「富春館」として保存されています。

孔子廟とは、孔子を祀っている霊廟のことで、東京の湯島聖堂もそのひとつです。長崎の孔子廟は、日本唯一とされる本格的中国様式の建築で、鮮やかな色彩が空に映えてきれいです。


オランダ東インド政庁の商館付医師として長崎出島に赴任したシーボルト(1796-1866)の記念館には、当時「出島出入絵師」の権利を得て出島に出入していた町絵師・川原慶賀がシーボルトのお抱え絵師として描いた風俗画や写生画などが展示されています。
彫刻の名手と謳われた「左甚五郎」は、
実在したかどうか不明の彫刻家です。

でも、甚五郎作と伝えられる名品は
各地に残ってるんですよね。

飛騨ゆかりの人だともいわれていて、

左ききだったから「左」だとも、
飛騨の人だから「左」だともいわれています。

飛騨国分寺には左甚五郎の碑があるし、
なんたって高山名物に甚五郎らーめんがあるのですよ。


どうしたことか、こんなところに梶井基次郎の碑が。

立地場所としては、なかなかいい感じ。

見晴らしがよくて、
古い街並みが見下せて、
風遠しがよくて、
遠くで子供たちが遊ぶ声が聞こえる。

ストレスとは無縁の場所。

でも、碑の上に檸檬を乗せて逃走したくなりました。


少しだけ煙が出ているところを見ると、
これから本格的に燃え出しそう。

こんな感じの焚火だと、
焼き芋を入れるのをためらってしまいます。

百歩譲って焼き芋を入れるとしても、
アルミ箔に包んじゃダメでしょうね。
ごく自然に火の中に放り込まなきゃ。

食べる時もバターやマーガリンをつけちゃダメ。
はちみつやシナモンもダメ。
とにかくダメよダメダメ。

と、かってに思うのでした。