続きです。

 

8.自治体の消滅近き葱坊主        粋子

「限界集落」という言葉がありますが、平成の市町村の大合併を経てなお、自治体としての消滅の危機を免れない町村があります。季語「葱坊主」の頭は・・・食えなくなった「葱」の象徴と捉えると、社会問題を突きつけられたように感じました。浦島太郎車前の花と出合ひをり 「車前草」・・・通称「オオバコ」ですが、自分が子供の頃は、それこそあちこちで目にしたものですが、最近は見かけられなくなったように思います。作者はそういう意味合いで「浦島太郎」を持ち出したのでしょうか?ちょっとそこが突飛で、俳句で比喩を使うというのはなかなか難しいぞ・・・と思いました。

 

12.父に会う母の棺へ夏帽子       百々世草

先にも少し書きましたが、「葬送」という重いテーマを爽やかに送り出す雰囲気が「夏帽子」という季語の力で伝わりました。夏、ご家族で出かける際、お母様はこの夏帽子を愛用されていたのでしょう。老いた母の冥土の旅立ちに「お父さんとまたデートしておいでよ」と見送る娘の心境が見えました。蜜豆や雨も愁いも晴れるなり

こちらの句は、その後の続きでしょうか?帰り道、遺されたご親族と「蜜豆」を頂いて、少し心を「晴れ」に向かうようにされたのだろうと思いました。親の死を見送る・・・というのは大変な心的ストレスを感じるものですが、その辺りをさらっと句にできるところが、作者の達観されている人生観なのだろうと感じました。

 

20.たかんなに負けず投句を続けをり  あき坊

季語「たかんな」は「竹の子」のことですが、その成長ぶりとご自身の「投句」の継続という目標とを掛けておられました。作者、先日、新聞の俳句の頁で小澤實氏の選を頂いたことをブログに書かれていましたが、新聞とか総合誌の俳句は、選者の取捨選択で相当目に留まったものしか残りませんから、投句を続けるというのは、気力体力が求められることと思います。その記事はこちら↓↓↓

春燈や机に古代魚のフィギュア | 何もせずぼ~っとしている芸をやっと手に入れた (ameblo.jp)

五月雨や売りし田んぼをググりたり 掲句、自分が難点に思った点が2点あります。その1つは、「や」「たり」と切字を併用されていること。上五を「や」で詠嘆し、下五も「たり」で断定し詠嘆する・・・。やはり一行詩の俳句に二つも切字が入ると五月蠅く感じられます。2点目は「ググる」という言葉の俗っぽさ・・・ですね。確かに検索すれば「デジタル大辞泉」にも載っているので、基本辞書に載っている言葉は使ってよいというスタンスではおりますが、その辞書の中でも俗にグーグルサーチエンジン使って言葉画像検索する転じて、他のサーチエンジンで検索することにもいう』とありますから、やはり俗語なんですね。内容的には社会問題を裏に秘めた面白い内容だとは思いますが、その辺を踏まえてご推敲下さい。

 

26.光さす瀬戸の島々清和なり     みなみ

掲句、「清和」という時候の季語をしっかり捉えての写生句でした。昨年、淡路島経由で徳島は鳴門まで出かけた際、こちらの大観覧車に乗りましたが、「清和」の季語でこんな例句がありました。清和なる天に遊べる観覧車 落合ひろ恵 みなみさん、瀬戸内の様子をよく観察されていると思いました。麦の秋海からの風受けてをり 黄金色に実った麦が、瀬戸内の海風に揺れる様子が見えました。初夏の爽やかな一景かと。

 

27.いさらゐの群蝶黒に徹したり    円路

上五「いさらゐ」は漢字表記すると「細小井」、『水の少ない井、浅井』とありました。そこに群れている蝶の一群がどれも黒い蝶であったという意味でしょう。昨日、円路さんよりお問い合わせがありました。上五を「や」切にしたいのですが、切字の併用は基本的にお止しになった方が良いと思います。「ヤフー知恵袋」でも検索してみました。そこの回答にこんなものがあったので転記します。『湘子も書いていると思いますが、「や」「かな」と強い切れ字を俳句に2つ入れてはいけない、ということであり、 湘子は「をり」を切れ字として論じていますが、弱い切れ字だとしているので、問題ないと思います』。「をり」に関しては切字として使う場合と「居り」動詞として使う場合があると思うので許されると思いますが、「たり」に関しては「をり、なり、たり」の中では「けり」に続く強い断定の切字と自分は認識していますので、避けた方がよろしいかと思います。しかも掲句の場合、「いさらゐ」で詠嘆してしまうと、中七の「蝶」の季語が弱まってしまうと思われます。ご参考になればと思います。柔風に等しく傾ぐポピーかな こちらは蝶を愛で短歌も詠まれる円路さんならではの優しい雰囲気を持った句と感じました。

 

40.蕗を煮てしみじみ母を想いをり   日記

掲句、言うまでもありませんが、母から教わった蕗の煮方を作者が同じく煮つつ、ああ、あの頃はこうだったなぁ・・・とか遠隔地に住む母の姿を思うという一句でした。「しみじみ」に実感がこもってました。夏の夜を森のトロルの唄ひをり 「トロル」とは、森の妖精とありました。大きいものも小さいものもいるのだとか。自分は、映画「モンスターインク」に出てくるような大きいやつが森の洞穴で独り寂しく唄う姿を想像しました。「夏の夜」の眠りの浅い時間の幻想的な時間かと。

 

以上、勝手なことをさんざん書かせて頂きましたが、「お前はどうなんだよ」と言われそうな句しか詠んでなくてすいません。