確か以前にも書いたと思う。
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12月9日 漱石忌
自分の書いたものを振り返って、2年前はもう少し謙虚だったと少々反省。
ちょうど今、NHKのドラマで「坂の上の雲」が放送されている。
子規と漱石の出会った頃のことが描かれていた。東京大学予備門で知り合った二人は、どちらも落語が好きで、よく寄席に行っていたらしい。
その後、子規は新聞『日本』の記者となり、漱石は教師となり松山へ。
日露戦争の勃発後、子規は従軍記者を志願し結核を患っていたのをおして大陸へと渡る。だが、やはり病には勝てず帰国し、療養ということで故郷の松山へ帰るのだが、そこで漱石と再会することになる。
子規は自分の寿命が短いのを覚悟しつつ俳句へとのめり込むのだが、松山での療養期も漱石の下宿先に行っては、そこで句会を開いていた。漱石自身は、最初はさほど興味を持たなかったようであるが、句会のうるささに音を上げてとうとう参加するはめになる。
こうして、漱石も生涯に2500句以上の俳句を残すことになったのだった。
漱石の句。
肩に来て人懐かしや赤蜻蛉
秋の江に打ち込む杭のひびきかな
漱石忌の句。
妻の嘘夫の嘘や漱石忌 阿波野青畝
うつしゑのうすきあばたや漱石忌 日野草城
漱石忌猫に食はしてのち夕餉 平井照敏
句集より薄き詩集や漱石忌 上村占魚
漱石の小説や肖像がふっと浮かんでくる句作となっている。
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