こんにちは (*´∇`*)
わたしは、ステキだな、と思うものを伝えたいと思ってブログを書いています。
なぜかというと、学生時代から今まで腸過敏性症候群とパニック障害を持ちながら苦しい時間を過ごしてきました。
そんな中でも、自分が好きになったことと一緒の間は、症状のことを忘れて楽しい気持ちでいられましたし、時々『好きになったもの』に力をもらって行動できることもありました。
以前に比べたらずいぶんできることが増えました。ステキな人たちと出会うことができました。
大げさかもしれませんが、そのきっかけをくれたもの、また日々楽しませてくれるものに、恩返ししたいと思ったからです。
そして、わたしと同じように何かで苦しさを抱えている方が、楽しい時間を過ごしてもらえる手助けになったら嬉しく思います。
よろしくお願いします!
メインは韓国映画についてです。
ちなみに アジェニストとは アジェ(韓国語でおじさん)+ist の造語です。オジサン俳優好き。(*´∇`*)
(韓国では30過ぎたらオジサンなので範囲広めヽ(^ω^)ノ)
自己紹介①
■ すべての始まり ■
腸過敏性症候群になったのは中学生の頃でした。当時は名前もわからず(なかったのかな)、
胃腸が弱い、気のせいだと思っていました。
実は今まで誰にも話したことはなかったのですが、これがきっかけだったのかな?と思い当たることがあります。
体育館で学年集会、全校集会とかしますよね。で、その時は椅子ではなくて直に体育座りしてました。
じっと座ってるからお尻が痛くなって、早く終わって欲しいなーと思ってると、なんだかお尻の辺りがもぞもぞしてきちゃったんです。これヤバいー!
「わー、ちょっとまって~~」と一生懸命頑張ったんですが、願い届かず、終わる前にでちゃったんです。
……おならがorz
(°д°;)
たぶん、こんな顔してたと思います…w
この記事を書くにあたって、そういえばその後ザワザワしたり、からかわれたりしなかったな。ひょっとしたらしてなかった…?もしくは誰なのか特定されていなかったのかなと思うのですが。
その時は「やっちゃったー!!!どうしよう!!」頭の中が真っ白になりました。
そうこうするうちに、同じような状況下になるとその症状がでるようになって、集会がある日はその心配で頭がいっぱいです。授業中もそのことに気をとられて、そのうちに授業中も、みんながいて静かで逃げられないのは同じだ!と、関連付けるようになって、ここでも我慢しなくてはいけないようになるのでした。
環境が変わっても、関連付けの苦手意識をもったままだったので、高校生活でもあまり変化はありませんでした。
女子高で、クラス替えもなかったから思い切ってカミングアウトすればよかったなーと今なら思うし、できたと思いますが、当時は、全力で笑いを取りにいくぜ!なんてできるキャラではありませんでした…。
ただ、理解してくださる方もいて、一度、どうしても教室にいることが辛くなって、「お腹が痛いけれど、テストは受けたい」と申告したら、隣の無人教室に行って一人でテストするように言われたことがありました。
しかも監督者なしだったんです。 「これなら気にせずいつでもトイレに行けるなー!テスト頑張れよ」って。
我慢の辛い日々は続きましたが、周りの支えがあってさらに進学することができました。
ただ、高校受験の時もそうだったんですが、入試は通常のテストより強いプレッシャーがあったので、何でそこへ進学するのかよりも、テストが少なそうな、行けるところで選んでいました。
それで通うことになった大学は電車に乗らないといけない場所にありました……。
■ なんとかやってきたのに。 ■
中高と電車に乗る機会はほとんどなかったので、最初は何も考えずに乗れていた気がします。でもふとしたことでお腹の調子が狂ってしまうと、「そうだ、ここも危険な場所なんだ」と感じてしまい、またなってしまったらどうしようと、乗る前から心配するようになりました。すると症状が頻繁に出始めました。
各駅のローカル線だったので、降りようと思えばできるのに、遅刻しちゃう、本数が少ないから、駅で一人でいるのは怖い。理由を探して我慢することを選んでは、 自分で恐怖感を倍増させて植えつけていきました。
(無人駅だったので駅のトイレは怖くて入れませんでした)
それでも症状が出るのは朝がほとんどだったので、大学時代は遅刻をしつつ卒業することができました。
卒業後、しばらくして自宅近くの店に職を得て、電車に乗ることはほとんどなくなりました。
朝の腹痛は相変わらずで、(気のせいではなくて毎日下してました^^;)仕事だから遅刻するわけにはいかない、なのにまた遅刻してしまった。どうして夕方なのに腹痛が収まらないのだろう…。悩みながら相変わらず薬を飲んでいが、遅刻しても「大丈夫?今から頑張ってね」と言ってもらえる職場で、胃腸を壊しやすい先輩とトイレを奪い合いながら仕事をしたり、心配や緊張はあったけれど、みんなで遊びに行くこともできていました。
本当にステキなありがたい職場でした。
でも、こんなにありがたい職場で働けていると感謝することは一度もありませんでした。
いいところだな~とは思ってもそこで終わりです。
(今思うと見当違いな頑張りで自己中で傲慢な部分が多かったと思うのですが、その頃は一生懸命やってる!そんな自信でいっぱいでした。)
そのせいでしょうか……。
なんと職場が閉店することになったのです。