令和3年5月3日(月)晴れ

今朝の朝刊を見ると、「内灘試射場の弾薬箱あった」と書かれ、[町内初勤務の住民遺族が保管」と書かれているのである。下記は以前に関連をした記事だが、

 

 

読むと、この試射場ゆかりに関連するものはそれ程多くはなく、弾薬箱は貴重な物だと言い、今後は町の歴史民俗資料館「風と砂の館」で展示を予定しているというのである。

前回の続き

ロードバイクで行った所その345

八幡神社の後、帰ろうとして戻る途中で免田駅があったので立ち寄り写真を撮り、中に入ると地元の人が作った俳句なのか展示がしてあった。点字の運賃表は、この方がわかりやすいのか「あいうえお順であった。この駅からは殆どが金沢まで通学とか通勤をしている人が利用しているが1日の乗降客数は240人だと言うのである。同じ七尾線の私が住む宇ノ気町にある宇ノ気駅は1日の乗降客数が2296人にもなり駅員はいるが、ここ免田駅は無人駅なのである。この駅は無人駅なのかと思いながら外に出ると、目の前の家が売りに出ているのである。駅前と言えば、田舎でもそれなりにお店があったりするが、周りを見てもお店屋さんは見当たらないのである。免田駅がある所は免田と言う地名で、地名から想像すると税など免じられたと思うが、地名の由来では今は穀倉地帯になっているが、昔は湿地帯が多く条件の悪い田畑なので租税が一部軽減され、そこから付いた地名だと言われているのである。この後、高松あたりに来た時に祠があったので、写真を撮ったが、上の方に「開堤救世菩薩」と書かれていたので、何か謂れがあるのかと思っていた所、目の前の工場からおじさんが出てきたので、聞いた所、面倒くさそうに何も知らんと言われた。

続く