令和2年9月13日(日)雨

今朝もジョギングを始めようと玄関を出ると雨が降っているのである。と言う事から久しぶりに何もしない一日となった。朝刊を見ると「炎鵬マスク熱い人気」と書かれているのである。記事では炎鵬の浴衣をモチーフにしたマスクのプレゼントキャンペーンとあるが、生地は浴衣と同じで裏地には抗ウイルス加工生地を採用しているとのことだ。

ロードバイクで行った所その301

前回の続き

昨日の内灘駅から1kmほどで日本海に面した内灘海岸だが、今は海水浴所で賑わっているが、戦後、この海岸線を利用して米軍が射撃場としたのである。戦後に朝鮮戦争が勃発をし、日本も、この戦争に巻き込まれる事になり、日本政府が内灘町の砂丘地の接収を決定したのである。もう一つ候補地は静岡県の中田砂丘もあったようだが、これにより内灘砂丘地が米軍の砲弾試射場となったのである。これには小松製作所で朝鮮戦争の特需砲弾が製造され、その試射場として内灘砂丘が接収されたのであった。これに村民が驚き反対運動が起こり村を二分する騒動となったのである。村民はむしろ旗を掲げ県庁まで押しかけ、その後、学生らのデモ、北鉄労組の応援にも広がり、全国からも反対運動に参加するようになったのである。しかし、日本中が朝鮮戦争の特需にも預かり、政府も試射場が日本の経済を支えていると言う説得などにより内灘村は3年間の使用を認めると言う事で妥結をし、基地反対闘争は収束をしたのである。その後、色んな保障が行われたのである。また別に保障金と見舞金が当時の金額で22億4000万円で、当時の村の予算が2000万円だったので補償額は村の年間予算の100倍以上にもなったのである。お借りした今でも残っている米軍の試射場跡である。。

下記は以前に米軍試射場の事を記事にしたものである。

 

 

続く