ベストイレブン 日産自動車
GK 松永成立
DF 越田剛史
オスカー
井原正巳
田中真二
MF マリーニョ
水沼貴史
長谷川健太
木村和司
金田喜稔
FW レナト
GKは日本代表でも活躍した松永シゲさん。安定感のあるプレーで愛知学院大学から日産入団当初からレギュラーを獲得した選手。もっともその頃本人は偉大な先輩ったいと一緒に同じピッチに立つことがものすごく苦痛だったらしいが…。
DFは右にサイドバックというよりはストッパータイプの越田さん。対人に強く日本代表でもプレー、メキシコW杯最終予選の韓国戦のアウェイゲームでも出場を果たした。
センターバックにはスペインW杯ブラジル代表の一員オスカー。世界最高峰の選手を生で見ることができたはまさに至福の時だった。現役引退後すぐに日産の監督に就任、若手選手を登用して黄金期を引き継いだ。
もうひとりはアジアの壁井原さん。オスカー監督は入団当初は中盤でも起用したがその後はセンターバックのポジションへ。アスリート能力も高くルーキーイヤーから主力選手として活躍した。
左には田中真二パオさん。左右のサイドバックをこなし日本代表経験のある選手。鈴木正治、平川などの台頭でJリーグ開幕前にレッズへ移籍したが、こと日産のサイドバックといえばこの人をおいていない。
中盤は入れたいメンバーの関係で5人、アンカーにフットサルの日本代表でもお馴染みのマリーニョさん、読売がジョージ与那城だったら、日産はマリーニョ、と言っていいくらいのクラブの看板外国人選手だった。
右には水沼さん。守備をしないと代表を外されたことがあったけど、アシスト王ランキングでダントツのトップになり代表復帰を果たして中心選手として活躍したのが印象に残っている。あとはボレーシュートでのファインゴールが多かったのも…。
同じ右を主戦場にするのは健太さん。筑波大学から鳴り物入りで入団、怪我の影響でレギュラーとして活躍した時期は限られていたけど右足の弾丸ミドルでチームに大きく貢献した。とにかくあの右足のキックは強烈だったな。
そしてミスター日産木村和司さん。あるTV番組でライバルチームの選手に「オッサン自動車」と言われた直後の天皇杯決勝でその相手に見事な決勝弾を叩き込むなど数々の伝説の持ち主。この10番といえばやはりフリーキック、そのスペシャリストぶりは今でも伝説だがそれ以上に直接コーナーキックも決めている。
左は金田さん。キンタダンスと呼ばれたドリブル、とにかく力みがなく踊りを踊っているような感じだった。ロス五輪の二次予選では右サイドでプレーした(させられた?)けどもそのテクニックはサイド関係なしにスゴかった。
迷ったFWはレナト。82W杯ブラジルの黄金の四人の控えだった選手が日本リーグでプレーしてくれた幸せな時代、決定力の高さは群を抜いていた。記憶にあるのは天皇杯決勝で交代枠を使い切ったあとに負傷、プレーできないからベンチに下がらせてくれとベンチにアピールするもオスカー監督がそれを許さず、最後は目の前にあるボールすら触ることができない中でもピッチに立ち続けた。(最後は文字通り立っているだけだったが…)
ここに書いた11人以外にもまだまだいたけどこのベストイレブン選びは楽しかったな~。